プロローグ
すっかり日の暮れた時刻の代わりにネオンきらびく街並みの中で人々が忙しなく歩いていた。
ある者は仕事帰りのサラリーマン。残業帰りでヘトヘトに疲れ果て栄養ドリンクを飲み身体をごまかしな
がら家族のもとへ帰る。
ある者は学生。塾を終え友達との別れを惜しみ手を振る。勉強に追われた反動か寄り道でもしようかと話し合う若者も少なくはない。
ある者は派手な服に包まれた女性。これからが彼女の出番であり、今日も現実を忘れたい輩どもの相手をしに行く。
そんな様々な事情を抱えた雑踏の隅で不穏な空気が流れていた。まるでこれからの出来事を予言するかのように。
とあるビルの屋上、何やら影が一つぽつんと立っている。暗闇から音が聞こえてそれに反応するように隣の電灯に照らされ姿を表す。真っ黒な衣装をみに纏った小柄な人物は顔を仮面で隠し性別の判断はつかない。徐にポケットから端末を取り出すと不快な人混みに紛れた電子音を切り耳元に当てる。
「はい」
「どうだ? 様子は」
スピーカーから低い男性の声が決していいとは言えない音質で発せられる。
「問題ない。それより、やっぱりコレ嫌い。どうにかならないの?」
「文句言うな。仕方ないだろ、こればっかりは色々あるんだ。こちらだってもっといい物にできないか打診はしているが、なかなか首を縦に振らなくてな」
「そう……」
「そういう理由だから我慢してくれ。愚痴なら後で聞く。まあ、様子が大丈夫ならいい。いつも通り頼むぞ。サポートはする」
「わかった」
はぁ〜。とため息を吐き、通信のスイッチを切り替え耳に無線イヤホンを装着する。先ほどのものより音質は多少改善され比較的クリアに聞こえるがそれでもゴミなのは変わりない。この人物にとってはストレスを感じる原因になりかねないのだが、これもまた一環だと割り切って目の前のことに集中することに決めたようだ。
「準備はいいか?」
端末で話していた時よりも真剣な声色が鋭く鼓膜に伝わってくる。それは合図であり同時にここからは真面目に行くぞといった心の表れでもあった。騒がしかった周囲に静寂が訪ずれ、ゆるやかな全身に電撃が走り抜け影を光で覆い隠す。
「いきます」
空気に向かってそう呟いた人物は仮面で表情がわからないもののただならぬ覇気を放ちビルの手すりから颯爽と飛び降りて街灯が薄暗く光る街並みに消えていく。
その一連のやりとりを人々は知る由もなく、いつもと変わらぬ日常を送る。この日、名も無き命がひっそりと絶えた。