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黄昏の剥離  作者: 春原光
第1章 要編
2/11

逃避行の始まり1

  その日、日が落ちる頃。


  薄暗い山道を通って、猟銃を肩に背負った(かなめ)かもを片手に家に帰るとそこには血の海が広がっていた。


  最近鴨鍋続きだったから、「また鴨鍋かい?こんなに鴨ばかり食ってたら鴨になっちまうよ。」だなんて笑いながら冗談くさく文句を垂れてくるはずだった母親も、それをたしなめながらも幸せそうな表情を浮かべているはずの父親もそこにはいない。


  代わりに、空っぽな家の中、ぱちぱち火花を上げて燃える囲炉裏いろりの炎が不気味に映し出しているのは赤黒い染みだった。それを見た瞬間要の顔から血の気が引いていく。


  手に持っていた鴨を取り落とし、慌てて草履のまま居間に上がり込むと囲炉裏から提灯ちょうちんに火を移して外に出た。ぼんやりとした提灯の明かりが足元を……青々とした芝生の上に転々と続く血の跡を照らすなり、頭であれこれと考える前に足が勝手に行く先を決め駆け出していた。


  ずきりと痛む頭。必死に悪い想像を振り払って走った。意図せず追っていた血の跡の先、たどり着いたのはいつも要がお父さんと一緒に魚を取っていた小川のほとりだった。そこに転がっていたのは二つの影。思わず息をのむ。


  恐る恐る、一歩一歩、足場の悪い河原の砂利の上を提灯で照らしながらそれに近づくと、それは無残な姿になった血まみれの両親だった。おかしな向きに曲がった首。苦しそうに歪んでいる顔。そしてむき出しになっている内臓を見た瞬間、息をするのを忘れ、提灯を取り落として、草むらにしゃがみ込んで、吐いた。


  頭が痛む。


  川の流れに消されるでもなく自分の嘔吐した臭いよりも強く濃く鼻の奥を刺激するむせ返るような血の匂いは両親が殺されてからそれほど時間が経っていないことを物語っていた。呼吸が荒む。泣くな、泣くなと自分自身に言い聞かせた。


  ……それでもやっぱり涙も嗚咽も叫び声も上げずにはいられない。

  「ああああああああああぁっ!!」

  思わず地面に膝をついた。地面に拳を振り下ろす。悔しい。悔しい。悔しい。

  ダラダラと目からあふれ出てくる涙が河原の石の隙間に消えていく。振り下ろした拳が触れた石ころが、血で赤く染まった。


  ずきりと痛む頭はもう既に、今起こっている出来事を理解していた。


  血の海も、目の前のこの光景も。全ては自分のせいなのだと。



 *



  要は自分が転生者であるということを幼いころから理解していた。前世の記憶なんてものはほとんどなかったが、自身の死に際の苦しさだけは鮮明に覚えていた。


  だが、前世の記憶が無い分、この世界になじむことができたのだと思う。


  この世界には魔法という概念が存在した。

  だがこの世界で魔法とは決して良いものではなく、むしろ忌み嫌われるものだった。


  梟栓(きょうせん)村……両親がかつて住んでいた村も例外ではなく、魔力を持つ者の差別を行い、その上魔力を持って生まれた子どもが男なら赤子のうちに生け贄として殺し、女なら十八になる歳に龍への生け贄として差し出されるという風習があったらしい。


  らしい、というのはあくまでこれは要が両親に聞いた話であり、要がその村に行ったことはないからだ。


  要はそんな村で魔力を持って生まれた“忌み子”だった。女に生まれたからこそこの年まで生きてこれたが、それでも今年で十八だ。


  両親は神も仏も信じていない人間だったので、村の土地神とされていた龍のことだってもちろん信じていなかった。存在しない神に自分たちの娘が差し出されるなんてたまったもんじゃないと、幼い要を連れて村から離れた山奥に逃げたのだという。


  要は両親がとても好きだった。あっけらかんとしていてデリカシーこそないが、要が魔力保持者であるということを始めとして一切の隠し事を要に対してしなかった。そして二人とも口癖のように「守ってやる」と口にしていた。


  だが、ことはそんなに簡単なものではなかった。魔力を持った人間は村に十年に一人生まれるかどうかという確率なのだという。かくいう要も村に十二年ぶりに生まれた忌み子であり、女としては実に五十年ぶりだ。


  村は土地神として龍を信仰していた。そして生け贄を必要なものとも考えていた。赤子を差し出すよりも生娘を差し出す方がよいのだという考えはいささか安直であるとも思うが、つまりはそういうことである。


  村としては五十年ぶりの良い生け贄を逃すなんてもってのほか。彼ら村の住人は要のことを血眼になって探していたのだ。



  そんな中、ことが起こったのはつい最近だ。村で大干ばつが起こったのである。


  起こった干ばつに対して、村人の怒りは要の両親に向いた。


  村人たちからすれば、要の両親は生け贄を差し出さず神の怒りを買った大罪人なのである。それに村の連中は要のことを人とも思っていない。要のことを十八にもなって、親の助けがなければ生きていけないような木偶の坊だと思っているのだ。実に(しゃく)に障る。


  要の死=贄だなんて、またしても安直な考えから村人は要の両親の命を狙い始めた。


  要たちが住んでいたのは龍が住むとされる神聖な山の中で、村人たちが一切寄り付かない場所だったのでこれまで隠れてこれた。だがつい先刻、生け贄の儀式のために山の下見に来た一人の村人に所在がばれてしまったのだ。


  要たちは逃げる予定だった。見つかったのが夕方だったから、夜のうちにはここを発つ予定だった。ここでの最後の夕食を食べる予定だった。


  その判断が、間違いだった。


  両親に守られ育てられてきた要にはあまり危機感がなかった。危険はこれまで全て両親によって彼女から遠ざけられてきた。


  そして、要から危険を遠ざけるために、両親は死んだ。


  ここにきて、ようやく要は事の重大性を理解した。


  あふれ出てくる涙ばかりはどうにもならなかったが、ぎゅっと唇を噛みしめて両親の遺体に手を合わせる。


  要は落として和紙に火が移り燃える提灯を川の中に投げ捨てた。熱いが鈍い、ヒリヒリとする右手。燃えている物を持ったのだから仕方がない。もう既に水ぶくれになった手をかばう余裕もなく、要は彼女の母親の遺体から帯をはぎ取った。安っぽい麻の帯は血で真っ赤に染まっていたがそれでもかまわず、まだべたつくその帯を(たすき)代わりにして着物の袖を結ぶ。


  耳を澄ませると人の話し声が聞こえた。それから、遠くに明かりが見える。きっと両親を殺した村人たちがまだ要を探しているのだろう。要の叫び声を聞きつけてここに向かってきているに違いない。


  要は暗がりの中、あちらこちらで見える提灯の明かりを避けるようにその場を後にした。


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