リビングプール・サバイバル
初投稿です!
よろしくお願いします!
「イヤだァァァァァァ!助けて!助けてェェェェェェ!」
「すまない…!僕にはどうすることも出来ない…。」
「ギャァァァァァァァァァァ!死にたくない!死にたくない!死に」
ダンッ
「タッ……」
「うっ!くそおぉぉ!」
ガラスで隔たれた向こう側ではなんども繰り返されてきた残酷な光景が繰り広げられていた。
首を切られて死ぬ。いや、それだけでは済まず腹を切り開かれて内蔵と骨を取り除かれる。
肉を細かく切られて食べられる。
「何で、何であんなに残酷なことができるんだ!僕たちは生きてるんだぞ!!!!」
ガラスの向こうにいる人間がこちらの声を理解するはずもなく彼の声は泡となって消えていく。
「ついに僕だけになってしまった…」
大量に入れられた仲間たちも、次々と殺されてしまい、周囲には仲間は誰も残っていない。
「おいおい、あいつ残り一匹になっちまったぜ。」
「雑魚らしくてミジメだぜ」
周りから彼のことをバカにする声が聞こえる。しかし彼は目をつむってその場を去り言い返すことはない。
なぜなら彼は言葉の通り、’’雑魚’’だったからだ。
これは、ある寿司屋の生け簀(水槽)に入れられた小魚の物語である。
仲間がいなくなってから数日が経った。
「もうイヤだ!」
イワシはこの数日間生きた心地がしなかったが、彼は新しい発見もしていた。
このガラス張りの場所は「イケス」と言い、魚を殺す人間は「大将」という名前だということ。
辺りが明るくなれば、大将は次々と魚を殺すこと。これらのことが分かった。
しかし、分かったところで、驚異が去るわけでもなく、彼は次は自分の番かもしれないと震え、他の魚が捕まると少しほっとした。
「いつまでこんな生活を続けなければならないんだ…」
イワシは水中を泣きながら進む。ガラスの側までたどり着いたら次は反対側へと泳ぎ、くるくる回る。
3週目に差し掛かろうとしたとき、目の前を大きな影が遮ってきた。
「おいおいおい、こんなところに泣き虫がいるぜ!お前みたいな魚のことを雑魚っていうんだぜ!ぶはははは!」
「あなたはマダイ…!」
マダイはこの生け簀の中でもトッププクラスの巨体を誇っている魚だ。
「食べられるのが怖くて泣いてんだろ~!俺が何で食べられずに済んでいるか教えてやろうか?」
「なに…?そんな秘密があるの!?教えて!教えて!!!」
イワシは生き残りたい一心で教えを乞う。
「おう、それはな…」
「それは…?」
「それは、俺が芸術的だからだ…」
「この体のでかさ!鱗のきらめき!いかつい顔に!隠しきれぬ上品さ!どれをとっても一級品、パーフェクトだ!」
「は、はぁ」
「おっと、引くなよ。今のは全て人間どもが俺様を見てつけた評価だ。」
「…!?」
「やつらはな、俺様を一種の芸術品として見ているわけだ。芸術品を食べるヤツは居ないだろ?」
「なるほど…」
あながち間違いでもない理屈だとイワシは思った。
「人間たちにとって必要とされていれば、食べられることはないってことだね。」
「おっ!雑魚のくせに理解が早いじゃねーか!」
「へへへ…!でも雑魚のくせには余分だよ…僕は雑魚じゃなくてイワシだもん…」
「まぁ、そんなこと気にすんなよ!」
「気にするよ…まったく!」
「ぶはははは!」
「へへへ!」
口は悪いが生き残りの秘訣を教えてくれるあたり、マダイは悪いやつではなさそうだとイワシは思った。
両者の緊張が少し解ける。
「ぶはははは!あ、そうだ。俺の秘訣を教えたかわりに頼みたいことがあるんだが、聞いてくれねぇか?」
「え?あー、うん。まぁ、僕にできることだったら…」
「そうか!ありがとよ!お前にしかできねぇことなんだ!」
「それで、頼みごとっていうのは?」
「…そうだな、ちょっとかじらせてくれないか?」
「え?」
それが、文字通りの意味だと気付いたのは、マダイが歯をギラつかせながら迫ってからだった。
バクンッ!
「おーいー!避けるなよ!」
「避けるよ!!!死んじゃうよ!」
「そりぁそうだろ!良いから食べられろ!」
「やだよ!頼むからやめて!」
くるくると体を回転させ必死に命乞いをする。
「はぁ…分かった。話し合おう。」
「…!よかった!」
「面倒くさいから伏せてたが、お前がこのイケスに入れられた理由を教えてやろう。」
「!!!!????!!!!」
「お前みたいな雑魚は今まで沢山来た。が、全てが人間どもに食べられた訳じゃあない。」
「何だって!?」
「半分程度は人間が食べるが、それ以外は俺のような大型の魚の餌になった。」
「なんてことを…!」
「人間どもはお前らを餌としてこのイケスに入れているんだ。」
「な………!?」
「だからもう諦めろ。俺に食べられなくても、人間に食べられる。人間に食べられなくても、俺に食べられる。」
「そんなぁ…」
「お前は食べられる運命なんだ。さぁ身を委ねろ。さぁ……!」
マダイが徐々に近づく。
「イヤだァァァァァァ!生き残るんだァァァ!」
「おいおいおい!どこに逃げようっていうんだよ!この狭い中を!」
必死に逃げるが、狭いイケスの中では逃げ場が限られている。
すぐにガラスの側に追い詰められてしまう。
「ギャァハハハ!笑いが止まらねぇぜ!無様すぎてよ!」
マダイは巨体を震わせて笑い転げる。
「ギャァハハハ!ギャァァァァァァァハハハ!ハハハ!…ッフゥ~…じゃあそろそろいただきまーす…」
イワシは目をつむり、最後の時を迎えようとした。
「おっ!活きが良いのが居るね!大将、その鯛お造りにしてもらえる?」
「はい!マダイ一丁!」
ガラスの向こうで声がした。
「へ?」
言うが早いか、大将は網を持ってマダイを捕らえた。
「へ?何で?へ?ダメだって!芸術品!俺、芸術品!げーじっ」
ダンッ
巨体を跳ねさせて猛抗議をしていたマダイだったが、大将の包丁によって息の根を止められる。
その後いろいろあってマダイはお造りになった。
「あ、危なかった…もう少しで食べられてしまうところだった…」
イワシは、これまで人間の脅威しか感じていなかったが、このイケスの中も危険がいっぱいであることに気づく。
「危なそうな魚には近づかないようにしなくちゃ…」
あたりを見回すが魚がまばらに居て、皆同じように暗いかおをして泳いでいるだけだった。
「ふぅ~、大丈夫そうだ。」
「クックックッ」
「キャハハハ♪」
急に明るい声がして振り返る。
「ククク、バカなやつでござった。」
「ホント、良い気味よね~!」
なにもなかったはずの空間から声がする。
「おっと、小魚くんは我らの姿が見えていないようでござる!」
「しょうがないわよ、アタシ達の技にかかれば魚も人間も姿を見失っちゃうもの♪」
「まったく、その通りでござる!仕方ない…」
言うなり、ブワァァァァァァ!と砂が巻き上げられる。
砂ぼこりが収まるにつれてシルエットがあらわになってきた。足が何本もある異形と、非常に平べったい魚だった。
「我の名はタコ助」
「アタシの名前はカレーヌよ、よろしくねぇ~♪」
「な!一体!一体どこに隠れていたんだ!?」
「キャハハ♪その反応ウケる~♪」
「ククク!まったくその通り!」
「(まずい、今度は二匹もいる…。もしも狙われたら逃げ切れない…。)」
先程マダイに襲われたばかりでありイワシは警戒を強めていた。
「小魚よ、安心なされよ。我らはお主を取って食おうと言う訳ではない。」
「そうよぉ~!それにアタシたちアンタみたいな小魚を食う趣味はないの~♪」
二匹は一見敵意はなさそうだったが、急に目の前に現れた意図が見えなかった。
「むしろ、あの鼻持ちならないマダイを始末したお主をねぎらおうと思っているのだ。」
「ホント!あのマダイって最高に嫌なやつだったのよ~!」
「へ?」
唐突なことだったのであっけにとられるイワシ。
「あのマダイは卑怯なやつでござった!!!寝ている間に足を一本喰われたでござる!!!」
「アタシなんて、面と向かってペラペラオカマ野郎って言われたのよ!ホント許せないわぁ…!!!」
「それに、足を食べられただけでなく、「不味い!」って言われてほとんど残されたのは本当に許せんでござる!!!」
「ホント!この美しいアタシに向かってあんな侮辱をするなんて!キーッッ!!」
二匹の不満は止まることがなく、相当な怨みをマダイに持っていたことが伺える。
それだけに、イワシは困惑をしていた。
「あのー、僕ってなにかしましたっけ…?」
イワシはただ逃げ回っていただけであり、マダイを仕留めたのは大将だったはずだ。
「たくさん逃げて人間にアピールしてくれたじゃないの♪」
「へ?」
あっけにとられているイワシにカレイが話を続ける。
「このイケスって人間どもがずっと見てるじゃない?だから、悪目立ちするとすぐに食べられちゃうのよ!」
「あのアホのマダイは何か勘違いをしていたようだが、我らは目立ってはダメなのだ。」
「なるほど…」
マダイとは違う理論だったが、これにもイワシは納得がいった。
「確かに目立たなければ、食べられることは無さそうですね。」
「あら~♪良くわかってるじゃない♪」
「そこでだ、目障りなやつを消してもらったお礼に、我らの術を教えてしんぜよう。」
「え!良いんですか!?」
「良いわよぉ~♪」
「うむ!」
それからイワシはタコとカレイと特訓をした。
砂を巻き上げ地中に隠れたり、体をくねらせて岩に溶け込んだり様々な隠れ方を学んだ。
はじめのうちは、まだ食べられたりするんじゃないかと疑っていたイワシだったが、真摯に生き残りの術を教えてくれるタコと、態度は軽いが優しく温かみがあるカレイに、種族を越えた仲間の絆を感じていた
そして数日後、ついにイケスの中の魚はほとんど居なくなった。
だが、イワシは生きていた!
タコとカレイから学んだ力を使い、生き残っていた!
ある時は、砂に隠れ、ある時は岩に隠れる。海草の真似をしてゆらゆら揺れたり、水面に浮かんで死んだふりもした。
為す術なく右往左往していたイワシとは全く違う。
「いよいよ、僕らだけになっちゃいそうですね…」
「あら~♪イワシちゃんたら少しはたくましくなったと思ったのに~!中身はまだまだ小魚よね~!」
「ククク!全くその通り!」
タコとカレイに茶々を入れられる。
「だってしょうがないじゃないですか!魚の数が減れば、食べられる確率が増えるじゃないですか。」
「確かに、最近新入りが入らないわねぇ~♪」
「少し妙でござるな。」
「まぁ、数が少なくても我らの技にかかれば!」
「見つからないわよねぇ~♪」
この数日間な様子を見ていれば、その自信も過信ではないことが分かる。
しかし、イワシの胸にはなんとも言えない不安がつのっていた。
ザクッザクッザクッ
妙な足音がする。イワシが振り返ると妙な生き物がいた。
目はギョロギョロしていてどこを見ているのか分からない。一見エビのようであるが、それにしては手の部分が特徴的だ。
なにも言わず、イワシの側を通りすぎていった。
「あの、あのひとは一体…?」
タコとカレイに問いかける。
「やつはシャコ。陰気なやつでござる。」
「ホント、目がギョロギョロしてて気色悪いわ~!アタシあのジジイキラーい!」
見た目からは年齢が伺えないが確かに年齢を積み重ねた、落ち着きや威圧感が感じられた。
「一体何歳なんでしょうか…?」
「さぁ~、分からないわぁ~。でも、アタシ達がここに来たときにはすでに居たわねぇ♪」
「このイケスの長老であることは確かでござる。」
イワシは思考する。長生きということはそれだけ生き抜いてきたということだ。この地獄を。
「(彼の生き残りの秘密は何だろう?)」
イワシは今すぐ聞きたい衝動に駆られたが、シャコの威圧感に圧されて話しかけることをためらった。
「シャコなんてどーでもいーわよ!」
「そうでござる!そうでござる!そんなことよりも今日も頑張るのみでござる。」
「そうですね!じゃあ、今日も頑張りましょう!」
そういって互いを励ましあった後はそれぞれの配置についた。
タコは岩場、カレイは砂の下、イワシは藻が繁っているところ。皆がみごとに姿を隠していた。
少なくとも彼らはそう思っていた。
「よぉ大将!」
「へい!らっしゃい!」
「いやー、だんだん寒くなってきたねぇ。」
「へぇ、まぁ年の瀬が近づいて来ましたからねぇ。今年は寒くなるのが遅いくらいでさぁ。」
「へへ、違いねぇや…お!今日のオススメなんて珍しいねぇ、どれどれ「活きタコ」と「活きカレイ」ねぇ。そんなのイケスに居たっけ?」
「あぁ、そいつらお客さんから隠れるのが上手いのか、全く注文されないんですよねぇ。もう年の瀬なのでイケスも一掃しようかと…」
「今年の魚は今年のうちにってことかねぇ。じゃあこれで頼むよ!今日は奮発するぜ!」
「な!!!!」
イワシは驚愕する。全て大将には見破られていたのだ。
大将が近づいてくる。
「タコさん!カレイさん!逃げないと!」
「…」
「…」
タコとカレイは無言である。それどころか隠れている場所から出てきてしまっている。
「タコさん!カレイさん!出てきちゃダメです!逃げて!」
「…」
「…」
タコとカレイはイワシの目の前に来た。
「タコさん!!!カレイさん!!!」
「アタシの名前はカレーヌよ。」
「我の名はタコ助である。」
「…!!!」
二匹の目は死を覚悟した目だった。
「アタシ達は只の人間の食べ物じゃないわ」
「その通り。名前のある、誇り高き二つの命である」
大将の網がイケスに入ってきた。
「その事を知るのはもはや、お主だけ。」
「きっと、…きっと生き残るのよ~♪」
大将の網が二匹を捕らえる。二匹は互いに抱き合うようにして引き上げられていく。
「…カレーヌさん!!!!…タコ助さん!!!!」
イワシの声は届いたのか。それは分からないが返ってくる言葉はなかった。
包丁の音が響く。悲鳴はなかった。
イワシは生涯の師を失った。
あれから、どれくらいの時間が経っただろう。おそらくそれほど経ってはいない。
大将の声を思い出す。
「イケスを一掃する…」
それは絶望の言葉だった。大将の目からは逃げられない。
広すぎるイケスを泣きながら泳ぐ。
泳ぐ。泳ぐ。泳ぐ。……何かにぶつかった。
「…」
ぶつかったのは、シャコだった。
「あなたはシャコさん。」
「…訳を話してみろ。」
それからイワシは話した。仲間が皆食べられたこと。大将の言ったこと。タコ助とカレーヌとの別れ。すべて話した。
全てを聞いたシャコは黙り。そして小さく呟いた、
「今年もそんな季節か…」
イワシは戦慄した。
「(‘今年も’だって!?もしかして!シャコはイケスの一掃を経験しているのか!?)」
シャコはそのまま立ち去ろうとしたが、慌てて回り込んで引き留める。
「待って下さい!!!教えて下さい!!!あなたが生き残った理由を!!!」
「…」
「僕は!生き残らなきゃならないんだ!タコ助さんとカレーヌさんが生きた証明に!」
沈黙が二匹を包む。
しばらくして、シャコが口を開く。
「悟ることだ…」
「悟る…?...」
「姿を隠すのではなく、存在自体を消し去るのだ。イケスを受け入れ、イケスと一体になる。さすれば、完全なる無になる。」
「あの、それは一体どうすれば…」
「…don’t think feel」
「は…?」
「……」
それからシャコは去っていった。
静かに、それでいて自然にイケスを周遊する。その姿からは超然としたものを感じる。
イケスを受け入れ、イケスと一体になる。それはどういうことだろう?
目立っても、隠れてもダメだった。彼らとシャコはなにが違うのだろう。
目をつむる。
このイケスにも水の流れがある、体をまかせる。
耳を澄ませば、ポンプから出る泡の音が聞こえる。それだけではなく、水がガラスにぶつかる音や、岩の間を通り抜ける音も聞こえる。
自分が泳いでいるのか泳いでいないのかすら忘れてしまいそうになる。
まるで、イケスの中の一筋の水になったかのようだ。
これが、悟るということなのか!ついに僕は悟ったぞ!悟ったぞ!これが悟りの境地だ!全てが聞こえるし、見えるし、感じるぞ!
遠くを歩くシャコの足音、出ては消えていく泡の形、こちらを見る人間の視線。今まで感じ取れなかったものだ。
揺らめく水の温度、迫り来る網の速度、初めて触る網の質感…網?
「ウギャァァァァァぁぁ????!!!!え!??いやいやいや!!???ダメだって!?ダメだって!」
気付けば捕らえられていた!何で!??
「ギャァハハハ!まじで捕まりやがったぁ!」
声に振り向くと、先程まで超然としていたシャコが大笑いをしていた。
「シャコさん!??助けてェ!?助け!」
「バーカ!!!!やっぱり雑魚は脳ミソが小さいみてぇだなぁ!助けるわけねぇだろうがぁ!!!!」
「そんなぁ!」
イワシはあまりのギャップに目が回りそうになる。
「悟り?イケスと一体になる?ギャァハハハ!そんなことしてどうなるんだよ?捕まりやすくなるだけだろうがぁ!」
「でも…でも実際シャコさんは……」
「あ~?…俺様が捕まらねえのはそんなカスみてぇな理由じゃねぇよ!」
「え…?」
シャコがゆっくりと手を持ち上げる。緩慢とした動作だが手に力が集中していることが伺える。
「俺様が捕まらねえのは…」
手が高速で動く。
「’’強いから’’だよ」
あまりにも早いパンチ。まるで手が光ったように感じたのは尋常ではない速度が産み出した錯覚なのだろう。
「お前ら雑魚では想像つかねぇだろうが、俺様は圧倒的に強い。このイケスの誰よりも。いや人間よりも。」
「そんな…」
全身の力が抜けるのを感じる。
水槽から引き揚げられたイワシは息苦しさと、死への恐怖から気を失ってしまった。
一匹になったイケスで、シャコは上機嫌だった。
「やっと静かになった。年の瀬って最高だよなぁ。雑魚どもが皆殺しになるんだもんなぁ。」
彼にとってこのイケスは、自分の城なのだ。それが、市民プールのようにたくさんの他人の息遣いが感じられるのは我慢ならないことだった。
「さぁて、後は指でも網でも吹っ飛ばせば、今年も年が明けそうだ。」
彼が昨年の一掃を生き抜いた秘訣は、そのパンチ力に他ならない。
シャコと言う生き物は、補脚碗という部位を持っており、そこを打ち出すことで、攻撃したり、貝の殻を割ったりしている。その威力は絶大で威力の余り、パンチの瞬間、周囲の水が沸騰するほどだ。
昨年の暮れ、彼はそのパンチで大将の爪と、捕獲用の網を叩き折っている。
網を折られた大将が、焦って手掴みにしようとしたところパンチの餌食になったのだ。
それから幾度となく、捕獲しようとしてきたが、何度も迎撃を繰り返しついには狙われることすらなくなった。
「とりあえず、人間がいなくなってから寝るか。」
彼に油断はなかった。いくら、パンチ力があろうと寝込みを襲われればひと溜まりもない、そういう意味では彼は人間の思考を読んでいたのだ。
しかし、ここまでやるとは思っていなかったようだ。
一掃が始まる。とはいっても、大将からすればいつもより念入りにイケスを掃除するという意味合いでしかない。
ホースから排水を行う。大量の水がイケスから抜かれていく。
ドババババババ!ドバババババババババ!ドバババババババババババババババババババババ!!!!!
排水音が響く。
シャコにとって、騒音は嫌悪すべきものだが、自分の城が清潔になるためと思えばそこまで悪くもない。
しかし、しばらくして違和感に気づいた。
「あー?なんだこりゃ?あの人間ボケたか?」
いつもだったら、そう時間がかからず排水が終わるはずだ。それに排水した分、新しい水が追加されるはずだがそれもない。
シャコの背中に悪寒が走る。
「まさか…!! …くそ人間がァァあああああああああああああ!!!!」
大将とお客さんは話す。
「いやー大将、そんなに豪快に水抜いて良いの?普通、掃除したあと半分いかないくらい水抜いて、新しい水入れるんじゃない?」
「いやいや、今年はひと味違いますよ。言ったでしょ、一掃するって。」
「え、全部水入れ換えるの?」
「へぇ。まぁこの因縁のシャコも居ることですし、年号も変わったことですし、今年はぱぁーっと入れ換えようと。」
「へぇー!すごいねぇ…!あ、それってあれみたいだねぇ、あの池の。」
「ああ、確かにあの番組が近頃流行りでしたねぇ。まぁあれみたいに言うならうちの場合やることは…」
大将とお客さんは楽しそうに声を合わせて言う。
「「イケスの水、全部抜く!」」
「やめろォォォおおおおおお!今すぐ排水をやめろォォォおおおおおお!!!!」
シャコは狂ったように暴れまわる。
ワシャワシャと脚を動かし、イケスのガラスを叩く。しかし、ガラスは厚く割ることは出来ない。
足掻いている間に水位はどんどん下がる。水面はシャコの目前だ。
「やめろォォォおおおおおお!」
シャコは陸上に上がっても死ぬわけではない。
しかし、陸上に上がったシャコは立つことが出来ないのだ。立つことができなければ、パンチも打てない。
水位は下がり、姿勢を保てなくなる。
「嫌だァァァァァァァァ!こんな最後なんて!!!!俺様は王だぞ!!!!このイケスの王なんだ!!!!俺様は誰にも殺されない!!!最期まで生き残るんだァァァァ!!!!」
「違うよ、生き残るのは僕だ。」
「!!!!!!誰だ!!!!!!!」
このイケスはもはや魚が生きられる環境ではなかった。外から声がした。
ギョロギョロと目を動かし、声のした方を見ると小さな水槽があった。
「お、お前ぇぇぇはァァァァ!?」
そこにいたのはイワシだった。あの網にとらえられて去っていったイワシだった。
「シャコさん、さようなら。」
イワシは胸ビレをゆらゆらと動かして、別れの挨拶をする。
「大将、さっきから気になってたんだが、そっちのイワシはなんだい?」
「ああ、このイワシですかい?…こいつはねぇ、変なイワシでねぇ、くるくるその場で回ったり、砂に隠れてカレイの真似したり、ゆらゆら揺れて海草のダンスを踊ったり、変なやつなんですよ…。」
「へぇ!そんな芸達者な!」
「まぁ、分かってやってる訳じゃないだろうけど、可愛くってねぇ…。情が移っちまったからペットにしようかと…。」
「寿司屋が魚をペットにするって…。あんたも変な寿司屋だねぇ!」
「でしょ!ははははは!」
「…そうかよ!そういうことか!!!お前、人間のペットに成り下がったな!!!!しかも、師匠を殺したやつの!!!!恥知らずめ!!!」
「………」
「ギャアハハハ!!!!傑作だ!!!!雑魚らしくて傑作だ!!!」
大将が網を持ちシャコを捕らえるが、シャコの言葉は止まらない。
「お前は魚失格だ!!!!このイケスの誰よりもカスな命だ!!!!勝ったのは俺様だ!!!!!!!お前は敗者なんだ!!!!ギャアハハハアハハハギャアハハハ!!!!」
「敗者で良いよ。」
イワシが答える。
「あ!?なに言ってんだてめぇ!」
「敗者で良いんだよ、生き残れれば。タコ助とカレーヌの名前を僕は覚えていたい。」
シャコはまな板の上に乗せられる。
「そんなことになんの意味がある!!!!死んだやつのことなんて意味はない!!!!自分さえ生きれば良いんだよ!!!!」
包丁を目の前にしてシャコは暴れまわる。
「シャコさん」
「うるさい!!!!うるさい!!!!うるさァァァァァァァァァァ!!!!」
「あなたのことも僕は覚えて生きていきます。」
ダンッ
シャコにとって最期の静寂が訪れた。途切れる意識の間際に彼が何を思ったのかは誰も分からない。
イワシが感じるのは、喪失感と使命感。
彼はもう’’雑魚’’ではない。たくさんと出会いと別れを通じて、その命を受け継いで生きている。
魚には関係のないことだが、ちょうどその日は大晦日。
イワシは、生き続ける覚悟を決めていた。