1.気がついたら美少年(♀)の奥サンになっていた。
チチチッ
ピーーー
鳥の鳴き声が澄み渡った青空に響く。
少し前までの自分なら、朝に弱いにも関わらず、鳥が囀りはじめる時間に、使用人に無理矢理起こしてもらい、仕事を始めていたことをレオンはベッドの中で布団に包まりながら思い出していた。
一度開いた寝ぼけ眼は瞼を落とした。そのまま布団から起き上がることなく、うつらうつらと枕に顔を埋め、夢の世界へと旅立った。
二度寝に走った青年ことレオン・フェルスターは榛色の髪に紅茶色の瞳を持つ20歳。
レオンはつい数ヶ月前までは王宮に勤めていた。それもただの王宮勤めではなく、俗に“エリート”と呼ばれる人間の中でも更にエリートと言われる人間として働いていた。彼の役職は“王太子付側近”。レオンは類まれなる優秀さから王太子の覚えがめでたく、将来が約束された最上級のエリートとして人々から人気を集めていた―――――そう、「いた」のだ。今となっては過去の栄光というものである。
将来を約束されたレオンが何故王宮勤めでなくなったのか。それは“魔力”が重要視される国であったからだ。
そもそも魔力とは何なのか。
この答えを厳密に知るものは、この世界に存在しないだろう。ただ分かっていることは、魔力は貴族階級の人間程多く持ちつこと。体内の魔力を放出し行使することで火の玉、氷の礫、風の盾、土の人形とあらゆるものを創り出せるということ。因みにこの魔力を行使するこの現象を人々はこれを“魔法”という。
レオンは貴族階級のしかも侯爵家ーー爵位が上から二番目ーーの次男坊であったから、魔力も多く保有していた。そのこともあって、王太子付側近の地位を揺るぎないものとしていた。何かがあった時には魔法を持って王太子を守ることが出来るのだ。だから、あの時も守る事が出来たのだ。
あの時、王太子殿下を守ったーーーそれ故に彼は魔力が封じられ、且つ片足の動きが悪くなったのだ。
魔力を封じられては魔法は使えない。例えその身に魔力を宿そうとも、使えねば意味はない。魔力が使えないから、彼は王太子付側近から外された。
魔力が封じられただけなら、まだ良かったのかもしれない。身体が健常であれば、魔力を必要としない部署のトップとして精力的に働けた事だろう。
しかしレオンの場合、彼は片足が不自由となってしまったのである。満足に動き回る事の難しくなった彼の行き先は窓際部署しかなかった。ずっと椅子に座り続け、回された資料の判子押し。それは今までエリート街道を歩んできた彼にとって惨めなことであった。周りの反応を考えただけで屈辱的な気分になった。
また、これを機に良からぬ輩が直接的及び間接的に攻撃を仕掛けてくることは想像に難くない。王太子付側近の仕事は時として恨みを買う立ち回りも要したからだ。
王太子付側近から外され、窓際部署への配属辞令が下り、何もかもが嫌になって自身の未来に絶望した。怒りと屈辱と絶望に見舞われたレオンは退去を命じられていた王太子付側近として与えられていた部屋の私物を纏めると、彼らしくもなく焼け酒に走った。
部屋にあった数本の酒瓶は以前、王太子殿下とこっそりと晩酌をする用にと購入したものであったが、自棄に走っているレオンは「最後だからいいよな。これも処分のうちだ」と一人言い訳をして全て飲み干す事にした。
そして、全ての酒瓶を開け終えた頃には眠気に襲われ、彼はソファーに身体を倒し寝入ってしまった。
酒の酔いが大いに周り、微睡みの中、彼は誰かに肩を揺すられる。
この時、レオンは許容以上の酒を摂取し、冷静な判断の下せる状態ではなかった。
だからこそこの後起こる出来事へ下した決断が、鳥の囀り始める時間に布団に包まっていられる生活を送るようになるーーーということを彼は決してこの時点では想像も出来なかったであろう。
遠くに小鳥の囀りを聞きながら布団に包まったレオンは、夢の中でその時の事を思い出していた。
「すいません、起きて頂けませんか」
誰かに肩を揺すられた。
酔いが回っているせいか、少し気持ち悪くなる。
「……気持ち悪くなるから揺すな」
薄っすらと目を開けると、煌々とした月明かりを後ろに誰かが自分を見下ろしていることがわかった。ぼんやりとした思考の中で、高くも低くもないその声の主を思い出した。
確か、彼はユリウス・フェルスター。美しい長い黒髪を持つ美少年で、将来が楽しみと宮廷の御婦人、御令嬢方に注目されている。
『異彩の天才』と言われ、王宮でも知らぬ者はないと言われる一人である。
彼の経歴は『異彩の天才』に相応しいものであった。
キナ臭い噂の絶えなかったフェルスター前公爵が、嫡男である長男に下剋上をされたのが6年前。その後に突如としてフェルスター家の次男として王宮の財務に現れた。
この時の彼の年齢は若干9歳。
財務の誰もが国王陛下直々に紹介を賜った時は唖然として誰も暫く反応が出来なかったことは6年たった今でも語り草として残っている。
官僚として配属されてからの彼の活躍は目まぐるしかった。
財務で新しい簿記の方法を提唱した後、無駄な予算の削減や不正な横領の取り締まりなどを行い財政を立て直した。そして、財務に『会計監査院』という部署を設置し、去って行ったかと思えば次に軍部の事務に配属された。ここでも机仕事が苦手な軍部の脳筋共の負担削減のため、報告書の書式統一を図った。この時、急に現れた子どもを良く思わない輩が勿論出現し、武力行使に走ったが難なく返り討ちにしたことで、更に注目を集めた。この後も多くの部署を回り、不正の是正や伐根改革などを行ない、いつしか『異彩の天才』と呼ばれるようになった。
その彼が、俺に一体何の用なのだろうか。早速俺を笑いに来たのだろうか。
「笑いたきゃ、笑え。やはり俺は惨めか?」
未来有望なユリウス・フェルスターを前にして俺は嘲笑を浮かべた。
特に深い付き合いがあった訳では無かったが、自分が心の中で認めていた数少ない人間に今の低落ぶりを見られるのは情けなかった。俺は片腕を顔に当て、表情を見られないようにした。
「いえ、惨めだとは思いません。貴方の傷は立派な勲章だと思っています、レオン・ベルンシュタイン。むしろ殿下をお守りした貴方への待遇に疑問を持っています」
「……そういってくれたのは、お前が始めてだユリウス・フェルスター」
目頭が熱くなるのを感じた。
ユリウス・フェルスターは暫く間を置き、口を開いた。
「ここで僕から提案があります。僕は本日を持って王宮勤めを止めようかと思っています。今後は領地経営をしようと思っているのですが、生憎人材不足です。手当も待遇も今までの倍以上に致します。なので、良ければ僕と共に伴侶として領地改革をしませんか」
ぼんやりとした頭で分かったことは、引き抜きにあっていることであった。
王太子付側近以上の待遇、加えて王宮から離れられる。今の自分には願ったり適ったりの条件であった。
酒のせいで気分が高揚し、詳しいことまで理解していなかったが、その場の勢いで俺は返事をした。
「わかった。その条件を呑んだ!」
俺は身体をソファーから起こして、目の前の少年と向き合った。
「では、此方と此方と此方ににサインをお願いします」
差し出された書類の指さされた所に差し出されたペンで名前を綴る。
「……ん、これでいいか」
「はい、ありがとうございます。では、明日の朝お迎えにあがります」
彼はそう言うと一度俺の額に手を当てると静かに部屋を後にした。
呆然としていると彼の触れた部分を中心として体が温かくなる。それは久々の懐かしい感覚。自分では使う事の出来なくなった魔力が循環するのを感じた。
其れが一種の慰めのように感じ、俺は涙を零して再びソファーに倒れこんだ。
この時の俺は『伴侶として』の部分を聞き飛ばしていた。そして婚姻を翌朝突きつけられ、ひと騒動あったのはまた別の話である。
過去の回想を終えたレオンは小鳥の囀りの中に別の音が混じっていることに気がつく。
カツカツと響くその音は、一定のリズムを刻みながらレオンの眠る寝室に近づいてくる。
レオンは近づいてくる足音に反応し、反射的に飛び起き、完全に意識を覚醒させる。その動作の完了と共に、カチャリと扉が音を立てて開いた。
「ああ、残念です。今日も起きていましたか」
無邪気に肩を竦め、大袈裟に残念さを表した美しい侵入者にレオンはジト目を送った。
それはこの寝台で寝起きをするようになった初めの頃、レオンが中々寝台から起き上がれずに布団に包まっていると、突如ベッドに侵入してきて口に出すのも憚られる変態行為をこの美少年にされたからである。
部屋に侵入して来た美少年の格好をした人間は、そんな前科を露ほど感じさせない爽やかな笑みを浮かべ、遠慮なくレオンの寝台へと近づく。そして『異彩の天才』と言われるもう一つの由縁の金と空色の瞳を輝せる。
「おはよう、奥サン」
レオンは目の前のキラキラとしたオーラを振りまく人物を前にして、死んだ魚の目で返事をする。
「おはようございます、ユリウス様」
「そこは『旦那様』って言って下さいよ」
「……はい、旦那様」
ここ数ヶ月、新たな職場に来てからの毎朝のやり取りにレオンは最早諦めの境地を迎えている。
そして、第三者がこの場に居たら大いにツッコミを入れるであろう、美少年と美青年が夫婦の遣り取りをしている様にもレオンはすっかり慣れてきていた。
「今日は奥サンにどの服を着て貰おうかなぁ〜」
今日も少年の様な少女の声が朝からレオンの寝室に響いた。
これは魔力と片足を使えなくなった元王太子付側近のレオンが、『異彩の天才』と言われる雇い主にして戸籍上の配偶者ユリウスーー本名ユーリアーーの奥サンとなり、二人で領地改革を始める物語。
ーーー彼らの行く末を知る者は、まだ誰もいない。