聖女、クマさんに出会う1
キノコ狩り以降、マオはリンクスにひと言告げてから森を散策するようになった。
リンクスが渋るからこれまであまり小屋から離れようとは思わなかったのだが、マオ自身も知らない世界を歩く自信がなかったというのも理由のひとつだった。
でも、キノコ狩りのときにリンクスと一緒に歩いてみて、少しくらいならひとりでも歩けそうだと思えたのだ。
リンクスが歩きながら、木に匂いをつけてくれたからというのもある。
木の幹に軽く爪を立てて引っかくだけで、リンクスの匂いがつくのだという。そうしておくと、リンクスより弱い獣はその木がある近くには寄って来ないから、マオにとって安全な道ができるというわけだ。
ウサギやリスなどの可愛い生き物に出会えないのは寂しいが、リンクスの匂いのおかげで今のところシカやイノシシなどにも出会っていない。
リンクス曰く、マオみたいに小さな身体だったら、子どものイノシシに突撃されただけでも命が危ないらしい。
子イノシシといえばウリ坊しか頭に浮かばないマオは、何となくリンクスに心配されすぎな気がしたものの、彼に比べれば小さいのは確かだから、仕方ないかなとも思う。
マオが森を歩きたかったのは、まず自分が落ちていた場所を確認したかったからだ。
そこに行けば帰れる手がかりがあるだなんて思っていないし、そもそも帰りたいとも思っていない。
ただ、この世界に落とされ、意識を取り戻したときにはリンクスに発見されていたから、現場の確認ができていないのだ。だから、一度見ておきたい気がしていた。
それと、せめてカバンか何か、私物が一緒にこの世界に来ていないかということも気になっていた。
別に大したものも役に立ちそうなものも入っていない。でも、両親の写真が入った生徒手帳は、できれば持っていたかった。
いわゆる天涯孤独で、楽しいことなんかあまりなくて、お腹が空いて仕方なかった元の世界になんか帰りたくないが、両親の写真にだけは未練があった。
「あれ……来た、どっち?」
今日も、畑いじりが終わってからリンクスに声をかけて出てきたマオは、絶賛迷子中だった。
ちょっとだけ、いつもより遠くへ行ってみようと思ったのがいけなかった。
というのも、キノコ狩りで行った範囲には見覚えがある木がなかったのだ。
ほとんど何も覚えていないものの、自分が落っことされた木の姿だけは、覚えている気がしていた。だからその記憶を頼りに歩いていたのだが、いつの間にかリンクスが爪痕をつけた木がないところまで来てしまっていた。
見回しても、数歩戻っても、爪痕のある木が見当たらない。そのことに気がついてしまうと、途端に不安になった。
キノコ狩りのときに行ったあたりには、もう何度もひとりで行って帰って来られていた。だから、ちゃんと道を覚えていられたと思っていたのだ。でもそれは勘違いだったようで、今のマオは戻ればいいのか進めばいいのか、それすらもわからなくなっている。
「ひっ……」
キョロキョロとあたりを見回していると、不意に視界に何かが入った。大きい、ものすごい存在感だ。
あれは、絶対にレブラではない。レブラは存在を悟らせないのだ。さすがは森と共にあるエルフ、まるで景色の一部かのようになってマオを見ているから、不意に視界に入るなどということはない。
以前、リンクスが獣人について話してくれたことがある。
リンクスのような山猫の獣人のほかに、犬や狐、兎、それから熊なんてものもいるらしい。友好的なものばかりではなく、人よりも獣に近い生活をしているものもいるということだ。つまり、人間を見たらご飯だと思うものも、いるということ。
そのことを思い出した途端、マオは怖くなって走りだした。
「リンクスー!」
もしかしたら帰りが遅いのを心配して近くまで来てくれているのではないかと、期待して名を呼んだ。でも、時計がない小屋にいるのだから、少々の遅れなど気にしないかもしれない。
後ろからは、荒い息遣いが聞こえてくる。視界に入ったものが追いかけて来ているらしい。
走りながら近くの木の陰にそっと視線を向けて見るも、こんなときに限ってレブラの姿はなかった。
絶望して涙目になってマオは、振り返ってしまった。
そこにいたのは、丸い耳を生やした大男――熊の獣人だった。