あいしてる
ぴり、と指先が震えた。
やがてその震えは微かな痛みとなり、全身にひろがっていった。喉から絞り出すように出た声は、しかし意味のある言葉を紡ぐことができない。目の前にいるのは、なんだ。これでもかというくらいに目を見開き、ぽかんと開けられた口からは、え、あ、と意味を含まないただの音が漏れ出ていた。それは、一体どちらからだったか。熱に浮かされたようにぼんやりとしか考えられないふわふわとしたこの頭の、それでも僅かに冷静さが残ったうしろのほうで、思考はめまぐるしくうつり変わっていく。
見覚えのある顔だ、と思った。美しい、と思った。いとおしい、いとおしい、いとおしい。それしか考えられない。形のいいその眉も、薄く切れ長なその目も、きらきらと光をはじくその瞳も、この辺りでは珍しいその髪の色も。鏡で見る自分とはかけ離れて美しいけれど、それでもなぜか、似ている、と思った。でも、自分に似てるんじゃあない。ならいつ、何処で会った、だれに?
――とう、さん……?
ふと、聴き逃してしまうかと思うほど小さく、か細く、声がした。はっとして顔を上げ、ようやく自分が俯いていたことに気がつく。あぁ、うつくしい。その声すらもいとおしい。なんでかは知らない。でも美しく響くその声も、俺はいとおしいと思う。不思議には感じない。だっていとおしいから。
でもなんて言ったのだろう。とうさん?父さん?俺が?なぜ?俺が父親に似ているのか?そういえば俺も、見覚えがある。あの顔に。あの瞳に。あの髪に。あれは、
――かあさん
考える前に声が出た。その声に驚く。かあさん、と言った。誰が?俺が?そんなはずはない。俺に親はいない。でも、いや、なぜ、わからない、ちがう、これは、どうして、ぐるぐるする、きもちわるい。でも不快じゃない。きもちのいいきもちわるさだ。あぁそうか、あいつは似ているんだ。きっとそうだ。似ているんだ。俺の記憶にはもういない、俺の母さんに。いとおしいと思う、その理由は、それだ。母さん。かあさん。なんで俺を捨てたの。かあさん。なんで。いとおしい、うつくしい、おれのかあさん。こたえて。ねえ。
ようやくこの痛みの理由を知った。指先から広がる痛みの理由。甘くしびれるこの痛みの理由。そうだ。そういうことだ。あいつから、あの人から、聞きたかった言葉がある。言いたかった言葉があった。
【―――――】
なにも考えずに発したその音は、しかし思ったよりも重く響いた。