「朝の挨拶」
「面目次第もござらぬ・・・」
船酔いで前後不覚の状態から復帰したオレが最初に口にしたセリフがこれだった。回復する迄に要した時間は六時間。これが早いのか遅いのかは前例が無いので解らないが、通常の人間であれば二・三日船酔いが続く事もある様なのでそれに比べれば格段に早い。
「誰にでも得手不得手は有ります。」
オレの妙な物言いで夕張さんが笑ってくれたので多少は救われた。
「それに大和さんは私達より鋭敏なセンサーを搭載していますから酔い易い状況だったのかもしれません。」
夕張さんの言う「私達」が、夕張、近江、天龍の三隻ではなく、夕張、阿賀野、五十鈴の三隻である事が解った。言葉の意味が正確に伝わる隊内リンク、便利だな。
「夕張さんにも?」
不得意な事が有るのだろうか。
「勿論ありますよ。」
落ち着いた声。特に恥じ入る事も自慢げな様子もない。
「苦手な事だって。秘密ですけど。」
訊く前に質問を封じられてしまった。
「オレは不安ですよ。」
沖ノ鳥島迄まだ直線距離でも千五百キロ近くある。外洋に出た途端にあの様では先が思いやられる。
「大丈夫です。」
オレを励ます様に夕張さんが断言してくれた。
「大丈夫です、絶対。緊急で一端私が操艦をお預りしましたけれど、直ぐに大和さんの統合制御AIの方へ操艦をお返し出来ましたし、ほんの一時的な症状です。慣れた筈ですのでもう二度と船酔いには成らないと思います。」
そう言われて確認してみれば、大和は外部から、夕張さんからの誘導制御を受けていない。オートパイロット・自動操縦が設定されていた。先頭である夕張に追従するだけの制御で、二百メートルの間隔を保つ様に成っている。統合制御AIが問題なく動作していたから出来た事だ。人格AIと統合制御AIの関係を人間で例えるならば、人格AIが意識的な部分で統合制御AIが無意識的な部分と言えるかもしれない。心臓や肺を始め、臓器の動きは基本的に無意識の領域でコントロールされているのに対し、能動的な動きは意識的な領域の区分になる。筋肉骨格の動きは意識的に制御される物だが、日常的な動きや慣れて身に染み付いた動きは無意識でも行動できる。大和にとって自動操縦と言うのは、ただ何も考えずに歩くという行為に近い。小さな子供が母親の後を追い掛けて歩くのと同じ様に、夕張の後に追従して航行していただけだ。
「それに、大和さんが直ぐに艦の制御を私に預けて下さいました。信用して頂けている気がして嬉しかったです。」
はにかむ夕張さん。信用して居るか居ないかだけで言えば、間違い無く信用している。夕張さんの気の所為でも思い込みでもない。人格AI搭載型イージス艦大和としてで言えば、夕張さん以上に信用している人は居ない。
(人・・・?)
自分の思考にまた疑問が生じた。夕張さんもAIだ。しかし夕張さんは確かに人格、感情を持って居る一人の女性だとオレは捉えていた。
現在時刻は日付が変わって午前三時を回った所。近江、天龍の二隻は当直の人員以外就寝している時間の筈だ。船の勤務時間は八時間ずつの三交代制が基本だが、平時に於いては当直以外の人員の就寝時間は統一する様に成っていた。通信も緊急時と、緊急時を想定した訓練時以外は行わない。次の通信予定時刻はゼロハチゼロゼロ、午前八時に予定されていた。針路1-6-8。真南よりやや東に向かう。沖ノ鳥島到着は三日後。速度を上げれば二日あれば十分だが、燃料がほぼ無制限の大和はともかく、ほかの三隻の燃費が悪くなり過ぎる為に最大速度では航行しない。また、沖ノ鳥島へ向かう途上でも占位運動訓練、単縦陣から単横陣、複縦陣等へと艦隊の陣形を変える、基準となる艦に対して特定の位置に移動する訓練を行う予定もある為に余裕を持ったスケジュールが組まれていた。天候に依っては嵐を迂回する可能性もある為、全体の日程には更に猶予が設けられていた。
大和の自動操縦を解除。海図にこれ迄の航路を表示する。GPSと運輸多目的衛星MTSAT-7Rとにデータリンクしているお陰で殆ど誤差無く自船の位置が確認できる。運輸多目的衛星は船舶、航空機の航法支援の役割を果たす為に二十一世紀初頭に一号機と二号機が打ち上げられ運用が開始された日本独自の人工衛星だ。尚、二号機は一号機のバックアップ。しかし気象観測衛星としての機能も併せて搭載されていた為、それまでの気象衛星の後継機としてひまわりと言う愛称がそのまま使われた経緯がある。2112年現在、その七号機がメインで使用され八号機がそのバックアップと成っているが、運輸多目的衛星は気象衛星としての機能のみならず二十四時間地上、海上を監視する偵察衛星としての側面も担っていた。表面上日本政府は否定しているが九・十・十一号機も打ち上げられていて、静止衛星軌道上から日本を中心とした地球上の四分の一を監視していた。
針路を確認。ほぼ一直線に沖ノ鳥島へ向かう。ふと思う。自動操縦を解除したが、自分が、AIが操艦しているのだから有人艦艇から見れば今の状態も自動操縦ではないだろうか、と。だが考えても答えが出なそうなので一秒でその疑問は太平洋に捨てる事にした。
午前八時の五分前。呉の司令部より入電。暗号化されていた通信内容が統合制御AIにより自動的に平文に変換されて大和に通達される。Lシステムを起動して実戦運用試験をせよ。及び、ゼロハチゼロゼロよりAISを停止せよ、との事だった。AISとは船舶自動識別装置の事でSOLAS条約と言う国際法に依って搭載する事が義務付けられている装置で、船名や船のサイズ、位置情報や速度等が常時管理する為のシステムで、当然護衛艦にも搭載されている。だが軍事行動中の艦船の位置が常に監視されてしまっていては困る。そこで国際法では条件を満たせば船長の判断でAISのスイッチを切ることが認められていた。軍事行動中の艦船も勿論その条件を満たしている事に成る。特に今回の大和の訓練航海は機密事項である以上、司令部からの指示は至極妥当な事だった。
しかし、Lシステムとは何の事なのか。
「大和さん、Lシステムとは何ですか?」
疑問に感じたのは夕張さんも同じだった様だ。司令部からの電信は大和にのみ宛てられた物だったが、夕張さんにも当たり前の様に情報を共有していた。
「さぁ・・・確認してみます。」
大和として起動された時に、そして昨日出航する際にも機関、兵装等のチェックは済ませていたがLシステムという装置に心当たりが無かった。もう一度チェックし直すと確かに存在した。チェック項目がGPSシステムや自動航法装置と並んでいた為にロケーションシステム、LOCATIONSYSTEMの略だろうと思い込んでいたのだ。
Lシステムの詳細を確認すると、位置情報装置ではなく新型の水中探査装置の事の様だった。Lが何と言う単語の頭文字なのかは不明だった。兎にも角にも、司令部の指示に従いLシステムを起動する。
「え!?何ですかこれ!?」
情報を共有していた夕張さんが驚愕の声を上げた。オレは声も出せずにいた。Lシステムを起動した途端に劇的な変化が生じたからだった。視界が極端に広がっていた。水平方向にではなく、垂直方向に。それも上ではなく下に。水面下の様子が約三十キロ先まで視えていた。海底の地形も魚影も、そして大和達の後方五千メートル、深度五百メートルの位置で後を付けて来ている潜水艦の姿も。色までは識別出来ないが形状はかなり細かく視認できていた。潜水艦の艦形は海上自衛隊最新型、鶴龍型だ。潜水艦の存在は司令部からは聞かされていなかったし、作戦要綱にも記載が無い。
「どうやら新型の音響探信儀の様です。」
答えながらもこれはソナーでは無いだろうとも思っていた。少なくとも現在大和から能動的な音響探信儀用の音波を一切出していない。勿論、夕張もソナーを使用しておらず、近江、天龍両艦に関してはそもそも音響探信儀を装備していない。パッシブソナー、相手が出している音を受動的に探知する探信儀だとすると、魚群や潜水艦の存在を探知できる事は説明出来るが、形状までは解らない筈だし、ましてや海底の地形は解る訳が無かった。
「一体どうやって・・・」
夕張さんが呟く。海洋観測艦や音響測定艦などによりある程度海底地形のデータはあるが、これ程までには精密ではない。
「理屈は俺にも解りません。」
大和に搭載されている兵装の理屈を完全には解っていなくても、使用する分には何の問題も無い為に詳細な理論までは記述が無かった。理屈は解らなくても実際に使えるという事だけは確かだ。
「ですが、これが役に立つと言う事は確かな様です。恐らく後方の潜水艦はLシステムに発見される為に動員されているのだと思います。」
ただの推測でしか無いし、鶴龍型潜水艦にしても無駄に発見される為だけにここ迄来ている訳ではないだろう。当たり前の話だが潜水艦は水中では艦の周囲を見る事が殆ど出来ない。潜望鏡という物はあるが、民間の船の往来も多い瀬戸内海を潜望鏡深度で航行するのは危険極まり無い。当然浮上して航行する事に成るのだが潜水艦は潜っている時の方が船足が早い。そもそも水中で行動する事に特化されている船なので中途半端に浮上していると水の抵抗が大きくなり速度が出せない。今の時点で第十八訓練護衛艦隊カッコ仮に付いて来られているという事は、オレ達より一日二日は早く出航して水中で待ち受けていたと考えるのが普通だ。そしてこの訓練航海自体が機密事項の筈なので呉基地所属の潜水艦である事も自明だった。このLシステムをどう使うか、或いは司令部はどう使わせたいのか。まずは定刻のゼロハチゼロゼロの定時連絡が優先事項だった。
「こちら大和。全艦に達する。司令部よりの命令によりAISの使用を停止。」
午前八時丁度。大和から全艦に通信。全艦が殆ど遅滞なくAISを停止。信号が途絶える。何の質問も遅れも無い反応からするに近江、天龍の両艦長はこの指示を予想していたのだろう。
「ゼロナナゴーナナ、我々艦隊の後方約五キロに潜水艦を探知。」
「ほう・・・」
大和からの報告に反応したのは近江艦長豊郷二等海佐だけだった。
「この潜水艦に対し大和単艦にて対処します。その間、夕張を嚮導艦として針路を維持。目標海域へ向かって下さい。」
「何をする心算ですかな?」
と、豊郷二佐。特段慌てた様子も無い。そして天龍艦長岩田一等海尉からも特別な反応は無い。
(二人とも知ってたな。)
矢張りと言うべきか。近江、天龍の二隻は今回の大和の海上公試を兼ねた訓練航海にサポートしての任務以外に、こちらには秘密にしている仕事がある様だった。
「艦形、位置から見て呉基地所属の潜水艦である事は間違いありません。よって挨拶に行って参ります。」
「して、具体的には?」
これも豊郷二佐。どうも口調が面白がっている様な感じがする。
「行って来るだけです。ただの挨拶ですから。占位運動訓練は定刻通りヒトマルマルマルに開始します。」
「成程、挨拶ですな。こちら近江了解しました。」
「天龍、了解。」
主に言葉を交わすのはオレと近江艦長豊郷二佐で、夕張さんも天龍艦長岩田一尉も必要最低限の通信しかしない。夕張さんは隊内リンクで常に情報を共有して居るので通信に加わる必要が無いからだが、岩田一尉は余計な事を余り口にしない、生来口数が少ない性格なのだろう。
片道約五キロ。第十八訓練護衛艦隊カッコ仮も十二ノットで南下しているが、鶴龍型潜水艦も同じく十二ノットで後を追って来ているので、相対的に往復で約十キロの距離は変わらない。通常の通信を終了し艦隊内スーパーリンクへと変更。
「それでは夕張さん、後をお願いします。十分程で戻ります。」
「はい。艦隊お預かりいたします。大和さん、行ってらっしゃい。」
夕張さんに見送られる形で大和の船体を回頭させる。
「スターボード。」
艦長として操舵手に命じている訳では無いのでこれは単なる独り言。夕張さんには聞えて居るかも知れないが反応は無かった。本来なら右に舵を切る場合なら面舵なのだが、大和はアジマススラスターを使用していて通常の意味での舵が無い為に面舵、取り舵と言わずに、右に回頭する場合はスターボード、左ならポートと言う事に成っていた。大和独特の言い回しになるので言ってみたかっただけだ。
針路を3-4-8に取る。機関増速。核融合炉を搭載した大和にとっては出力にまだ余裕があるが、海上公試運転の意味もあるのでマイクロバブル発生装置も使用。船体を細かい泡で包み込み海水との抵抗を下げる為の装置だ。一気に四十ノット迄増速。小型のミサイル艇等ではそれ程珍しい速度では無いが、標準排水量一万九千トン、全長約百九十メートルの大型艦である大和の速度としては異常とも言える。しかしこれでもまだ大和の全速では無かった。今は使用していないがウォータージェット推進器を両舷に二基ずつ、計四基装備していて船首付近の四本のスリットから水を吸い込み、船体の一番幅のある部分に左右一か所、船尾にも一か所ずつ噴出孔が設けられていて最高速度は設計上七十ノットを超える。その際には水の抵抗を受け易いアジマススラスターは船内に格納するように造られている。逆にウォータージェット推進器を使用しない時には給水口と噴出孔が閉じられる。最高速度が魅力のウォータージェット推進器だが大和には通常の舵が装備されていない為、曲がるのに苦労する事に成る。殆ど曲がれないと言っても過言ではない。とは言えまだ実際に使用して居ないので設計上は、という話でしかないのだが。
僅か三分弱で鶴龍型潜水艦の直上に到着。派手に音を立てて来たのだからこちらの動きに気が付いて居ない筈は無いが何も動きを見せず、十二ノットの速力を維持していた。機関全速後進、急ブレーキを掛ける。全速前進からの全速後進では無いので、クラッシュ・ストップ・アスターン試験には成らないが、アジマススラスターのみでの航行としてはほぼ最高速度なので試験データとしては役に立つだろう。多分。十二ノットで南下を続ける鶴龍型の真上を維持しながら右回頭。大和も同じく十二ノットで相対位置を維持する。
この潜水艦の任務の一つはLシステムを使用した際に発見される目標になるという事。そしてもう一つ、大和の機関音、タービン音のデータを取る事だと想像出来た。船舶の機関やスクリュープロペラから出る音は同型艦であっても完全に同じという事は無く、指紋の様に一隻ずつ異なる。その情報を基に潜水艦は音で敵味方双方の艦船の識別をする。最新型で処女航海の大和のデータは同じ海上自衛隊ですらまだ持って居ない事に成る。つまり、オレが挨拶と表現したのは大和の音を聞かせるという事だった。この位置なら僚艦から距離が離れていて雑音に成らないし、相待距離を維持しているので安定したデータを取れるだろう。
そのまま二分、速度を維持した後再び増速。夕張他二隻を追い掛ける。五分弱で夕張を追い抜く。
「こちら大和。ただいま戻りました。」
通常の通信。
「こちら近江。挨拶は無事済みましたかな?」
何をして来たのか予想が付いて居るのだろう、豊郷二佐は挨拶の内容について訊いて来なかった。岩田一尉に至っては「了解。」とだけだった。
「無事終了しました。」
訊かれなかったのだから何をして来たのか報告する必要も無いだろう。通信終了。と同時に夕張さんから隊内リンク通信。
「おかえりなさい。お早いお戻りでしたね。」
往復で合計約九分。十分より少しだけ早い帰還となった。
占位運動訓練開始はヒトマルマルマル、午前十時から予定通り。艦隊を追い抜いた大和を先頭とした単縦陣を組む。
今日は忙しい一日に成りそうだった。