「大和と夕張のお名前」
忘我の域を彷徨うと言うのはこういう事を言うのだろう。尾道ヤマトとして生きていた時には一度も経験した事がない状況だが、自分が女性であるという事を聞かされてからの記憶が殆ど無い。何度か無線で呼び掛けられて機械的に返答をしていたらしい事はなんとなく覚えている。その間に死ぬ時に見る筈の走馬燈という物を見ていた様な気がした。
「こちら夕張。大和さん、そろそろ宜しいでしょうか?」
夕張さんから通信が入ったのは、大和の核融合炉を起動してからほぼ二十四時間が経過した頃だった。核融合炉は臨界を越え安定している。いつの間にか外部電源ケーブルは切り離されていた。今日も晴天。波も穏やかで麗らかな春の一日に成りそうだった。
「はい、落ち着きました。」
もちろん原子炉の状態ではない。オレ自身の状態の方だ。今の夕張さんからの通信が入るまでの、大和の人格AIとしてのオレは外部から見れば、コンピュータで言う所のビジーの状態だったらしい。統合制御AIの方は何も問題なく作動していた為に夕張さんも、そして呉基地の司令部の方でも静観する事にしていた様だった。その間の人格AIであるオレは状況の確認、自己の再構築に忙殺されている状態だったという事らしい。
尾道ヤマトとしての二十四年間男性として何の疑いも無く生きて来たオレにとって、自身が女性であるという事はなかなか素直に受け入れられる事態では無かった。その所為で人格AI大和としては重大な錯誤を生じ、その修正に処理能力の殆どを割り振られていた、というのが外部から見た状況である。人間死ぬ気に成れば何でも出来るという言い方をするが、まさに自分は一度死んだのだからどんな事でも有りなのだと、納得というより、諦念めいた心地でいた。それに、女性だと言われても新しい人生はイージス艦、船その物なのだから性別など取るに足りない事だと。そう自分に言い聞かせどうにか平静を取り戻す事に成功した。
「こちら大和。核融合炉安定。全制御システム掌握。行動可能です。」
通信モードを基地内通信に切り替えて司令部に報告する。大和から司令部に直接何かを報告するのはこれが初めてになる。今迄は夕張さんを通じて司令部からの命令を受けていたのだった。
「こちらは呉基地練習艦隊司令部。大和、通信そのまま。待機して下さい。」
基地からの返答は夕張さんからの通信と違い、完全な音声通信だった。若い男性の声。おそらくかつての俺と同じくらいの年齢だろう。通信を維持したまま数秒。音声通信が映像付きの通信に切り替わる。映像には五十代前半位だろうか、厳めしい顔付きの男性が映し出された。肩に付けられた階級章は桜花二つと錨のマークが付いた海将補の物だった。
「風間である。機密事項に付き、階位、所属に関してはご容赦願おう。」
(階級章付けてますけど!?)
ツッコミは通信に乗せない。しかしほぼ同時に夕張さんからのデータ通信。風間海将補。横須賀基地直轄部隊護衛艦隊群司令という情報が転送されて来た。写真も添付されていて風間海将補本人である事は疑い様もなかった。身分を隠す心算は無い。その上で機密事項という事は即ち、解っていても詮索するな、言うな、という命令だった。
「了解。こちら大和。通信状況、良好です。」
機密事項である事を了解した旨を通信状況という言葉で承知した事を伝える。男性、風間海将補はこちらからの通信を聞いて一瞬眉間に皺を寄せた様だった。しかしそれもほんの僅かですぐに無表情になる。ただ、高性能なマイクは「若いな。」という呟きをはっきりと捉えていた。若いと言うのは大和の声の事だろう。昨日は気が付かなかった、気にする余裕も無かったが、今に成って客観的に自分の声を聴いてみれば確かに若い。若いを通り過ぎて若すぎると言うのが偽らざる所だった。しかも女性の声である。イージス艦に搭載された人格AIの声であると知らなければ十代後半の女性としか思えない声だった。
「大和、並びに夕張の両艦は補給艦近江、練習支援艦天龍と共に北緯二十度二十五分三十一秒、東経百三十六度四分五十二秒を中心とした半径二十キロの海域において洋上機動訓練並びに射撃訓練を実施せよ。期間は本日ヒトフタマルマルより十四日間。」
指示された座標にあるのは沖ノ鳥島だった。地図上で見ればただの点にしか見えないような島であっても歴とした国土であり、その周辺十二海里、約二十二キロ以内は日本の領海である。勿論EEZ、排他的経済水域内である事は言うまでも無い。その沖ノ鳥島を中心とした二十キロ以内が今回の訓練で使用可能な海域となる訳だ。そして今回の航海がオレと夕張さんの二隻だけで無いのは、ほぼ無限のエネルギー源である核融合炉を持つ大和型とは違い、夕張さんもそして同行すると言う練習支援艦天龍も通常のハイブリッド型ガスタービンエンジンを使用している為に燃料の補給が必要になるからである。そして沖ノ鳥島の周囲二十キロ以内でという事は「領海内でやれ」という事でもあった。
「また、今次訓練は大和の公試を兼ねる物となる。大和並びに日本国海上自衛隊の無人化艦隊の存在は極秘である為、近江、天龍両艦に対しても必要最小限の通信以外は控える様に。」
大和の公試、正式には海上公試運転と言うが解り易く行ってしまえば最終の性能試験である。軍艦だけに限った事ではなく、日本には軍隊は無いので海上護衛艦という事に成るが、船舶と言うのは設計した当時には想定していなかった不具合が生じる場合も少なく無い。そこで実際に船を走らせて、設計上では解らなかった特徴や本当の性能を調べてみるのである。設計通りの速度が出ない、舵利きが悪いと言う事も珍しくないし、時には設計以上の性能特徴を見せる事もある。
「解っていると思うが、当該海域に於いては如何なる理由であっても投錨を禁止する。」
「は。了解致しました。」
敬礼する心算も込めて返答する。
沖ノ鳥島は二十世紀の頃から今にでも沈みかねないとして周辺をコンクリートブロックで保護する等の工事が行われているが、そもそもはサンゴ礁の島だ。当然その周辺もサンゴ礁の生息域であって、普通はそんな所に錨を降ろす様な非常識な船乗りは居ない。居るとしたらそれは馬鹿か、普通ではない船乗り、海賊や沖ノ鳥島を破壊しようと目論んでいる某国の艦船だという事に成る。
にも拘らず敢えてその事に言及して来たというのはもしかしたら、AIならやりかねないとでも思われたのかもしれなかった。
尚、海将補から座標を支持された時点で読み込んでおいた海図に拠れば、沖ノ鳥島からわずか百メートル程離れるだけで水深が五百メートルにもなり、今度は深すぎて錨を下ろしても海底に届かなくなる。
「質問は?」
と風間海将補。
「ありません。」
オレが答えると直ぐに通信は切れた。質問も何も訓練の詳細については既にデータで送られて来ていて、解らない事がそもそもない。もしあるとすれば何故態々海将補自身が通信モニターに顔を出したのかという事くらいだった。
「大和さん、お疲れ様です。」
入れ替わる様に夕張さんから通信が入る。平常時、基地との通信は必要な時だけ接続される様に成って居るのだが、艦隊内通信は常時接続状態になっていて、艦隊内の各艦の状態がリアルタイムで確認できる様に設定されていた。これはもともと複数の艦が一つの群れとして緊密に行動できる様にと設計されているからだった。勿論、有人艦であっても艦隊とは複数の艦艇で一つの戦闘集団として行動する物だが、無人艦隊はさらに群れとしての連携を強化する方向へ作られている様に感じる。
「疲れるという機能は付いて居ない様です。」
これは別に夕張さんに対して皮肉を言った訳ではなく、オレが感じたままの感想だった。自分は人間では無いと改めて感じた。
「そうですね。」
柔らかい笑い声。夕張さんも皮肉とは受け取らないで呉れたらしい。
「それでは訓練内容の確認をして参りましょう。」
そう夕張さんが言うが、細かく予定が立てられた訓練内容に特に遺漏が有る様には思えない。それ以前に情報は共有されているのだから、それこそ今更、という感じがする。
「確認と言いましても一体何を・・・」
困惑したオレのセリフに夕張さんはやはり柔らかく笑う。
「情報は共有していますけれど、感情は共有していませんでしょう?」
言われて気が付く。無人化されたイージス艦、機械化された思考とは言えど人格AIを搭載していて、お互い自我を持って居るのだから訓練内容に関して「どう思うのか?」という点は異なった意見がある筈だった。事実、夕張さんからの問いに困惑しているオレに対して夕張さんに迷いや戸惑いが無い。
「そう・・・ですね。」
「はい。」
夕張さんの返事とほぼ同時に訓練海域の海図と衛星写真、瀬戸内海から沖ノ鳥島迄を含む縮尺の衛星写真が表示された。夕張さんから送られて来た物だ。会議室ならテーブルの上に資料を広げた様な感覚だろうか。
「指定された海域は沖ノ鳥島を中心とした二十キロの海域です。直径でも四十キロしかありません。」
半径二十キロ以内と言うのは、要するに日本の領海内である事は改めて確認するまでも無い。では何故領海内なのか。
「確かに狭いですが極秘との事ですから公海上でという訳には行きませんし。」
「そうです。そして領海内という事は・・・」
問いかける様に夕張さんが途中で科白を止める。
「訓練内容を外国船に知られるな。国籍不明の不審船が在れば沈めても良し・・・?」
自分の答えに自信が持てずに疑問形になった。領海内であるから不審船は則ち領海侵犯の現行犯であり、先の海将補からの通信が入った時点で防衛庁から日本政府を通して正式に全世界に訓練海域に指定された事が通告されている。当然排他的経済水域であるから他国の漁船も無断では入って来られないし、実の所沖ノ鳥島付近は漁場としては豊かとは言えない。陸地から遠すぎて栄養に乏しい海だからだ。二十一世紀初頭に東京都知事により漁業計画が立てられた事が有ったらしいが頓挫したという。
「そうです。」
よくできましたと言わんばかりの声音だった。
「そんな事は無いとは思いますが、潜水艦等が隠れている可能性を完全に否定できません。一応念頭に置いていた方が良いでしょう。」
思う、とか念頭に置くとか、凡そ無人艦とは思えない言葉だった。
「それともう一つ。」
「何でしょう?」
なぜか左手を腰に当てて、右手の人差し指を立てている様な雰囲気。ただの音声通信では無いとは言えここまで細かい気配迄伝わる物なのかと、妙な所に関心をしたりして。
「大和さん、名前、どうするんです?」
「はい?」
言われた意味が解らなくて間の抜けた声が出る。
「名前です。」
「大和ですけど。」
「そうではなく。」
物分りの悪い生徒を相手にしている様な、嘆息。
「今回は有人艦艇と行動を共にします。最低限度とは言え通信を行う必要があります。そして私たちは無人艦である事を自衛官相手であっても秘密にしなければなりません。」
そこまで言われてやっと気が付いた。DDG大和の艦長としての名前が要る。どうしたらいいものか。
「え・・・と、参考までに夕張さんは・・・?」
オレよりは早く自衛艦として就役している夕張さんなら、と期待したのだが。
「その事で私も大和さんに御相談をと思いまして。」
そもそも、訓練内容の確認と称して通信をして来たのはこれが本題だったらしい。
「なにぶん前例がありませんし、司令部からは既に自分達で決めろと通達されています。」
自分たちで決めろと言って寄越した呉基地練習艦隊司令部にしても決めあぐねたのでは無いだろうか。組織として前例が無い事はしたくないと言う気持ちは解らないでは無い。結果として寄りによってAIに丸投げと言うのは頂けないが。
現在時刻午前九時五十五分。訓練開始時刻がヒトフタマルマル、十二時丁度であるから遅くとも午前十一時迄には決めなければ近江、天龍両艦との打ち合わせの通信に支障をきたす。
「取り敢えず艦名をそのまま名字にしましょう。多少不自然ですが偶然で通します。」
夕張さん、意外と思い切りが良い。しかし、大和が名字となると言うのは些か妙な気分である。
「解りました。時間もありませんしフルネームで考えるよりは楽かもしれません。大和と言うのが名字なのは違和感が有りますが・・・」
言いながらふと思いつく。ヤマトの名前の由来はヤマトタケルノミコト。ミコトだと女の子だと思われるかもしれないと。それだ。
「大和ミコト・・・」
「え・・・?」
呟きがそのまま通信に乗った。
「オレ、大和ミコトにします。」
あっさりと決定したオレに夕張さんは少し驚いた様子だったが直ぐに賛同してくれた。
「それでは大和さんは、大和ミコトさんという事で。では私はいかがしましょうか。」
夕張さんはそう言いつつも何か検索をしている様だった。通信の向こう側が忙しそうな雰囲気だ。
「夕張・・・・・」
夕張と言えば第二次大戦中の軽巡洋艦の名前としては夕張川が由来だった筈だ。そして夕張と言われて真っ先に連想するのは・・・
「夕張メロン。」
「・・・・・・怒って良いですか?」
にっこりと微笑んでいる気配。
「ごめんなさい、もう言いません。」
怖かったので即謝った。
暫し沈黙の後、夕張さんが口を開いた。
(口を開いた?)
自分の思考に疑問が生じた。
「決めました。私は夕張鏡子にします。」
「鏡子さんですか。」
なんと言うか普通過ぎる。何に由来しているのだろうか。
「夕張ですので、夕張に縁のあるお名前を探して見ました所、夕張市出身の女優さんで不忍鏡子さんと言う方がいらっしゃったそうです。その方のお名前をお借りする事に致しました。」
あれこれ検索していた結果だろう。不忍鏡子という女性のプロフィールらしき物が転送されて来た。活躍していたのが二十世紀半ばから後半であったらしく、添付されている写真は不鮮明で顔立ちは良く解らなかった。
「これで落着ですね。」
ほっと一息。呼吸はしてないが。
「はい、それでは大和ミコト二等海佐、宜しくお願い致します。」
「二等海佐?」
「大和さんの階級です。最新鋭イージス艦の艦長なのですから妥当です。私は夕張鏡子三等海佐となります。」
「そう・・・ですか。」
納得するしかない。と言うより、データを確認すると既に防衛庁の人事データがその通りに登録されていた。仕事が早い。
大和ミコト二等海佐、二十四歳。階級に対して年齢が異常に若いが元の自分の年齢と同じなのは助かる。これでいきなり三十代後半にされたりしたら物凄く損をした気分になっただろう。夕張鏡子三等海佐も同じく二十四歳。こちらはオレのイメージ通りの年齢で助かる。これでいきなり三十代後半にされたりしたら物凄く残念な気分になっただろう。
しかし、詳細を確認しようとすると氏名、年齢、階級以外の全てが機密扱いで照会出来なく成っていた。
(照会出来ないと言うよりまだ決まってない、が正しいんだろうな。)
と独り言ちた。