「尾道ヤマトの人生」
尾道ヤマト。享年二十四。地元の普通科高校を無難な成績で卒業し、それほど高望みもせずに工業大学に入学。大学で金属加工と設計を学びそこそこ良い成績で卒業。設計を学んだといっても住宅や商業ビル等の設計ではない。船舶の設計だった。なぜ船なのか。単純な話で大学入学の年に海上自衛隊が活躍するゲームにハマったからだった。それから戦艦を設計できるゲームにも熱中し自分の夢の艦隊を編成して楽しんだりもした。ゲーム内では最終的に最強になるのは戦艦ではなくイージス艦。第二次世界大戦の艦船の区分でいえば駆逐艦に当たるような小型艦船だった。そしてゲームならではの現実ではありえないような性能を持つ。最高速度80ノット。時速に直しておおよそ時速150キロ。はっきり言って現実世界では水の抵抗だけではなく、空気抵抗、造波抵抗など諸々の外圧によって絶対にありえない速度だと言える。
そして日本、海上自衛隊では装備することは許されない核武装。そんな物もゲームの中では使用できた。すべてはゲームの中だけの話だが、船の設計を学ぶモチベーションにはなった。
大学卒業後、俺、尾道ヤマトは幸いにも大手造船業社の設計部門に就職することができた。給料も良いし残業もそれほど多くはない。しいて言えば生まれ育った神奈川から広島に移り住まなければならなかった事だけが欠点ではあったが、神奈川に住まなければならないというこだわりも特になかったので気にしない事にした。電車の本数も一時間に一本だったりと神奈川とは勝手が違うと感じたが、会社の近くにアパートを借りて自家用車で通勤する身の上にはあまり関係がないので、これも気にならなかった。
俺にとって嬉しい誤算は、会社の最寄りの駅前に退役した実物の潜水艦が展示されている事だった。就職して最初の半年程は毎週のように通っていた程だ。基本的に海軍の艦は船内が狭い。人間よりも兵器のためのスペースを重視するためで、潜水艦に至ってはあまりにも狭く、魚雷の上にすら兵員が寝るスペースを設定しなければいけないのが普通だ。見学用に公開されているとはいえ潜水艦内の広さは改装しようがない。毎回ヘルメットを被り、それでも頭を何度もぶつけながら遊びに行って、職員にも顔を覚えられて呆れられる程通い詰めた。そして学生時代にハマった自衛艦に対するあこがれはいや増すばかり。しかし残念な事に、俺の就職した会社は護衛艦を建造していなかった。造っているのは民間用の大型タンカーやRO-RO船が殆どで、少し変わったところで、海底資源掘削船と言った所だ。
入社直後、曲がりなりにも俺は設計部門に配属されたはずだが、図面を引かせて貰うことは全くなかった。当たり前だ。新米のペーペーにいきなり設計を任せるなんて有り得ない。それは解っていた。最初にやる事は設計通りに建造が進んでいるか、逆に現場からの設計変更の上申、という名の苦情の処理や下請け会社への挨拶参り、鋼板の品質チェック等の雑用が主な仕事だった。特に現場と図面とのすり合わせは、設計図が読めなければ話にならないのだから、新入りでも任せて貰えただけ信用してくれていたのだと思う。それに、わが社の造船所のある場所は、護衛艦を建造している他社のドッグも間近に見られる好条件の場所にあった。高校、大学の友人からは軽く軍事オタと言われる俺としては建造現場を見られるのは線を引くよりも嬉しい職場環境だ。見て学ぶ。見学。机上の空論ではなく実際の現場を見て初めて理解できることは少なくない。
入社して二年目になった頃、俺にも後輩ができた。そいつを教育するという名目で現場と設計室とを往復する毎日を熟しながら、上司からは試験として天然ガス輸送船の設計を何度も繰り返しやらされた。もちろん実用とはならない設計図だが何度も図面を引いていくうちに自分の悪い癖も分るようになる。先輩の引いた図面と見比べて自分の図面の欠点も解るようになってくる。図面を引き始めてから半年。最初に引いた図面を見ると自分の事ながら恥ずかしくなるような設計だと、穴を掘って埋めたくなる。図面を見ながら赤面し、頭をかきむしる俺の姿を横浜という名前の先輩がニヤニヤと見ていた。
「なんすか?」
不機嫌に、舌打ちをしそうな俺の問いに、その先輩はニヒルな、というのが正しいか解らないが口角を上げて鼻を鳴らして。
「たった一年半かよ。たった一年半でその図面かよ」
「だからなんすか?」
不機嫌になっているのは自覚していた。この先輩は別に嫌いじゃないのだがこの時は自分の心に余裕もなかった。
「別に。嫌な野郎だなって思っただけだ。」
何一つオブラートに包まない言葉だった。だけど、嫌味ではないと感じられたのはなぜだろうか。
「お前の設計、シミュレーションしてみた。バルバスバウの形状、お前これ何を参考にした?」
言われた言葉が解らなくて頬が引き攣る。バルバスバウというのは船首バルブとも球状船首とも呼ばれる造波抵抗を軽減するために造られる、大型船の船首のでっぱりの事だ。
「何って・・・大和ですよ。船型が似てたので。」
俺の答えに横浜先輩はため息をついた。
「なるほど・・・嫌な野郎だ。」
もう一度気に食わない科白を吐いて笑った。何を言いたいのかよく解らない。特に返す言葉もなかったので黙ってた。
「この間のお前の図面、“ストック”に入れるって部長が。たった一年半でストック入りかよ。俺なんか四年かかったんだぞ。」
横浜先輩言っていることが一瞬理解できず何か言おうとした口が開きっぱなしになる。アホ面というのは多分こういう顔の事だ。
ストックというのはこの会社独自の用語で、顧客からの依頼に対して具体的な見本として用意しておく複数種類の設計図面の事である。若手からベテランまで、だれもが時間が空いた時に練習のために引いた図面や、設計した物の顧客の要望と合わずに没になった図面の中から使えそうな物を取っておくのだ。そのストックに自分の図面が加えられた。
「え・・・マジですか!?」
つい、先輩に対して失礼な物言いをしてしまうが特に咎められることはなかった。
「マジ。大マジ。俺が4年目でストックに採用された時だって前代未聞とまでは言わないまでも快挙って言われたんだ。今回のお前のストック入りは確実に入社からの最短記録だろうぜ。」
そう言ってもう一度ため息をついた。嫌な野郎だと言われようが、ため息をつかれようが褒められていることくらいは解った。どう反応したらいいかいまいち解らず複雑な表情になっているのは自覚できた。
「いい加減どうにかしろ、その間抜け面。それで、明日の件だが。」
呆れられ馬鹿にされたので気合を入れるために自ら両頬を二度叩いて表情を引き締める。明日の予定といえばこの横浜先輩と一緒にクライアントの元へ図面を持参して最終確認、となっていた。横浜先輩が責任者で、俺がその補助・助手・サポート。言い方は色々あるが今回の案件に関しては自分も最初から関わっている。
「俺は別件で行けなくなった。悪いがお前が行ってくれ。いや、一人でじゃない。清水も連れて行け。先方に顔を覚えて貰うのも勿論だが、清水は設計部兼営業部だからな。勉強になるだろう。」
俺が面倒を見る事になっている後輩、清水健斗。先輩の言う通り設計部の所属ではあるが人手不足という事と、船の設計を理解していない営業が余りにも無茶な仕事を受注してくるので設計側の意見を営業に通しやすくする為に、という判断で兼任という配属となった。
「解りました。それでは明日は俺と清水との二人で行ってきます。」
「ああ、頼む。じゃぁな。」
清水先輩は振り返りながら雑に手を振って事務室を出ていった。時計を見ると午後五時を二十分ほど過ぎてる。
「俺も帰るか。」
独り言ちて立ち上がりかけ、思い直して席に戻り、清水に宛てて明日の予定変更についてメモを残した。
この時はまだ、自分が翌日死ぬとは思いもしなかった。