「尾道ヤマトの最期」
尾道ヤマト。享年二十四。その日は朝から後輩の清水健斗と共に、クライアントの会社へと出向いていた。そこそこ大手の造船業社の設計部に勤めている俺が先方に出向くのは、何度も打ち合わせ、設計の変更などを繰り返しやっと最終案となった船の設計図の確認、承認を貰う為だった。受注したのは瀬戸内の海に多数点在する島々に日々の生活物資や少人数の地元の住人を運ぶ小型の輸送船だった。
通されたのが来客用の接待室でなければ、ソファーの椅子のスプリングが効いていないのも、お茶も出されないのも何時もの事で今更気にすることでもない。俺がこのクライアント、西野運輸に来るのはこれで都合六回目。毎年赤字ぎりぎりでそれでも何とか地元の役に立つべく奮闘している中小企業だった。人手が足りずに社長自らが船に乗ることも少なくない会社なのだから、接客に余裕がない事もよく解っていた。
「わざわざ来てもらって悪いね、尾道君。」
そう言って社長室兼接待室に入って来たのが社長の西野守氏だ。
「いえ、こちらこそお時間を頂きありがとうございます。」
立ち上がり西野社長の手を握る。その俺の隣で清水も立ち上がりながら名刺入れを取り出していた。西野社長はそれに気が付くとにこやかに清水の名刺を受け取り、胸ポケットにしまうと彼の手も取って挨拶する。
「本日は正担当の横浜が急用により来れなくなり申し訳ありません。自分ではまだ力不足とは思いますが代わりを務めさせていただきたいと思います。」
丁寧とは言えないが、横浜先輩が来られない事を謝罪すると西野社長は特に気にした様子もなく、俺たち二人に着席を促した。
「ああ、構わないよ。尾道君も最初から携わって貰ってるし今日は最終確認だ。ま、いつもの通りお茶も出せないのは勘弁してくれ。」
笑って言う社長に俺も笑うしかない。だが初めて来た清水は少々困惑して、中途半端な愛想笑いになっていた。
その後の仕事は至ってスムーズ。そもそも最終確認であり、社長の判を貰うだけの言うなれば決まりきった様式でしかない。チェック済みの印が入れられた数葉の図面を丸め製図ケースに入れる。この製図ケースを背負って帰るのは後輩である清水の仕事だ。
仕事の要件が片付いて、今後の円滑な人間関係構築の為に後輩の清水も含めた三人での雑談に移ろうとした時、社長室のドアをノックする音が聞こえた。どうやら社長の方に急ぎの用事が出来てしまったらしい。こちらとしても長居しなければならない理由も無いので社長と一緒に部屋を出て、簡単な挨拶を交わしただけで、西野運輸の社屋を辞した。駅に向かい少し歩いた所にあった小さな公園に立ち寄り、メールで本社に承認を貰ったことを報告。正式な図面はまだ清水の背中にあるが、データ自体は本社にも保存されている。書類を持ち帰るよりも先にデータが造船工場へ転送されて、実際の作業がすぐにでも始められる様になる。今回受注した船は大きな船でもなく利益も然程出ないが、西野社長とうちの社長は小学校の頃からの幼馴染で最優先ではないが、優先順位は高めの案件だった。
「さて、どうするか。」
独り言ちた俺の言葉に清水が反応する。
「どうするって何がです?」
「昼めし食って帰るか、まっ直ぐ帰るかって事なんだが・・・」
言いながら周囲を見回すが、正直この辺りは住宅街であまり飲食店という物がない。
「でも昼飯にはちょっと早いっすよ?」
と、清水。自分も含めてうちの会社は先輩後輩の縦分けを蔑ろにしている訳ではないのだが、言葉遣いに関しては些かルーズな面がある。社外の人間に対しては礼儀をわきまえて居るつもりだが、社内であればそれ程のこだわりがない。良くも悪くも、というべきか技術者の特徴なのだろう。
「そうなんだよなぁ。電車の時間は?」
「あー・・・・そうっすね・・・あと12分てところですね。」
腕時計を確認しつつ答える清水。
「じゃぁ、タクシー使うまでもないな。向こうに帰ってから飯にしよう。」
「了解っす。」
ここから最寄りの駅は各駅停車は一時間に一本しか走っていない。その一時間の間に、この駅に止まらない快速列車が二本、急行列車が一本走っているだけだ。十数分待つだけならかなり運が良かった。二人とも寄り道をせず、というより寄り道をするような喫茶店すらなく駅に向かう。ICカードを使って駅構内に。通勤通学時間でもなければこの駅を利用する客は少ない。時計を確認すると定刻迄あと七分。ベンチに座る迄もなく、乗り口案内の白線に沿って並ぶ。先客はいなかった。内ポケットからスマホを取り出して暇つぶしにゲームを始める。特に熱心に遊んでいるゲームではないので課金はしていなかった。音量は周りに迷惑にならない程度。どうしてもうつむき加減になるせいで痛み始めた首を伸ばそうと顔を上げた瞬間。。
「あ、先輩・・・」
という清水の声が聞こえたのと同時に、背中に何かがぶつかって来た。誰かに突き落とされたような感覚のような気がする。何事かと身構える暇もなく、簡単に体が白線の外側に投げ出される。一日の列車運行数の少ないローカル線のホームにはホームドアなどという物はなかった。硬い金属音と鋭い悲鳴が同時に響いた。運悪く快速列車がホームに滑り込んで来た瞬間だった。
全身を突き抜ける激しい衝撃。僅かに響く鈍い何かが壊れる音。理解が遅れて付いてくる。おそらく背中に何かがぶつかった。もしくは突き落とされた。そこに殆ど減速せずに入って来た列車に轢かれた。
「ヤバイ・・・」という感覚はすでに枕木に体が叩き付けられてから訪れた。痛みは感じない。事故の瞬間、スローモーションにはならなかった。人々の騒めきと金属がこすれる音がどこか遠くに聞えていた。視界が薄暗い。そうだ、車体の下に入り込んだのだろう。最近はコンタクトレンズにしていたが、今は眼鏡がずれた様なゆがんだ視界になっていた。
(死ぬのか。)
なぜか冷静に受け止めていた。
(死ぬのか。まだ結婚もしてないのに。)
(死ぬのか。まだ彼女もできていないのに。)
(死ぬのか。そもそも女の子と仲良くしたこともなかったのに。)
小学校から大学まで、決して目立つ存在ではなかった。積極的な性格でもなかった。それは確かだ。
(せめて、自分が図面を引いた船を見てみたかった。)
(せめて、自分の理想の船を設計してみたかった。)
(せめて、自分も海上自衛艦の開発に関わるような仕事をしてみたかった。)
しかし、もう自分は死ぬのだ。死につつあるのだ。聞こえていた筈の声が、音がだんだんと遠くなる。暗い視界がどんどんと暗くなる。
暗くなる視界の中、最新鋭と思しき灰色の軍艦に可愛い女の子が乗っている姿が見えた。可笑しなものだ。もう死ぬというのに夢は見る物なのか。死ぬ前に見るのは走馬燈だと思っていた。生い立ちを思い出すでもなく、尾道ヤマトの一生は幕を下ろした。