人ならざる者に与えた優しさとその代償⑦
魔界の境より南下したすぐの土地は魔力が濃く、普通の人間では住みにくい場所となっている。
それに魔界の中心部より高濃度の魔力が常に噴き出しているため、徐々にだが『魔界』が広がっているのだ。
いずれ、今の土地は魔界へと侵食されてしまうことだろう。
だが、あくまで住める土地が後退するだけで、人が住める土地がなくなることは絶対にあり得ないのだが。
そんな最前線より、さらに南下した、なんとか人間でも住むことが出来る土地に町が築かれていた。
長々とした煙突が生えた建物が並び、そこからモクモクと黒煙を立ち上らせていた。
その近くには二階建て程度の団地が整列するように建てられていた。
清楚とは言えない日雇い労働者達が忙しそうに、けれど生き生きと過ごしている。
ここは鉱山都市ティターン。
フラワー達がオーベロンと共に率先して造り上げた都市だ。
山に埋まる、とある鉱石の採掘を目的としている。その鉱石――魔晶石を精錬し、実用化するための研究開発を主としているのだ。
無論、まだ魔晶石は開発途中で価値がほとんどない。それだけで都市の運営は出来ない。だから基本的には一般的な鉄鉱石などを採掘、精錬、加工して財を成している。
順調に都市運営は出来ており、着実にだが、魔晶石の研究成果も上がってきている。
『鉱山が枯れる前に諸々完成すればいいのだがな』
そうオーベロンは呟いていたが、上手く行かないだろう。順調と言っても、十数年単位で、人の感覚からすればゆっくりと進んでいるに過ぎない。
いつかはこの都市を放棄せざるを得ないだろう。
それでも希望はあるのだ。わざわざ後ろ向きで前に進むことはない。もちろん、先が崖だと分かっているのに脳天気に進む気もさらさらなかったが。
それとこの都市は、鉱山、研究施設があるほかに戦士の育成をする場も設けられていた。
魔界が近く、様々な魔物――知性がある魔族なら話し合いで棲み分けが可能だが、知性のない魔獣などは駆除する必要があった。
そもそも人間は弱い。基本的に魂が弱々しく、人によっては魂を持たないこともある。そのため、魔力を吸引してしまった場合、すぐさま重篤な魔力障害を起こしてしまうことがあるのだ。
それを解決するために、魔晶石とフラワー達の力を使って、人間の強化を図った。
さすがにティターニアの力は使えなかった(そもそもここにいない)が、魂を付与、もしくは強化するだけでも大きく違ってくる。
何よりも人間は道具を使うことに長けているのだ。
魔道具という道具を武器として使い、集団で戦うことで魔獣と渡り合っていた。
そんな戦士達を育てる訓練場にて、刃引きされた剣を巧みに操り大男と同等に打ち合う少女がいた。
大男は叩きつけるように剣を振り下ろす。だが、単なる力任せではなく、重心が整っておりブレがないことから、訓練を相当積んでいると見受けられた。
力強く、素早い一撃が見下ろすほどの身長差がある少女に叩きつけられる。
しかし、少女は頭上で剣を横に構えて、刀身に大男の剣が当たる直前で相手に合わせたまま、滑らすように下に受け流す。同時に身体も真横に流すように動いた。
「――!」
かわされた、のではなく受け流されるのはとてつもなく厄介だ。なにより相手に当てたという感覚を持たされてしまっていると、普段より手応えがないと分かっていても、わずかでも強く振り抜いてしまう。
その点、少女の『流し』は『受け止めさせた』と錯覚しうるほどだった。
大男は振り抜いた剣を止めたが、切り返すには遅い。すでに少女が懐へと迫り、空いた腹に向かって剣を振り抜こうとしていたのだから。
剣術の試合ならば、このまま終わっていたかもしれない。
けれど、これは実戦を想定した戦いだ。
大男は歯を噛みしめ、最小限の捻りを加えて、出来うる限りの最大限の威力を乗せた肘鉄を少女のこめかみへと叩きつけた。
「あぶ、ぅ――!」
少女はそれを予期していたのか、寸前で頭を振ってかわす。鋭い肘鉄だったために肌が切れて鮮血が舞うが、そのまま剣を大男の腹に向かって振り抜くことが出来た。
どっ、と割と遠慮無く鋼の塊が腹に叩き込まれ、革のプロテクターをしていてもその衝撃にたたらを踏んでしまう。
が、すぐに大男は体勢を立て直し、少女も剣を構え直す。
しばし、睨み合うが……両者は同時に力を抜いて笑みを浮かべた。
「あー、駄目だったかあ。今ので倒すつもりだったんだけどなあ」
「そりゃおめえは軽いからな。つっても効いたぜ、こりゃあ」
二人は剣を鞘に収めると、どこからともなく女型の妖精――フラワー達がやってきて、それぞれにタオルを渡す。
「あっ、ありがと、フラワー。やっぱ、あの肘食らうつもりでやってた方が良かったかな?」
「ばっか、おめえがあれに当たってたら普通に死んでるつうの」
「おまっ、そんな一撃、か弱い女の子にすんなし」
「か弱い女の子――笑える冗談だぜ」
大男が、腹をさすりながら笑うと、少女も楽しそうに笑いながら彼の背中を小突く。
「で、ジェントータはこれからどうすんの? まだ練習するなら付き合ってあげるけど?」
「腹いてえし、今日はよしとくわ。イェネオ、おめえは?」
少女――イェネオはタオルで血を拭いてから、額に巻く。
「うーんと、今日は余りもいないし、魔道具を調整して――ちょっと素振りとか自主練して帰ろうかな」
「無理すんなよお。『か弱い女の子』なら、ぶっ倒れちまうからなー」
「わー心配してくれるとか優しいー」
イェネオが皮肉ると、ジェントータは豪快に笑い、背を向けながら雑にブンブンと手を振ってきた。そんな彼の背中にイェネオが立てた親指を、ブンブンと何度も下に向けて振って、見送っていた。
二人のやり取りをみていたフラワーは吐息をつく。
《……相変わらず仲が良いですね》
「まあね。なんだかんだ一緒に強くなってきた仲だし? でも、四十歳くらいありそうな見た目で、私よりも若いってのも可笑しいけどねー」
《貴方は実際の年齢より、かなり若く見えますけどね》
「そう? ありがと、うれしー」
イェネオが、きらん、と片目を瞑って前傾姿勢になる可愛らしいポーズを決めてくれる。……実際の年齢を知っていると、かなり痛々しく見える不思議だ。
イェネオはブロンドの髪を短く切り込んだボーイッシュな少女に見えるが、しっかりと成人している。お酒も飲むし、大食らいで、彼女の住む家の中は少し――いや、かなりだらしないこととなっている。
それでもイェネオは戦闘の技術面では突出しており、この都市では最強と言っても良いだろう。魂の強度も高いようで、何度かフラワーによるレベルアップを受けているがまだ限界が見えない。もしかしたら、リディア並の魂強度があると思われる。惜しむらくは不老ではないことか。
そんなことからフラワーはイェネオに一目置いている。それにさばさばと性格から、リディアとは違う意味で一緒にいて楽しいと思えるのだ。
イェネオは訓練場を悠々と歩き、同僚に声をかけながら煉瓦によって組まれた強固な建物――武器庫へと向かう。
そこの守衛に顔パスで通してもらい、中に入る。
真っ暗な室内を覗き、入り口近くの蝋燭をつけて、次に安置されているランタンを手に取って火をつけて進む。
《訓練の終わりに毎回魔道具の点検するなんて、意外にマメですよね》
「意外って言うなし。まあ、面倒とは思うけど命預ける武器だし、ちゃんと使えるかぐらいは見ておかないとね。やられる寸前のボロボロな中で、まさかの――とか起こせるかもだし、勝ちパターンなのに、まさかのーとか起こりそうじゃん? 私の方に奇跡が起こるのはともかく、敵に起こされるのは癪っしょー」
《貴方らしい……》
「褒め言葉として受け取っておくー」
にゃはー、と笑い、彼女の魔道具が保管されている棚までやってくる。
イェネオはランタンを専用の取っ手に吊り下げる。
壁掛けにズラリと剣が並ぶ、その内の一つを手に取った。
しゃらりと静かな音を立てながら、白銀の刀身が露わになる。
何の変哲も無い剣に見えるが、これにはイェネオと相性が良いスキル『斬鉄』が宿っている。宿っているスキルとしてはかなりポピュラーなものではあるが、効果はかなり高く設定されており、彼女が使うと無類の強さを発揮する。無論、その分魔力の消費が激しいため、常に使い続けられるものではない。
イェネオは真剣な顔で刀身を確かめ、一度、鞘から引き抜く。そして剣のスキルを発動させ、その効果を確かめる。
試し切りにと持ってきていたのか、鉄のインゴットを手の上に乗せて、息を整える。そのままゆっくりと刃を走らせる。抵抗なくストンと切断する。――手の平は切ってはいないようだ。
「おー、こわっ」
《なんでそんな危ないことを……》
「ギリギリの感覚を知らないとね。あとちゃんとオンオフしたし。この魔道具はこれが、しっかり出来ないと危ないから」
『斬鉄』はポピュラーで今では簡単に量産出来るし、人間なら大体のものが扱える。しかし使い手は選ばれている。
『斬鉄』は、斬る、という一点においては並ぶものはないほど強力なスキルなのだ。
それ故に誰彼構わず下手に割り振ろうものならば、瞬く間にこの都市は治安が悪化してしまうだろう。
イェネオは、半分になったインゴットを宙に放り投げて、即座に剣を振るう。
『速剣』という剣速が上昇するスキルによって、目にも止まらぬ速さで何度も切り返し、インゴットが宙に留まっている間に細切れになる。小さな塊状になってしまった元鉄インゴットは、大きな音を立てて、床に散らばった。
「十九回……うーん、ちょい切り返しが何回か遅かったところがあったな。上手く行けば、二十超えて三、四回は増やせたかなあ。精度を要求されると筋肉のわずかな微動も重要になってくる……」
《十分凄いですけどね。ここは狭いですし、広いところで気兼ねなくやれば上手く行くのでは?》
「広くないところで気兼ねなくやれないまま、やることに意味があるからね。特に剣は相手に接近する以上、間合いが重要になってくるし。それに近づくにしても逆に近づかれ過ぎたりすることで、こっちの有利な間合いが潰されたりするし。やれない時のことも考えないと」
戦闘を有利に進めるためには、自分のスタイルを相手に押しつけることが重要だ。しかし相性によってはそれが上手くいかないことが多々とある。
「それに何でも切れるって言っても、一度の連続攻撃で仕留めきれないと、次から防がれることもあるからね」
人間なら胴を縦か横に真っ二つにすればそれで終わる。しかし魔物であった場合、身体が大きくて、そもそも真っ二つに出来ないかもしれない。それで逃げられてしまう場合もあるし、相手によっては対策してくる知能や能力を持っているかも知れないのだ。魔物は人間より多くのスキルを持っていたり、おかしな肉体構造をしていたりするから。
「だから、最低最悪を想定して、最高最善を目指すのが大事。大丈夫なんて思ってると痛い目を見るからね。って言っても、悪いことばっかり考えてると動けなくなるから、何事もほどほどにするのが一番。清濁併せ呑むのが良い、みたいな?」
《それはちょっと意味が違うのでは?》
とは言うものの、イェネオの言い分も納得出来る。何事も難しくなるほど、不条理不合理が蔓延り、不運の確率も上がるというもの。だからそれに備えることは大切だし、だからと言って恐れ過ぎては踏み込むことすら出来ず、終わってしまうかもしれない。
イェネオは剣を鞘に収めて、元の位置に戻すとしゃがみ込む。
「……備えることは本当に大事。もうすぐ魔王が現れるらしいからね。そうなったら私が勇者になるかもしれないんでしょ?」
《…………。はい》
フラワーは沈鬱な表情で、一言だけ口にする。
……きっとイェネオが次代の勇者となってしまうだろう。それはほぼ間違いない。オーベロンにも確認したが、彼女以上の存在は現れていないそうだ。
イェネオには勇者と魔王の真実が、どんなものなのか言っていない。言えるわけがなかった。貴方は家畜で、どんなに強くなっても魔王に殺されて供物にされる運命です、などと。
フラワーとしては、イェネオが勇者にならない方法があるのなら是非とも試したかった。いや、彼女に限らずこの都市に住む全ての人達に不幸になんてなって欲しくない。
そのために研究を始めたと言っても過言ではないのだから。
――おかしなことだと思う。人を救うための研究を始めて、人が死なないためにすればするほど、大事な人が強くなって死期が早まってしまうなんて。
……フラワーはイェネオに何を言えば良いのか分からなかった。
貴方なら勝てます? きっと大丈夫です? 心配しなくても良いですよ?
その言葉達ほど無意味で残酷な嘘は存在しない。だからこそ、口に出すことが出来なかった。
《…………もしその時は、頑張って、ください》
「……。うん。やれるだけやってみるよ」
イェネオはフラワーが纏う雰囲気から、何かを読み取れたのかも知れない。しかし彼女は問いかけようとはせず、フラワーに背を向けながら、いつものように――でもどこか弱々しく笑った。
「……っと、フラワー、一ついいかな?」
《なんでしょう。私に出来ることなら何でもしますよ》
「うん、あのね――」
イェネオが振り返ると笑顔だったが、目尻に涙が溜まっていた。ギョッとするフラワーだったが、灯りに照らされた彼女の手が血だらけになっているのを見て、さらにギョッとする。
「斬った鉄めっちゃ尖ってて、刺さって切れて、手ぇすっごくいったい……!」
フラワーは、思いの外、ぼたぼたと血が流れているのを見てビビってしまう。
《貴方馬鹿ですか!? 革手袋くらいしましょうよ!》
「ひーん、どうすればいいのー、お助けくださいーフラワーさまー」
イェネオは混乱し、何も出来ずに、わたわたとしている。
《貴方、ほんっっっっっと戦闘以外だめだめですね!?》
フラワーはすぐさま、イェネオの額に巻いてあったタオルを取ると、彼女の手に押しつけて全身でギュッと止血する。
――フラワーは慌てて他の自分達やついでに守衛や訓練場にいる人達を呼び寄せて、対処させるのであった。
イェネオは被害を受けた側だったけれど、皆に叱られてしまった。
※工業的な作業をする際は適切な保護具をつけましょう。




