人ならざる者に与えた優しさとその代償②
魔力が満ちあふれる魔界の東にある境目付近でのこと。
そこに石材を使って建てられた大きな神殿が存在していた。
しかし、建てたのは人間ではない。その外周に異形の化け物達が跋扈することから、――そしてその魔物達が集落を築いていることから彼らの行いであることが窺い知れる。
魔物達が『ティターニア』を祀り、信仰するために自らの力を存分に使って、石材の加工を施し、組み立てたのだ。
太めの柱を置いて、天井となる石板を乗せたり壁を立てかけたりと無駄に大きく雑に作られていたが、それが逆に壮大な物へとなっていた。
神殿の内部は、装飾などはなく、光源は松明のみだ。暗く寒々しい空間が延々と続いている。
そんな神殿の最奥で燐光を纏う女性――ティターニアが宙に浮かんでいた。暗闇であるために、その燐光が生えるほど美しい。
ティターニアは糸を紡げる魔物が織った一枚の布地だけを身体に巻き、燐光によってさらに煌めく金色の長髪を編み上げてまとめている。
ティターニアは皮肉にも魔物達が殺すべき人間の姿を取っていたが、彼らは気にしない。何よりも彼女が自分達に利をもたらしてくれている、ただその一点のみが重要だったのだ。
今は魔物がいないが、彼女は一人ではなく、妖精が一体、彼女の前にいた。
《マスター、お願いがあります。どうか私達に感覚を……せめて、『味覚』を付与していただけないでしょうか?》
『…………』
ティターニアは目の前にいる手の平ほどの妖精を見ながら、微かに唸り声を漏らしてしまった。
……最近、妖精達の変化が著しい。直接的に人間や魔物とあまり関わりにはならないため、オーベロンやお供の妖精と比べて情緒の育ち方は、かなり遅い。遅いが、育ってきてしまっていることに、それとなく危惧を抱いている。
『……何故ですか?』
《リディアの出してくれた料理の感想を言いたいのです。……それに出来れば『触覚』も。リディアは私達によく触りますが、私達は何故、それが良いのかよく分からなくて。それを知りたいのです》
『…………』
どうしたものか、とティターニアは悩んでしまう。彼女にとってかなり難しい問題だった。
情緒の育ちが遅いというのは、ティターニアもまた同じだった。むしろ人間とは直接的に触れ合うことはないため、妖精よりも感情の発達が遅れている。さらに人間とはずれた感性を持つ魔物達と触れ合っているため、妖精以上に人間的な感情の理解が出来なかったのだ。
なんとなく自らの分身である妖精と隔たりが出来ているようで、苦しく思う。だから、どうしたものか、と悩んでしまうのだ。
――だからこそ、理屈のみで考えて答えてしまうべきなのだろうか。
『リディアのため、というのなら理由としては十分なのでしょう。『制定者』もあの方を誰よりも何よりも気に懸けている、はず……のようですし』
《なら――》
『ですが、そうであるならば貴女達である必要性は薄いでしょう。オーベロン側の妖精なら、人間との相互理解のために感覚器官がついていますし、そちらに任せるべきかと。わざわざ貴女達に感覚をつける必要はありません』
《それは……》
妖精が悲しそうな顔をして、言葉を探すようにうつむく。必死に言葉を拾い上げ、ぽつりぽつりと言う。
《……私達は、……リディアと……『約束』をしました……だから……》
『私達には私達の『役割』があります。リディアの魂を強くするために、定期的に接触する必要はありますが、『浄化』と休息を含めると貴女達が常に居続ける必要はありません。そもそも強化も十分ですし、『偽神化』も使えないと分かった以上、彼女に接触する意味もないはずです』
《――っ。……それは、そうですが……でも……!》
妖精が泣きそうな顔で見上げてきた。何を言うべきなのか分からない様子だった。その表情を見て、ティターニはなんだか少し苦しく思うが、これが正しいことだと己に言い聞かせる。
『ティターニア、自らの分身をあまり苛める物ではない』
不意に隅の方からしわがれた男の声が聞こえてくる。
ティターニアはため息をつき、そちらに視線を向けると部屋の隅にぼろ衣を纏った小柄な少年がうずくまるように座っていた。彼もまたほんのわずかに燐光を纏っている。
『何の用ですか、オーベロン』
『我が輩の名前が出てきたから、必要なのかと思ってやってきただけのこと』
オーベロンは憂鬱そうな表情を浮かべつつ、口の端をやや吊り上げて笑った。
彼はティターニアと同様に『制定者』によって作られた存在だ。生命を管理する役割上、初めから感情や感覚器官を有している。
そして心と記憶を読む力と妖精と連動して常に世界を監視する力、瞬時にあらゆる場所へと赴く力を持っているのだ。
『別に必要ありません』
『そういう訳にもいかないだろう。貴様は我が輩達にあの『制定者』のお気に入りの相手をさせようとしていたではないか。我が輩らにも『役割』がある以上、勝手に決められては困るのだが?』
『…………』
ティターニアは思わずオーベロンを睨んでしまう。最近になって思ったのだが、ティターニアはオーベロンのこの減らず口が気に入らなかった。それで無駄に筋が通っているのも腹が立つ。
《こんにちはー『貴女達』ー》
ティターニアとオーベロンの会話の最中、彼の方から一つの燐光が妖精に近寄って行った。それはオーベロンに似た少年型の妖精だった。
ニコニコとした笑みを浮かべつつ、悲しそうな顔をする妖精の横につく。ティターニアの妖精はペコリと彼に頭を下げる。
《こんにちは、『貴方達』》
《ご機嫌いかが?》
《それなりです》
《そっかー。それなりかー》
少年型の妖精が、腕組んで頷き、小首をかしげた。オーベロンの妖精は、人間と関わるために感情を持っているようだ。そのため、とても情緒溢れる仕草をしてくる。
だが、それ故に彼女は彼のことを理解出来なかった。一体何を考えているのだろう。想像すら出来ない。そんな感情豊かな彼がとても羨ましく思ってしまう。
そんな少年型の妖精が、ぽむっと手を打つ。
《そうだっ。あのね、ずっと思ってたけど、やっぱりシー、ヒーだとわかりにくくないかな。もしやご機嫌が『それなり』な原因はそれかも? ――なーんてね。でも、せっかくだし、ここで、僕らにも名前をつけてみない?》
いきなり何を言い出すのだろう。本当に予想がつかない。
《名前……?》
《うん! じゃあ言い出しっぺの僕から! えーっと、僕はパックにしようかな? オーベロンの名前の元になった妖精王のお供らしいし》
『悪戯好きで生意気なのがそっくりだな?』
オーベロンが野次を飛ばしてくる。
《そんなことないですよー。生意気なのは認めますけど、悪戯はあまりしませんしー》
『そうだったか?』
《そうですぅ! もう! マスターはティターニアとお喋りしててください! 僕はこの子と話しているんですから!》
『なるほど、ではそうしよう』
パックはイーッとしながら、オーベロンと軽口をたたき合う。そんな彼らを見ながら、妖精は困ったようにモジモジとしていた。
《名前……私は……》
《あっ、ごめんね。うーんと、ティターニアにはお供はいなかったっけ? なら、可愛い名前をつけちゃおう。やっぱり『貴女達』は女の子だし、可愛い花の名前がいいかな?》
《花……》
なんとなく、彼――パックの案はとても良い物に思ってしまう。花はとても綺麗だから。
《旧世界の花言葉って面白いのもあるらしいし、良いんじゃないかな? 似合った名前をつければ個性もつくかもよ!》
《……でも、私達は皆一緒ですから……》
《僕と君が会う時だけに使うのでも良いんだよ。それか、リディアとお話しする時、名前で呼び合うのも良いんじゃないかな? とっても親近感が湧くと思うよ?》
《……親近感……リディアと仲良くなれるでしょうか?》
そうならとても嬉しい。……リディアと話していると楽しいから、もっと楽しくなりたい。
《なれるはずだよ! あとこういうのを決める時は、気分で良いんだよ。何なら花じゃなくても、シシリーでもメアリーでもバーカーでも良いと思うよ?》
《気分……》
何気に妖精にとっては難しいものだ。
自らをパックと名乗った妖精は相も変わらずニコニコして、楽しそうだ。――難しく考えるべきではないのかも。
《……まだ、花の事は分からないから、……フラワーで》
妖精がおずおずと言うと、パックが花が開くようにパッと笑う。
《そっか! 良いと思うよ! よろしくね、フラワー!》
《……はい、よろしく、パック》
パックに手を取られ、ブンブンと振るわれる妖精――フラワーはどことなく嬉しそうで、気恥ずかしげだった。
そんな自らの妖精を見てティターニアはなんとも言えない気分になってしまう。悪くはないが良くもない、複雑な思いだ。
オーベロンから、くっくっくっと含み笑いが聞こえてくる。
『貴様もそれなりに変わったな。昔は淡々としていたものだが、今では子に悩まされる親のようだ』
『貴方は相変わらずですね。盗み聞きも盗み見も得意なようで』
『貴様が皮肉とは驚きだ』
オーベロンは憂鬱そうな表情ながらも、おどけるように目を見開き肩を竦める。
――なんとなく分かった。この男は自分をからかってきているのだと。
オーベロンがにやりと笑い、頷く。
『よく分かったな』
『……。たぶん、私は貴方のことが嫌いです』
『我が輩は色々と未熟な貴様を気に入っているがな』
オーベロンは楽しそうに言う。
ティターニアは、未熟、という言葉に反応してしまうが、すぐに心を落ち着ける。どうせこの心情を見抜かれて、からかわれる可能性もすぐさま考慮して……気にしないことにした。
いつも通り冷静に、淡々とやろう。
『それで? 何の用ですか? 私の妖精の助太刀に来た訳ではないでしょう?』
『それが大半だが、そうだな……『今のお前』に問いかけてみたいことがある』
ティターニアはオーベロンの含んだような言い方に、少し警戒するが彼は軽く手を振りながら言う。
『からかうつもりはないから、心配するな。……問いたいだけだ。いつまでこの殺戮と再生を繰り返すつもりだ?』
『……? いつまで、とはおかしなことを言いますね。終わるまででしょう。『偽神化』を求められる魔物の数は決まっていますから永遠ということもないでしょうに』
『だが、魔王が必ずしも『偽神化』を得られないのは分かっているだろう。計画が始まって二千年程度経過したが、失敗の数の方が多い。……それにイレギュラー――『不死ノ王』のこともある』
不死ノ王。この二千年の間に現れ、勇者と魔王との争いに割って入った特異な存在だ。幾千、幾万ものアンデッドを率いて、この世界を滅ぼしかけた。
アンデッドは育ちが遅く、大して強くならないが数が揃うととても厄介だ。特にゾンビは殺した相手を自らの仲間に引きずり込むため、対処が遅れると大変なことになる。
実際、そのせいでティターニアがいるこの近辺も一時期、ほとんど全ての魔物がアンデッドと化してしまった。
そして不死ノ王が消えても、その残した爪痕は、数十年は癒えることはなかったのだ。
確かにあれは厄介だが――ティターニアは首を横に振る。
『あれは特例中の特例でしょう。それも貴方が言うには不死ノ王はただのアンデッドではなく、転生者の魂が宿った存在だったらしいではないですか』
そのせいで、本来、育ちが遅いはずのアンデッドが急速に成長して、気付けば大災厄を引き起こしていたのだ。
『そうだ。だが、起こりえたし、今後も似たようなことが起こりえるだろう。我が輩が世界を見続ける以上、似たような事例は起こさないようにはするが、特例とは常に目をすり抜けるような何かだ。そしてもし我が輩や貴様……それどころか、『制定者』の身に何かあれば、どうするというのだ。あれは今、崩壊を食い止めるために力の大半を使っているのだから、神の如き力を振るえば、同時にこの世界の崩壊を意味する。しかし『制定者』が自らに襲い来る脅威に何もせねば同じことになる』
『……だったらどうするというのですか?』
『人間の技術の発展を促す。ネックとなっている『世界創造』が上手く行かないのならば、別の手段を増やすまでだ。そのため必要となる技術発展の方針は決めることが出来る。実際、人間が作りだした『魔道具』を使えば、上手い具合のものが出来るだろう。それで最悪に備える』
『あまり利口とは言えませんね。『制定者』が人類の文明を『中世』までに留めるようにしてるのは、過去の惨劇を起こさないためでしょう。……人類の愚かな行いがあっての今なのですから』
ティターニアがそう言うと、オーベロンが鼻を鳴らす。
『人類を救うつもりなのにも関わらず、人類を愚かだと誹るか』
『そのつもりはありませんが、手綱を握っていなければならないのは確かです。……オーベロン、貴方人間に寄りすぎではありませんか?』
ティターニアは、静かにオーベロンを観察する。いつ頃からか、オーベロンは疲れたような雰囲気を醸し出すようになった。
以前、色々と疲れた、と言っていたが感情がある故の弊害だろう。
もしかしたらよからぬことに染まりかけているのではないか、という危機感が芽生える。
オーベロンはため息をついた。
『よせ。別に楽をしたいとか、全てが嫌になったつもりはない。まあ、繰り返しに見飽きたという思いがあるがな。そういう意味では、不死ノ王には楽しませてもらったが、我が輩の目的は変わらない』
『なら、このまま続けるべきでしょう。イレギュラーを阻止しつつ』
『……。そういう結論ならば別に構わないがな。ただ、貴様に忠告しておく。何事も変わりゆくものだ。我が輩も、貴様も、我らの妖精達も――魔物も人……果てはリディアや『制定者』さえも』
『…………』
理解は出来る。しかし、あまりピンと来なかった。自分や妖精が変わっているのは分かるが、それがどのようなことに至るのか思いつかない。
『最低限、貴様も人間というものに触れ合っておけ。人間の思いやりも学ばねば痛い目に遭うぞ。……せめて、何度か貴様もリディアと話してみろ』
『……その言葉の『重み』をなんとなく理解しました。その忠告受け取っておきましょう』
『ああ、それだけ聞ければ十分だ。流しただけでもないようだからな』
オーベロンは少しだけ満足そうに頷く。
『パック、帰るぞ』
《あっ、名前呼んでくれました。――ていうか、もうですか? もっとフラワーとお話したいです! どうせ僕らは監視するために隠れてないと行けないんですから!》
『それは我が輩も同じだ』
《マスターは人の中に混じっているでしょー》
『職を得て生きていくのは面倒だがな。それも何百年かに一度、文明ごとリセットとなるのならなおさらだ。その度に、また同じことを繰り返せねばならん』
どことなく恨めしげに言うオーベロンの視線を受けて、ティターニアはなんとなく彼の心情に思い至る。
『……それが嫌なんですね』
『正解だ』
我が輩は貴様のように祀られんからな、と独りごちるとオーベロンはパックと共に姿を消すのであった。
それを見送り――パックは見えないだけで、もしかしたらここにいるだろうが――ティターニアは妖精――フラワーを見やる。
思いやり……難しいことだが、色々と思案してみる必要がありそうだ。
リディアの下に何体か妖精を置いておくのも問題はないはずだ。……『制定者』の大事な人間のために、心のケアもすべきだろう。
『……『貴女達』……いえ、フラワー、話があります』
《……え? あっ、はいっ!》
そうティターニアが言うと、何故かフラワーがとても嬉しそうな顔をして近寄ってきた。
――少しずつ彼女達も変わっていく。それが良いことや悪いことであろうとも。




