それぞれにある罪と正義
城で起きた『一連の事件』は『クレセント』が執り行ったクーデターであると報じられた。
彼を以前から担ぎ上げていた貴族達も暗躍していたそうだ。王やアンサム王子を打倒し、王へと君臨させて甘い蜜を啜る腹づもりであったようだ。
クーデターが失敗したことにより、多くの有力な貴族達が粛正されていった。
――それと、槍玉に挙げられたのは『タイタン』だろう。同盟が破棄されることになったようだ。
昨今の魔族の侵攻によるタイタンとの同盟は、『アンサム王子』によって進められていた。
本来プレイフォートは、魔族とは互いに中立宣言を交わし(少なくともここ数百年以内では)、戦をすることはなかった。
魔界はこの世界の中心に位置し、それ故に魔族は全方面と戦わなければならない。魔界は特殊な土地故に占領され続けることはまずないが、仲が悪い東のタイタン、侵略国家である北のカーナーフ帝国とは必ず敵対しなければならないのだ。
だから、西と南とは友好――とは行かないまでも不可侵条約を結ぶのが通例であった。
しかしプレイフォートは今回それが出来ずに、戦争することとなってしまった。
それもあってタイタンとの同盟が急務となっていたが、『国を追われていたクレセント』はそこに策謀を巡らせた。
『クレセント』はタイタンにとって魔王と同等以上に重要な『古の魔女』を討伐する密約を交わしたのだ。
『クレセント』は方法は不明だが、『古の魔女』の居場所を特定し、奇襲をかけた。
だが、その奇襲は失敗し『古の魔女』と共にいた魔物を怒らせる結果となってしまったらしい。
けれど、それは『クレセント』が望んでいたことでもあった。むしろ討伐はわざと失敗させたようだ。
失敗させた上に魔物を町におびき寄せ、殺すことで魔女本人が城へとやってくるように仕向けたのだ。
これによって城の兵を動員せざるを得なくなり、『クレセント』は小数でのクーデターを可能とした。
――だが、最後の関門であるアンサム王子を突破出来ず、お縄となってしまったのだ。
それが事の顛末だ。――と、そんな筋書きだ。
……さらにこれはわずかに漏れてきた内容だが、『クレセント』が魔族と敵対する流れを作ったとも噂されていた。
真偽は不明だが、町民達はそうであって欲しいと願っていた。この企みがくじかれたのなら戦争の可能性はなくなるのだから。暮らしはまだ安定しているが、町民達にとっては戦争しないに越したことはないのだ。
……話は戻るが今回の『古の魔女』の件があるため、タイタンとの同盟は見送ることになった。
本日は今後のことについてアンサム王子がタイタンの重要人物であるアルディス司祭と会談する流れになっていた。
アルディスとルズウェルの妖精タマノヲは城の会談室にて、机一つ隔てて(タマノヲは机に正座して)アンサムと向き合っていた。彼の左右にはバーニアスとカマルが立って睨みを利かせている。
向かい合うアンサムは、『今まで』とは違い、強い覇気に溢れている。
クレセントが入っていた時は、軽薄さと傲慢故の不安定さで危うさを感じていた。
しかし今は、それとは違う強い威圧感と緊張感がある。言うなれば絶対的な強さを自負した王族足る誇り高き意志を感じた。
アンサムは口を開く。
「それで、今まで進めさせてもらった同盟は、白紙に戻させてもらう。意図的ではないとは言え、クーデターに関係した貴殿らを信用することが出来ない」
アンサムは、続けて厳かに告げる。
「だが、同時に罪に問うことはしない。騙されて曲がりなりにも貴殿らの最高戦力である聖人達を『一度』失わせてしまったのだから」
「…………」
アルディスはわずかに唇を結ぶ。
……『クーデターが失敗』した後、すぐさま聖人達はリディアに殺されてしまった。
生き残ったルズウェルから聞いた限りでは、『復活魔法』は成功したようだ。今はタイタンで新しい身体を慣らしている頃だろう(精神を汚染されたミッシェルは、復活しても治らなかったため、別カリキュラムによる治療を受けている)。
「……だが、『対策』はさせてもらう」
「対策?」
「プレイフォートの神殿にて、『職業付与』の利権やそれに伴う『魔晶石』の使用を全面的にこちらに対して委任させてもらう。それとタイタンの人間を神殿から排除させてもらおう」
「――それは……!」
《なっ――》
アルディスとタマノヲは目を見開く。
――タイタンの神殿では、個人に対して『職業付与』――俗に言う『属性』を付与させることで、擬似的に『進化可能な種族』になって進化を行えるようにしているのだ。
この利権はほぼタイタンが握っていると言って良い。
神殿以外で違法に『属性』を付与することは、禁じられている。
けれど、この禁じられている理由は単なる利権によるものだけではないのだ。
『属性付与』は高濃度の魔力を個人に集約することで為せる。しかし、人間に高濃度の魔力を纏わせると――少なくとも『属性付与』させるレベルで魔力を集めるとほぼ確実に魔力障害を起こしてしてしまう。
魔力障害の恐ろしいところは、場合によっては体内で空間拡張を起こすことがあり、時に人間一人で辺り一帯が跡形もなく吹っ飛ぶ危険があるのだ。
それを防ぐために、魔晶石というものが用いられる。
魔晶石を介することで大気中にある魔力を個人に合った内在魔力に変換することが出来るのだ。これはローラが使用していたものと同じだ。
大きさによって変換出来る量には限界があるものの、これを使うことによって安全に『属性』を付与することが出来るようになった。
魔晶石の製造方法はタイタンの機密事項となっており、未だ他国でその作り方を解明した者はいない。
神殿を置かれた他国であっても、みだりに調べることは禁止されているのだ。そこには必ず一人以上はタイタンの関係者が置かれているため、こっそりと、という訳にもいかない。そもそも魔晶石そのものにもかなり厳重な『施錠』がなされている。
それほどまでに重要なものをアンサムは全て寄越せと言っているのだ。
「何を……出来るわけないでしょう! そもそも魔晶石を他国に貸し出した際の利権をこちらが全面的に握っているとは言っても法外な値段を要求させたことはありません。たとえあったとしても私達に伝われば、確実に制裁を加えます」
魔晶石の他国への貸し出す理由として、国の中枢近くに潜り込む、というのは実は二の次であったりする。
実のところ、純粋な善意なのだ。
人間は生まれながらにして、レベルやスキルを把握することが出来ない。少なくとも『声』は魔物や彼らに近い者達しか聞こえないのだ。
さらに人間はレベルが上がったところで進化などは出来ず、それに伴ったスキル取得も出来ない。
しかし、それでは『魔物』に後れを取ってしまうかもしれない。
タイタンは魔物に打ち勝つ術を人間達に持って欲しくて、神殿を各地に建てた。利権などによって得た利益はあくまで神殿の維持のためだけに使っている。
善意ならば全てを相手に捧げれば良いと言われるかも知れない。だが、それは出来ないのだ。
『職業付与』や『魔晶石』は可能性の塊故に、様々な形で悪用される危険があるのだ。管理は徹底的に行わなくてはならない。少なくともタイタンが己の『正義』を守る限りは。
アンサムがため息をつく。
「何か勘違いしているようだが、こちら別に利権が欲しくて言っている訳じゃない。言っただろう、『対策』だと。むしろ、貴殿らに利があると思うが?」
《……どういうこと?》
「今回の件で、タイタンは我が国民達に多大な『誤解』を受けてしまった。それを撤回するのは難しい。むしろ真実としてクレセントと手を握っていたのは確かだろう? 神殿もこちらの民によって、それなりの被害は受けていたはずだ」
「……それは、そうですが……」
……神殿や修道院はかなり危険な状態になっていた。一昨日の処刑中断後、怒った町民達によって、襲撃されたりしたのだ。
幸いにしてルリエが事前に対策を打ってくれていたおかげで被害は最小限で済んだのだ。アンサムの言うとおりこのまま『誤解』されたままでは不味いのだ。
そこでアンサムの顔に剣呑とした気配が混じる。
「……これでも譲歩しているのが分かんねえ訳じゃねえだろ?」
《……!》
タマノヲは、うぐっと息を詰まらせる。アルディスは神妙な顔でアンサムを見つめていた。
(……随分と大胆なことを言いますね)
当事者に対してこの物言いは相当キモが座っていると言える。もし何かしらの『物理的な反撃』をされたらどうするつもりなのか。こちらに隠れた仲間がいると考えないか……それともそれを己だけでたたき伏せることが出来ると思っているのか。
いや、アンサムを攻撃すること自体がこちらにとって悪手なのだ。下手をすれば、プレイフォートと戦争――今度は逆にタイタンが帝国、魔界、プレイフォートの三方面から攻められかねない。
アルディスは悩む。たぶん、この『交渉』はかなり難しいものとなるだろう。
仮にも彼らは国を盗ろうとしたのだ。その罪を不問にしてやると言われている以上、生半可な意見を言うことがそもそも出来なかった。
(……タマノヲ、『皆』なんと?)
《利権くらいは別に良いってのが『私達』の結論。でも、魔晶石の情報だけはあげられない。そこは何をやっても守る必要がある。……じゃないと世界中の人達が危なくなるし無作為に魔晶石を作られて材料が枯渇することだけは避けたいから。……世界を救うことがもっともっと遠くなっちゃう》
(……分かりました。私達のボーダーラインは決まりましたね)
アルディスは、心の中で一度吐息をつく。
再度アンサムを見つめ、彼は口を開く。
「ええ、貴方のおっしゃることは分かります。――ですが……」
彼らは彼なりの正義の下、必死に足掻いていた。
アンサムは一人、部屋の中で吐息をつく。
今し方、『交渉』が終わったばかりだ。
こう連日、イベントが目白押しだとさすがに疲れてしまう。ましてやそれがどれも、重要な案件ならなおさらだ。
一昨日の処刑では様々な人間の首を斬ることになった。このせいで空いてしまう穴や反対勢力を迅速に処理していかねばらない。
今は難しい時期であるし、一部の人間をなあなあで許すことも出来た。だが、まさに『今』を逃してしまえば、下手に力を蓄えられてしまうかもしれない。身中の虫ほど厄介なものはいないだろう。
(……国の案件はルナさんや親父らが、内々に済ませてくれたからなんとかなってる。この後会う予定だからもっと話を詰めるか。軍事関連は、タイタンは今のところ問題ない。向こうとの繋がりを良い感じに切ることが出来た。魔界と和平を結んでも、敵対はしねえはずだ。……あとは魔界……フーフシャーともっと話し合う必要があるな。戦争を止められるならその方向に舵を切るべきだ。五年の戦争は各地を確実に疲弊させてる。実際、嘆願書に目を通したら、魔界以外の魔族の被害が増えてる。たぶんバックアードのような魔王とは関係ねえ奴らだ。……通りで俺の『商売』が上手く行ってたわけだな」
アンサムは皮肉な笑みを浮かべる。
(だからその魔族共の処理を考えねえと。あと、西の内戦についての話も来てるらしいから、場合によっちゃ、そっちに兵を向かわせねえと行けねえな。もし獣人達が勝ちでもしたら、人狼と吸血鬼と関係がある以上、こっちまで飛び火するかもしれねえ。和解させられれば御の字。……光の種族が神輿になってるなら……ミアエルを『使う』べきか?)
そこまで考えて、深いため息をつく。
嫌なことを考えている。一度は奴隷にした挙げ句、今度は政争道具に利用するのはどうだろうか。
本音を言えば、多くの誰かのためにたった一人の誰かを不幸になんてしたくはない。
出来るなら皆を幸せにしたいのだ。
でも、そんなものは夢想に過ぎない。
『全て』を手に入れるために必要なのは『圧倒的な力』だ。
暴力であれ、財力であれ、権力であれ何であれ。
そしてアンサムの持っている、そのどれもは『圧倒的な力』なんてなかった。
そのため、彼に出来ることは今ある手札から、最適なものを選び、最善の結果がなるように配し、祈ることだけ。
時には失うことを恐れず、むしろ時には損切りをするために毅然として厳しい決断をしなければならない。
決断に甘さや迷いがあった結果、どんなことになったかは……アンサムが誰よりも身に染みて分かっているのだ。
(まあ、ミアエルもアハリートも、リディアも俺の手札じゃねえけどな)
あれらはこっちの思惑を無視して勝手に動くだろう。もしかしたら何かしらの報酬ありきで頼めば動いてくれるだろうが……。
(……最低限、協力の要請はしてみるか)
アンサムが肩から力を抜き、だらしなく椅子に座りながら、天井を見上げる。
するとノックの音がしてすぐに「アンサム御兄様? いらっしゃいますか?」とセレーネの声が聞こえてくる。
「ああ、いるぜ。入ってきても構わねえ」
「失礼します」
セレーネがそれなりに恭しい態度で入ってきて、テクテクと歩いてくると対面にぽふんと座る。
アンサムは力を抜いて座ったまま、肩を竦める。
「第一王女さんよ、第一王子様に儀礼はなしかい?」
「あら、形式が必要ならば、まず正しい『型』を事前に取って貰わないと。一応、私はこの形式に合わせましてよ?」
「なるほど。確かに正しい『型』だ」
アンサムは自らのだらしない座り方を見て納得し、セレーネと笑い合う。
このままでも良かったが、改めてそれなりに座り直して、彼女と向かい合った。
「それでどうした?」
「世間話でも……と言いたいところですが提案がありまして。空いた領地を使って『暗部』組織を拡充させてはどうかな、と」
「理由は?」
「今後のため、ですかね。人狼達は、領地や他国の情勢を探らせることには長けていますが、懐に忍び込ますには難しく、同時に『信用が足りません』。今の時期、諸侯貴族の動向は常に知りうるべきでしょう。特に『あれ』に少しでも関係する相手ならば」
「……まあ、な」
アンサムは難しい顔で唸る。確かに反乱の可能性は捨てきれない。
それに今でこそ人狼達とは仲良くやっているが、それはあくまで利害関係が一致しているからだ。魔王出現時に援軍を送ったり(結果的にプレイフォートの国防にもなり得る)、他国への諜報活動――情報を売って貰ったりなどなど。
しかし、もし何らかの理由によって友好関係が崩れれば簡単に戦争に至ることすらあり得る。
実際、一つの問題として人狼達の国は成長が著しく、近い将来、彼らが今住まう土地だけでは諸々が足りなくなってしまうかもしれないのだ。
東西は森や沼地であるため、開拓すれば、広げられるがさらに奥には山岳地帯が広がっているため、限界が見えている。
北は広大な魔界があるが、安定して住める土地とは言い難く、どうしたって南下せざるを得ないのだ。
今でこそ、吸血鬼達に注意が向いているが、いずれ興味は領地拡大へと思考をシフトしてくるだろう。
国同士が隣接している以上、いつまでも仲良くはしていられないのだ。
このいつしか起こりえる『厳しい決断』にアンサムは正直やっていられないと思ってしまう。
セレーネもそれを思ってか、小さく吐息を吐き、首を横に振って続ける。
「それはさておき『暗部』は昔から設立されていましたが、重用はされていませんでしたからね」
「そりゃあ、『役』に見合った力が得られねえ以上、どうしても使いどころが難しくなってくるからな」
情報の重要性は昔から考えられていたようだが、その人材を確保して教育することに難があったのだ。
というのも、人間が特定のスキルを入手しやすくするためには、聖教会の神殿から『属性』を授けられねばならない。
まさか諜報員用のスキルを得られるようにしてください、などと仮にも他国の施設で頼めるわけがないのだ。
暗部の人間に幾重ものフェイクを施して国との関連性を薄れさせられればいけるが、それが出来るのは少ない人数だけだ。組織として大規模に運営し続けることはどうしても出来なかった。
――と、そこでアンサムは「そういうことか」と合点する。
「『属性』付与の利権を手に入れたなら、そういう風に使うのも良いのか。……いや、つーかなんで利権を手に入れたことを知ってんだ、お前は」
今先ほど、そのことが決まったばかりだというのに。
セレーネは手を合わせて嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ふふっ、やっぱり利権を手に入れたのですね。さすがアンサム御兄様ですっ」
「……お前なあ」
ちょっと怖いぞ、この妹。
まあ、これも何やかんやと昔からのことであるから気にしないが。
感情を読めることもそうだが、その上での相手の思考を予想、さらに一手二手と先読みするクセがついて、今では高精度な予測を立てられるようになったようだ。
ある意味、才能と努力を両立したような存在とも言える。天才とはセレーネのような人間のことを言うのかもしれない。
セレーネが楽しそうに笑う。
「やっぱりアンサム御兄様ですね」
「ああ、お前の兄だな。……信じられるか?」
「ええ、私を『恐れて』いませんから」
そう言ったセレーネはどことなく安堵しているように見えた。
「……セレーネ、それにカマルもだな。……迷惑かけたな」
「いえ、誰よりも大変だったのはアンサム御兄様自身でしょう。……御帰還、改めて心よりお喜び申し上げます」
「その言葉、謹んで受け取っておく。それとまだ大変な時期は続くから、力を貸してもらうぜ」
「お役に立てるならいくらでも助力致します」
「助かる」
そう言って、アンサムは力を抜くとセレーネもわずかに強張っていた肩を落とす。
「…………で、それでだが……話は変わるが……あー、『変わった』ことはないか?」
アンサムが視線を彷徨わせながら、たどたどしくそう口にするとセレーネがクスリと笑う。
「ありますよ。そうですね……実は近いうちにお母様とカマル御兄様の三人でお茶会をする予定がありまして」
「そ、そうか」
アンサムは、なんだか逆に気を遣われたような気分になってしまう。だが、それよりもセレーネの顔に以前のような『憎悪』がないことに何より安堵した。
「私達は今一度、顔を合わせて話し合うべきだと思いまして」
「その方が良い。絶対な」
「まあ、ただ、互いに気まずさはあるので、お茶会の話に持っていくのにはかなり苦労しましたが。その上、お母様もカマル御兄様も何かにつけて『忙しくあろう』としましたので」
「あー……」
気持ちは分からないでもない。十数年間ずっと仲がぎくしゃくしていたのだ。多少事情が変わったところですぐに関係が滑らかになることはない。
特にセレーネとカマルは、自分達が大切に思われていたなどと、考えたくないのが心情だろう。
何故なら、そんな相手を十数年間、勘違いからずっと憎んでいたのだから。まさか間違いでしたー仲直りしましょーなどと言えるわけもない。相手から許されようとも罪悪感が付きまとうだろう。ならばこのまま『変わらない』方がきっと楽なのだ。
でも、セレーネはそれを分かっているだろうに歩み寄ろうとしている。
そんなセレーネはグッと拳を握ってガッツポーズをして、片目をつむる。
「まっ、そんな二人を泣き落として無理矢理お茶会に誘いましたけどねっ。もし当日に逃げ出しでもしたら、その日、私はお茶会の代わりに塔の屋上で空を飛ぶ練習をする、と仄めかしておいたので何が何でもくるかと」
「…………本当にお前なあ」
アンサムは思わず手で顔を覆ってしまう。でも、同時に笑みもこぼれてしまった。
「ああ、良いと思うぜ、それで。それくらいやらねえとたぶん駄目なんだ。無理にでも歩み寄らねえと駄目なんだ。……そうだ、俺も師匠に声をかけられたから、今があるんだ。だったら『あいつ』も――」
「『あれ』は駄目でしたよ」
セレーネがアンサムの言葉と思考を遮る。彼女を見ると鋭い目つきで見つめ返していた。
「『あれ』はすでに他者に歩み寄られて、ああなってしまったのです。私達がこうなっているのは、アンサム御兄様が初めて、寄り添ってくれた相手だったから」
そう言って悲しそうに目を伏せる。
「どうしようも出来ないことだってあり得るんです。だから『あれ』については思い悩まないでください。何よりも『あれ』にその価値はありませんから」
「…………」
「……人の優しさを食い物にする人間だっています。むしろそういう人間の方がずっと多いですから」
――アンサムは分かっていた。けれど身の内に宿る後悔と罪悪感は消えないのだ。いくつかある可能性のうち、都合の良い未来を夢見てしまうのは人間の性なのかもしれない。
何よりもこれまで犯してきた多くの『失敗』を思うと、この先も自分が決断していいのか不安になってしまう。
奴隷商人の時、もっとマシなことを出来たのではないか。今回のことだって、もっと違うやり方があったのではないか。過去の失敗が不安となり、まるで足元に亡者のように唸り絡みついてくるようだ。
「……そうだな」
だから分かったフリをして、自身を無理矢理納得させて不安を忘れるしかないのだ。
「……アンサム御兄様……」
そんな彼を慮るような視線を向けながら、セレーネは続ける。
「私と――セックスしませんか?」
「んごほぉ!?」
突然のことに、さすがのアンサムも咳き込んでしまう。
かなり唐突であったため、椅子の肘掛けに寄りかかり、しばらく、ごほごほし続ける。
そして十数秒ほどで収まり、息を整え、改めてセレーネと向き合った。――幸い、この間に服を脱ぎ捨ててるなんてことはない。
たぶん冗談だろう。本気だったら、やりそうだからちょっと目を向けるのさえ恐ろしかった。
「セレーネ、何言ってんだ!」
「いえ、悩みを忘れるのには肉欲的な行為で脳内をドロドロに溶かすのが良いのかな、と思いまして。あっ、セックスだと駄目だと思うので――そうですね『物理的心理ケア』で!」
「言い変えても駄目だ! ていうか仮にそれに効果があろうと、兄と妹だぞ! 血、半分繋がってんだからな!」
「ならば繋がっていない半分の血を『繋げる』ことで解決ですねっ!」
「しねえよ!」
繋げるってなんだ繋げるって。意味が分からなすぎる。
アンサムは疲れたような深いため息をつく。
「そういうのは冗談でもよしてくれ。お前のことは妹として大事にしたいし……『そう思われる』のは、……悪いけど普通に困る」
「アンサム御兄様のことは崇拝に近い感じに思っていますが、別に恋愛感情はないですよ?」
「やめろ! 勇気出して断ったのに、貴方の勘違いですよ、みたいな流れやめろ!」
それは容易くメンタルを八つ裂きにする悪魔のコンボだ。というか崇拝ってなんだろうか。怖いからそこら辺には触れるつもりはないが。
「はい、アンサム御兄様の勘違いです」
何故かセレーネからのメンタル攻撃がすさまじい。
アンサムは思わず頭を抱えてしまう。
「やめてくれぇ……」
「ですが、そう思うくらいには……アンサム御兄様が悩んで壊れてしまうくらいなら、そうしても良いと思っています」
――と、そこでアンサムが顔を上げるとセレーネと目が合い、笑いかけてくる。
「私はアンサム御兄様の優しさで救われて、そんな貴方を守りたいと思っています。きっと私以外の皆も、そう思っているはずですよ。セックスするのはともかくとして、大変なことや少しばかり身体を張ることなんて何でも思わないはずです。貴方の理想を少しでも体現するために死力は惜しみません」
「……俺が間違ったり失敗するかもしれねえのにか?」
「ならばそんな時は私達が間違いを正しましょう。――問題ありませんよ。何故なら貴方の味方をする人達は全員が優秀ですから。私を含めてっ!」
セレーネは、むんっと自信ありげに胸を張って言う。
ふっ、とアンサムに笑みがこぼれる。
「……確かにそうだな」
「私達はアンサム御兄様の優しさを決して裏切りません。……だから、だからどうか、下ばかり覗かないでください。『そこにいる者達』はもうアンサム御兄様にはどうしようも出来ないのですから」
「…………」
――どろりとした足元の『澱』は消えない。身体は引き込まれることないが、心を底なし沼のように沈ませ、汚れさせようとしてくる。
心を感じ取れるセレーネに何を言えば納得させられるか分からず、自然と頭が垂れて下を向いてしまう。……自ら沈み込んでは駄目だ、と思っているのに。言葉では、動けない。
すると、セレーネが立ち上がりアンサムの元に歩み寄って来た。彼に手を差し出す。
「立ちましょう。もう誰も来ないここで、悩む必要はないはずです」
「妹に立たされてちゃ兄として立つ瀬がねえな。まあ、今更格好付ける気はねえけど」
アンサムは苦笑し、首を横に振る。
「…………けど俺は大丈夫だ。もう少し考えを煮詰めてえ」
「……そうですか」
セレーネは悲しげにそう呟き、差し出した手を引っ込める。
と、同時にもう片方に握っていたものをアンサムの足元に投げ捨てた。
アンサムの視線は下を向きかけていたことで容易くそれへと移る。――『それ』は三角の形をした布だ。滑らかな質感がうかがえるため、ロイヤルな雰囲気をそれだけで醸し出していた。
ちなみにそれはどこからどうみても、まごうことなき『パンツ』だった。
「!?!?」
アンサムの身体がビクンと大きく震える。その『物』はなんであるか理解できたが、意味が分からず思考と身体が相互出来ず、動作不良のバグを起こしてしまう。
「では『物理的心理ケア』を行うため、このままアンサム御兄様の上に乗って、別の方を起たせましょうか。安心してください。誰かが来てもドレスで隠れてますし、じゃれてるだけに思われますから」
セレーネがよいしょ、とドレスを持ち上げて、アンサムを跨ごうとしてくる。たぶんこのままでは、じゃれる(邪)をされてしまうだろう。
アンサムはセレーネに跨がられる前に立ち上がり、彼女の肩を掴んで距離を取る。
「立った! 立ったから、もう良い! 一緒に行くから! あと、はしたないからすぐに下着を履け!」
「了解ですっ」
セレーネがおちゃらけて敬礼すると、パンツを手に取り、その場で履きだした。ドレスだし、別に見てても問題はないだろうが、気分的な理由から背を向ける。
次、振り向いた時、全裸になっている可能性も捨てきれないため、余計な衣擦れの音が聞こえたら即座に止めようと一応構えておく。
「もう良いですよ」
幸い、それは杞憂に終わってくれた。振り向いたセレーネの衣服には乱れた箇所は一切ない。
アンサムは様々な感情が入り交じったため息をつく。
そんな彼にニコニコとした笑みを浮かべつつ、セレーネは手を差し出した。
「それでは『エスコート』をお願いします」
「ああ、きっちりやってやるよ」
でないと次は何をされるか分からないから。
エスコートするという名目で、セレーネに連れて行かれると、ふと彼女が顔を横に向けて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……それと、言葉だけでも、人は動きますよ。今回はちょっとズルしましたけど。でもいつかご覧にみせます。――言葉は私の『力』ですから」
それを聞いて、アンサムは思う。
たぶんこの妹には未来永劫勝つことはできないだろうな、と。




