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転生したら、アンデッド!  作者: 三ノ神龍司
第二幕 偽りの王子と国を飲み込む者達
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第三十七章 加勢者

 真夜中の城を黒い霧が駆け抜けていた。さすがのチェスターも焦っており、窓の外に出ることを考える余裕がなかった。今はただ、クレセントの元へ向かわなければという思いだけが強く、ひたすら駆けていたのだ。


 あのゾンビはあの場で殺せると思っていた。何故か想像以上に固かったが、時間さえあれば、ルズウェルも戦線に復帰出来たし、兵も集まってくるはずだった。


 なのにその前に、ルナがやってきて――計画を狂わされてしまう。ノーマークだったが故に、ゾンビに味方した時は心底驚いてしまった。


 何故……、と考える意味はもうない。敵なら敵として排除するべきだ。


 (……手駒は、もうないな)


 聖人はそもそも古の魔女にやられてしまうだろう。むしろ、兵を城に戻すために、さっさと死んで欲しいくらいである。


 転生者達は、ほぼ全滅。女二人はあの場にいなかったが、やられていると思って良いだろう。ルズウェルとカスレフはもはや復帰に期待は出来ない。


 アルディスは戦闘では役には立たないだろう。


 他に動かせる将軍が数人いるが、それくらいだ。


 今すべきことは、無様だがクレセントと共に一時的に隠れるか逃げるか、だろう。


 奴らにとってきついのは、兵達による数の暴力を行われること。あのゾンビは人を操る能力を持っていると言っても、聞く限りでは操ろうとすると対象を駄目にするそうだ。アンサムの味方である以上、兵を『消耗』するのは愚策としか言えない。


 ――恐らく、城にいる兵が足止めを食らっているのは、ウェイト、もしくは接触のあったバーニアスが兵を募ってクーデターを起こしたからだろう。


 こちらの兵は必ずしも自分達の忠実な配下ではない。大体は普通の何もしらない兵ばかりだ。そんな彼らがもし、本来仲間であるはずの兵達に理由も分からないまま攻撃されたりしたら、困惑が勝って少数でも押されてしまう可能性がある。


 でも時間がかかればかかるほど、覚悟を決めて攻撃を仕掛けるだろうし、向こうは少数であるが故にリカバリーが利かず損耗も大きいはずだ。


 向こうがこちらの兵を抑えられるのは短時間が限度のはず。


 だから隠れたり逃げたりしてやり過ごせば、まだ勝機はある。


 ジョーカーである古の魔女がどうでるか分からないが、そこは『来ない』と思った方が良い。あれが動いたら、策なんてそもそも関係がなくなるだろう。今の手札ではあれの対処は出来ないから、考えるだけ無駄だ。


 (……しかし、ここしばらく動いて来なかった魔女が動くとなれば、……『あの御方』にお伝えすべきだろうか)


 チェスターは、自身の国主のことを思い浮かべるが――今は現状に収拾をつけるべきだと頭を振る。事は一刻も争うのだ。


 そのまま淫魔が巣くっていた塔の一角に行く。


 ……あの淫魔襲撃を知ったクレセントは怒り狂ったようだ。襲った側もそうだし、本当に淫魔だと知って、八つ裂きにしてやると叫んでいた。手始めに淫魔を襲った者達を血祭りにしてやると言っていたが、そこはとぼけておいた。


 さすがに転生者や優秀な兵達を殺させるわけにはいかない。それにもし転生者に罰を下せば、外交問題になるだろう。


 本当にあれには困る。


 今だって、恐らく何やかんやと言いつつもあの淫魔を惜しんでそこで女達に囲まれて酒池肉林に耽っていることだろう。


 辿り着くと、仲間の将軍二人が部屋の前で待機していた。やや酒の臭いがするが、あくまで付き合いで飲んだと言った程度か。


 さすがにこの騒ぎには、警戒していたようで酩酊など馬鹿げたことにはなっていない。


 ……まあ、中の奴は違うだろうが。


 将軍に挨拶をそこそこに、軽く事情を説明する。そして、敵が来るかもしれないことを伝えて、部屋の中に入っていった。


 ――生物の生臭い臭いが鼻をつく。


 広い部屋の奥にどかんと置かれた大きなベッドにクレセントと無数の女が絡まり合っている。様々な汁で汚れたシーツに躊躇いなく寝転がれる彼らにチェスターは思わず顔をしかめてしまう。


 軽く鼻を押さえつつ、クレセントに近づき、酒臭い彼に声をかけた。


 「王子、起きろ。緊急事態だ」


 「あー? なんだ? またか? お前はいつもいつも全く……」


 「すぐに逃げる準備をしろ。奴らが来る。特にゾンビに捕まると面倒だ」


 「ゾンビ如き、僕の光の剣で一太刀にしてくれるー」


 「……いい加減にしろ」


 さすがにチェスターの堪忍袋の緒が切れた。


 寝そべるクレセントに魔法を使って引き寄せると、胸倉を掴んで持ち上げる。宙に掲げられてしまい、パタパタと脚を揺らし、首が絞まったために苦しげに呻く。


 女達から悲鳴が上がるが構うつもりなどなかった。将軍の一人もこの騒ぎを聞きつけ、やってきたが制止する力は弱い。――正直、王子の行き過ぎた放蕩には困っていたのだろう。特に今は緊急事態だからなおさらだ。


 「う、げ――」


 「お前のこの贅沢な暮らしが奪われるかもしれないんだ。甘い蜜をもう少し吸いたければ、私に従え」


 「ぐへっ!」


 そうして、振り落とされたクレセントが嘔吐くと、酔っていたこともあって吐いてしまう。生臭さに酸っぱい臭気が加わりさらに混沌とする。


 ひとしきり吐いたクレセントはついでに酔いも覚めたのか、チェスターを睨み見据えた。


 「よくも僕にこんな真似を――」


 「ここで私達がしくじれば、貴様の権力はなくなる。今はかなり逼迫しているのだ。……それでも、今、貴様が逃げれば、まだ勝機はある」


 「……なに? 僕に逃げろと? 来るのはあの出来損ないだろう! 今の僕なら、あんな奴一捻りだ! そもそもお前が命令すれば逆らえないだろうが!」


 チェスターがため息をつく。


 「かもしれんな。だが、ここまで強気に攻勢出たということは、命令を撥ね除ける何か手段を持っている可能性がある。そして私を従わせる方法もな」


 ゾンビ単体では無理だろう。王子と合流すればいける、そのような意図の発言があった。――恐らく人狼を差し向けるつもりなのだろう。


 それは間違いない。認めたくはないが、今では奴らほど吸血鬼の天敵と言える存在はいない。


 奴らは魔法を一切使えないが、小癪にも魔道具の扱いに長けており、それらを使って対抗してくるのだ。


 吸血鬼の実体を捉えて固める魔道具を奴らなら確実に持っているはず。それさえあれば、ゾンビの支配攻撃も通ってしまうかもしれない。


 クレセントが顔を歪め、喚き出す。


 「――愚図が! どうしてこうなるまで何もしなかった! あの出来損ないに出し抜かれやがって! この役立たずが! せっかく僕が秘密の通路に部下を配置してやったってのに、無駄にしやがって!」


 本気でこいつを殺してやろうか、とチェスターは思ってしまった。無能と言うなら自分もそうだろうに。そもそも一応はこいつにも話は通していたし、その上で何も策も練らずにこちらに任せきりにしていたくせになんだ、この言い草は。


 ……というか、秘密の通路に人員を配置していたのか。ならば事前にせめて報告しろと言いたい。


 ……手駒に大した人間はいなかったはず。クレセントの手下などこいつと同じボンボンくらいだ。ならばあのゾンビの糧にされたか。……厄介な。――もしゾンビが通路から来ていたら、出入り口で待機していた転生者達が惨敗して、操られてしまっていたかもしれない。今より状況は悪化していただろう。


 チェスターは不愉快そうに顔を歪め吐き捨てる。


 「最善手を打ったというならば、次はどうする。貴様はどうしていれば良いか分かっていたのか?」


 「知るか! それはお前らの仕事だろう! 僕に責任を押しつけるな! ――ぐべっ!?」


 チェスターは耐えきれずに思わずクレセントの横っ面を蹴り飛ばしてしまった。これには将軍も制止させようとするが、黒い霧となってしまう彼を掴むことが出来ない。


 床に転がり呻くクレセントに歩み寄ると、襟首を掴んで引きずっていく。


 「なら私の言うとおりにしろ。これから貴様ごと『黒霧』となって、外に逃げる。面倒だから抵抗はするなよ」


 「う、うぐぐぅっ!」


 クレセントはバタバタと暴れるが、力は圧倒的に負けており、そのまま連れて行かれる。


 将軍もこのクレセントの扱いには、どうかと思ったが、多少強引にでも行かないといけないのは分かっていたため、諦めたようにして、振り返り、配置に戻ろうとした。


 「いけませんな」


 ――そんな将軍の目の前に老紳士……ウェイトがいつの間にか立っていた。


 「――!?」


 扉の方を見て、そこにもう一人の将軍が倒れ伏せているのを確認する。――ウェイトが攻撃を仕掛けてきたのをすぐに理解する。


 武装はしていない。相変わらずの黒い執事服を纏っているだけだ。片手には蓋の閉じた懐中時計が握られている。――最強と言われるウェイトだが、その能力は謎に包まれている。単なる徒手空拳だけとも、『法則系』の魔法を使うとも言われているが――。


 将軍は、腰に差している剣を即座に抜刀し、切り払う。


 「ぐ、ふ――!?」


 しかし、いつの間にか避けられ、彼の拳が深く鳩尾に入っていた。身体能力を強化しているのか、その一撃は重く、息が詰まって身体が強張ってしまう。


 そんな彼はウェイトに、また『いつの間にか』、気付いたら、顎に拳を叩き込まれていた。速い、そんな言葉では到底言い表せない、奇妙な感覚を覚えながら将軍は意識を闇に溶け込ませていく。


 「ふむ、即座に判断し、迷わず私に刃を向けるとは中々にやりますな」


 そう言って崩れゆく将軍を一瞥し、ウェイトは懐中時計を開き、チェスターを見やる。


 驚いて見返すチェスターにウェイトは慇懃に礼をしてきた。


 「どうも。直接お会いするのは実は初めてでしたかな? ――やはり逃げおおせるつもりでしたか。ここでこの一手は必要なもののようで。……実を言うと『あの方』の相手をしたかったのですが――どうやら時間稼ぎが出来ていたので、私は必要ありませんでした。……本当に残念でなりません」


 ふー、と悲しそうにため息をついて頭を振る。


 「……何を、言っている」


 「いえ、貴方方が古の魔女と呼ばれる、あの方を私が殺しに行きたかった、ただそれだけのことですよ」


 意味が分からない。……本当にこいつは一体何なのだろう。何を目的としているのか。


 魔族と連絡を取っているようで、タイタンの話からするに古の魔女の味方とも言われている。しかし、同時に彼女を殺したがっているようで、そのためにタイタンは彼には手を下すつもりはないようだった。


 ……古の魔女について語るウェイトには、憎悪は感じられない。むしろ雰囲気的には親愛なるものに向けるような優しさが込められている気がする。


 ……いや、そこはどうでも良い。


 それよりも今の能力は一体なんだろうか。気付いたら、将軍の懐に入り、気付いたら、顎に重い一撃を入れてダウンさせていた。


 何らかの法則を弄るスキルを用いているのだろう。強力なモノである可能性が高く、連発は出来ないと予想出来るが――。


 大気中にある魔力が変化した様子がないことから、内在魔力由来の力ではあるはず。もし自分自身の法則のみを変えているのなら、防ぎようがない。だが、多少なりとも周りの法則にも干渉しているなら、他者の魔力に干渉されると解ける可能性がある。


 チェスターは自身の内在魔力を混ぜた魔力を周囲に広げる。――もちろん可能性だけだから効果があるかどうかは分からない。でも、何もせず呆けて一撃でのされるよりかは対策を練っていた方がマシだ。


 あと、あの老人はここで仕留めなければならない。少なくとも背を向けて逃げられる相手ではないはず。


 ウェイトが微笑みを浮かべる。


 「無能ではない勇敢な相手、というのはいささか厄介に感じますな。――いえ、がむしゃらに逃げる臆病で間抜けな相手もそれはそれで困りますが」


 「御託は良い。時間稼ぎのつもりか?」


 「ええ、その通りです。私の役目は、ただひたすらに貴方を足止めすること。そのため貴方を殺すことが出来ないので、一矢報いるつもりで来るなら、運が良ければ勝てるかもしれませんよ?」


 チェスターが唸る。


 「……青二才が、吠えるなよ」


 「青二才……さて、どうでしょうな。もしかしたら、貴方よりずっと年上かもしれませんよ?」


 くすり、とウェイトが笑うと拳を構える。


 チェスターは手を開き、その手の平をウェイトへと向けた。


 (……足止めは確実にされる。奴らが辿り着く可能性がある……。しかもその間に体力を削られるだろうな。最後の頼みの綱は、外に放った暗殺者共だけか……)


 そして、塔から爆発音と激しい破壊音――ついでに女性やクレセントの悲鳴などが多数聞こえてくるのであった。

 





 

 夜の林の中というのは、意外に音がする。夜行性の虫や小動物の鳴き声、風の草木を擦る音が大きい。昼間は特に気にならないが、本能的に暗闇に潜む脅威に集中するためか、どうも耳に障る。


 スーヤは暗闇の中、石に座っていた。リディア達は先ほど、アハリートから連絡を受けて慌てて飛び出していった。


 前方には甲冑を着たベラに、その隣で寝ているミアエルがいる。


 ミアエルはやや顔が赤く、熱っぽい。意識も時々目覚めるが、混濁しており、すぐに眠りにつくを繰り返している。


 出来れば、町に行って医者に診せて家屋の中で安静にしているべきだ。いっそのこと近くの農村に行くべきだが……どうしても目立ちすぎる。


 相手がもし、こちらを狙っていた場合、自分達だけではなく他の人間にも被害が及びかねない。


 だから今は、以前いた林から移動するだけに留めている。


 一応、最低限の医療品や食料などの物資は調達しているから、急変しない限りは対応出来るはず。


 ――あとは、何事も無ければ良い。もしもの場合に備えてはいるが、どうなるか……。


 ……残念ながら安寧の願いは叶わない。……わずかだが、周囲の音に、違う音が混じる。多少の『隠密』化はされているが草地を踏みしめる音は小動物にしては重く、微かに金属が擦れる音もあった。


 「……ベラさん、逃げる準備を」


 「はいぇ……!?」


 船をこぎかけていたベラが、その言葉にビクゥと跳ね起きて、キョロキョロと周囲を見渡す。あの甲冑の魔道具は索敵能力もあるのだろうか――と思ったが感知はない様子だ。


 それでもスーヤの言葉に素直に従い、ミアエルを前に抱き上げる。ミアエルはほんの少し身じろぐが、やはり目は覚めない。当たり前だが、彼女を戦力として見るのは出来そうにない。


 それに予想が正しければ相手は人間だ。ミアエルでは、どっちにしろ分が悪すぎる。


 ――二人か、三人程度だ。手練れであるなら、全員を相手にしたら、まず勝ち目はない。そもそもスーヤは対人戦の場数が少なかった。ゾンビ三体と人間三人では、戦い方がまるで違う。


 一応、背後の気配を察知することは得意なため、囲まれてもすぐにはやられないと思うが――。


 剣を抜き放ち、立ち上がり、音がする方を見やる。


 同時に頭巾を被って素顔を隠した黒衣の軽装集団が現れる。すでに抜き身の短刀を構えていた。先頭の一人が、スーヤに跳びかかった。


 ぎぃん、と鋭い音が鳴り響く。


 「ベラさん! 作戦通り、目的の方角に行って『彼女』と合流を!」


 「りょ、了解であります!」


 ベラは泣きそうになりながらも、ミアエルを抱えて走り出す。甲冑姿だが、速い。魔力が封じられていなければ、あの甲冑は、かなり有用な魔道具であるようだ。


 「こいつは俺がやる。行け」


 スーヤの目の前にいる黒衣の男がそう言う。すると残りの二人がスーヤを無視して、通り過ぎて行った。


 「くっ――!」


 やはりミアエルもしくは……低い可能性であるがベラが狙いのようだ。


 スーヤは黒衣の男を押し込むと、彼はすぐさま跳び退った。短刀を構えて、注意深くスーヤを観察している。どうやら積極的に攻めるつもりはないようだ。完全に時間稼ぎのつもりらしい。


 もし、ミアエルらを助けるために追いかけようと背を見せれば容赦なく、刺し殺してくるだろう。愚直に攻めても躱されるか、焦って攻めた隙を突かれるだけだ。


 スーヤは焦りを感じるが、今は落ち着いて対処することだけしか出来ない。


 「ベラさん、頼む……!」


 そう、スーヤは祈るように呟き、目の前の黒衣の男に向かい合うのであった。

 






 

 「ひっひっふっあっ!」


 ベラは、がしゃがしゃと金属音を立てながら、ひたすらに林を走り抜けていた。後ろからはガサガサと音がする。


 ――予想ではミアエルが狙いだとされている。そうすると自分は殺される可能性が高く、とにかく逃げなければならない。


 自分だけ助かるために、ミアエルを置いて逃げる、という手段もあるがそんな外道な真似はしたくはなかった。殺されるのは、もちろん怖いし嫌だった。けれど、それ以上に彼女は自身を小心者と理解しているために一度後悔すれば一生その思いに付きまとわれるのを知っているのだ。


 幸い、甲冑は身体能力を強化出来るため、運動が出来ないベラでも十分逃げられている。でも、重装甲の甲冑であるためそこまで速度は出ない。


 背後の音が大きくなり、不意に軽い衝撃とぎぃいいんと鉄と鉄が擦れる音が間近で聞こえる。


 「ひぃいいいいいいいいいいいいい!」


 斬られたのだ。でも、何らかのダメージを与えるスキルは乗ってなかったようで無傷だ。鉄を切り裂く『斬鉄』なんてスキルはあるが、取得方法はかなり難しいし、大抵武器に付与されるものだ。それもレアであるため、出回ることはまずない。たとえ手に入れたところで適性の問題もあって使えない場合もあるし。


 だから傷を負わされる心配は無い。ミアエルを傷つけられないように、とにかく気をつけなければならない。


 そう考えながら、必死に走っていると、黒衣の人間が左右に併走してきた。短刀が届く間合いからは離れているが――プレッシャーがすごい。もしかしたら、ミアエルに何かするつもりかもしれないと胸に抱き寄せてガードする姿勢を見せる。


 ――と、不意に前方に、キラリと月明かりに何かが瞬く。


 それが何なのか確認する前に――、


 「んぐぅっ!?」


 ――首に何かが引っかかり、がくん、と身体が反ってしまう。


 ダメージはやはりない。でも、不味い、と分かる。身体が後ろに倒れてしまう。立て直そうとするけれど、不運なことにミアエルの重みで止められない。


 そのまま、がしゃん、と音を立てて仰向けに倒れてしまった。


 黒衣の人間達が『糸』を捨てると、短刀を掲げてベラの兜の隙間にめがけて振り下ろしてきた。


 「んひゃああ!」


 恐怖に駆られて、頭を振るったのが幸いして、目玉を一突きされずに済む。しかし、今度は頭を押さえ付けられてしまう。今度は短刀を目玉に押しつけられそうになってしまう。とっさに片手で払おうとすると、今度はミアエルを奪われそうになってしまう。


 片手で必死にミアエルの衣服を掴むが、力は勝れど――ビリビリと音がする――ミアエルの衣服の強度が足りない。それにしっかりと掴めず、すり抜けて行きそうになる。


 (死ぬ! 死ぬ! 死ぬぅ! あっ、もうちょっと手指は繊細ものを持てるよう改良――じゃなくてぇ――!)


 短刀を掴もうとするけれど、その度に避けられてしまう。掴んだと思っても簡単にすり抜けられて、若干の現実逃避をしかけてしまった。


 ミアエルも腕から剥がされそうだ。両腕を使えば奪われないが、そうしてしまうと目玉を串刺しにされてしまう。


 「ふぃ、あぁ――あぅあ――だ、誰かぁ……!」


 叫び声を上げたいが、恐怖でか細い声しか出ない。


 颯爽とスーヤが駆けつけてくることを願ったが、生憎とその夢想は現実とはならなかった。


 その代わり――、


 「GRRRRRRRRRRROWL!!」


 「――!?」


 そんな獰猛な唸り声と共に、何かが突っ込んできた。


 黒衣の人間達は、とっさにベラから離れて、距離を取る。


 「あ、あぅあう、あ……」


 ベラが喘ぎながら、傍らに立つ者を見やる。


 凜々しい顔立ちの女性だ。月明かりにボリュームのある赤髪が煌めく。引き締まりながらも、一部が豊満な身体は寝間着の薄いネグリジェで包まれているだけなので、とても扇情的だ。特に剥き出しの太股は太陽もないのに眩しいほど。


 そんな彼女はただの人間ではない。耳は顔の真横にはなく、頭部についてある。顔立ちも鼻が獣っぽく、剥き出しにされた歯はとても鋭く尖っていた。


 尻尾も生えており、何より手が獣のものとなっている。柔らかそうな肉球がある可愛らしい一面とは裏腹に、太く鋭い爪が伸びていた。


 ベラはその人物には会ったことはない。けれど、事前に話は聞いていた。


 確か彼女はナランという名の獣人だ。


 「ギリギリ間に合いましたわね。――怪我はなくて?」


 そうナランに問われ、ベラは頷きながら、なんとか声を出す。


 「ひゃ、ひゃい……!」


 「なら、すぐにお立ちになって。わたくしの護衛も来ていますから、あちらで合流を」


 「おうぅ……」


 ベラは声は出なかったが、なんとか頷く。わたわたと立ち上がって、ナランが示した先へ走った。


 ナランは一人、黒衣の者達と対峙する。黒衣の人間達は、ベラを追いかけようとするが――立ちはだかるナランを抜けないと瞬時に悟る。


 目の前にいるのは、大型の獣だ。そう思わせるほどの存在感をナランは放っていたのだ。


 武器は持っていない。しかし、獣人とはその肉体そのものが武器であるのだ。そして獣の成分がその身体にあればあるほど、強度はベースとなった本物に近づいて行く。


 ナランは、ふしゅるるる、と息を吐きながら威嚇し、姿勢を低く構える。


 月明かりに爛々と輝く瞳は、殺意に満ちている。黒衣の人間は、一瞬気後れして、後退りかけた。


 ――その一瞬をナランは逃さない。


 「GRRRRRRRRRRROWL!!」


 腹の底に響くような唸り声を上げて、突撃する。地を蹴り勢いは凄まじく、草地が捲り上げられるほどだ。


 重々しいその突撃に、黒衣の人間達は――すぐに立ち直り、左右に分かれる。挟み込み、どちらか一方に構っている間にもう一方が仕留める、つもりだった。


 ――彼らはまだ、自分達の認識が誤っていることに気付かない。


 ナランが彼らの元いた場所に着地する。……その瞬間、彼女は間を置かずに片方に跳びかかったのだ。


 「――!?」


 「っ!?」


 そこで彼らは知る。目の前にいるのは、人間ではなく獣だと。少なくとも人間と相対した最低限の定石は通用しないことを。


 その代償は高くつく。


 ナランは片手を振り上げ、黒衣の者に叩きつけんとする。黒衣の者は短刀を構えて防御の姿勢を取った。しかし、その一撃は刀身ではなく、腕に叩きつけられ、服を貫通して皮や筋肉ごと根こそぎ引き裂かれた。


 「ぐぅっ!」


 ナランはすかさずもう一方の腕を下から振るい上げ、腹に爪を突き立てると一気に顎下まで引き裂いていく。衣服は紙のように引き裂かれ、腹が裂かれたことで臓物と血が溢れ出す。顎をかち上げられたせいで、ごきりと嫌な音がして、黒衣の者はそのまま仰向けに倒れ伏した。


 ピクピクとわずかに動いているが、もう助からないのは目に見えている。


 「……!」


 最後に残った黒衣の者は、自然と息が荒くなっているのを自覚する。


 返り血に染まった自らの爪を舐めながら獣人姫がゆっくりと、黒衣の者に向かい合った。


 「あぁ――あぁ――……なんですの、今の」


 「……?」


 「脆いなら脆いなりに避けないといけないでしょうに。何故、馬鹿正直に受けますの? そこまでわたくしは弱そうに見えて? ……フェリスなら、あぁ……フェリスなら、たとえこの場で初めて出遭ったとしても、わたくしの攻撃なんて全て避けていますわ。……そう、いつだってわたくしが殺す気でいっても一切、気負わず華麗に避けてくれるのに……貴方方は……つまらない……」


 ナランは失望に塗れた表情を浮かべ、黒衣の者に殺意を向ける。


 「これは殺し合いなんですのよ? ならもっと真剣になりなさいな。人数や武器で自分が圧倒的に有利だろうとなんだろうと殺されないなんて思うんじゃあ、ありません。いつだって、刃は首元に突き付けられているんですのよ」


 ――でも、そんなことは実際に鼻っ面をへし折られなければ分からないな、とナランは自虐に近い思いを抱く。少なくとも彼女は、フェリスに何度も負けて屈辱を味わったから今、そう思えている。しかも、実際に刃を首元に突き付けられて。


 「……さぁ、行きますわよ。覚悟はよろしくて?」


 「――!」


 黒衣の者は、わずかに震えながらも必死さが滲み出る。そこには怯えはほとんどない。それを見て、ナランは少し安堵する。――これなら弱い者苛めにならずに済む、と。

 





 

 その獣の咆吼が聞こえてきて、スーヤはベラがナランと合流したことを知り、安堵する。


 これで気にすることはない。ナランの実力は知らないが、フェリスいわく十分な強さを誇るという。洗練された技術を持つフェリスがそう認めるのだから、かなりの手練れなのだろう。


 まあ、ナランは一応はお姫様らしく護衛もいるとのことなので、前に出張ってくることはないだろうが。この咆吼もきっと護衛のものなのだろう。


 スーヤは気持ちを落ち着けて、改めて黒衣の男に向かい合う。


 相手はそれなりに強い。技量は向こうが上だろう。でも、フェリスのような技術があるわけでもなく、アハリートのような化け物的特徴があるわけでもない。


 ただの人間だ。


 スーヤは剣を正眼に構えると黒衣の男に向かって素早く迫り、切りつける。その際、間合いを気をつける。相手は短刀であるから、極近距離には近づかせないようにしなければならない。


 黒衣の男を打ち据えると、短刀の側面で受け流してくる。


 力任せに叩きつけたら、体勢を崩されることになるだろう。焦ってはいけない。けれど、攻める心は忘れない。殺すつもりでいかなければ、相手にそれは簡単にバレるし、その隙を突かれてしまう。


 連続的で堅実な剣戟を行うと、相手が焦れて、距離を取ってくる。大気中の魔力が変動する。魔法を使うつもりのようだ。


 スーヤも相手が距離を取った瞬間に魔力を集める。黒衣の男が一瞬、意外そうな雰囲気を醸し出していたが、構わず魔法を発動した。


 二つの火球が撃ち放たれ、ぶつかり、爆発する。


 衝撃により、土埃が舞う。視界が遮られるが、スーヤは構わず駆ける。


 スーヤは剣を振り上げ、土埃の中に――姿勢を低くして近づく姿を発見して、振り下ろす。


 「――!」


 黒衣の男は、スーヤも突っ込んで来ることは予想外だったのか、とっさに避けた。一撃を外したスーヤだが、すぐさま斜めに切り上げ、――相手の身体には届かなかったが、短刀を下から弾いて手の内から飛ばすことに成功した。


 「くっ……」


 黒衣の男は、背後に跳び即座に距離を取ってきた。もう武器は無いのか、取り出す様子はない。だが、拳を構え、交戦する意思を見せる。


 ……勝つつもりはないのだろう。たぶん向こうも、仲間を信じていて、足止めに徹するつもりのようだ。


 ――まだ油断してはならない。肉切らして骨を断たれれば逆転されることもあり得る。


 スーヤはジリジリと黒衣の男との距離を詰めていく。


 ……と、背後で草を踏みしめる音が聞こえてくる。慌てているのか、隠す気は無い。……スーヤは真っ直ぐこちらの背後に向かってきているのを察知し、タイミング良く背後を振り払う。


 しかし、その一撃は回避される。――相手、黒衣の人間は転がるようにスーヤの横を駆け抜け、黒衣の男の元へ着く。


 そしてそんな黒衣の人間を追いかけるように、獣人の女性――たぶんナラン――がやってきて、危うくぶつかりかける。


 「お、わ――!」


 「あら、ごめん遊ばせ」


 ナランは勢いよく駆けていたためか、とっさに止まれず、そのままスーヤを胸に迎え入れる。


 「!?」


 むにゅり、と豊かな膨らみのある胸と肉球に包まれ、さすがにスーヤも硬直してしまう。まあ、血の香りが強くて顔にべっちゃりともついたから、場違いにも夢心地なんてことにはなり得なかったが。


 だからすぐさま離れて振り返るが――その時にはすでに黒衣の者達は背を向けて去って行った。


 ナランがそんな彼らの背を見ながら、口を開く。


 「追いかけましょうか?」


 「……いや、追撃はしなくて良い。どうせ延々と逃げられて、門まで行ったら手出し出来なくなるどころか、俺達が不利になる」


 本当は相手はたぶん暗殺特化だから、姿を拝める内に仕留めたい。でも、逆を言えば姿が見られていたり不利な内は全力で逃げるだろうから、追うのも最善とは言えないのだ。


 それに、逃げられたらどうせ門まで逃げられたら、門番にこちらが敵扱いされて魔法や矢の応酬を食らう羽目になるかもしれない。


 ちょっと辛いがまだ迎え撃つ方に勝率がある。


 スーヤは吐息をついて、剣を収め――改めてナランを見やる。


 「……えっと、ナランで良いんだよな?」


 「ええ。お初にお目にかかりますわ――えー」


 「スーヤ」


 「スーヤさん、どうぞよろしくお願いしますわ」


 ナランはネグリジェの端っこを摘まみ上げて最低限の礼をする。所作はやや無骨だが、気品は感じられた。一応は姫――というかお嬢様なのが分かる。


 ネグリジェ姿で血塗れなのを除けば、だが。


 「……えっと、その血は……」


 「一人仕留めた際に浴びましたの。わたくしは手をちょっと切り裂かれた程度ですわね」


 そう言って見せられた獣の手の一部がわずかに裂けて血が滲んでいた。でも、本当にかすり傷と言える程度だ。


 ……護衛の姿が見えないことと、彼女だけが追いかけてきたのを見るに一人で戦っていたのだろう。そして一人を仕留めて、もう一人を敗走させたのか。ずいぶんと強いお嬢様だ。


 「……なんというか、合流が早かったような? いや、まあ助かったんだが……。あっ、二人は無事か?」


 「甲冑の彼女と小さな子、どちらも無事ですわよ。甲冑の彼女の方は間一髪と言ったところでしたけど。――ふふっ、フェリスに頼りにされてしまったから、ついつい長い間、夜空を眺めていましたが、正解でしたわねっ」


 「え、あ、ああ……」


 ナランに、むふー、とどや顔で言われて、スーヤは反応に困ってしまう。


 というかすごく目のやり場にもすごく困る。ネグリジェが薄いせいで、血を浴びたから身体に張り付いて輪郭がくっきりと出ているし、濡れて透けているのだ。


 スーヤはそれとなく視線をナランが来た方に向ける。


 「……そっか、無事か……良かった……」


 これで懸念事項はとりあえず防げた。まだ予断は許さないから、注意していこう。


 そういえば、この後、ナラン達はどうするのだろうか。フェリスはナランは一応お嬢様だから、野営させるのはどうかな、と言っていたが……。


 「えっと、ナランはこの後どうするんだ?」


 「また襲われる可能性があるなら、一緒に居ますわよ。まあ、そうすると宿屋のお金が勿体ないんですが。でも、あのまま寝ても、稀にベッドがズタズタになるかもしれませんので、余計なお金が発生しないと思えばまあ」


 「そ、そっか……はは……」


 ナランは悩ましげに自らの手を見ながら、鋭い爪を出し入れして言う。


 スーヤは乾いた笑いをしてしまう。このお嬢様、ちょっと怖い。


 ……そんなナランを見て、とりえあず、今夜は乗り切れそうな、そんな確信を得たスーヤだった。

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