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転生したら、アンデッド!  作者: 三ノ神龍司
第二幕 偽りの王子と国を飲み込む者達
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第三十二章 遍く堕落せし者

 ――夢を介してルナの『過去』を垣間見た女性は、ベッドの縁に座って吐息をついた。


 横に顔を向け、ベッドで、すーすーと寝息を立てるルナの髪をすく。


 「さすがにこの子にこれ以上、催淫するのは外道よねえ」


 その女性――淫魔のフーフシャーは天井を見上げ、神は信じていないが何か良き者にルナが幸せになることを願う。


 ――というか、あの『アンサム王子』に酷いことをされながら、彼のために悪い噂がある自分を訪ねてくるとか善良というか頭が可笑しくないだろうか。


 ……国政に関わることだから無視出来なかったのだろうけど……。


 一応、武装はしていたが話し合いを第一にするつもりであったらしい。だからこそ、フーフシャーは傷つけず軽めの催淫で済んだのだが。今はその『優しさ』に免じて快適な夢を見させて、よりよい睡眠を与えている。


 この後は……どうしようか。とりあえず、ルナには最低限、多少の認識操作を施してから返す予定だ。多少、こちらに好印象を持ってもらうことにする。


 というのも、目的があるため、まだ揉め事だけは起こしたくはなかった。


 ……本音を言えば、城の中を動けるように誰かしらを操って采配したいのだが……難しいだろう。『アンサム王子』の夢から読み取ったチェスターだか言う吸血鬼はかなり用心深い奴らしい。だから動かず情報を集めた方が無難ではあるが……人が余り来ないのが難点だ。


 そもそもルナはともかくアンサム王子は――夢やらを覗いた結果クレセントだと分かったが――何も知らない様子だった。


 やはりあのチェスターとかいう吸血鬼が何か知っているのか。……全部が全部あの吸血鬼共が悪いのか。五百年前の『制定者』へ至る道を封印された経緯も元を辿れば、今の吸血鬼共の始祖が原因であるというし。本当に、害悪的な種族だな、あいつらは。


 というか、今回の戦争も魔族側は人類に――侵攻してくる西のタイタンや北の帝国を除けば――攻撃を仕掛ける気はなかった。けれど、あることを理由に『妹』が怒り狂ってしまった結果、五年前にこちらから攻撃をしてしまったのだ。


 五年経ってもなお『妹』の暴走は止まらない。そのせいで魔族側の軍も疲弊してきている。


 ――たぶん、吸血鬼だけではなく、タイタンも関わっていることから、こちらの戦力を弱めるために行った策謀なのだろう。


 正直、危険だから城に侵入するなんて真似はしたくはなかった。


 ……いくら先代魔王の子供で、二百年ほど生きながらえた王種であろうと、単騎では限界がある。だけど他に魔王である弟に来させる訳にもいかず、姉や妹(暴走しているから論外)は能力や性格が脳筋であるから、自分が出張るしかない。


 ……こうならざる得なくなった一番の要因は、ウェイトと連絡を取ることが出来なくなったせいだ。

 

 (ウェイトが尋ねてくれたらいいんだけど、そういう手を打つ奴じゃないのよね)


 あの老紳士はかなり慎重なのだ。十分な武力を個人で保有しているが、それに頼らず、手駒を作って動かし、最善手を打つ。――本人が権力を得れば、もう少し動きやすくなろうが、彼いわく「それで好き勝手した結果、睨まれるのが嫌なので」とのこと。


 今これからやれることと言ったら、このままクレセントの愛人を続けるか、さっさとここから逃げるかだ。


 でもその二つの手は取りたくはない。


 特にただ逃げるのは不味い。このまま放置していたら、この国は同盟という名の吸収を受けてしまうだろう。そうすると最悪魔界は三方面から攻め入られることになるかもしれないのだ。


 だからクレセントを操って、同盟を遅らせて延命している。


 でもそれも悟られているだろうから、きっとすぐにでもチェスター辺りが暗殺者を送り込んでくるはず。


 性別がある相手なら基本、負けることはない。だが、それでも何度も来られたら、疲弊してもしもがあるかもしれない。


 クレセントに庇って貰うことも可能だが、限度がある。最悪強硬手段に至るのは目に見えている。――それにクレセントは欲望に忠実ではあるが、チェスターに説得されないとも限らない。


 それに本来の目的があるため、情報収集をしなければらない。ここ以外では、もう手がかりがないに等しいのだ。


 あとは吸血鬼の国の最奥に潜り込むことだが……『ナイトウォーカー』がいる以上、ここより遙かに手出しが難しい。


 戦闘能力は向こうの方が上だし、もし殺されでもしたら、厄介だ。自身の死体を掲げられて、『魔族が侵攻してきた』などと言われでもしたら、さらに泥沼化させられかねない。


 ……まだもうちょっと、ギリギリまでここにいよう。上手くウェイトと接触さえ出来れば、まずは御の字だ。


 でも暗殺者の如何によっては、逃げることも考えねばならないが。撃退するならともかく、さすがに返り討ちにしては――最悪死体を処理出来なかったらクレセントであっても、警戒してしまうだろうし。


 ――まあ、幸か不幸か、最初の暗殺者はゴーレムであったのだが。

 






 

 初め、やってきたのは女中かと思った。


 ……ただ、何故か妙に丈の短いエプロンドレスで、胸元が強調されている。顔も恐ろしいくらいに整っていたが……『体臭』がなかった。


 そもそもノックで扉に穴を開け、ドアノブをねじ切って押し入ってきた時点でイカレていた。


 クレセントからは数日戻らないとは連絡を受けていたから、この機会にもしやと思っていたが……、仕事が早い。


 「お、お嬢様、お召し物を着付け致しましょ、しょしょ、う……カ?」


 女中は――ゴーレムだろうか――カクカクと不気味に首を傾げ、無表情で言ってくる。胸辺りに掲げられた手指が、カキカキとぎこちなくも滑かという表現が出来る奇妙な動きをしていた。


 フーフシャーはノックの時点ですでにベッドから飛び降りて、臨戦態勢を整えていた。下着姿ではあるが――まあ、ほぼいつもなので問題ない(淫魔になってから衣類の着用が苦手になってしまったのだ)。


 暗殺はされると思っていたが、まさか女中ゴーレムを送られるとは。ふざけているのか?


 「生憎と着付けは自分で出来るわ」


 「左様デスカ――Error……修正――着付け、は……着付けは――着付けを開始します――」


 「……色々とひっどいわね」


 女中ゴーレムが『素早く』着付けを行うために、跳びかかってくる。フーフシャーが飛び退くと、女中ゴーレムは、つんのめり倒れ込む。その無防備な背中に踵落としを叩き込むが――じぃんと余りの硬さに若干の痛みと痺れが伝わってきた。


 ――一体、装甲に何を使っているのか。一応それなりにはこちらも硬いはずなのだが――。女中ゴーレムはビクともしていない。


 ……世話用でこの強度は要らないだろう。かと言って暗殺用かと言われると……色々とお粗末過ぎる。


 「これを造った人間、相当頭おかしいんじゃない?」


 元々人間とはそういうモノであるとは思うが、これを造った奴はずば抜けていると思う。


 「着付け、失敗――再度、開始しマす」


 メシメシとカーペット――どころか床板までむしっている。たぶん、掴まったら皮や骨ごと剥がされるだろう。


 ぎぎぎぎ、とゆっくりと立ち上がり、顔を向けてくる。手からパラパラ毟り取った残骸が落ちていく。


 (さて、どうしようかしらね)


 性別がない以上、淫魔としての力は意味が無い。


 魔道具の停止条件は、ある程度の破損か魔力の供給を断つことだったはず。他には自律作動型ならば、命令を書き換えることで動きを止められるが、制作者や魔道具に作用するスキルなどを持っていないとまず無理だろう。


 破壊が一番だろうか……。魔力の供給を断つのは、かなり面倒な手順が必要になるし、今、実現は不可能だ。結界術か光魔法を使うしかないが、どちらも扱えない(『愛ノ巣』という最上位の結界スキルはあるが、消費は低い分、外からの侵入を防ぐためだけであるし。特殊効果も暴力行為が出来ないセックスしないと出られない部屋にするだけだ)。


 女中ゴーレムが突っ込んでくる。――動きは単調で躱しやすいが、何分、広いとは言え、室内では動きが制限されてしまう。


 ちょっとしたことでうっかり掴まったら、身体を毟られることになる。


 フーフシャーは横に避けると、――若干、女中ゴーレムが反応して手を横に伸ばしてくる。それを払いのけ、女中ゴーレムの後頭部を掴むと勢いをつけて床に叩きつけた。


 どすん、という重々しい音が鳴り、女中ゴーレムの頭が床に半分ほど埋まった。手をついて起き上がろうとするが、頭に足を乗せて、体重をかける。――そしてやや伸びた首筋に拳を叩きつけてやった。


 その一撃を受けて鈍い音がすると、皮膚の下にある装甲がひび割れて崩れているのが分かる。――どうやら破壊できないわけではないようだ。


 「反抗確認、――お転婆娘、抑制モード、移行――」


 女中ゴーレムが先ほどよりやや掠れたような声で言うと、突然、フーフシャーの足を挟むように両手を合わせる。


 「――っと、危ない!」


 寸で避けると、ガチンとまるでトラバサミでも合わさったかのような音が鳴る。今のをまともに受けていたら、足が潰れるか千切れていたのではないだろうか。


 フーフシャーは、さすがにちょっとゾッとして数歩後退る。


 「……絶対、悪ノリしてると思うわ、これ」


 段々分かってきた。この女中ゴーレム、この個体に関して言えばジョークグッズ的なノリがある。恐らく、人前で動かすことを想定していない代物だ、これは。


 ――マッドな人間が真面目に造ったものでないのなら、事故防止用に制御する方法は確実にあるはずだが……。今、それを見極めるのはまず無理だろう。


 女中ゴーレムが立ち上がるが――首の支えを壊してしまったのか、ガクガクと常に揺れていてとても怖い。


 「良い子、デスので、暴れないデ、クダさい」


 「お断りするわ」


 また単調に突っ込んできたので、横に避ける――が、今度はすぐさましゃがむ。するとフーフシャーが今までいた空間に女中ゴーレムの腕が伸びてきていた。ついでに倒れ込むこともなく、その場で踏ん張っており、すでに方向転換してこちらに向いてきている。


 学習している。――時間が経てば経つほど不味いことになるだろう。


 フーフシャーは身を捻りながらしゃがんでおり、そのまま足を突き出し回転して――足払いを仕掛ける。女中ゴーレムのスネはやはり硬く、思わず呻いてしまうほどだったが、多少『肉体変化』で筋肉量を無理矢理増しつつ無理矢理振り抜く。


 鋭い音がして、女中ゴーレムが宙を舞う。尻餅をつくと、そのまま床を抜いて埋まってしまう。少々シュールだが、笑っている暇はない。


 女中ゴーレムは間髪入れず、手を伸ばしてきたため、即座に身を退く。だが、フーフシャーの長髪が遅れてしまい、掴まれそうになるが――、


 「女性の、髪、命……了承得ず、触る、厳禁」


 「ありがと」


 ――掴んでは来なかった。だが、髪以外には手を伸ばしてくるため、油断はならない。


 フーフシャーは跳ね飛ぶように立ち上がると、思い切り斜め後ろに足を振り上げる。そしてそのまま、女中ゴーレムの横っ面に振り抜いた。


 爪先で蹴るのはさすがに骨が砕けそうだったから、足の甲を使ったが――それでもかなりの硬さに、じぃんと骨に響く。


 それでも威力と魔物の身体の強度が勝り、女中ゴーレムを吹っ飛ばす。首は……もげないが――ちょうど、窓の位置に転がって行った。


 フーフシャーはそのチャンスを逃さず、転がる女中ゴーレムを追いかけ、同時に片腕の筋肉量を増しておく。膨れ上がった腕で女中ゴーレムの脚を掴むとそのまま全力で窓の外に向かってフルスイングする。


 女中ゴーレムが宙を舞い、高級なガラス窓をぶち破って外に飛び出した。そのまま数メートル先まで飛んでいき――落下していく。


 数秒後、叩きつけられた鈍い音と砕けるような音が一斉に聞こえてくる。


 「…………」


 フーフシャーは恐る恐る窓の外を見やる。さすがに壁に張り付いていることはないだろうけど、もしもがあるかもしれないため、注意して顔を出す。


 ……ここは塔の上のため、かなり遠目だが、地面に叩きつけられた女中ゴーレムの姿が見えた。バラバラになっており、もう動き出す様子はない。


 「……はぁ」


 フーフシャーは人心地ついて、その場にうずくまる。


 かなりヒヤヒヤした。あれが二体以上できたら、勝てる自信がない。その時は、空を飛べるから、逃げるのに全力を出すしかないだろう。


 でも窓の外は逃走経路としては向かないようだが。……ちょうど『今見て』把握した。窓の外にはいくつもの『視線』が通っているのが見えたのだ。


 『視線感知』で見えた視線は、他の塔や下方を含めて、十以上。恐らく、狙撃系の力を持った兵士などを配置しているのだろう。もし窓から逃げていたら、撃ち落とされていたかもしれない。


 「……チェスター、かしら? かなり用意周到なようね」


 ……侮るべきではないだろう。次はもっと違う手を使ってくるはずだ。次は相手が人間ならばいいのだが――。


 この後、幸い連続で刺客が送られてくることがなかった。あの女中ゴーレムはそれなりにレアなものだったのだろう。さらに相手はこちらが淫魔だと判断しているようで、かなり慎重になっているらしい。


 そのためか、遠距離で仕留めることに重点を置き始めたのか、窓の外の視線が切れることがなくなった。――もうとっさに逃げるのは難しいか。


 そうしていくつかの夜が何事もなく過ぎて、――戻ってきたクレセントにゴーレムが襲ってきたと泣きつく。しばらく離れないでと言ったら、デレデレと了承してくれたのが助かった。長くは持たないだろうが、時間を多少でも稼げるのは好都合だ。


 ――日々が過ぎていくと、クレセントからルイス将軍という人物の処刑について語られる。


 夢から記憶を盗み見ると、本物の『アンサム』が戻ってくるということ知れた。


 そこはどうでも良いが、クレセントはその処刑には絶対に赴くとのこと。もし、当日にアンサムが現れたら、嘲笑ってやろうとの魂胆らしい(それ以上の理由がないようなので、余計にクズ度が高い。まあ、ルイス将軍に殺されかけてまでやったので、逆に感心はしたが)。


 ――どうやらこれは、出席しないという選択肢はないようだ。


 凱旋より離れるのは短い時間だが……他の情報――タイタンの聖人や転生者らも集められているらしい。恐らく、その時に全力で暗殺を仕掛けに来るのだろう。


 ……さて、相手はどんなのか。リディアを相手取ることを目的とした聖人だったら不味いが――。


 逃走するにしても、情報収集をするにしても、その日が最後のチャンスだろう。

 








 

 運命の日がやってきた。時刻は正午を回ろうかというくらいだろうか。


 ――今度の刺客は人間だ。多数の男達の香りがするが――部屋に入ってくるのは、進み出てきた二人だけだろう。たぶん、残りの兵は部屋から外に出させないようにするための牽制か。無論、窓の外にはいつもの倍以上の『視線』があり、狙撃手が配備されているのが分かる。


 ガチャリと今度はまともにドアを開けて、入ってきてくれた。


 青年と少年の二人だ。


 磨き上げられた鎧を着た青年――カスレフは、すでに剣を抜いていた。とんがり帽子とローブを着た少年、ルズウェルは小枝程度の杖を片手に握り臨戦態勢を整えている。


 そんな彼らをフーフシャーは優雅にベッドに座り、足を組んで待ち受けていた。もちろん、下着姿である。


 「良かった、今度はちゃんと普通に入って来てくれた」


 「……問うけど、君は王子をたぶらかす淫魔、ということで良いかな」


 「……タマノヲは少なくとも魔物だって言ってる。それも王種」


 フーフシャーは二人を観察する。鎧を着た方が前衛で良いだろう。魔法使いっぽい少年は、後衛で間違いない。――あと、たぶん妖精憑きだ。


 淫魔、と判断して来ている以上、少なくともレジスト性能は高いのだろう。――まあ、性別があるなら負けることはないが。


 フーフシャーはゆっくりと立ち上がり、足を交差させる。片手を胸下辺りに添えて、もう一方の手を後ろに伸ばして恭しく頭を下げた。


 「ええ、仰せの通り、私は王種、特殊個体名《遍く堕落せし者『ル・ビス』》と申します。どうぞお見知りおきを」


 そう言って、笑いかけると――胸の谷間も見えて――年頃な二人はたじたじとなる。……小柄な少年の方は内側に宿る妖精に何か言われたのか、慌てて気を引き締めるが――心持ちだけでは性には抗えない。性とは全てがどうでも良くなるくらい楽しいことなのだから。


 フーフシャーはチロリと小さく舌なめずりをする。

 







 

 部屋の前にいる兵士の数は二十名ほどだ。彼らもある程度、レジスト能力が高めではあるが、防ぐことが前提ではない。


 淫魔は性を司り、性に対して圧倒的な力を発揮するが、基本的に対少数に強いとされる。それに操る力もあるとされるが、強制力は低く自身に好意を寄せて言うことを聞いてもらうと言った感じだ。


 そんな狂わせる力は強いが――その狂った者達の劣情は己に全て向かうことなるため、下手をすれば自滅しかねないのだ。


 なので淫魔の対処は、レジスト能力が高めの者を当てるか、操られる、狂わされることが前提で物量で攻めるのが定石だ。


 無論、その定石から外れる可能性もあるため、油断はしない。


 タイタンの二人が中に入って――しばらくすると戦闘するような激しい音がする。――魔法などを使ったのかドアや壁などがビリビリと震えていた。


 ――と、ある時を境に音が止まる。


 同時に兵達は瞬時に気を引き締めた。もし、中の二人が敗れたら、場合によっては自分達が矢面に立たなければならなくなる。――淫魔と戦う『期待』もあるが、同時に我を失い、後々同僚と顔を合わせるのが気まずくなるリスクも考えると欲望に走るのも中々に恐ろしい。


 そう思えるからこそ、気を保っていられるとは思うが――。


 皆が一様にそのような似たことを考えていると不意に、小さな何かが飛び出してくる。とんがり帽子目深に被り、ローブを着た……ルズウェルだ。


 彼は即座に扉を閉め、甲高い声で叫ぶ。


 「予想以上に強い! 絶対に外に出させないようにしてて! 軽い結界も敷いたから、少しは持つと思う! ボクは司祭様のところに行って増援を頼んでくる!」


 「な、ならば私達の誰かが伝令を送ります! 貴方はここに残り続けた方が――」


 「事は一刻も争うんだ! ボクの方が速いし、誰が必要かはすぐに説明出来る!」


 そう言って、ルズウェルが走り出し、兵士達は慌てて道を開ける――。


 《そいつがっ――淫魔だぁっ!》


 ――ルズウェルだと思われたモノが兵士達の間を抜けきったところで、部屋の中から少女の荒い息と艶が混じった叫びが聞こえてきた。


 次いですぐさま、ルズウェルのようなものが叫ぶ。


 「騙されちゃ駄目だ! 扉を開けたら結界の効果が切れちゃう!」


 「――っ!」


 兵をまとめる隊長は二つの言葉に惑う。――考える。事前の作戦では、タイタンの二人が戦闘し、仮に負けたら、窓の外、部屋の外で物量で押すと。一番不味いのは包囲を抜けられること。仮にここで扉を開けたら――戦闘すべき対象がこちらに移るだけ。


 待つ、のは悪手なのだ。


 隊長は躊躇わず、扉を開ける。


 「――うっ」


 思わず鼻を覆ってしまうほど、部屋には濃く甘い匂いと若干ながらすえた臭いが漂っていた。そして鎧を着た青年が力を失ったかのように俯せに倒れ、ふるふると震えている。そしてもう一人、裸の少年が仰向けになって白濁色の液体に塗れて気絶していた。


 その少年のお腹の上に妖精がいて、なんとか意識を保ちつつ、隊長を見上げる。


 《お願い、あいつを追いかけてぇ――》


 妖精の艶っぽい声色に思わずドキリとして、――その小さな身体に悪戯をしたい思いに駆られる。だがすぐにそんな邪な感情を振り払い、手で鼻を覆って後退った。


 今の欲情は、たぶんこの甘い匂いが原因だ。欲情させるためのフェロモンの可能性がある。レジスト能力に関係ないところを見るに、自前の『毒』なのだろう。


 隊長は振り返り、兵達に――まだ見える淫魔の背を指す。


 「全員、今逃げた淫魔を追いかけるぞ! 奴は変化する力がある! 感知を最大にして油断はするな!」


 そう言って、一斉に兵士達はフーフシャーを追いかける。

 

 








 兵士が意外に優秀で困った。


 まさか秒で判断して、すぐに追ってくるとは。せめてあと十秒くらい猶予があれば、逃げる最中に色々と成り代わりなどの仕込みが出来たのだが。


 そんなことを思いつつ、フーフシャーは小柄な少年の姿を『やめて』、次は細身の男性に変わる。――やや服の丈が短いが、そこは気にしないようにしよう。子供の姿で逃げる寄りかは歩幅的な意味でマシだから、今は見た目よりも実利を求めるべきだ。


 正直言うと服なんて今すぐ脱ぎ捨てたいが、我慢する。


 ――背後からはそれなりに距離はあるが視界を切れなかった兵士達が押し寄せてくる。


 前方に角がある。そこで視界を切って近くにちょうど良い部屋があれば――。


 そう思いながら曲がると、目の前にメイド服を着た少女とばったり出くわしてしまった。――フーフシャーはついとっさにメイドの少女の背に手を回し、顔を近づけてしまう。


 「おっと、すまない」


 「あ、いえ――」


 メイドの少女の顔がボッと赤くなる。……『香り』を強めて、うっかり催淫してしまった。申し訳ないが利用しよう。


 「どこか大きめの部屋はあるかな?」


 「え、あ――そこに倉庫が――」


 「ありがとう」


 キザすぎるかな、と思いつつも額にキスをするとメイドの少女が「あぁ!」と感極まったように喘ぎ、へたり込んでしまう。


 そしてフーフシャーはメイドの少女に指し示された部屋へと飛び込むのであった。


 その部屋は中々に大きく、棚などが置いてあるため死角も多い最適な立地だった。

 






 

 隊長が角を曲がると、やや遠くで扉が閉まるのが見えた。


 この通路はそれなりに長く続いているが、誰も走ってはいない。


 そして目の前には通路でへたり込む少女が目に入る。


 ――隊長は考える。この辺の通路にある部屋はほとんどが窓の少ない密閉された部屋だったはず。少なくとも先ほど誰かが入っていった部屋は倉庫で、袋小路のはずだ。


 隊長は片手を挙げて、兵を止めると慎重にメイドの少女に近づいて行く。


 「君、大丈夫か?」


 「――え? あっ、あ、あの――はい……!」


 ぽーっとしていたメイドの少女は隊長に声をかけられて、ハッと我に返る。――と、言っても夢心地と言った様子は変わらず続いているが。……たぶん催淫されてしまったのだろう。かなり短い期間のはずなのに、ずいぶんと深くかけられたものだ。


 「ここを誰か通らなかったか?」


 「え、えっと……す、素敵な方がそこの倉庫に入っていきました……」


 もじもじとしながらそう答えてくれる。……けど何故か少しイラッとしてしまった。


 隊長は今し方閉められた扉を見つめ、頷く。


 「助かる。五名ほどこの子のところに残れ、他は私に続け」


 ないとは思うが、この少女が淫魔の成り代わりの可能性がある。五名では対処は難しいとは思うが、何かあった時、最低限の対応は出来るだろう。


 隊長は他の残りの兵を引き連れて、倉庫へと入っていく。


 ――入った瞬間、濃い甘い匂いが漂ってくる。思考が鈍化しそうになるが、必死に気力を保つ。……応援を待つ、そんなことを考えたが、自身に命令を出した将軍は早期の解決を望んでいた。少なくともルイス将軍の処刑が終わる前になんとかしろとのことだ。


 ――アンサム王子をたぶらかす淫魔の討伐のためであろう。……しかしここまで相手が手強いと命令は守れないかもしれない。場合によっては増援を呼ぶことを考えなければ。


 「――皆、気を強く持て……!」


 「ええ――」


 「大丈夫、です……」


 片手で鼻を覆いつつ、注意深く辺りを見回す。それなりに背の高い棚が立ち並び、死角が多い。下手をすれば上からも奇襲される可能性があるため、注意を怠ることが出来ない。


 ふと――何気なく覗いた棚と棚との間に設けられた大きめの通路の先に、人がへたり込んでいた。


 女性だ。棚に寄りかかり、服を脱がされていて全裸だ。ただ、身体の上には情けだろうか、ルズウェルのローブがかけられている。淫魔に『何か』をされたのか、遠目から見ても汗ばんでいるのが分かるし、床が液体に塗れていた。


 だが、不用意には近づかない。淫魔が変身出来るのはすでに学んだことだ。


 「誰かいた。淫魔の可能性がある。全員注意しろ」


 「――っ。了解……です……」


 ふーふー、と背後の兵達の息が荒い。早々に解決しないと色々と不味いことになりそうだ。少なくとも、あの女性が敵ではないなら、最悪後ろの部下達からその身を守らなければならないだろう。


 「……襲いかかるなよ」


 「だ、大丈夫です……むしろ……いえ」


 「――?」


 何か分からないが、確かめている暇はない。


 隊長は剣を構えつつ、女性に近づく。


 女性は気を失ってはいなかった。意識が朦朧としているようで、視線を中空に彷徨わせていた。――劣情に駆られることはない。


 むしろ興奮の度合いが明らかに上がっているであろう、後ろの兵達の方を心配した方がいいかもしれない。


 「君、大丈夫か? 誰にやられた?」


 剣を構えつつ、女性に声をかける。


 ――と、女性がぴくんと身を震わせて、焦点が合ってない目を頑張って向けてくる。


 「あ……え……う――」


 女性がふるふると震えながら、ゆっくりと腕を上げ、隊長の後ろを指指す。意識を女性に向けつつも、振り返ると――思わず後退りしてしまった。


 思っていたより兵達の距離が近かったのだ。それに向けられる視線が、女性ではなく、何故か自身であったことも『恐怖』した原因だろう。


 「『性愛反転(インヴァージョン)』&『擬態芳香(ミミックリィ・パフューム)』よ。貴方の魅力的な香りに皆がぞっこん。どうぞお楽しみに」


 「なっ――」


 後ろの気配が動いたのを感じて、とっさに振り返ろうとするが、その前に兵達に押し倒される。


 「うおぉっ!? お、お前達、何をするんだ! やめろっ、正気に戻れ――!」


 「た、隊長――だ、駄目です……」


 「隊長のうなじがすごく――素敵で……」


 「そんなとことか筋肉とか……見せびらかして……、そんな誘って、頭大丈夫ですか?」


 「誘ってなんかあるか! やめろ、脱がすな、やめろ、やめろおおおおおおおお!」


 隊長が正気を失った兵隊に群がられる。彼の人生、過去最高とも言える恐怖の叫び声が、倉庫の中に響き渡るのであった。

 










 

 フーフシャーは倉庫を出て、残っていた兵とついでに少女も無力化すると兵の隊服を奪い取って纏う。


 なんとか上手く行ったが――さてどうしよう。倉庫が騒がしいことになっているので、気付かれるのは時間の問題だろう。それに『芳香』も常に放出し続けなければ、十分も満たない間に他の香りに塗り潰されて効力が薄くなってしまう。


 この間にどこか安全な場所を探さなければ。ウェイトの場所が良いが、どこか分からない。でも、そもそもあれはこんな状況下で匿ってはくれるだろうか。さすがに保身のためにこちらの身を差し出しはしないだろうが。


 ――自身が匿うよりかは、誰かしら協力者の元に預ける可能性があるかもしれない。


 そんなことを考えていると、ふと、フーフシャーの鼻腔をとある香りがくすぐる。


 何やらタンパク質を熱したような香りと、沸騰させた牛乳の香りがセットで漂ってきたのだ。


 「タンパク質臭は……まあ、『あれ』っぽいけど……牛乳は……」


 確か人間界の伝承に牛乳が入ったコップを枕元に置いておけば、淫魔に襲われないとかあったような……。無意味な民間伝承であるが、本気で効果があると信じられて伝わっているのだ。


 調査のため人間に混じって暮らしていた頃に、本当にやっている者がいた。


 「……まさか、偶然、その二つを煮るなんてないだろうし……」


 誘っているのは確かだろう。これは同志か敵か……。チェスターはクレセントと一緒に処刑場にいるはずだから、本人が出張ることはないだろう。


 ――もし相手が敵で、……出向いた先にこの国の将軍が何人かいたら、困る。多数の時に効果がある『擬態芳香』は対象となる相手の臭いを一度でも近づいて嗅がないといけないのだ。手練れなら、不用意に近づいたら、簡単に殺されてしまうかもしれない。


 仮に自分を使って相手にするにしても、敵意を向けられたまま催淫すると、暴力的な行為になってしまう恐れがある。最悪そのまま殺されてしまうこともあり得るのだ。


 「……でも、行ってみるべきかな」


 フーフシャーはそう判断して、とりあえず男の兵士の姿のまま、臭いがする方へと向かって行った。


 ――目的の部屋まで近づくと段々と臭いが濃くなってくる。部屋の前まで来ると、異臭と言えるレベルの臭いだ。


 少なくとも、これはまともな人間のすることじゃない。


 これが『敵』なら、おびき寄せるにしても、もっとスマートな方法があるはずだ。


 フーフシャーはこのイカレ具合に逆に安心して、けれど多少用心して静かに扉を開けて中を盗み見る。


 部屋の中には二人の男が対面に座って、それぞれ牛乳とそれとは違う白濁色の液体を鍋で煮ていた。


 ……大柄な男と年頃の少年、そのどちらもが死んだような目になって鍋を煮ている。


 「……えっと……」


 それなりに手練れであったろうに、心がかなり乱れていたようでフーフシャーに気付いた様子はなかった。誰が指示したか分からないが、中々に酷いことを仲間にさせるものだ。……まあ、この子らが自らやった可能性もあるが。


 フーフシャーはとりあえず、するりと部屋に入って扉を閉めたところで、ようやく二人が気付く。


 「だ、誰だ――!」


 「お前は……どの所属の兵士だ……? 入るならノックをするべきだろう――!」


 疑いというより慌てているのが強い。……誰でも、こんな異常な場面、見られるのは嫌だろう。

 フーフシャーはさすがに苦笑して、正直に言う。


 「『俺』は最近、アンサム王子――クレセントと言った方が良いかな? その相手をしていた淫魔だよ」


 「お前が例の淫魔……? ……いや、待て。何を言っているんだ。お前は男だろう」


 大柄な男――バーニアスが訝しげに首を傾げる。傍らにある槍を握っており、すでに臨戦態勢だ。……すぐに攻撃に移行しないのを見るに、やはり敵ではないようだ。


 「両性具有――というよりどちらの性にも変化できるんだ。――こんな風にね」


 そう言ってフーフシャーは女性へと変身する。髪も一瞬にして長くなって見せて胸の膨らみも見せるために前屈みになると、少年――カマルが慌てて顔を逸らしてしまった。


 初心な反応でもっと楽しめそうだったが――すぐに男へと戻る。


 「悪いけど男のままで勘弁してもらえるかな。反対の性別になると香りで問答無用に魅了しちゃうからさ」


 「……そういうことなら分かった。……それと敵意がないのが分かって安心した」


 バーニアスはそう言いつつも槍を手放さないのが、用心深くさすが武人と言ったところか。


 フーフシャーは特に気にせず、肩を竦める。


 「それで君達はウェイトと繋がってると思っていいのかな?」


 「そう思ってくれて構わない。まあ、お前を手助けするかどうかを決めたのは、姫様の方だがな」


 「姫様?」


 フーフシャーが首を傾げると、カマルが頷く。


 「僕の双子の妹、セレーネだ。――恐らくそろそろ戻ってくるだろう。その時、話をすればいい。それまで君を匿おう」


 「それは助かる」


 そうしてフーフシャーは一時的にとはいえ身を隠せる場所を手に入れたのだった。








 

 

 フーフシャーはのんびりとカマルの部屋で過ごしていた。一度、城の中を駆け回っていた兵士達がやってきたが、カマルがしっかりと追い払ってくれたのだ。それを見て、彼らは信頼していいと思えた。


 そんな彼らにとりあえず大まかに自分の目的を説明し――何か知っているか尋ねたが生憎と有益な情報は得られなかった。後に来るというセレーネにも尋ねるが期待は出来ない。まあ、そこはチェスターなどの『敵』に直接聞かないとどうにもならないことであろう。


 ――少し気が緩んだこともあり、パンツ以外脱ぎ捨ててしまった。バーニアスやカマルには嫌な顔をされたがどうしようもない。淫魔になってからというもの、衣類の着用はとにかく苦痛になってしまったのだ。


 唯一つけていられるのは下着だけだ。


 パンツ一丁でくつろいでいると、ノックされる。とっさに隠れようとしたが、どうやら、お目当てのセレーネ姫らしい。


 扉を開けて入ってくる。少女と女性の二人だけだったが――、


 「うっ――」


 少女――セレーネが呻いて鼻を押さえてしまった。何やら扉の前で立ち止まってしまう。


 「にゃんでふか、このにひょい……」


 「いや、牛乳も『あれ』もお前がやれと――」


 「いえ、ほうではなく……」


 呆れたように返すカマルに、セレーネが遮るように頭を振って言う。


 ついでにキョロキョロと見回し、フーフシャーを見つける。


 「こにょドロドロと性欲に満ちた感情がふるにほいは貴方でふか……?」


 どうやら臭いで感情が見えてしまう体質――もしくはスキルを持っているらしい。そうならば、自分とかなり相性が悪いだろう。こちらも性別があるのに惑わしにくい相手はちょっと苦手だ。


 フーフシャーは苦笑してしまう。


 「まあ、四六時中発情してるようなものだしね、淫魔なんて」


 「……え? 貴方が? でほ男性……。ついにあほ豚、アンサムおひいはまのからはで男にはで――?」


 「あ、いや、違うわよ」


 何か変な勘違いをして、憎悪に近い感情まで生まれそうになっていたので、フーフシャーは慌てて性別を変える。


 ちなみにパンツだけだったので胸が丸見えになってしまった。フーフシャーは特に気にしなかったが、男性陣がとっさに顔を背ける。――が、ほんの少し視線を向けようとしているのを感知。とって食いはしないから、見ても大丈夫なのだが。


 「性別を変えられるの。こっちの性別で相手をしたわ。――ちなみに本当の性別はこっちね。まあ、本当の種族は違うけど。……さすがに肌の色が青色だと嫌でしょう?」


 「わたひは特にもんだひないでふよ」


 男性時のフェロモンがまだ漂っているため、セレーネは鼻を摘まんだままだが、危ない気配はなりを潜める。


 ――と、フーフシャーはセレーネの顔を改めて見返してルナの夢の中のことを思い出す。ルナの事情を知っているだけに、取り計りたい気持ちに駆られるが――言葉が思いつかない。


 たぶん、セレーネは本気でルナのことを『悪女』と認識している。そのため、ただ口で言っても認識を変えるのは不可能だ。


 ……何か、きっかけがあればいいのだが……。


 ジッと見つめていると、セレーネが首を傾げる。


 「……? 何か?」


 ようやく鼻が慣れてきたのか、セレーネは鼻を摘まむのをやめて中に入ってきた。続いて真面目そうな女性が続いてくる。……どことなく具合が悪そうだ。


 フーフシャーは手を振る。


 「何でもないわ。ところで後ろの彼女大丈夫? 具合悪そうだけど」


 「あっ、そうです! カマル兄様、大っきな桶か、鍋を――そっちの牛乳が入っている方が良いですね、ちょっと中身を捨てて床に置いて下さい!」


 「捨てるのは勿体ないだろう。コップに移すから待っててくれ。――その間、お前は服を着るか男になってくれ」


 カマルはセレーネとフーフシャーにそう言いながら、鍋を持ち上げ空いているコップに未だ暖かな牛乳を移す。その間にフーフシャーは先ほど脱ぎ捨てた上着を着る。まあ、女のままでも大丈夫だろう。男二人が欲情してしまったときはその時だ。


 セレーネは待ちきれない様子で、牛乳が移されると即座に女性――イユーを連れて鍋の前までやってくる。そしてカマルに鍋を置いて貰うと、そこにイユーを蹲らせる。


 「はい、イユー、ひと思いにやりなさい。――あっ、皆さん離れましょう! 飛び散ると危ないと思うので!」


 「――?」


 皆首を傾げるが、言うことに従って後ろに下がる。


 するとイユーが嘔吐き、鍋を掴んで大きく口を膨らませると――どうやったのか人間の頭がゴロンと出てきたのだ。もはや口からではなく、顔面から出てきたと言って良い。


 これにはさすがのフーフシャーも二人の男達も困惑してしまう。


 しかもその頭部は生きているのか、キョロキョロと目を動かしている。


 「ついでに寄生虫も出した方がいいわね。――このまま良いですよね、アハリートさん?」


 セレーネがその頭部――アハリートに問いかけると、パチンとウィンクする。


 ――その後はグロい光景が続いた。イユーがまた嘔吐くと、今度は口からボタボタと白い虫が大量に出てきたのだ。中々に太めな糸虫が粘液を引いて出てくるのは気分が悪くなってくる。


 イユーは思う存分吐き出したのか、何度か咳き込み、口元を拭う。


 「……お見苦しいものをお目にかけました」


 「もう大丈夫? 無理しては駄目よ?」


 セレーネが心配そうにイユーの背中を擦っている。フーフシャーはその姿を見て、なんとも言えない感情が沸き起こる。――やはりどうにかして、ルナのことを知ってもらいたいが……やはり言うべきことが思いつかない。


 フーフシャーは小さくため息をついて、視線を下げると鍋の中にある頭部と目が合う。寄生虫塗れでさらに目も当てられないほどグロテスクになっている。だが、頭部にウィンクをされたので視線を逸らすわけにもいかなかった。


 目を向けながら、セレーネに問いかけてみる。


 「で、この子何? どういう経緯でその人の身体の中に入っていたの?」


 「僕も気になるな。アンサム兄様関連か?」


 「魔物、なのでしょうな」


 バーニアスはそう言うが、少なくとも魔王側の味方ではない。こんな頭だけになっても生きられる奴なんて知らない。


 ――というか、仄かに漂ってくるこの香りは死臭だろうか? まさかアンデッドだろうか。でもこれほどフレンドリーなアンデッドは見たことがない。アンデッドは普通、相手が魔物だろうと生者なら敵意を剥き出しにしてくるはずだが。


 セレーネは困ったような笑みを浮かべる。


 「まあ、色々あったんですよね。彼のおかげでルイス将軍も助かって――あっ、ルイス将軍は今、副隊長さんが一緒にいるので問題ないかと。――それでこの彼――アハリートさんが接触してきてくれたのですが――私、ちょっと『敵』に睨まれることをしたので、大っぴらに彼を連れてくることが出来なくて……。それでイユーの身体に潜んでもらっていたんです。……彼がいればアンサムお兄様を確実にお助けすることが出来ます」


 「……まあ、色々あったのね。ところでこの子、頭だけだけど大丈夫?」

 

 「身体はお肉とかあれば回復するようですよ?」


 そこら辺はセレーネもちょっと半信半疑らしい。まあ、この本人から聞いたようだし、事実なのだろう。


 ――実際、食料を与えていくと取り込んで身体や触手が生えてくるのは見ていて楽しかった。けれど身体が生えても喋れなかったのだが。色々と不便な身体らしい。


 そして自分が喋る代わりに『妖精』が出てきた時は驚いた。かなり警戒したが、どうやら偶然捕らえてしまったようだ。完全に支配しているようで、他の妖精とも繋がってはいないとのこと。


 さすがにすぐに信じられなかった。だが、もし、そうであるならばかなり強い支配能力を持っていることになる。


 もしそうなら、『チェスター』がアンサムにかけた呪いをも打ち破れるだろう。支配出来るなら、あわよくばそのままこちらの目的を達成出来るかもしれない。――ならばこのまま彼ら……特にアハリートとは協力するのが吉だろう。


 変形したり妖精と戯れたりする特異なアンデッドを見つめながら、フーフシャーはそう思うのだった。

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