第三十章 騎士に憧れた少女が至る未来①
これは、とある少女の物語。
少女の名はルナ。伯爵令嬢であったものの、お転婆でお茶よりも剣術を嗜み、変わり者として知られていた。
普通の少女は王子様と結ばれることを夢見るものだ。だが彼女は騎士になることを夢見ていた。英雄譚が何よりも好きで、魔王を打ち倒す勇者には憧れていたものだ。
礼儀作法などはほどほどに、剣術に力を入れ込み――十六歳にて親の反対を押し切り、軍に入隊することになった。
初めは周りに嫌がられたものだ。力を持った女性が軍に入隊するのは珍しいことではなかったが、武家ではない貴族が――それも令嬢が入ってきたのだ、誰だって面倒に思うだろう。
――けれど、彼女の力は本物だった。
戦闘能力だけではなく、根性も本物で、厳しい訓練にも遅れを取ることなくついていった。
そうしたことで徐々に軍内部での彼女の評価は上がっていく。力もあり、それなりに権力もあるため、将軍の地位を得るのも時間の問題と思われていた。
軍内部ではほぼ全ての男はルナに勝てなかったが――彼女が勝てなかった男が(バーニアス将軍を除いて)一人いた。
それはルイスという男だ。身だしなみも整っておらず、剣術も我流で、適当。剣よりも棍棒を使った方が強いときている。そんな騎士に似合わない男に、ルナは一度も勝てていなかった。
ルイスがルナとの模擬戦を終えて、地に手をつく彼女を見下ろしながら、疲れたように一言。
「もう終わりでいいだろ。これで模擬戦何回目だよ。二、三度やって全然駄目なら無理なんだよ、明日頑張れ、そうしろ」
「うるさいうるさい! もう一回……もう一回、勝負をしなさい!」
ルナが目に涙を浮かべつつ、立ち上がり、剣を突き付ける。
「……何回目の『もう一回』だっつーの。はぁ、めんどくせ。俺帰るわ、腹減った」
「っ! 逃げるというの!? この卑怯者!」
「そうでーす。尻尾巻いて逃げ帰りまーす。だって僕ちゃんお腹ぺこりんこー」
そうおどけて言ったルイスは背を向け、手をふりふりしてながら歩き出してしまう。
これにはルナは顔を真っ赤にして、叫ぶ。
「こっ、の――ばかぁ!」
さすがに背後から殴りかかりはしなかったものの、籠手を外して投げ付けてしまった。ルイスの頭にコツンとぶつかり「いてっ」というものの、彼は振り返りもしなかった。後頭部をさすりながら、スタスタと去って行く。
いつもこうだ。飄々として、煙に巻いてくる。いつだって真面目に相手をしてくれない。
「あああぁああああ! この馬鹿ルイスぅうううう!」
ルナは思い通りにならなくて、癇癪を起こしたように髪をかきむしっていた。
それは最近の軍内部ではいつものことだった。だから周りの仲間達は、微笑ましげにそれを見守っていた。
――ルイスが強いのは当たり前のことなのだそうだ。
彼は、軍に入るその時にはすでに様々なスキルを入手しており、レベルも100超えて、王種へと至っていた。
初めてその話を聞いた時、あり得ないと思った。だって、どんなに頑張ったって、強い魔物を倒してきたって、十代なら年齢の二倍をいけば良い方だ。異界から現れる転生者だって、レベルの上昇が早いと言っても、さらに数倍が限度だ。
でもあり得た。彼は規格外の化け物なのだ。
だから彼と望んで戦おうとする者は軍内部ではルナを除いては誰もいなかった。
それに見た目こそ不真面目であるが、彼は一応はそれなりに軍規則は守っている。上官であるバーニアスにも反抗せず従順だ。だから彼を目の敵にする者は特にいない。
対抗するのはルナだけだ。
ルイスは強かった。ほとんど手も足もでなかったと言って良い。
でも、ルナはいつだってどんなときだって諦めなかった。騎士とはそういうものだと思ったし、勇者とはそういうものだと信じていたから。
理想を無意味に信じられるほど、純粋ではなかった。けれど、諦めずに邁進することが彼女には出来た。
――まあ、結局、彼女はついぞルイスに勝つことは出来なかったのだけれど。
でも少なくとも、追いつこうとがむしゃらに突っ走った彼女は誰よりも強くなることが出来たのは確かだった。
ルナはルイスのことがとことん気に入らなかったが、致命的なほど仲は悪くなかった。ルナは向上意識が高く、下手なプライドも持っていない。そのため、スラム出のルイスに『尋ねる』ことを恥とは思っていなかったのだ。
一般兵用の食堂にて、ルナはルイスの対面へと座る。彼はちらりとルナを見やるが、特に反応せず、食事に戻る。彼の前にはたくさんの食料が山積みになってあるが、一切ペースを落とさずに貪っていた。
強さ、という一点において他の追随を許さないルイスは、それなりに発言権がある。だが彼は特に何かを要求することはない。けれど、そんな彼が唯一、通したワガママは食糧配給を増やすことだそうだ。
質は求めていないらしく、数さえあれば腐りかけでも良いという。
ルナはその乱雑に調理された山盛りの料理を見て、それだけでお腹がいっぱいになりそうだった。
「相変わらず良く食べるのですね」
「昔から燃費が悪くてな。こればっかりはどうしようもねえ」
口に詰めこんで、しっかり咀嚼するとミルクで流し込む。酒は禁止されていないが、『詰めこむための食事』では飲まないらしい。以前、聴いた話では、途中で酔っ払った後うっかり吐いてそのまま眠ってしまい、そのせいで餓死しかけたとか言っていた(本人いわく冗談ではないらしい)。
「それはいいとして今日、訊きたいのは最上位スキルの取得方法についてです」
「あー? 毎度好きだな、お前も。……別にややこしいことも難しいこともねえよ。統合出来る属性とスキルがあれば、勝手になる。通常スキル複数+属性スキルか統合スキル+属性スキル、どっちでもいいはずだ。……いや、揃っててもならなかったか? 条件……王種になるか……一定以上の内在魔力がねえと変化しねえかもな。仮に手に入れたところで本来の力が発揮出来ねえ可能性も……噂に聞いた王妃さんの力も最上位スキルにしては『弱い』気がするしな」
ルイスは、そう言ってから骨付き肉を軟骨ごと引き千切り、食う。食い方は雑だが、口に物を入れたまま喋らない点はやや高評価だった。
ルナもパンを一口大に千切りながら、丁寧に食べる。
「いえ、そうではなく、まあ、それも知りたかったのですが……その統合するためのスキルをどうやって得たのですか」
「レベル、頑張ってあげた。進化した」
「…………」
思わずルイスを睨んでしまう。ルイスはおどけたように両手の平を向けて肩をすくめる。
「そんな目で見ないでもらえますかね、お嬢さん?」
「うるさい。そもそも本来、それが出来ないから聞いているの」
「聞いたところで実行出来やしねえよ。まず『魂喰らい』ってスキルを手に入れなきゃいけねえしな」
ルナは首を傾げる。
「『魂喰らい』?」
「生きている奴を食して殺しまくることで得られるスキルだ。いや、単体での取得は無理か? 統合スキルじゃねえが、他にも『咬砕』、『悪食』やら『暴食』やらの食系のスキル取得がねえといけねえかもな。というかじゃねえと、生きてる奴なんか食い殺せねえしな。それに口に収まる小さい弱い奴食っても得られねえんじゃねえかな。俺食ってたの最低限、中型の魔物だしよ」
「……何をどうやったら生きている相手を食うことになるのですか」
「腹ぁ減ってると、相手が人間じゃなきゃかぶりつくクセがあるもんでね。――そこはどうでもいいとして、『魂喰らい』だが、これは殺した相手の純度の高い魂を喰って、経験値に出来る」
「え? ――ちょっと待って、そんなことしたら……」
「狂うだろうな。実際狂いかけたことが何度もあるぜ」
ルイスは愉快げに笑う。
「俺のレベリングは邪道だ。真似なんかするもんじゃねえのさ。……多少期待してただろうが、悪いな、生憎と裏技なんてねえ。少なくとも俺みたいな『凡人』が力を得るにはそれ相応のリスクがあるもんだ」
ルナは絶句してしまった。楽観視していたわけではないが、レベルを上げるため、スキルを得るための何かしらの『抜け道』があるものだと思っていたのだ。
ルイスは冗談も嘘も言っている様子はない。恐らく狂いかけながらも、レベルを上げてスキルを取得したのだろう。
……確かに同じことは出来ない。魂を喰らうこともそうだが、その前にそのスキルを手に入れるために生きている相手に喰らいつくなんて真似、まず出来るわけがない。それにスキルを得るなら、一度や二度ではないのだ。恐ろしい数を数年――下手をすれば十数年もの時間をかけて食っていかなければならない。そして、最低限の才能すらないなら、苦労しても何も取得出来ないかもしれないのだ。
ルナは思わず吐息をついてしまう。
「……貴方の真似なんて出来るわけありませんね」
「だろうよ」
ルイスも少し疲れたように吐息をつく。同じようなことを聞かれて同じようなことを言って、同じような反応を何度もされたのだろう。
――だが、
「でも、貴方に勝つことを諦めるつもりはありません」
そう言って、ルナはルイスを真っ直ぐと見据える。
「貴方が力を手に入れた理由がそれならば、私は私のやり方で進むだけです。むしろ、馬鹿げていても愚直でがむしゃらであっても、可能性があることを知れましたので」
やることは変わらないのだ。けれど話を聞いたおかげで、より明確な意志を持つに至れた。やり方は変わらなくても、道しるべが少しでもあれば、人は先へ進むことが出来る。
「そうかい」
ルイスが呆れたように鼻を鳴らすが、どことなく楽しそうな笑みを浮かべる。
「精々頑張れや」
「言われずとも」
――ルナは、そう決意を新たにするが、事は彼女の思わぬ方へと進むことになる。
『その話』が来たのは何の変哲もないいつもの日常だった。いつも通りの訓練をしていると、バーニアス将軍に呼び出された。城にある軍議部屋に行くと、神妙――というより困ったような申し訳ないような顔をしたバーニアスがいたのだ。
「来たか、ルナ」
「はっ、何でありましょうか!」
「……単刀直入に言う。君に新たな任務が降された。本日よりソレーユ王妃直属の護衛に任命された」
それには思わずルナは首を傾げてしまう。
「……? 護衛? 王妃様が外出か何かされるのでしょうか? それとも親衛隊、ということでしょうか?」
本来なら、ルナの答えはイエス以外は許されていないが、バーニアスは叱りつけることなく、深く息を吐く。
「違う。文字通り四六時中張り付く完全なる護衛だ」
「――は?」
それはつまり、『女中』をやれと言っているのか。よりにもよって、王妃の世話をわざわざ焼けと。
それにはさすがのルナも頭に血が上ってくる。いくら王族の依頼だったとしても、そんな侮辱受け入れられるわけがなかった。
「何を――! 一体誰が――王妃様のお戯れなら私は――」
「これは複雑な事情が絡んでいるんだ」
バーニアスが静かにそう告げた。低い声色だが、妙に重く響く故にルナは口を閉ざしてしまう。それに彼自身もこの事柄は受け入れられない、そんな気持ちが読み取れたのだ。
「まず君に護衛を頼んだのは、ソレーユ王妃自身だ。――今の王と王妃の『問題』は知っているか?」
「ゴシップを抜きにすれば、跡継ぎ問題でしょう。王妃様は身体が弱く、子を為すことが難しいと。王を含め、それなりの年齢になっても跡継ぎが一人もいないのは、問題でしかない」
――バーニアスがこの話題を出してきたということは、つまり、それは己にその『役割』が回ってきたということ。しかし、この国は側室の制度はない。跡取り問題での複雑な争いをなくすためとも言われており、少なくともここ数世代は例外はなかったはず。
「仮にそうだったとして何故、王妃様は私を? 他にも候補はいるでしょう。『まとも』な令嬢なら他にもたくさん」
ルナのその言葉に、バーニアスは思わず苦笑してしまう。けれど彼はすぐに笑みを引っ込めると首を横に振る。
「ここが複雑な事情なんだ。今言ったように跡継ぎ問題によって城内では、王に対して『例外』を受け入れるようにと話が以前から出ていた。だが、何分お二人は仲がよろしくてな。それを突っぱねていたが……やはり周りの焦りを躱しきれなくなったようなんだ」
王と王妃は側室を望んではいなかったが、周りが子供を作るように急かしていたと。そして周りの我慢が限界に近づいてきて『危険』なため、渋々『例外』を受け入れるようになったようだ。
「……何故、そこで私が?」
「君が言ったように例外はもちろんいた。側室とは言え、王の子を産めるのであれば、誰であっても娘を差し出そうとするだろう。それこそ君が言ったように振る舞い的にも爵位的にも『ふさわしい』娘達がな。だが、王妃はそれを拒んで王の側室は自分が決めると言い出した」
「それが私だと? ……それこそ何故」
「そこまでは詳しくは知らん。だが、その進言を受けて君の家は真っ先に飛びつき、了承を出した。……これはもう断れることではないんだ」
「――っ!」
衝撃だった。まさか、自分の家が自分にまったく相談もなくそのようなことを決めるとは。確かにまともに育ったつもりはないが、まったく何も言わずに決められるとは思わなかった。仮にも『栄転』だろうに。
無論、そんなことを言われたら真っ先に突っぱねて、下手をすれば国から飛び出すことも考えただろうが。
(――あぁ、なるほどそれを分かっていたから、か)
ルナはそう思い至り、……肩から力を抜いた。今、断ったら実家の面目を潰すことになる。最悪王妃に逆らったということで、自らだけではなく一族郎党斬首される恐れもあった。
憎くはあったが、家族を見殺しにしても良いとは思えなかった。
「……分かりました。『護衛』の任、お受けしましょう。……務まるとは思えませんが」
「すまない」
バーニアスは関係ないだろうに、彼は頭を深く下げていた。
ルナはそれを見ながら、深い深いため息をついて項垂れた。
――こうしてルナの『騎士』へなる夢は狂い始めていく。
バーニアスとの会話の後、ルナはすぐに王妃、ソレーユの寝室に直接向かうことになった。普通、こういう任命された場合は玉座の間やそれらしい部屋で任命式が行われるはずだ。――と、思ったがこれは『例外』だったことを思い出す。
『護衛』という任務を帯びた側室なのだ。
……暗澹たる気持ちだった。ルナはまさか自分が王のために子を産むことになるとは思わなかった。『例外』ではあるけれど、子を産んだ後はどうなるのだろう。解放されるのか。それとも最悪『いなかったこと』にされるか。
まあ、さすがに後者はないとは思う。でなければ、自分の家はこの条件を飲むことはないはずだ。
でも、だとすると産んだ後も何かしらの地位を与えられて拘束されるということも考えられるが。――二人の王妃なんてあり得るのだろうか? ……いや、側室、という形を頑なに取らないのに、それはないだろう。
そうこう考えているうちにソレーユの寝室前まで辿り着く。
ルナは一旦息を整えて、ノックをすると「どうぞー」とやや気の抜けるような緊張感のない声が返ってきた。
「失礼します」そう言って、扉を開けて中に入ると、中々に広い室内が飛び込んでくる。赤いカーペットでロイヤルな雰囲気をまず醸し出し、高価そうな家具が配置されていた。さらにはよく分からない小綺麗な壺などの工芸品が所々に置いてある。
極めつけが天蓋付きのとても大きなベッドだ。ふわっふわの綿やら羽毛やらが入ってそうな寝具が揃えられている。
高級すぎて逆に落ち着かなそうだな、と思えるほどのベッドに王妃が腰をかけていた。
三十代程度の女性だ。綺麗な人だった。美しいブロンド髪はよく手入れされているのか、さらりと伸びて流れるようにベッドに散っている。格式張ったドレスも着こなし、堅苦しさを感じさせない。これは柔らかい物腰の所作によるものか。
ルナに向けられた表情は微笑みで、『側室』に対する敵意はないように思われる。王妃自身が選んだとしても、『敵』には違いないはずだが、表面上は一応、敵対する気は無いようだ。
――そんなことを思っていると、ソレーユが不意に立ち上がり、パタパタと駆け寄ってくる。
目の前までやってくると――それなりに身長差があることに気付く。ルナの方が見下ろす程度には大きい――ソレーユは手を伸ばしてきて、ルナの頬をむぎゅりと挟んできた。
「やーん、若いわー。それに背も高くって、凜々しくって惚れちゃいそう! ジョンにやるのがもったいないくらいねー。ささっ、こっちへいらっしゃいルナちゃんっ」
「え、あの……」
反応や抵抗する暇も無く、ソレーユに手を引かれ、自然にベッドへと座らされてしまう。そのルナの隣にソレーユが座る。
ニコニコ顔がとても近い。
――いいのか、これ。もうちょっと儀礼的なものとか、王妃の振るまいとか色々云々あるのではないだろうか。
そんな混乱していると、ソレーユが片手で拳を握って、掲げる。
「それでは始める質問たーいむ! 王妃様が困惑するルナちゃんに直々に質問に答えちゃうぞっ! わがまえにひかえおろー、とは言いつつ遠慮無く、どーぞ」
そう言って、どうぞの仕草を向けてくる。
――どうしろと。いや、何をすればいいのかは分かるが、その通りに行動出来るほどシンプルなことでもないだろう。というか、なんなんだろうこの異様に高いテンションは。
かと言って、心の中で考え続けていても仕方がない。せっかく王妃様が直々に質問に答えてくれると言うのだ。
「……まどろっこしい読み合いは苦手なので単刀直入に聞きます」
「そうねー。その方がいいわー。うふふ、思った通りの子」
「……。今回の『護衛』は『側室』という形で受け取ってもよろしいのでしょうか?」
「あらら、想像以上にいきなり核心。……うーん、そうねえ」
単刀直入過ぎたのか、ソレーユは若干ながら困った様子だった。けれど気分を害した様子もなく、答えてくれる。
「その通りね。ジョンもそのつもりのようだし。けど、私としては『本当』は違う」
「――?」
「でも、こっちはまだ言えないわね。時期になったら伝えるわ。それまでには、きっと問題ないでしょうから」
そう言ったソレーユはどことなく申し訳なさそうな、悲しそうな表情を浮かべていた。
でも、すぐに表情を笑顔に戻す。
「それで次は?」
「え? あ、はあ、えっと……どうして私を選ばれたのですか?」
「それは簡単ね。貴方が素直で真面目だったから」
「……はい?」
「あら、冗談じゃないのよ。……だってそうでしょう? 地位だけを目当てにジョンの子なんて作って欲しくないわ。愛してくれる人ではなくても、真摯であって欲しい。そう思って貴方を選んだの」
ソレーユは真剣な表情で言った。
――確かに冗談ではなさそうだが……正直、その程度で選んで欲しくはなかった。自分には騎士になるという夢があった。着飾った綺麗なお姫様になるより、鎧を纏って剣を振う騎士の方が何百倍も良い。
さすがにそれは口には出さなかったが、ソレーユは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言ってきた。
心を見透かされたかのようなタイミングで――いや、とそこでルナは思い出す。ソレーユ王妃は心を読むスキルを取得していたはずだと。
ルナは思わず慌ててしまう。
「す、すみません、光栄なことなのにもかかわらず――」
「ああ、良いのよ、良いの。私の身勝手なのは重々承知だから。ルナちゃんは騎士になりたがっていたのよね。……実は断られると思っていたのよ。けど、この話がまさか本人じゃなくて家側にだけ伝わってて、それも本人が一切知らなかったなんて……。もうちょっと慎重にやっていれば……余裕がなくなってたのと気持ちが逸りすぎててミスを犯してしまったの……それを含めてのごめんなさい」
そう言ってソレーユが軽く頭を下げてきた。いかにルナがお転婆であろうとも、さすがに王族に頭を下げられて、思うことがないなんてない。むしろさらに慌ててしまったほどだ。
「や、やめてください! 頭を下げるなんて! そ、そんなことされても……されても、もう遅いんですよ」
思わず本音を口走ってしまった。混乱してたとはいえ、失言だったが……もういいや、という思いの方が強かったため撤回はしなかった。それにどっちにしろ相手が心を読めるというのなら、隠し事なんて意味がない。
それにもう、本当に遅いのだ。ソレーユ自身にも今回のことは撤回できない。ルナの家云々だけならともかく、彼女と王自身の問題として子を作らなければならないのだ。もし、ここで無理矢理にでもルナとの契約を破棄したら、貴族達に謀反を起こされかねない。それほどまでに跡継ぎ問題は切羽詰まっているのだ。
それを分かっているからこそ、頭を下げられても困るだけなのだ。
「ルナちゃん……」
ソレーユが悲しそうな表情を向けてくる。――だからこそ、だ。
ルナは拳をギュッと握りしめて、ソレーユに視線を合わせる。
「先に進みましょう!」
「え?」
ソレーユに首を傾げられてしまった。困惑しているようだ。――どうやら心を読めると言っても完璧ではないらしい。
「悩んでいても仕方ありません! そうなった以上、今やるべきことに全力を尽くすべきです! 後悔したって変わらないのなら、切り替えて行った方がずっと建設的ですから!」
むんっと文字通り力を込めて力説する。――少し自棄なところもあるけれど、これもまた本心だった。うじうじと悩んでいたって状況は改善しない。だったら、方向がまったく変わろうとも示された道があるなら、前へと進むだけだ。
やや脳筋的な思考だがこれでいい。――実際、ソレーユは可笑しそうに笑ってくれた。
「ふふっ、そうね……私が言うべきことじゃないけど……その通りかもね。…………やっぱり貴方を選んで良かった。――よろしく、ルナちゃん」
「はいっ、ソレーユ様。私はこれより全てにおいて貴方をお守りします!」
ソレーユに手を握られ、ルナも握り返す。
騎士にはなれなくても、騎士としての心持ちはいつだって忘れない。自分が行ってきたことは、きっと無駄にはならないはずなのだから。
早速、ルナはソレーユに手を引かれて、どこかに連れて行かれていた。一応、後ろに付き従うのものではあるが、その主に手を引かれるというのは経験も想像もしたことがなくて、対応に困ってしまう。
――なんとなく周りが豪華になってきたような気がする。どこに向かっているかは分からなかった。ソレーユは尋ねれば何でも答えてくれそうだが、やはり相手は王妃だ。おいそれと言葉を交わすものではないだろう。
とある扉に辿り着き、ソレーユはドンドンとやや雑にノックする。
「ジョーン、きーたーわーよー」
そして返事も待たずに扉を開き、中に入っていく。
そこは書斎だ。しかも豪華な。やや手狭だが、机、ソファなど仕事をするための最低限のものが中央に配置されている。部屋中央の壁際に暖炉があり、それに背を向けるような形で書類仕事を行えるようになっていた。
そのソファに座るのは、三十代半ばほどの男だ。羊皮紙がうずたかく積まれた机を前に、判子とペンを用いて格闘している。国の紋章をあしらったシャツを着て、その上に分厚そうなコートを纏っていた。公の場ではないためか、被っていたであろう王冠は机の上に置かれており、服も緩められている。
ついでにその隣には老紳士――ウェイトがにこやかな顔で佇んでいた。
ソファに座る男が「ん?」と首を傾げて、扉の方を見やる。ルナを連れてずかずかと入ってきたソレーユを見て、苦笑する。
「お前はまた……。これでも私は王なのだがな」
「ちゃんとそこは『聴いて』確かめたわ。他の人がいたらともかく、ウェイトだけなら問題ないでしょう? ああ、ウェイト、別に貴方を軽視しているわけじゃないのよ?」
「存じております、王妃様。そして遅ればせながら――ご機嫌麗しゅうございますね」
「いつでもとっても元気よ――がふぅっ!」
とか言いつつ、ソレーユが突然、血を吐いた。割と尋常じゃない量が溢れてきて、隣にいたルナは驚いてしまう。
「ソレーユ様ぁああ!?」
「おやこれは。紅茶でも用意した方が良さそうですね」
「そうだな、頼む」
何故かすごく落ち着いたウェイトが血を吐いたソレーユを通り過ぎて行ってしまう。王も――ジョン・レバールドも妻が血を吐いたのにやはり落ち着いている。
こんな状況に慣れていないルナは一人だけ慌てふためく。
「ど、どどどどど、どうしたら――」
「だ、だいひょぶ――」
ソレーユは口から血をボタボタ垂らしながらそんなことを言うが、とてもそうは見えない。けどそれを代わりに答えるように、ジョンが言う。
「問題ない。少し興奮しすぎたんだ。普段から無茶はするなと言っているんだが……。一応、そんなんだが、見た目ほど危ないわけじゃない」
「ほうほう」
「そ、そうですか……」
一応、ホッとするがソレーユから溢れ出る鮮血のコントラストが『大丈夫』と相反していて心情的にはとても落ち着かない。一応、付き人であるから、持っていた適当な布で許しを得てから口元を拭う。――何気に服には血がついていない。どうやら吐血するのには慣れているのか。嫌な慣れだ。
ルナがソレーユの口を拭っていると、ジョンが視線を向けてくる。
「ところで君は……?」
「あっ、はい。このまま名乗り上げるのをお許しください。私はルナ・ホルドリューナ・ラーブラン・オイマーハと申します。本日付でソレーユ殿下の護衛任務を賜りました」
「なるほど君が……。……すまないな」
「い、いえ……」
さすがに頭を下げられてはいないが、王に謝罪のような言葉を言われるとたじたじしてしまう。というか天上人である王と話していることが夢みたいで現実感がなかった。
なんとも気まずい雰囲気を醸し出す二人に、しっかりと血を吐き出し拭ったソレーユが、むんっと頬を膨らませる。
「もうっ、仲良くしなきゃだめよー! ジョンはこう、もうちょっと親しみやすさを出さなきゃ駄目だと思うの」
「何度も言うが、仮にも王にそれを言うか。……だが、善処しよう」
「ルナちゃんもあまり恐がらなくても良いわ。王なんて大層な肩書き持っているけれど、ジョンは普通の男よ」
「……そうは言われましても」
一応、肩書きというのはとっても大事だと思う。王が下々の者に舐められたら、最悪国が崩壊しかねないのだし。
ルナがそんなことを思っていると、ソレーユが彼女の頬をむぎゅりと挟む。
「普通の人はそうだけど、貴方は違うのよ。もしかしたら本当に違くなるかもしれないし」
「うむむむ――」
――やはり、そうは言われても……と思ってしまう。それに側室として――それも先に子供を産めば確かにそうなる可能性も否定出来ないが……『それ』を現王妃が言うのはどうなのだろう。
やはり王もそこは思うところがあるのか、ふるふると頭を横に振る。
「ソレーユ、やめてやりなさい。彼女も困っている」
「いーやーよー。ルナちゃんには、堂々としてもらいたいのー。ぶーぶー」
「君は、本当にな……」
ソレーユにブーイングされて、ジョンが困ったように笑う。けれどどことなく楽しげだ。――それを見れば、あぁ、この人達は本当に仲が良いんだな、と、そう思える。きっと本来なら、自分達で子供を作りたいんだろうことも簡単に察することができた。
ジョンが優しげな笑みをルナにも向けてくる。
「ソレーユの弁を立てる訳ではないが、君はそんなに気張らなくて良い。……それに今回は突然過ぎた。だが時間はまだある。だから期間をしっかりと定めれば、誰とも会って良いし何をしても良いしな」
「……えっと……」
王の含みのある言い方の真意を読み取れず、ルナは首を傾げてしまう。そんな彼女にソレーユは囁く。
「『今回の件』はほぼ無理矢理決まったことだから、ちょっと時間設けてあげるから好きな人と逢瀬でもどうぞーってことだと思うわよ」
「はい!?」
思わずビクッとなってしまう。ソレーユに頬を相変わらず挟まれながら、頭を振る。
「いや、いやいや、私にはそんな相手――」
ふと、一瞬、ある男――ルイスの顔が浮かんだが――振り払う。『あれ』はそんな相手ではない。……いや、でも、心残りとして未だ勝っていないことは確かにある。そういう意味では気になる相手ではあるが――。……そうだ。もしかしたら、今後、彼と本気で手合わせすることは出来なくなるかもしれない。けど『そういう相手』ではないから……。
「……いないですよ」
「なら良いけど、貴方には少し『後悔』が見えるわね。……どんな思いを抱こうと、しっかりと表現しないと相手には伝わらないわ。後悔はいつだって先に立たないものよ。それを覚えておいて。後悔はしてからじゃ遅いの」
「……分かっていますよ」
人生は予想外の連続だ。今まさにそうなのだから。誰だって、望んでいないのに、ある日突然まさか王の側室になるとは思わないだろう。
――唯一の救いは、その王と王妃がとても優しい人達であったということだろうか。
……ならば、お言葉に甘えても良いのかもしれない。
「お待たせ致しました」
そんなことを思っていると、ウェイトが紅茶を持ってきて戻ってきた。カップは四つ。きっちり自分も数に入れている。そしてちょうど一番近くにいたルナに差し出し、次にソレーユ、三番目にジョンに、最後はやっぱり自分がカップを持って飲み出した。……執事然としている姿なのに、とても違和感がある。だが、それについては王も王妃も気にしていないようだ。
「うーん、良い香り。さすがね、ウェイト」
「恐悦至極に存じます」
「ああ、まったくだ。だが、私を先にしてもらえると彼女も困らずに済んだのだと思うのだが?」
ジョンはそう言って、飲んで良いか迷っていたルナをちらりと見る。ルナは思わず愛想笑いをしてしまう。というかそれしか出来ない。
「一番、近くにいましたので」
ウェイトは、あっけらかんと言いながら紅茶を飲む。
これにはジョンは苦笑して、ルナは困惑するしかない。
――本当に何者なんだろうか、この人は。
そう思うが、少なくともこの場で尋ねる勇気はなかった。
ただ、紅茶はとっても美味しかったのは確かだった。
ジョンやソレーユが言ったように、すぐに『側室としての仕事』はなかった。けれど、仮にも王妃に近い立ち位置になるならと、ソレーユに王妃としての仕事を教え込まれることになる。
王妃の仕事だから大したことがないだろう――そんな甘い考えはすぐに打ち砕かれることになる。
どうやらソレーユはジョンと仕事を分担しているらしく、基本的に謁見などの対人を担っているらしい。――と、言ってもあくまで彼女の能力が対人に優れているからであって、場合によってはルナには他の仕事が行くかもとのこと。
対談の主な内容は貴族の領地経営について。たまに諸外国との取引やらもあるらしく、目利きも磨く必要があるとか。
「まあ、私は『真実ノ心明』があるから、相手の感情を読んで話を進めることが出来るから楽なのよねー」
「私には、難しそうです」
「分からなかったら、一旦保留にして、ジョンや城にいる他の人と話し合うと良いわ。全部一人で決める必要なんてないの。私だってそうしてるし。心が読めるからって、知識があるわけでもないしね」
自分一人で出来ることなんてたかが知れている。それも『国』という単位でなら、一人でなく多くの人間によって運営出来なければならない。仮に一人の優秀な人間に任せきりになっていたら、その人物がいなくなっただけで国が傾きかねないのだ。
けれど、逆に誰かに頼りすぎては居る意味がない。
ソレーユは、まずルナに知識を与えた。心を読めずとも、知識さえあれば、推測することが出来るようになる。推測していけば、相手の思惑に気付き、こちらに有利な手が打てるかもしれない。交渉するためには、まず知っていることが大事なのだと、ソレーユは言う。
剣を振るう戦いではなく、言葉での戦いも中々趣があることを知れたが――何分、ルナはその戦いに慣れていなかった。
知識を詰めこみ、考え過ぎて、頭の中が熱を帯びたようになってしまう。
「難しいです……」
「ふふっ、焦らなくてもいいわよ。あっ、あとお仕事する上で重要なことを教えてあげる」
ソレーユが指を一本立てて、微笑む。
「時には休むこと。心を落ち着かせることが何かあれば良いわ。心が乱れることは、あまりよろしくないからね。――私はお茶をするのが好きね。ルナちゃんは何が好き?」
「……私は…………」
ふと考え込む。――脳裏に浮かぶ物があるが、妃っぽくはない。だが、きっとソレーユは気にしないだろう。むしろ背中を押してくれるかも知れない。
「…………剣を振るうことですね。特に誰かと試合をしてみたいです」
「良いんじゃない? 戦う王妃様なんて格好良いじゃない」
そう言って、ソレーユはルナを撫でる。
……ちょっとだけ泣きそうになってしまう。
――否定されず肯定されるのは、それだけで救いだ。
褒められるのとは違う。それは、やりきった、成功したことに対しての報酬のようなものだ。やりきることで褒められるのは、簡単ではないけれど難しくもない。
でも、己の意思や意見を認められることは……とても難しい。
人は己の考えとは、そぐわないことを矯正させるために相手の考えを否定するのがほとんどだ。
相手の立場より下ならなおさらだ。相手は違う考えを絶対に認めようとしてくれない。
だからルナは必死に抵抗していたのだ。自分の行為を否定することを否定して、抵抗して……結局、否定され尽くして……皮肉なことに『その先』で己を肯定されるとは。
……。剣を考えたら思い出ししまう。『あの男』を。やはりこのままにしておくわけにはいかない。どんな形であれ、決着をつけなければ。
ルナは言う。
「……ソレーユ様。会いたい人がいるんです。少し行ってきても良いですか?」
「あらっ、――ええ、いいわよ。がんばっ」
ルナはソレーユにぽんっと優しく背中を押され、歩き出す。
――きっと『あいつ』とまともに戦うのはこれで最後になるだろう。せめてその最中にでも自分の本当の思いを見つけ出してみよう。
夜中、城の訓練場にて二つの影があった。
一人は鉄の鎧を身に纏う戦乙女な姿をしたルナだ。すでに剣を抜き身にし――真剣を覗かせている。
対するのはルイスだ。こちらは軽装であり、最低限の革の鎧を身に纏い、腰に剣を差しているものの、手に持つ得物は鉄の棍棒だった。
方や真剣な面持ちで方や眠そうで不真面目にしている。
「眠みいんだが」
「真面目にしなさい。これから真剣勝負を行うのですから」
ルナは十数メートル先に居るルイスに切っ先を突き付ける。彼は特に臆する様子もなく、吐息をつく。
「殺し合いでもしてえのかよ。そんなに恨まれてたのか?」
「違うわよ。――『真剣勝負』をしたいの。急所に寸止めくらいできるでしょう?」
「事故がねえ訳じゃねえだろ。戦いたけりゃあ、いつもみたいに刃引きされた武器を使いや良いんだよ。あと、こういうことなら俺は『この武器』は使わねえよ」
鉄の棍棒を軽く振るう。先端に行くほど、太くなっていくそれは、見た目通り軽く扱えるものではないはずなのだ。
「言ったでしょう、真剣勝負だと。ならば得意な武器を使うのは当たり前」
「……だから危険だって……。はぁ……ほんっと、お前って言うこと聞かねえな」
「我慢し続けてきたからかしらね」
ルナが楽しげに笑うと、ルイスはより一層深くため息をついた。
「……あと、最上位スキルも使いなさい。貴方の本気でかかってきて」
「無茶言うな」
「無茶じゃないわ」
「無茶なんだよ」
ルイスは首を横に振る。
「この際だから言うが、俺の持つ最上位スキルは『戦神ノ加護』と『餓虎ノ狂宴』だ。どっちもクセが強い上に、戦場で使う対多数戦用なんだよ。対個人で使うスキルじゃねえ。――少なくとも『餓虎ノ狂宴』に至っては発動条件と効果がピーキー過ぎる」
彼は教えてくれた。
『餓虎ノ狂宴』は発動後、回復能力が増すのだそうだ。四肢の欠損をも再生することが出来るらしい。そして、イカレたことに魔力をほとんど消費しないのだそうだ。そして時間が経てば経つほど、回復量が増していくという。
だが、その代償に発動時間を設定しなければならない。その上、時間を定めたら、その時間まで能力解除が出来なくなり、解除されれば、定めた時間の倍ものクールタイムを要するようだ。
さらに時間が長引けば長引くほど魔力の代わりに、空腹に陥り、『何かを食わなければ』餓死してしまうのだという。
――特殊効果は……教えてはくれなかった。その発動条件も効果も言いたくないらしい。戦術上隠したい――ではなく、単純に知られたくない能力らしい。
「……俺は人間を食い殺したくはねえよ」
「…………そう」
ルナは一度目を伏せて、すぐにルイスを見据える。
「でも、本気でかかってきて。貴方の本気で。……手加減なんてしないで」
その真剣な眼差しを受けて、ルイスは何かを悟ったように諦め、呟く。
「……後悔すんなよ」
その戦いは厳かに始まった。
――結果はルイスの圧勝だった。
その戦いは乱暴の一言だった。技もなく、力任せに振るう美麗さの欠片もない暴力だ。受けや流しなどする暇も無く、剣をたたき折られ、魔法を駆使しようとしても、その前に向上した身体能力に任せて突っ込んできて、至近距離で素手で殴られ、投げ飛ばされた。
最後は顔面に棍棒を振り下ろし――寸前で止められる。
真剣勝負というより殺し合い――否、虐殺と言って良い。
「ごほっごほっ」
ルナは鳩尾を殴られたせいで、咳き込む。鉄の鎧であったはずだが、ヘコんでしまっている。直接ダメージが入った訳ではないが、伝わってきた衝撃だけでも息が詰まるほどだった。
「……もう一回、はナシだぜ」
「…………」
ルナは応えず、片腕で目を覆う。
足元にも及ばなかった。抵抗すら出来なかった。――ある程度の強さの自負はあったけれど、それでは到底届かぬ高みを見た気分だった。
「……うぅ、う……」
思わず嗚咽が漏れてしまう。
「……だからやめろって言ったんだよ」
ルイスがため息をついて、棍棒をどけて背を向ける。けれど立ち去る気はないようで、その場に佇む。
「うるさい……うるさいぃ……」
ぽろぽろと涙が零れてしまう。目を腕で蓋していても、染みて横から流れてくる。止まらない。
悔しくて悔しくてたまらなかった。――少しでもルイスに食らいつけていれば、希望を抱けた。……このままでも、もしかしたら、行けるのでは、と。
でも分かった。狂気に至る直前まで足を踏み入れなければ、ルイスの領域には辿り着けないと。『今後の自分』では彼に追いつくことは叶わないと、分かってしまった。
……そこに歩んでいけないことが、どうしても悔しくてたまらなかった。
「私は……強く、なりたい……」
「なんでそこまで強くなりたいんだよ。十分じゃねえか」
「十分じゃない……! 勇者の強さは、もっと違う……英雄の強さは……もっと違う……。私はそんな強さが欲しい……。強さを得た先に何の理由がなくても、子供みたいな馬鹿みたいな憧れを叶えたかった……!」
それに、そうすれば自分は『正しかった』と証明出来る気がしたから。そうすれば、全ての人間に自分を認めてもらえたかもしれなかったから。
本当に子供みたいな夢だった。けど本気だった。
「なら、もっと頑張れば良いじゃねえかよ。……わざわざこんな自分から心へし折る真似して何考えてんだ、お前は」
「…………。もう、無理なんだ……」
「……あ? どういうことだよ」
ルナは語る。自分が今後どうなるかを。将来、どうなるか分からないけれど、少なくとも王の子を産んだら、元の生き方は出来ないであろうことは伝えた。
「…………マジかよ」
ルイスがどことなく戸惑った様子を現す。
よっぽど予想外だったらしい。その声色が印象的だったため、その顔を見やるとやはり戸惑った顔をしていた。――何故かそれが少し可笑しかった。初めて見えた彼の『弱さ』の気がしたから。――その表情がどうしようもなく愛おしく思えてしまった。そこでようやく彼女は己の気持ちに気付く。
彼の稀な表情を見て、少し涙が引っ込んで、ちょっとだけ勇気が出てきて、勢いに任せて言う。
「私は、ルイスが好き」
「あぁ?」
ルイスが素っ頓狂な声を上げた。初めてみた声に、みるみる顔を赤くしていく姿に可笑しさが込み上げてくる。
「やっと気付いた、好きなんだ。その強さに憧れて、這い上がってきた姿は私の理想で――でも、正直身だしなみはどうかと思うけど――」
「ほっとけ」
「……その全部ひっくるめて、好きだったんだ。……あぁ、今頃気付いた……今更……」
「…………」
ルイスは夜空を見上げる。相変わらずどんな季節でも変わらない星月が夜空に瞬いていた。彼は少し何か堪えたように口元を引き締め――ゆっくりと歩み出した。
「俺は分からねえよ。……それに俺とお前とじゃ身分が釣り合わねえだろうがよ」
そうぶっきらぼうに言って彼は、立ち去ってしまった。
「……そっか」
ルナは、たった一人残され、静かに泣いた。
「良かったのか?」
訓練場から出ると、ふと横から声をかけられる。
ルイスが怪訝そうに横を見ると、そこにはバーニアスが腕を組んで壁に寄りかかっていた。
「なんですか、将軍、盗み見ですか。貴族様のたしなみですか、それ」
「皮肉はよしてくれ」
バーニアスも一応はバツが悪いようで、苦笑していた。
「……で、もう一度聞くが、良かったのか?」
「俺にどうしろと。……どうしようもないでしょう、あれは」
「……だが、本当のことぐらいは言えば良かったんじゃないのか?」
「…………」
「お前にも一応、爵位が与えられることが決定したんだ。……男爵だが、それでも貴族は貴族だろう」
ルイスはスラム出であるが、その戦闘能力は特出すべきところがある。そんな彼を国が放っておくわけもなく、爵位が与えられることが決められていたのだ。
――けど、それは流れで決められたわけではなく、ルイス自身が戦績を上げて上の目に止まったからだ。
ルイスは最低限の食料さえ得れば良いというスタンスを取っていたが、いつからか爵位を取るために奮闘していたのだ。初め、バーニアスはそれを権力欲にでも芽生えたかと思っていたが……。
ルイスがニヒルに笑う。
「男爵なら王様に勝てるんですかい?」
「…………」
「実のならないことが分かった果実に祈りを捧げるほど馬鹿らしいこともないでしょう。実る方も祈る方も。……ただ慰め合っても空しいだけだ」
そう言って彼は歩き出した。その歩調はどことなく速く、――そして兵舎ではなく城下町の方へと向かっていた。
世界は相変わらず変わらず静かに巡る。




