第二十八章 心の色
プレイフォートの城にある塔の一角。
大きな月に向かってそびえる塔の最上部には、二人の人間がいた。
一人は侍女の格好をした女性だ。手を組み、跪きながら目を瞑って祈るような仕草をしている。けれど魔力が見える人間が彼女を見れば、何らかの魔法を行使しているのが分かるだろう。
そんな彼女を背にして、塔の縁にて身を寄せている少女が一人。
優雅な寝間着を纏う彼女は第一王女のセレーネだ。いつもの笑顔は浮かべておらず、鋭い鷹のような目で城下町を見下ろしていた。
「――イユー? それで決着はついたのかしら」
「そのようですね。魔法の風を確認し、向かった先ではすでに聖人の一人が息絶えていました」
目を瞑ったまま侍女風の女性――イユーが答える。
それを聞いて、セレーネは物思いに耽る。
門前にて問題が起こったことは城に伝わっていた。それを耳にしたセレーネは、すぐさま唯一にして腹心の部下である侍女のイユーを連れて、この塔の最上部までやってきたのだ。
それからイユーには視覚のリンクをした鳥を操ってもらい、空から町を監視していた。そして門前にあった巨大な肉塊をまず見つけ、聖人達が向かった裏町にある暴力団の屋敷――そして少なくない人間達がフラフラと教会に行く姿を見つける。
――途中で中央広場にて『雑音』が混じったがそこは放っておいてもいいだろう。
教会に向かった人間達は、どうやら襲撃をかけたようだ。悲鳴が上がった後に待機していた者達が教会へ押し入り、何人か攫おうとしていた。でも、修道院の人間に返り討ちにあったようで、攫われた人間はいない。
その最中、教会本殿から大きな肉袋を抱えた触手を生やした謎の人間が出てきたが……すぐに姿を消す。
そしてしばらくして、町の一角で聖人達と何者かの戦闘が始まり――すぐ終結したようだった。
「アンサムお兄様は魔物を味方につけたと考えていいのかしら? 無差別ではないことからすると、魔物使いか魔族に相当すると思うけど」
セレーネはいつもの丁寧で朗らかな口調ではなく、冷たい口調で話す。
「城にいる魔族と関係がある可能性も考えられますか?」
「そうね。――さらに言うなら聖人が関わっているのなら、『古の魔女』絡みでしょうね。ウェイト様が申し上げていたけど、先代と今代の魔王と関わり合いがあるとか。その繋がりと考えられるかもしれないけど……」
ちらりと城のとある一部屋に目を向ける。城の上階で、それも端っこの部屋だ。クレセントの愛人は人目のつかない遠くに隔離されている。
「計画されているのなら、反応が鈍いように思う。町で暴れていた『彼(?)』も、城に来る気配がないわ。執着が薄い気がするのよ。……それに……」
セレーネは城下町の広場の方へと視線を移す。
「たぶんアンサムお兄様なら、ルイス将軍を見殺しにはしないはず。たぶん一連の出来事は、明日の処刑への布石の可能性があると思う」
「助けるためなら、今夜でも良いと思うのですが」
「駄目よ。助けることは出来ても、救うことは出来ないの。今、無理に連れ出したところでルイス将軍の汚名をすすぐことが余計、難しくなる。だから考えられるのはアンサムお兄様はルイス将軍の汚名をすすぐ、ないし一時的な処刑の中止を狙っているはず」
それが妥当だ。元の身体に戻れば、いくらでも言い訳が出来る。
「……明日、何をするのか。……まあ、大体分かったけど」
ちらり、と教会の方へと視線を向ける。騒ぎは収まったのか、今はもう問題はなさそうだ。でも警戒はしているのか灯りが多くついている気がする。
イユーが目を瞑ったまま首を傾げる。
「お分かりになったのですか?」
「まあね」
セレーネは少し悪戯っぽく笑う。
――実は教会から聞こえた最初の悲鳴は、人攫いによるものではない。悲鳴の後に、チンピラ達が押し入り、とある人間が入れ替わりで出てきたのだ。イユーはそれも見ており、その人間が何を持っていたのかも伝えてくれた。恐らくそれが肝だろう。
教会の『それ』と町で暴れている『彼』の能力、そして『古の魔女』について推察して、セレーネは一つの可能性に思い至ったのだ。
――けれど『それ』はあまりにも乱暴なことではある。そしてとてつもなく効果的で、結果的に『敵』にとって厄介極まりないことになるだろう。アンサムが行うとは思えないようなことではあるが……ルイス将軍をあんな目に遭わせれば、怒り狂って当然だろう。
「どんな『劇』になるのかしら。私も主演出来るのなら嬉しいのだけど」
いくつかの可能性を考えておこうか。アドリブももちろん必要になるだろう。現場の空気を感じ取り、適切な言葉、仕草を取れるだろうか。
セレーネはくるりと振り返り、相変わらず跪くイユーに笑いかける。
「ねえ、イユー。私、名女優になれると思う?」
「どうでしょう。セレーネ様は一国の姫君ですので」
「姫だからこそ腹芸は得意じゃないと駄目だと思うの」
――と、言っても演技はあまり好きではないが。まあ、でも演技をしなければ誰も近寄ってきてくれないから、多少作ってはいるけれど。
「姫様が姫様であらせられることが私は一番であると思います」
その答えに、セレーネはおどけたように口元を押さえる。
「まあ、つまらないですね。…………けどありがとう」
「恐縮です」
そう言ったイユーは表情を変えないが、優しい『色』が漏れ出ていた。
――セレーネは人の感情が読めてしまう。そういうスキルを生まれながらに取得していたのだ。
彼女が持つのは『真実ノ心明』という最上位スキルで、相手がその時抱く感情を香りで読み取り『色』として認識する。近づけば近づくほど精度が上がり、より詳細な感情を理解出来るのだ。
そして特殊効果は相手の考えていることや記憶を強制的に見ることが出来る。レジストも今のところされたことはない。ただし、欠点としてこの力を使って相手の思考や記憶を読み取ると、その間、相手に力を使っていることがバレてしまう。繋がりも出来てしまうのか、位置を確実に知られてしまうようだ。
だから、下手に使うことは出来ない。
幸い、それほど魔力を使うこともないため、多用出来るのが利点ではあるけれど。
――でもこの力のせいで、大体の人間――特に政治に関わる者ほどセレーネを恐れている。またパーティーなどでも自ら赴かないと遠巻きにされてしまうことがしばしばだ。
セレーネは怯えられるのも、恐がられるのも嫌いだった。その感情の色を見る度に気が滅入る。自分は何もしてないのに、何故、と。
だから他者によく見られようと振る舞うようになった。楽しい、面白い、嬉しい、そんな色を出してくれると安心するのだ。
まあ、その感情を引き出すため、自分を出さず、押し込め過ぎて疲れる時もある。
だからイユーの存在は助かっている。彼女は昔から連れ添ってくれる侍女であり、乳母でもあるのだ。イユーはセレーネにとって気兼ねなく接することが出来る数少ない人物だ。
あと、おちゃらけても、呆れるだけで悪い感情を出さないカマルも好きだった。
それと、憐憫や申し訳なさを出しながらも、決して自分を恐れないアンサムも大好きだった。見捨てないで、ちゃんと好いてくれる彼が。
……だからこそクレセントを許せないと思う。常にこちらに鬱陶しいほど黒い感情を向けてくる奴を。
(……知れて良かった。だからこの数年、私に一切近づかなかったんでしょうね)
ここ数年、アンサムに常に避けられていたと思っていたのだ。そのことで落ち込んでしまっていたこともある。時折向けられる黒い感情に泣きそうになった記憶が多々とあった。
……だから、入れ替わりの事実を知って、強い憎悪を抱いたものだ。
(まあ、避けられて良かったこともあったけど。私を恐れてくれたおかげで貞操が無事だったところもあるのだし)
もし『真実ノ心明』がなければ、たぶんあのクズは面白半分にこちらを抱いていたことだろう。ないとは言い切れない。――なんたってあいつは、アンサムの身体で実の母親と寝たほどなのだから。
そう思うと、グツグツと黒い感情が沸き立つ。アンサムを穢したことが許せない。好き勝手しているのが許せない。あいつの何もかもが許せない。
あのクズをたたきのめして、ゴミ溜めに叩き落としてやる。それがあのクズにふさわしい。
「イユー。戻りましょう。そろそろ本格的に空から町を調べ始まる頃合いでしょうし」
さすがに教会が何者かに襲撃されたことが明るみになれば、城側も対応せざるを得ない。ましてや同盟を結ぼうとしている側が損害を被ったのだからなおさらだ。
別に見つかっても問題ないが、今はまだ敵側に何かしら警戒される理由を作りたくはない。
「了解しました」
そう言うと、イユーの元にふわふわとした梟がやってきた。革の手袋をつけた手に止まらせると、その顔を優しく掻く。
セレーネはそんなイユーの横を通り過ぎる。するとイユーはセレーネに付き従い、後ろについていく。
そうして自室に向かって行くと部屋の近くまで誰ともすれ違わなかったが――一つ前の角でばったりととある人物と出くわしてしまった。
簡素なドレスにフード付きのローブを身に纏った女性だ。長身で、背筋が伸びて髪をしっかりと結い上げているため厳格な雰囲気が見て取れる。顔も凛としているが、目に隈が出来ていてどことなくげっそりしているような気がする。
その女性が、セレーネを見て目を見開く。
「……っ」
「……お母様」
セレーネがあからさまに顔をしかめる 。
――一番、嫌いな人間が目の前に現れてしまった。
セレーネの母――ルナは、視線を逸らしかけるが、口元を結んで意を決したかのようにして目を合わせてくる。
「こんな時間に何をしているのですか」
「何でもありませんわ、お母様。天体観測をしていただけです。イユーも連れていましたし問題ないでしょう?」
「近頃は物騒です。城内でもゴーレムが暴れる事件が起きるほどなのですから。夜中に出歩くなんて真似はやめなさい」
――心配、不安、そんな感情が見受けられる。いっぱしの親のように心配してくれているのだろう。
……そういえば、この女は今回の件には絡んでいるという話は聞いたことはない。悪い噂はあれど、クレセント側についているわけではないようだ。
敵ではないのかもしれない。ただ本当に親として心配しているのだけなのかも。
――けど、セレーネは思ってしまう。
……あぁ、虫唾が走る、お前が私を心配するな、と。
セレーネはルナを見据えながら、そこに見える『ある感情』に歯を軋ませてしまう。
(……心配するなら、せめて、私を見て、怯えるな)
ルナは常にこちらに対して『怯え』の感情を抱いていた。常に、だ。いつ出会っても、どんなときでも、鬱陶しくなるくらい、こちらに怯えの感情を抱いてくる。
生粋の臆病者で、誰彼かまず怯えているのなら別に良かったが、そうでもないようだ。
自分を見るときだけ、絶対に怯える。他の者――カマルにでさえそんな感情は抱かない。
自分にだけ。それが余計に腹が立つ。
……一応、何が原因なのかは分かっている。
『真実ノ心明』だ。でも、心を読めてしまうことに対してだけではない。
……このスキルは王の前妻が持っていたスキルでもあったようだ。それを前妻が死んだ後、自分の子供が持って生まれてきたのだから、後ろ暗い理由があれば『怯える』だろう。
実際、城内ではまことしやかにセレーネを前妻の生まれ変わりなどと言う者もいる。暗殺された彼女が恨みを抱いて、娘として生まれ変わり、監視しているのだと。だからルナはセレーネに前妻の陰を見て――転生者だと思って日々怯えているのだと。
そんなわけないだろうに。前妻の記憶なんて一切持っていない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そもそも転生なんてタイタンの『復活魔法』か異界から魂が来ない限り絶対にありえないのだから。
セレーネは歪んだ笑みを浮かべつつ、小首を傾げる。
「分かりました。ところでお母様もこんな時間にどちらに? アンサムお兄様のところでしょうか」
無論、ルナがどこに行っていたかは分かっている。その理由は分からないけれど……知る必要があるとは思えない。だから皮肉を口にした。
「……っ」
ひゅっ、とルナが息を詰まらせた。それでもすぐに気を取り直して、それでもわずかに声を震わせながら、口を開く。
「……いいえ。王子は関係ありません。……何度も言いますが近頃は物騒です。イユーがついているからと言っても油断してはなりません」
脅すような色は見えない。やはり心配しているようだ。けれど好意的に見るには、セレーネの彼女に対する好感度があまりにも低すぎた。
「分かりました。それではおやすみなさい」
善処します、とでも言葉を挟めば十分な皮肉になっただろう。だが、あまり逆撫でし過ぎると襲われる危険があるため、自重した。
「ええ、おやすみなさ――」
セレーネは、その言葉を聞き届けるか否かというタイミングで歩き出し、横を通り過ぎる。そのまま自室への扉に辿り着き、開ける。
ふと、部屋に入る直前、横目に角で佇んでいたルナが悲しみの感情を抱いているのを見る。……それを見て何故か胸に言い知れぬもやもやとした感情を抱いたが、……彼女は無視して部屋に入ると扉を閉めるのであった。




