幕間
男は裏町をフラフラと歩いていた。
プレイフォートの裏町は娼館や酒場などがあることから、夜にこそ人通りが多い。けれど、それも深夜となれば灯りが消え、月明かりだけが照らすばかりになる。酔い潰れたものが歩道に寝そべっていびきをかいていたりと人の気配こそなくならないものの、そこを歩く者は少なく目立つ。
特にその男は異様だった。全身が粘液のようなもので塗れて、虚ろな顔でフラフラと歩いているのだ。もしそれが弱々しい男だったらなら、酔っ払いにちょっかいをかけられただろうが、幸いにしてその男は大柄で明らかに筋者であった。
男は、戻らなければ、と思う。靄がかかったような思考の中で、それだけははっきり目的として『設定』されていた。
――そこには人がいない?
いない、寝静まっているはず。
なら向かえ。
向かおう。
問いかけられるような感覚があれど、深く考えられない。
目的地は、大きな建屋だった。この辺りとしては上等で、屋敷と言って良いかもしれない。
扉の前でぼうっとしていると脳内に声が響いてくる。
鍵は?
内から閉められている。
開けろ。
出来ない。扉は頑丈だ。門番の当直がいるが、大抵酔い潰れている。
どうやって入る。
もしかしたら新人が割を食って素面でいるかもしれない。
ドアノッカーをどんどんと叩く。返事なし。反応なし。もう一度叩く。何度か叩く。
すると足音が聞こえてきて、不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「なんだよ……あれ? グーダンさん?」
戸をわずかに開き、覗き込んできたのは若い男だ。顔をしかめて威圧感を出していたが、男の姿を見て驚いたような表情に変わる。
「どうしたんですか、こんな時間に? ていうか、なんかヌルヌルしてんすけど」
「ああ……そうだな……皆は……寝てるか?」
グーダンがとつとつと言う。若い男は、そんな意識が朦朧としてふらついたような彼を見て少々訝しむ。だが、仮にも幹部を扉の前に放置や追求するほど若い男は偉くはなかった。変な酒か薬でもやってトリップでもしてしまったのだろう、そう思ってグーダンに道を譲る。
「夜中なんで皆寝てますよ。そこの先輩らも。また俺だけ若いから見張りって言って、自分達だけ酒たらふくのんでさ。はぁ……ところで他の皆は? 目当ての人狼女いたんすか?」
最後の方はやや興味深げに聞かれ、グーダンは若い男に視線を合わす。
人狼……? 女……? 何故……? そういえば、何故……? 皆――? ――中に入れ。
グーダンはフラフラと中に入っていく。
戸と鍵を閉めろ。
グーダンは扉と鍵を閉める。
「で、全員でヤったんすか? ヘンリーさんもそういえば行ったっすよね? あの人がいちゃあ、長くは持たなかったでしょうね。いやあ俺も行きたかったなあ。皆はまだ楽しみ中とか? 飼うなら俺も一回でもいいからヤらせてくださいよ」
若い男がへらへらと笑いながら、グーダンを見上げる。グーダンは首を傾げながら、若い男を見下ろした。そして視線を奥にずらす。
玄関付近には誰もいなかった。真っ直ぐ通路を進むと脇にある開け放たれた扉の先から灯りが漏れている。たぶん他の見張りはそこで酔い潰れているのだろう。
――誰もいない?
ここには誰もいない。
見つからない?
誰にも見つからない。
「グーダンさん?」
グーダンの両手が若い男の肩を掴んだ。若い男は首を傾げるが、まだ不審には思わない。時たまテンションが高い者に意味もなく叩かれることがよくあったからだ。
グーダンが、ふっふっ、と息が荒く、身体を小刻みに揺らす怪しい挙動をし始めた。そこで、ようやく少し嫌な予感がした。
「ちょ、俺に向かって吐くとかやめてくださいよ? 桶でもとってくるんで――」
「ごぱぁ」
グーダンの口から巨大な芋虫が生えてきた。
「え? ――ぐふぅ――!?」
若い男が困惑して何かする間もなく、顔面を芋虫に食いつかれる。鋭い鉤爪状の四つの牙で頭をがっちりと押さえ込まれ、抜け出すことは出来ない。無数の棘のような歯が生えた口内に吸い付かれるように食まれて声すら出ない。手はグーダンが異様な力で肩を押さえ付けているから、使えやしない。
そして、抵抗することも出来ないまま、彼の身体に黒い血管が走り始める。瞬く間にそれは全身に這い至ると、ついに彼が抵抗を止めて静かになった。
一度、芋虫が若い男を離すと牙を畳み、彼の口の中へと入っていく。ズルズルとグーダンの身体のどこに入っていたかと思わせる長い芋虫が若い男の身体に収納されていった。そして最後に人間の頭と同等の大きさの化け物の頭部が、グーダンの口を裂くことなく、這い出て同じく若い男の身体へと入っていた。
それからの変化が著しかった。
若い男がみるみる萎んでいき、彼の身体で何かが膨らんでいく。皮も内側に吸い込まれるようにして、……化け物が姿を現した。
筋肉剥き出しになり、触手を生やした化け物が上半身だけの姿で床に俯せにいたのだ。
化け物は自らの存在しない下半身に目をやり、不機嫌そうに唸り声を漏らし、グーダンを見上げる。
もっと肉がいる。連れて行け。
「……分かった」
グーダンは意思が弱い虚ろな目をして、なんの躊躇いもなく化け物を持ち上げる。少々重かったが彼は特に気にせず、ゆっくりと灯りがある部屋へと歩を進めるのだった。




