第十七章 マリオネット・マーチ
程なくして『それ』は現れた。
月明かりに照らされた地上に、ぞわりぞわりと小さな無数の黒い影が蠢いている。
そしてその謎の『小さき者達』の中心部に、一際大きな塊があった。
不気味なシルエットだった。実際に近づいてきて見えた姿はとてつもなく気色が悪い。
触手が幾重にも巻かれて形成された団子型の歪な下半身を土台として、その上には十人程度の人間の上半身が突き出ている。
近づいてくるにつれ、その不気味な黒い血管に覆われた無数の人間の身体が明らかになる。彼らは苦しそうに身体を揺らし、呻いていた。
その冒涜的な何かが、下半身の触手をばたつかせながら想像以上に素早く突っ込んで来たのだ。
迎え撃つは橋の上で、内外、非番含めた二十人以上の衛兵達だ。壁上には弓矢魔法を扱える者達が十人程度いる。他は、ルリエと彼女の魔物であるリントブルム、シィクだ。
ロミーは教会に避難させ、仲間の魔物は他所へ逃がしている。増援は来る予定だが、夜中であるため、招集には時間がかかる。『あれ』の戦力が如何ほどか分からないが、増援が来る頃には倒すか突破されているかのどちらかになっていることだろう。
下手をすれば発狂しそうな姿をした化け物が突っ込んできたが、幸いにして柔な人間はこの場にいなかった。
だが、門番の一人、ルドサールは隣の少女、ルリエに向かって叫ぶ。
「聞いていた話と姿が違うぞ!? それに、な、なんだあの無数の奴らは!」
「悪い! 知らん!」
ルリエは素直にそう返す。食い気味に言ったため、ルドサールは口をパクパクとさせ二口を告げなくなっていた。そして彼が何か言う前に、彼女は続ける。
「先陣は私が切る! リントブルムで空から焼いてくる! 指揮は予定通りそっちでとってくれて構わない! シィクは回復、防御役としてこき使ってくれ!」
「――! お、おう」
「それとあいつは想像を超えてくるようだが、限界は絶対に超えないはずだ! 常に足元に注意を払え! あれが必ずしも本体とは限らない!」
そう言って、ルリエはリントブルムにまたがると颯爽と空に駆け上がっていく。
空を舞うルリエは風を切りながら、内心歯噛みをする。
(頼むから少しくらい定石通り来てくれ……! ……いや、落ち着け。奴の能力に注意を払え。そこで即座に作ったものか、用意したものか。後者なら奴自身は囮だ。――あの姿はなんだ? 進化したのか? 転生者と言えどもあり得るのか? 進化したなら奴の姿からして、『レギオン』か……)
レギオン、というアンデッドが過去に現れたことがあるという。それはまさに眼下にいる者のような姿をとっており、無数の意識を同時に持つが故に狂ってしまった亡者だという。
不死ノ王の軍勢に混じっていたとタイタンの文献にあったはず。一つの頭を潰したところで死にはしない。全ての頭を潰しても、下半身が残っていたら動いたという。全てを壊し尽くさないと殺せないまさに不死者だ。
苦しみ悶える上半身はまさに文献通りだが――、
(黒い血管……ロミーにもあったものだ。あれが操る際に走らせなければならない呪いの刻印ならば……あれは造られたフェイクの姿と考えてもいいはずだ)
絶対とは言い切れない。けれどそう考えてもいいはずだ。さらに考えるとあれは、生きた人間かもしれないが、……そこを慮って行動なんて出来ない。
ルリエは静かに心の中でリントブルムへと告げる。
(火炎弾、撃て)
その心の掛け声と共に、リントブルムは口を開けて口内に魔力を集中させる。すると、口内が赤く輝き、弾状になったそれを化け物に向かって撃ち放つ。
黒い小さな影達がばらけ、そして中心部の化け物が地中に逃げた。火炎弾は外れて、大地にクレーターを作り上げる。敵が四散した痕はなし。
(地中に潜る何らかのスキル使用……中心存在を本体と確認! 少なくともあの大型を中心に、どこかに奴がいる!)
(おっけいっす! 予定通り、大地操作で地上に押し上げるんで!)
念話で繋げていたため、相手に情報を漏らさず、伝達を済ませる。ルリエとはシィクと衛兵側の指揮官と繋げているため、すぐに行動に移してくれた。混乱を招かないように衛兵側は指揮官から他の者達に一斉に伝えるため、多少のラグはあるが……相手に情報が筒抜けになるよかマシだ。
数人の魔法使いが地面を操作する魔法を発動させ、地中のものを押し上げる。大地が沸騰したかのようにボコボコと飛沫を上げ、内部の『異物』を露わにした。
現れたのは意外にも『二体』。一体はあのレギオンのようなゾンビだ。もう一体はルリエが林で出くわした触手を生やし、筋肉が剥き出しになったようなゾンビだった。
レギオンと触手で繋がっており、明らかに本体であるかのように見える。――と、その触手ゾンビが周りにいる虫のような何かを掴むと、空に思い切り放り投げた。
軌道はルリエに近くを通るように、けれど通り過ぎて空高く遠くに到達する。速度や位置的に鞭で弾くことは出来ない。
「リントブルム、離れろ! 遠くにだ!」
何が起こるか分からない。けれど何かを狙ってきているのぐらいは分かる。
そして虫が膨らみ、空中で破裂する。毒の霧らしきものは現れなかったが、肉の飛沫に混じって大量の虫が広範囲に飛び散ってきた。
いくらかそれを浴びてしまう。
糸状の白い虫がうねうねと身体を這い回る。肌に直接触れたが、特にダメージはない。動きにどこかに向かっているかのような一貫性がある。――口や鼻、目などの内部に至る穴へと向かってきている?
「虫……寄生虫か……?」
操るためのものかどうかは分からないが身体の中に入れていいものではないだろう。寄生虫は本来、成虫になるために寄生対象が固定されている。だが、こいつを見るに人間や魔物に無差別なことから、これはあえて選んでいないのだろう。
……たぶん意図的に『芽殖孤虫』にしているのか。
『芽殖孤虫』は成虫になれず、無制限に分裂し増え続ける寄生虫だ。前世でも症例の数こそ少ないが、絶望的な病の一つとしてあげられていたはず。
(ただこの世界ではそこまで脅威じゃない。入られても内在魔力で防げる。それが出来なくても高レベルの回復術士がいれば摘出も可能だろう。だからこれの狙いは……)
体内に入った瞬間操られるということがなければ、意識を割かせるための手段だ。実際、これにはそれほどの力を感じ得ない。
ルリエは身体を這う虫を気にせず、鞭を解き、――やはりいくつか飛んできた触手爆弾を弾き、かわしていく。そしてその合間に触手ゾンビに向かって火炎弾を撃ち放つ。
二体の触手ゾンビがルリエへの攻撃が止めて火炎弾から逃げるために走り出す。周りの手の平大の虫達――アントベアーも同様に門へ殺到する。石橋手前の空間に火炎弾を打ち込んで、いくらかアントベアーの数を減らすことが出来た。しかし、焼け石に水のようなものだ。アントベアーの数が無駄に多すぎる。操っている本体を狙えればいいが、角度的にもう火炎弾を撃つのは仲間に当たる危険がある。
ルリエは地上に降り立ち、リントブルムで駆けながら、ゾンビ達の背後から強襲を仕掛ける。
鋭い爪や押し潰しにアントベアーが蹴散らされていくが、数はまだ多い。本来、臆病者のはずの彼らはリントブルムに恐れることなく、群がってくる。――黒い血管が全身に張り巡らされているのを確認する。一匹残らず操られているのだろう。
リントブルムは跳び退って、なおも近づいてきた彼らを薙ぎ払う。
前方では触手ゾンビとレギオン含めたアントベアー達が石橋へとさしかかっていた。
壁上で魔法や弓矢による遠距離で射貫いているが、数の多さとゾンビのタフさで数を思うように減らせていない。
――石橋は跳ね橋になっておらず、物理的に道を絶つことは出来ない。
守りの頼みの綱は石橋にいる彼らだが――辛いものがある。
まず敵の数が多いため、侵入させないためにまとまざるを得ない。だが、そうしてしまうとあの触手ゾンビの範囲攻撃で一網打尽にされる恐れがある。かと言ってばらければ各個撃破される良い的になるだけだ。
だから範囲攻撃を防ぐ手段はいくつか考えた。それが上手くいくか分からないが――。
シィクは二体の化け物とアントベアー達と対峙していた。
目の前の触手のゾンビと複数の人間が合わさったかのようなゾンビが二体いる。――前者は見た目が、後者は中途半場にでかくてとても怖い。
その脇からアントベアーがわらわらと向かってくる。半数以上はルリエの方へと向かったが、それでもまだ半径十数メートルを埋め尽くすほどたくさんいた。
幸いなのは、アントベアーはまだ生きていて、殺せば死んで動かなくなること。少しずつ後退を余儀なくされているが、槍を使えば安全に処理出来た。
問題はゾンビ本体だ。どちらが本体か分からない上に、無駄に連携が取れているのだ。大きい方がアントベアーの後ろから触手を伸ばしてきたり、小さい方が触手爆弾を投げてきたりする。
中々にその連携が辛い。
大きな方が進み出てきて、鞭のようにしなる触手で薙ぎ払われる。シィクは即座に障壁を張ってなんとか防ぎきった。
でも、ギリギリだ。彼女の障壁にはそれほど強度はなく、長時間の運用を想定されていない。一発防いだら、二発目が来る前に後退、もしくは壁上から魔法を飛ばして時間を稼いでもらうことを祈るくらいだ。
小さい方の触手ゾンビは大きい方の背後から、相変わらず触手爆弾などを投げて牽制したりしている。幸い操っているアントベアー達にも効果があるおかげで、滅茶苦茶な爆発を起こしたりなどはしない。触手爆弾は基本的にシィクらの後方――特に門に向かって投げ付けてくる。軌道が読みやすいため対処は比較的楽に出来る。
触手爆弾は壁上の魔法使いに堀に落として貰ったりもするが――時に外れたり、魔法の発射そのものが間に合わないことがある。
触手爆弾が一発、投げ付けられ、それが頭上を通り――魔法にも弾かれずに門へと向かう。
「――っ! すみません! うち、行くんで!」
「ああ!」
ルドサールが返事をし、シィクが小高く跳ねるように半円状に衛兵らの頭上を飛び越える。その際に膨らみ、破裂しかけた触手に追いつき、それに恐れず手を添えた。
「『調律』――効果『持続』+法則『減衰』&付加『色彩無色』!」
瞬間、触手爆弾が爆発するも多少の衝撃と液体が飛び散る程度だ。気化は一応しているが、無色で視界も遮られず、酸の効果もなく、周囲の人間に被害は出ていない。
彼女のスキル、『調律』はリディアの『理ノ調律』の下位に位置する。だが、彼女は自身の魔力の欠陥を利用して、自分以外の他者にも無害化の恩恵を与えることが出来るのだ。
しかし、万能ではない。『調律』スキルそのものの欠陥として、触れている間だけしか効果がない。それを防ぐために触れずにいても効果を持続させる魔法を重ね掛けするが――そのせいで魔力の消費が激しくなっている。
魔力が多いとされる転生者だが、それでもこう何度も酷使されるのはきついものがあった。それに魔力疾患によって彼女は魔力の回復に難がある。耐久を求められることに彼女はそもそも向かない。
シィクの顔に油汗が滴るが、それでも弱音一つ吐かない。自身が後方に行ってしまったせいで、その隙にゾンビが触手で薙ぎ払いながら前進してくるのだ。早く戻らなければならない。
そうしている間についに石橋の中ほどまで、追いつめられてしまう。
――けど、それはある意味では向こうも同じ。
(もう十分だ! 行くぞ、シィク! 気張れよ!)
(お手柔らかに!)
ルリエの声が脳内に響いてきて、シィクは即座に前線へと飛び出る。
「ルーさん! 来ますよ!」
「ル!? ――分かった!」
ルドサールは渾名呼びに一瞬戸惑うが、すぐさま準備を開始する。
前方、ゾンビのさらに奥、ルリエのリントブルムが大きく口を開けている。煌々と火球が形成されていき、――それが撃ち放たれる。
魔力を感じる力やほとんどの感覚に乏しいゾンビであるが、闇に光る炎には気付く。とっさに地面に逃れようとする素振りを見せるが……出来ない。
「限界は突破出来ないようだな」
ルリエの言葉にゾンビが低く唸り、堀へと目を向ける。だが彼をコの字型に囲うように障壁が展開されていた。二体のゾンビが触手を叩きつけ、ヒビを入れて壊しかけるが間に合わない。
シィクが真剣な顔つきで叫ぶ。
「申し訳ないっすけど、これで終わりっすよ!」
「がぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
ゾンビの怒声が響き渡り、それと同時に爆発が巻き起こる。
ちょっとした補足
魔法の使い方について。
魔法は詠唱だけで済ますものと、スキルと複合させるもの、スキルだけの大まかに三つの使用法がある。
詠唱は時間はかかるものの、スキルを持っていなくても使える。自由度ではむしろこちらが高い場合も。
スキル複合はスキルを基礎として特定の単語の組み合わせの詠唱などをすることを指す。現在のスキルの効果を広げるためなどに使われる。
スキルのみは、威力などは固定されているが即座に使用出来るのが強み。




