第十五章 許さない
この章には残酷で暴力的な描写が含まれます。
閲覧にはご注意ください。
あの金髪の女の子に銃弾を当てる気なんてなかった。全て威嚇で済ませようとしていたけれど、あの振動のせいで狙いが狂ってしまったのだ。
苦悶に喘ぐ女の子を見て、ロミーの胸はきゅうと締め付けられるように痛んだ。
――逃げてよ。じゃなきゃ殺さないといけない――。
そうしなければ、他の皆が死ぬかもしれないから。それだけは駄目だ。小さな子供なら、もっと、もっと『脅せば』逃げてくれるはず。
ロミーは歯を食いしばりながら、女の子の身体に銃弾を放つ。
逃げない。逃げてくれない。それどころかゾンビの身体をさらに強く抱きしめていた。
あの子にとってのゾンビが一体、どんな存在かなんて知らない。……少なくとも今は知ってはいけない。
――夢中になりすぎて弾がなくなり、慌てて補充する。目を戻すと、あの小太りの男が甲冑を抱えてゾンビの上に降ろしていた。女の子はもう一人の男に連れられていった。
良かった、とは思うものの事態は好転していない。むしろ最悪だ。
ロミーは隠密や動作の高精度に特化した能力が主体であり、銃や銃弾に何かしら付与する力は持ち合わせていない。それらはもう一人の銃使い、ミズミが得意とするものだ。
甲冑は貫けない。想像よりもとても硬い。たぶん本来の甲冑よりかなり装甲を厚くしているのだろう。だから着ている本人も動けないのだろう。もう少し軽ければ、きっとあちらの方は怯えて逃げてくれたはずだ。
――そうしている内に三回目の『メテオ』が降ってくる。
想定よりも早い。
幸い、なんとかシィクが間に合ってくれた。多少手間取っていたものの、ゾンビに斬りかかっていってくれる。――けどその間に、どぉんという音と共に結界が消え失せてしまう。
ゾンビが地中に消え、また現れた時、しっかりとこちらに目を合わせ、怒号をあげる。
銃を撃ち、眉間を貫くが、わずかに傾ぐのみ。壊れた肉体は、逆再生するように元に戻ってしまう。……なんだあのデタラメな再生力は。
《ロミー撤退しよう! ローラからも言われたよ!》
「……分かった……!」
妖精に促され、ロミーは木の上から飛び降りた。
隠密スキルを全開にして、とにかく林から出るまで捕捉されないようにしなければ――。
そう思っていた彼女の近くに、何かが転がってきた。
それは手の平サイズの触手。筋肉繊維なピンク色の表皮のそれが、ブクブクと膨らんでいった。
そして、ばぁん、と破裂し、広範囲に白い煙をまき散らす。煙に包まれた瞬間、じゅうう、と肌が焼け、激痛が走り抜ける。
「あ――? ああああああああああああ!」
ロミーは痛みに顔を覆い、転げるようにがむしゃらに前に向かって突進する。酸霧の中から抜け出せたのか、肌を冷たい風が舐める。ズキズキと全身の肌が傷む。
顔から手をどけると視界が白くぼやけて掠れていた。慌てて目を擦ってみるが、良くならない。
「や、やぁ……! 目、目が――、やだ、やだ……!」
痛みを与えられ、さらに視覚がほとんど奪われた恐怖で、ロミーは泣き出してしまう。それでも差し迫った問題は忘れることなく――むしろ後ろからやってくる『それ』が原因であったために、おぼつかない足で走り出す。
「スキル、使ってるのに……見えない……見えないよ……! なんで白いままなの……!」
《ロミー、落ち着いて! 感知系のスキルなら、少しでも周りが分かるようになるから!》
「……ホスタ、お願い……誰か、呼んで……お願い……」
ロミーはホスタと名付けられた妖精にそう頼み込むが、ホスタの返答は芳しいものではなかった。
《駄目だよ。ローラ達は魔女の相手で精一杯だから。……なんとか林から出れば、シィクかルリエと合流出来るはずだからそれまで耐えて》
「……っ」
ロミーの心が絶望に染まりかける。目がほとんど見えなくなったのに、林から出る? 後ろから迫ってくる『あの化け物』から逃れて? 撤退してから、たった一瞬で行動不能に陥れられたのに?
感知系スキルで得た情報から、背後からあの化け物が低い姿勢で迫ってくるのが分かる。不自然な加速を繰り返し、着実に距離を縮めてきている。
ライフル銃は生命線であったから、まだしっかりと握っている。でも、この程度の武器で撃退なんて出来ない。
ロミーは隠密系スキルを最大にして、脇に逸れるように走る。『無音』のスキルを使ったから音で気付かれるはずはない。
――それなのに、後ろの気配は正確にロミーを捉えてきた。
「なんでよぉ!」
《……まさか、有りないけど、ゾンビなら、……もしかしたら、魂を感知してる?》
(どうすればいいの、それ!)
ロミーの悲痛な叫びに、心に感応してしまう妖精は、こちらも泣きそうになりながら答える。
《分からないよ! ……でも、ロミーの『隠密』のスキルを私が使えば、もしかしたら……ちょっと辛いかもよ!》
(お願い……!)
懇願するようにそう頼むと、ロミーの身体の奥底が弄られるような痛みのような不快感を覚える。けれど歯を食いしばって我慢していると、不意に後ろの化け物の気配が、戸惑ったように動きを鈍らせる。
その瞬間、運良くまた結界が張られる。一瞬で解けてしまったけれど、そのおかげで化け物はこちらを見失い、魂の隠密化の効果が増すことになった。
そして、
「うがぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」
化け物が憎悪のこもった絶叫を上げ、走り出す。方向はある程度合っているが、脇に逸れると追ってこない。……先ほどの精密さはない。誤魔化すことが出来たのだ。
ロミーの身体の奥底から鈍い痛みは続くが、まだ希望が見えたため耐えることが出来た。
このまま道を逸れたり、隠れたりさえすれば――。
そう思った矢先、ロミーの真横から何かが風を切るように前方に向かって通り過ぎる。ぼん、と柔らかい何かが木にぶつかったのを見て――彼女の血の気が引いた。
慌てて方向転換をして、全力でその場から離れる。
その瞬間、背後から何かが破裂するような音が鳴り、周囲から溶けるような音と腐臭が漂ってきた。
(またぁ!)
あの触手爆弾をまた投げてきた。しかも一発だけではない。何個もだ。狙いはてんでバラバラだが、無駄に広い効果範囲で仕留めにかかってきている。
《肉体を応用したものなら、限界はすぐに来るはず!》
魔法なら魔力が枯渇したら使えなくなり、肉を切り取ったようなものなら、その肉がなくなれば使えなくなる。あの触手爆弾は見た目からして大きい肉片故に、打ち止めは早いはずだ。ただし魔力を応用した肉体創造の併用も考えられるため、必ずしもそうとは言い切れないのが辛いところだった。
そして何より問題は範囲が広いこと。さらになんとなく位置が分かっているためか先回りするように前方を塞がれてしまうことだ。
そうして足止めを幾度かされ、恐らくスキルに頼らない追跡を行っているのだろう。――幾度か道を塞がれ、ほとんど追いつめられた形で接近を許してしまった。
気配を感じ取り、ギリギリでなんとか木陰に身を隠すことに成功した。
……息を潜めているとすぐ近くに文字通りの化け物がやってくる。
吹っ飛んできたかのようにゴロゴロと転がり、地面にそれなりに深い溝をつけながら止まる。そして四つん這いに起き上がると、辺りを探り始めた。
それは全身が筋肉剥き出しのような肌をしており、目や口が異形のそれだ。先ほどまであった人としての原型が完全に失われていた。
特に異形なのは背中で、ボコボコと突起物が出ており、そこから細い触手が無数に顔を覗かせている。
口から垂れる唾液は、地面に落ちるごとに焼け付く音が鳴り、草地を腐らせる。身体に生えるいくつもの触手をのたうちまわらせ、怒りで周囲を薙ぐように払っていた。
視力を失いかけた目でもシルエットだけで、はっきりと化け物だと分かるほどだ。どんな人間でも、あの姿を見れば生理的嫌悪感に苛まれ、吐き気を催すことだろう。
(本当に中身は人間なの、あれ!?)
《そのはずだけど……》
とてもそうは見えない。何を思ってあんな姿になったのだ、あの化け物は。
とにかく見つからないようにしなければ。この近くにいると判断されて、また先ほどの酸の霧をばらまかれる可能性はあったが、――実はその方がロミーにとっては都合が良かった。こちらの目はほとんど使い物にならないし、逆に相手の視界を遮られたのなら逃げることが出来る。
痛みに耐える覚悟さえ出来ていれば、なんとかなると――そう思っていた。
ロミーにとって不幸だったのは、アハリートはどれだけ怒り狂おうとも異常なほど冷静に考えを巡らせることが出来たことだろう。
彼は思う。ミアエルを傷つけた銃使いがこの近くにいるのは分かっている。――もし相手ならどうする? 逃げるために何をする? 何かしらのスキルの力で遠くに一瞬で飛べるならとっくにやっているだろうからその線はなしだ。逆に逃げ出すためには、酸の霧で自らを隠す煙幕とするか、隙を見せたら即座に攻撃を仕掛けるかのどちらかだ。
下手に辺りを巡回したら、出会い頭に先制攻撃をされて頭を潰されるかもしれない。そして考える力を失って、その間に逃げられるだろう。少なくとも相手はこちらを捕捉しているからこそ、隠れているのだ。先制攻撃のアドバンテージは向こうに分がある。
安全に探す方法はない。スキル『分裂体』で触手を出しても、動かせるだけで何かを見つけるなどの役には立たない。
――なら、彼がやるべきことは一つだけだった。
不意にアハリートがぶるぶると震え出す。そして、身体を大きく蠕動させると、口の牙を大きく開けて、ボトボトと寄生虫の混じった謎の内容物を吐き出した。
(何……? ……なんだろう動いてる……あれは、虫? 眷属を使って探す気? でも同期させるにしてもあんなのじゃ、何も感じ取れないはず……)
そうロミーは考えながら眺める。
やはり眷属ではないのか、寄生虫はピチピチと内容物の中を蠢くばかりでその場から大して動きはしない。そして何故かアハリート本体も、それきり動かなくなってしまった。
内容物も、別に何か現れるなどの変化があるわけでもない。
(……でも、動かないのも不味いかも。止まっている隙に逃げた方が良いかな)
《その方が良いと思うよ》
ロミーは妖精とも意見が合ったことで、ゆっくりと動き出そうとした。
――と、ふとロミーは口元に違和感を覚え、手を当てる。それはほんの些細なもの。いや、違った。違う。些細ではない。『それ』は目と口と鼻と喉と肺とじわじわじわじわと強くなっていく。言うなれば熱のような感覚。粘膜を中心に広がるそれは言うなれば、『痛み』だった。
(なに? 何が一体……これ、何……!?)
ロミーは困惑してしまう。何かされたのだ。でも一体、いつの間に――?
彼女は気付けない。いや、どう足掻いても気付くことなど不可能なのだ。
ロミーの周りには今、毒霧が漂っていた。
しかしそれはとても薄く、弱く、よほど鋭敏でなければ感じ取れないもの。そしてそれは遅効性で粘膜にのみ痛みを与えるだけに調整された神経毒だ。気付いた時には、もう十分な量を吸ってしまっている。
喉や胃が痙攣する。無意識の反応だ。耐えようと思っても身体が毒に拒絶反応を起こす。ぐぽっと胃が動き、それは止められず、せり上がる。
そして――びちゃ、と胃の中身が『無音』に出来ず吐瀉されてしまった。
瞬間、ロミーの足首に何かが巻き付いてくる。
ひっ、と息を呑んだのも束の間、身体を思い切り横に振られ宙を舞う。勢いよく木に叩きつけられて、息が詰まり、意識が遠のきかけてしまった。
《ぐ、……ロミー!》
それでも気を失わなかったのは、内に宿る妖精が声をかけてくれたから。
手放しそうな意識と銃を握り直して、霞む視界に映る触手に銃口を当て、引き金を引く。
銃声が轟き、また叩きつけられようとしていたために、途中で手放されたことで身体が吹っ飛んでいく。けれど地面に身体を打ち付ける前に、なんとか受け身を取って転がることが出来た。
アハリートの返り血を少し浴びたため、肌が焼け付くように傷んだ。それでも逃げないと行けない思いが強く、重く感じる身体を動かし四つん這いで必死に前へと進む。
だが、その背中を追い打つようにアハリートの触手が鞭のように叩きつけられた。
「ぎっ――!」
弾けるような鋭い音が鳴る。恐らく服の下の肌が文字通り弾けたのだ。つんざくような痛みが背中から全身に伝わってくる。我慢なんて出来ない。痛みに身体が震えて、うずくまってしまう。
《あぐぅっ! ――……》
魂に宿る妖精は、ロミーに伝わる激痛に感応して小さく悲鳴を上げるとぱったりと音沙汰がなくなってしまった。鞭の痛みは想像を絶する。元々痛みに弱い彼女ら妖精は、度重なる攻撃によって精神的に弱っていた。この一撃には、ついに耐えきれず気絶してしまったようだ。
ロミーの手首に触手が巻き付き、無理矢理引き上げられる。ぐるりと身体が回ると真正面に立ち上がった異形の怪物――アハリートがいた。
「ひぃ――」
息を呑む。銃は握っていたが、装填はしていない(ボルトアクション方式のため、装填には一手間かかる)。それでも無意識に銃口を向けようとすると、触手で弾き飛ばされてしまった。
ロミーは抵抗する手段を失い、顔を歪めて消え入りそうな声で言う。
「お願い……もう、止めて……お願い……」
「…………」
アハリートは、しゅるる、と静かで奇妙な呼吸音を鳴らしながら見つめてきている。彼はゆっくりと自らの側頭部を指で叩く。そしてロミーの側頭部も同じように叩いてきた。
「な、に……頭……? えっ、あっ、えっと……あぁ……そっか、念話……待って、すぐやるから――」
ロミーは相手のその人間らしい仕草から会話がしたいと解釈した。そうであってほしいと、もはや縋る思いだった。すぐさま修得していた『念話』のスキルでアハリートと繋がり、まくしたてるように言葉を吐き出す。
「許して! 殺そうとしたのは悪かったって思ってる! でも仕方なかったの! あの魔女と一緒にいるなら、危ないって、そう言われて! もし、貴方が異界の転生者で、話が通じるって分かってもらえるなら、きっと、きっともう襲いかかることなんてないから! だから…………だからお願い……許して……もう痛いのは嫌……」
変化のないアハリートに、苦しそうな笑顔を浮かべ、媚びを売るように続ける。
「――あ、あの、あのね! 私、日本から来たの。皆そうなの、あのね、不思議なことにね、皆ほとんど一緒の地域で――」
(知ったこっちゃねえよ)
「――!」
アハリートにそう冷たく遮られ、ロミーは言葉を詰まらせる。
(お前がどこから来たとか、何の理由があろうが知るか。俺はお前を許すつもりはない)
「なんでぇ……殺そうとしたことは謝るからぁ! あ、あの、あの女の子のことも謝るから! な、仲、仲良かったんだよね! 私の仲間に回復術者がいるから、説得してすぐ連れてくるから! 私だってあの子のこと傷つけるのは嫌だったの! 当てる気もなかった! 威嚇だけするつもりだった! 振動で狙いが狂って……それで……」
(仕方なかったから殺そうとしたのか? 俺を殺し損ねるから?)
「違う! 違うの……そんなんじゃなくて……」
(違くはないだろ。仕方なかったんだ。そう、仕方なかったんだよ。何もかもそうなんだ。分かるよ。そう命令されたからやったんだ。問題ない。皆同じだ。お前は悪くない。一切な)
ロミーは泣きそうな顔でアハリートを見つめる。悪くない、そう言いながら彼の言葉は鋭く尖り、冷たく研ぎ澄まされていた。
(俺も似たようなもんだ。作戦のためにその『仕方ない』ってのを使う予定だ。ああ、それと俺自身が殺されかけることには、ほんの少し、ちょっとだけ覚悟は決まってるし、理由も分かる。こんな化け物、能力からして味方になんてしたくないよな。分かる。怖いよな。だからさ、あの時も殺されそうになったのも、別に大した怒ってもなかったんだ。痛みもないから死ぬことも問題ないかな、なんて、そう思ってたんだ。多少怖かったけど、もう気にはしてない)
彼は笑うように、奇妙な音で喉を鳴らし――(けどな)と呟き、続ける。
(俺は俺のために誰かが犠牲になる覚悟なんて全く出来ちゃいなかったんだ。分かるか? 命削ってまで、助けられる人間の気持ちが。あの瞬間、俺が何を思ったか分かるか? 命を助けて、懐かれた奴に、そのせいで目の前で命を捨てられそうになった奴の気持ちが――!)
「……っ。それは……」
ロミーは言葉を探すが、見つからない。
そんな経験なんてないから分からない。
……けど想像出来てしまう。彼がどんな気持ちであったのかを。
そしてもう一つ分かった。短い間だが、話してみて見た目が異常な目の前の男は、異常なほど『人間』だった。さらに多少歪であろうと、『優しい』人間であろうことも。……同時にその優しさが決して自分には向かないということを。
(俺は他人のために何かすることも、俺のために何かされるのもまっぴらごめんだ。俺は俺のために生きる。俺の命は俺だけのものだ。俺だけが守る権利を持ってる。それを揺るがした『敵』は絶対に許さない)
「……ゆる、して……お願い……!」
ロミーは涙を零して力強くそう呟くが、彼はその懇願には応えてくれなかった。
アハリートはいくつかある触手のうち、一つを動かし、近くにあった木の枝をへし折った。無造作に取ったそれをロミーの触手で吊り下げている腕に――突き立てる。
さらに引き裂くようにずり下げていき、皮膚や筋肉をズタズタにしていく。
「ぎぃ――ぁああああああああああああああああああああああああ!」
刃物よりも切れにくい故に肉体を必要以上に傷つけるために、痛みは想像を絶するほどだ。
ロミーは暴れ、己を痛めつける木の棒を掴んだり、アハリートをけりつけたりするものの、どちらもビクともしない。
肩の近くまで引き裂かれると、ようやく木の棒が引き抜かれる。
(治せ)
そうアハリートは言い、泣き叫ぶロミーの頬を触手で強く張る。
「――ぎゃあ! え? え? は?」
(傷を治した。だから腕を元に戻せ)
何を言って――そう思って涙に濡れて歪んだ視界を腕にずらすと、背筋が凍った。
服ごと引き裂かれ、ズタズタになっていたはずの腕はなんと傷がすでになくなっていた。だが、その代わり、腕全体には不気味な赤黒い血管がくまなく伸びていたのだ。そして痛みは弱まっていたが、感覚がない。
「なに――やだ、なんで……腕、手、動かない……や――ひぐっ!」
また触手に頬を叩かれ、錯乱しかけたロミーの精神は無理矢理、現実に戻される。
(戻せ)
触手がまた頬を叩いてきそうになったため、彼女は身をビクつかせて弱々しく言う。
「うぅ……分かったから、もうやめて、叩かないでぇ……! …………。 ――――! ……え、あ……出来ない? 出来ない……出来ないよ! ……うそ、これ、これ、単純な魔法的な効果じゃない! 回復系と同じで肉体ごと創ってるか……変形させられてるの! 初期にレジスト成功させなきゃ、食らったら戻らない!」
彼女は自分自身の言葉で絶望しそうになった。もう、腕が戻らないかもしれない。これは回復術でも治らないものかもしれないのだ。仮に戻せる方法があるにしても、一度腕を切り落とす必要があるかもしれない。
アハリートが苛々したように唸り声を漏らす。
(何でも良いから試せ。魔法効果っぽいなら、光魔法でも腕に当ててみろ)
「そんなことしたら変形してる部分が消し飛んで腕がぐちゃぐちゃになる!」
(知るか。お前がどうなろうと。それに最初に受けた傷よりマシになるようだったらそれでいい)
「無理、出来ない!」
そう言ったロミーの顔をまた触手で叩くと、彼女は泣き喚きながら首を横に振る。
「いだぁ! 違う、違うぅ! 私、光魔法、使えない! 使えないのぉ! お願いもうやだ! やだぁ! 許してお願いもうやだごめんなさいやだよぉ! 助けてミズ――もごぉ!?」
(うるさい黙れ)
ロミーの口の中に触手がぶち込まれる。ぬらりとしたものが喉奥まで入り込んできて、息が詰まった。引き抜こうとも、力も負けてさらに粘液で滑るせいで、止められない。痛みも覚え、ついに白目を剥きかけ、ガクガクと震え出し、危うい姿を見せたところで……、
(ちくしょうが)
アハリートがそう呟くと、空から『巨大な竜』が降ってきた。そして彼を思いきり踏み潰さんとする。
「『敏捷強化』&『軽量化』! ――飛べリントブルム! 奴は仕留めてないぞ!」
地響きを伴い降ってきた赤き鱗の竜は、即座に飛び上がる。まるで見た目の重さを感じさせない軽やかに飛び立つと、それを追うように触手が伸び上がってきた。
続いて、土の下に逃げ込んでいたアハリートが地上に現れ、空を睨み見据える。
「恐ろしいな、まったく! やはり結界が壊れてすぐ撤退したのは正解だった!」
竜の背に乗るのはカウボーイ風の服を着たルリエだ。彼女の隣には、鞭を巻き付けられ、回収されたロミーがいる。彼女をしっかり抱え、ルリエは叫ぶ。
「リントブルム、すぐ離脱するぞ! 空から見た周囲の木々の状態から見て、奴は何らかの範囲攻撃を――」
そう言っている間に、彼女の近くまで触手爆弾が投げ付けられる。ブクブクと膨らんでいくそれを見て、ルリエはロミーに巻き付けていた鞭を解き、触手爆弾を弾く。
即座に弾かれたことにより、触手爆弾は遠くへ吹き飛び、――爆発する。
若干ながら酸の霧に触れるが、彼女は予め目や口を覆っており、多少肌が焼き付いた程度だ。
「中々に痛いな! あれはスキルそのものというよりスキルの複合によって造ったものだな! あれだけで奴に知性があるのが分かる! 土に潜ったら感知も利かない――追撃はやはりなしだ! 作戦通り、町に戻るぞ!」
さらにさらに高度を上げていき、触手爆弾の範囲外に逃れると、一気に町に向かって飛んでいく。
彼女が最後に見下ろした林は暗闇の中、どこまでも不気味に鎮まりかえっていた。
ちょっとした補足
触手爆弾の簡単な作り方。
1.平べったい触手と何かしらの有機物、酸液がたくさんつまった水袋風触手を用意する。
2.平べったい触手に有機物をしっかりと包み込む。
3.隙間がないことを確認したら、水袋風触手の中に突っ込む。
4.相手に投げ付けて、ちょうどいい位置で平べったい触手を広げる。
5.有機物と反応し、ガスが発生、爆発する。




