第六章 秘密の会談
「……まさか、そんな……」
それなりに調度品が揃えられ、広く豪奢な部屋にて、三人の人間がいた。二対一でテーブルを挟んで対面しており、片方は巨漢のバーニアスでもう片方は年頃の少年と少女だ。
少年は豪華な服を着ているものの纏う空気は戦士のそれだった。髪は短く刈り込まれており、よく見ると身体に擦り傷が多く見受けられる。
彼は第三王子、カマルだ。第二王子の弟にあたる。血の繋がった兄弟ではあるものの第二王子と年は離れており、彼は大体十五歳程度だ。王位継承権はほぼないと言って良く、今はバーニアスの下で将軍になるべく訓練に励んでいる。
そんな彼はバーニアスに一連の話を聞かされて、深刻な顔で組んだ手に口をつけて沈黙してしまっている。
対して彼の隣にいるのは、第一王女でカマルの双子の妹、セレーネだ。穏やかな笑みを讃えた優しげな印象を受ける。一つ一つの小さな動作も優美で育ちの良さを思わせる。何より見た目の美しさが際立っており、彼女はこの国で美姫と名高い。そしてそんな彼女はカマルとは対照的に手を合わせてニコニコしていた。
「まあ、まさかそんな……」
「…………」
バーニアスは二人の反応の違いに困っていた。――いや、カマルはいい。むしろ妥当な反応だ。しかし、セレーネの反応が喜びのそれであるため、次に紡ぐ言葉がどのようにしていいのか悩むモノだった。
王女の反応に引っかかったのはカマルも同じだったようで、隣に座る妹を軽く睨んだ。
「セレーネ、どうしてお前は嬉しそうなんだ」
「どうして? カマル兄様、逆にどうしてそんなことをお聞きになるのですか?」
ふふふっ、とセレーネは愉快そうに笑う。
「ようやくここ数年の違和感が解消されたじゃありませんか。我らが愛しきお兄様の変容の原因がっ。――ああ、まさかあの『豚』が原因だったなんて。可愛そうなアンサムお兄様、きっと今もなお、お辛い思いをされているのでしょうね」
一転してセレーネが悲しそうな顔をする。怖いくらいに『思い人』対して強い感情を読み取ることができた。
カマルは頭を振りながらため息をついた。
「……セレーネ、一応、『あの人』も我らの兄なのだから、呼び方には気をつけるべきだ」
まあ、とセレーネが優雅な仕草で口元を押さえて、恥じらう素振りを見せる。
「ああ、申し訳ありません。では、訂正して――こほん、あの悍ましく肥え太った養豚と血が繋がっていると考えるだけで身の毛がよだち、吐き気が止まりませんね。きっとその身体に入れられたアンサムお兄様は私共以上のお辛い思いをされているのでしょう。ああ、なんと嘆かわしいっ」
「…………」
カマルはもう、何も言わない。諦めるしかないだろう。
セレーネはクレセントを大層嫌っている。無論、口には出さないがカマルもだ。――いや、むしろ、向こうがこちらを嫌っていたから、そうなってしまったと言うべきか。
カマルが生まれた時、クレセントはアンサムに徐々に追いつかれており、余裕がなくなっていたのだ。そのためか新たな王子候補であるカマルに対して冷たくあたっていた。彼にとっては他の王子は血を分けた存在であっても、敵としか見えなくなっていたのだ。セレーネは王子ではないものの、不幸なことに少しなり『優秀』に生まれすぎて目の敵にされてしまったのだ。
そして母もカマルや同じくしてセレーネが生まれた時、彼らもそれなりのスキルは持っていたがクレセントに劣っていた二人を愛さなかった。顔を会わせた数も、乳母より圧倒的に劣るだろう。
愛されなかった、それだけならばいいが後々聞いた話では彼らは母が王の寵愛を受けるために偶然出来た子に過ぎないということだ。王の気を引くための副産物として生まれたそれ以上でもそれ以下でもない存在。――唯一救いだったのは、母はそれでもなお『前妻』から王の気持ちを引き剥がせなかったことだろう。その話を聞いて、ショックとざまあみろという思いが同時に来たのはその時が初めてだ。
そんな彼らに昔から優しく接してくれたのが、アンサム第一王子だった。ほとんど誰にも目にかけられない中、彼だけが自分達に接してくれたのだ。そのために二人は彼を誰よりも敬愛していた。たとえそれが誰にも相手にされなかった者同士の傷の舐め合いか、もしくは彼自身の存在によって、二人が貶められたと思い、贖罪のためだったとしても。
血の繋がった親族に愛されなかったが為に、アンサムから受けた愛に二人は誰よりも救われていたのだ。
だからこそだ。
「バーニアス将軍に協力しよう」
「当然でしょうね。お兄様をお救いしなくてはっ!」
二人がそう決意することは当たり前のことだった。
バーニアスは心の中で安堵の吐息をつく。二人がクレセントのことを嫌い、アンサムに好意を持っているのは知っていたが協力してくれるかは不安だった。そもそも信じられる話ではないのだ。まあ、その点はクレセントの演技が下手過ぎたということもあるのだろう。
この二人が味方になってくれるのなら、動きやすくなるだろう。それに今後の方針も決めやすくなる。
「……それでまず何をするべきか、ということなのですが……」
少し情けないが、二人に何か案を出してもらおう。時は一刻を争うかもしれない。ならば無用なプライドは捨てるべきだ。
カマルは、うーむと唸り考え込んでいるが、セレーネは顎先に指を当てながら小首を傾げる。
「将軍、一つよろしいでしょうか」
「如何ほどでも」
「アンサムお兄様の助けになるのは、必ずしもお兄様自身の計画を助けることには繋がりませんよね?」
「え? まあ、あー――どうしてでしょうか? 王子の助けが必要ならば、赴くのが正解かと思うのですが」
「単純な話、もしお兄様が何らかの計画をしている場合、準備、実行するためには仲間が必須です。そしてそうであるならば別働隊が動いているのは予想出来ます。なので、お兄様やそれに連なる誰かを捕捉するのはかなり困難になるかと。もしそれが我々に出来るのであれば、『敵』も同様のことをするかと思いますし。むしろ、情報収集という点においては敵に利があり、先に見つけられるでしょう」
そして、アンサムお兄様が追っ手を振り切れば、またどこかに姿を隠す恐れがあるのでは、とセレーネは言う。
それを聞いて、バーニアスは確かにと頷いた。そう、アンサムを見つけることがまず難しいのだ。そのため、彼自身に協力することがまず不可能と言って良い。彼自身が如何なる計画を立てて実行するかは分からないのだ。……もしかしたら、ウェイトの予想が外れて、味方が誰もいないまま戻った可能性もある。それに最終的にクレセントに接触するだろうが、そこまで自力で辿り着けるのならば、自分達はまずいらないだろう。
――アンサムが手を下す計画の一つにルイスを救うというものがあるかもしれないが、本人がのこのこ現れるかどうかは分からない。今のアンサムはクレセントの姿をしており、そんな彼が民衆の前に姿を晒すのはリスキー過ぎるのだ。今後クレセントが元の身体に戻った時、どうなってもいいが、彼の姿をした者に助けられたルイスにとっては絶大な醜聞となってしまう。
それにその作戦をこちらが手伝うのは好ましくはない。
「ルイス将軍を救うのは私達の今後の社会的地位に関係することにおいて、とても危険です。現状のままでは少なくとも救出作戦に参加した人は切り捨てることになります。罪人を逃がすもっともらしい理由がなければ、民の信頼を失ってしまうのは確実ですから」
アンサム王子を殺しかけた罪人を逃がした者、というのは王子を好ましく思っている大勢の民にとって多くのヘイトを向けられかねないのだ。
――それに何らかの理由がなければ、ルイスは罪人という咎を背負い続けることになる。もちろん助けた人間もだ。そんな全てを失うかもしれない作戦に誰が士気を高く参加出来ると言うのだろう。それに広場では少しでも騒ぎを起こせば、夜間でも大勢に見られる危険性がある。そのため、情報操作をするのは難しすぎるのだ。
ルイスの件はアンサムに全てを任せる他ない。――言ってしまえば、こちらはルイスを見捨てる他ないのだ。
「で、あれば私共がすべきことは、『お兄様がやってきたとき城内で動きやすくする』『今後のために手を打つ』ことかと」
「『城内を動きやすくする』は、兵の配置を変えるか――いや、難しいか。奴らは自らの近くには手駒をおいているはずだ。僕らの地位ではそう簡単に差し替えることはできないか。……なら、いっそのことタイミングを見て、クーデターまがいのことを起こすか……」
カマルの言葉にバーニアスは思わずギョッと身構えるが、否定は出来ない。彼も自らの案も絶対とは信じていないようで、まだ考え込んでいる。
ならば、バーニアスにすべきことはその補助だろう。
「兵に関しては、我々の兵団で信頼における者を選出した上で行うのがいいかと。ただそれでも数が足りませんがな」
「もし危険な作戦がお望みであれば、私が兵を少し集めますよ?」
二人が悩んでいると、にっこりとしながら平然と物騒なことを言うお姫様だ。そしてそれを出来てしまいそうだと思わせるのがこの姫の怖いところ。
バーニアスは思わず苦笑してしまう。それをどう解釈したのかセレーネが口をぷくりと膨らませた。
「まあ、信じていらっしゃらないのですねっ。これでも私、顔が広いのですよ? ――そうたとえばルイス将軍の兵団員達がくすぶっているのも知っていましてよ?」
そう言って、くるりと表情を変えて薄い笑みを浮かべるセレーネ王女だ。それには思わず、バーニアスは薄ら寒さを感じる。
「ルイス将軍の兵団は数こそ少ないですが、とても優秀な方達が揃っています。ですが扱いにくいが故にあぶれた者達でもあり、それをまとめたルイス将軍に何かしらの感情を強く抱いております。そして今回の件では、将軍に対する処遇に不満を持つ者が少なくない、と控え目に言えば副団長がそうおっしゃっておりました」
……なんだか、この姫は色んな意味で危険な気がしてきた。
二人に話を通したのはバーニアスであったが、思えば、この会談の段取りを決めたのは何故かセレーネだったはず。本来ならバーニアスの兵団の副団長であるカマルと話し合ってから、この会談に臨むのが自然なはずなのにだ。……もしかしたら、元々ウェイトと通じていた可能性もある。だとするなら、先ほどのアンサムの件を聞いて落ち着いていたことも納得できるのだが。
「ルイス将軍の兵か……。彼らと手合わせしたことはあるが強兵であるのは確かだな。むしろ城内の戦闘では少数であることが求められる。適性だと言えるな。クセが強いらしいが動かす理由があるならば――セレーネ出来るか?」
「お任せくださいな。城で暴れるだけならば、全てが上手くいけば丸く収まりますから説得は楽ですよ」
即決即断し、トントン拍子で話が進んでいく。思わず不安になってしまうレベルだ。
「兵の数については、今のところはこれで十分だろう。他所に話を広げすぎると、情報が漏れてしまいかねない。秘密裏に進めるなら、数日かかるだろう……兄様が城にやってくる前に用意が出来ればいいが……。――将軍もこれで問題ないだろうか?」
「……ええ、大丈夫でしょう」
「それで『今後のために手を打つ』だが、これもセレーネ、案があるのだろう?」
「いくつかは。ルイス将軍の件は、豚がお兄様の姿をしてやってしまったせいで調整がややこしいのでまだなんとも言えませんけど。他は、さらに後のこと――この問題が終わった後を考えると――大まかな現状を聞いて、考えていることはありますね。これに関しては事が動かなければ意味がありませんし、はまるかどうかも不明ですが」
セレーネは、ちょっとだけ不安そうに笑う。それに対してカマルは毅然とした態度で首を振って促す。
「構わない。たとえ多少の問題があっても僕が補助する」
「そうであるならば。――最近の城の現状やタイタンの話や魔族の話を聞いて色々加味した結果――」
セレーネは指を一本立てて、微笑む。
「近いうち、殺されるかもしれない豚の愛人をやっている魔族の方を救うべきです」
――それを聞いたバーニアスが思ったのは、ここから計画を一歩でも進めたら、もう後戻りは出来ないだろうな、という諦めに似た感情だった。




