第四章 お茶会
バーニアスは肩を怒らせ、王宮内を早足で歩いていた。もみあげと繋がった立派なひげを蓄えた顔は怒りに染められている。熊のような大柄な体躯から溢れる怒気はすれ違ったものを思わず震わせるほど。
よほどの空気の読めない馬鹿ではない限り、今の彼に話しかける者はいないだろう。
(……あいつはこんな時でも、遠慮無く話しかけてきたが……くそ……)
王宮内ではふさわしくないラフな格好と無精ひげを生やした男――ルイスをバーニアスは思い浮かべる。バーニアスと同じく将軍の地位についていたが、彼はスラムの出でバーニアスは由緒ある貴族の出だ。そのため礼儀を知らない無作法なルイスとは馬が合わなかったが、嫌ってはいなかった。
バーニアスはどん底から這い上がってきたルイスを尊敬していたし、何よりアンサムを奮い立たせた男でもある。
今、アンサムが第一王子として立派に育ったのはルイスのおかげと言って良いだろう。むろんそれはアンサムもそう思っていたはずなのだが……。
(……何故、処刑しようとする……! あいつは貴方の恩人だろう……何故、あんな貶めるような言い方をする……。そもそもあの件も王子があいつの女にちょっかいをかけたからだろう)
それもかなり悪質な形で、王子はルイスと関係を持っていた女性に手を出したのだ。自分の女がその場で犯されそうになったら、誰だって怒りを露わにする。王子が知らなかったわけではないだろう。そもそも知らなくても、大勢がいる前で――しかもルイスが見ている前でするにはあまりにも愚かしい行為という他ない。
バーニアスはそれを見ていた。いや、それどころか王子を殺しかけたルイスを止めたのは他でもない彼だ。もしあのまま放置していたら、王子は殺されていただろう。今でこそ王子は元気だが、治療魔法士が数人がかりで治療に当たらなければ何らかの後遺症が残ったと言われている。
止めたことに後悔はない。だが、どうしようもないやるせなさが、わだかまりのように心に滞っていた。
バーニアスは悶々とした思いを抱えたまま、王宮を進んでいき、目的の部屋の前につく。
ここはウェイトという王宮内でも特殊な人物の個室だ。彼に呼ばれたのだ。
彼は王宮内でもっとも不思議な存在である。
王族でも、貴族でもなく、常に燕尾服を纏った初老の男性で執事の真似事も行うが、時に執務にも関わったりする。また将軍でもないのに、軍議に参加することさえある。ルイスを除けば恐らくこの国でもっとも強いと称されているのだ。
他には歴代の王と懇意にしていることだろうか。
そう、彼は常にこの国の歴史に存在していた。けれど裏から牛耳っているというわけでもなく、ただ彼はこの国に存在しているだけなのだ。
一言で言うなら、やはり『不思議な存在』というしかない。
息を整える。バーニアスはウェイトとどう接すればいいのか未だ分かっていない。王族でも貴族でもない、けれど王と親しい特別な存在。だから丁寧に接するべきなのだろうが、向こうは向こうで慇懃な態度を取るのだ。
どうにもやりづらい相手だった。
ノックをすると「どうぞ」と声をかけられ、扉が開けられる。二十代程度のメイド服を纏った女性が沈鬱な表情をしていた。――彼女がルイスと関係があった女性だったはず。
バーニアスは目を伏せ、部屋の中に入っていく。
そこは王族などが過ごすには狭すぎる、宿屋の一室をやや広げたような部屋だった。隅にはベッドがあり、部屋の中心に小さな丸いティータイム用の机が一つあり、腰掛けが二つおいてある。
そんな質素な部屋の椅子の一つに初老の男が腰をかけていた。
白髪が混じり始めた頭髪を整髪料によって整えており、燕尾服をきっちりと着こなしている。背筋はピンと伸びているが堅苦しさはなく、むしろわずかな所作には優雅さが溢れていた。
モノクルをつけた顔は穏やかな表情で、とてもこの国で二番目に強い男とは思えない。
片手にティーカップを持ち、もう一方の手には開かれた懐中時計が乗せられている。
ウェイトはバーニアスと目が合うと、ニコリと微笑む。
「ようこそいらっしゃいました、バーニアス様。どうぞおかけください」
「う、うむ」
執事然とした男から着席を促される奇妙な感覚に戸惑いつつ、椅子に腰を下ろす。ぎしりと華奢な椅子が軋む。
「……それで用とは? 貴方に誘われるのはこれが初めてだと思うのだが」
ルイスの恋人でもある侍女が、バーニアスの前に紅茶の入ったティーカップを置く。
ウェイトは優雅に紅茶を一口飲むと相変わらず微笑みを称えたまま、口を開いた。
「いえ、特に何でもありませんよ。お暇ならば是非とも一緒にお茶を嗜もうと思いまして」
「…………」
何を考えているかいまいち読めない。
バーニアスはウェイトに「どうぞ、良い茶葉が手に入りましたので」と言われたので、戸惑いながらも紅茶を一口飲む。
ウェイトはのんびりとした様子で語り出す。
「城下町は特段変わりなく、民も平時と変わらない生活を送れていますな」
「戦争中にも関わらず、な」
バーニアスは不満げな言葉を漏らす。前線から離れて久しい。魔族との戦争が始まった時は、彼は常に渦中に立っていたが、半年前に呼び戻されて、今では前線に送り出す新兵を育てる役を担っている。
今は前線は落ち着いているらしいが、それでも自分がこの安穏とした場所にいるのは間違いだと思っていた。
いつ、ここまで戦火が伸びるとも分からない。人狼と吸血鬼の国が滅ぼされたら、今の生活は簡単に崩れ去るだろう。それを上の人間は分かっているのか。
「それもこれも前線に送るべき物資が民に振る舞われているかららしいですがね。なんと慈悲深いことでしょう」
「……人気取りのせいで国が滅びたらたまったものではないな」
不愉快そうに呟くとウェイトは微笑む。
「ですが、無理をしているわけではないようです。これも政略の一つのようで、その筋から得た情報に寄ると近々、東の国と同盟が結ばれ、援助されるという話があります」
その言葉にバーニアスがピクリと反応し、怪訝な表情でウェイトを見据える。
「東の国……聖教会の総本山がある国か?」
「ええ、神国タイタン。あそこはとても豊かな国なようで。なんでも異界の転生者が数多といるようで、その異界の技術でもって栄えているとか」
聞いたことがある。異界の技術は魔法に頼らず、自然を観測し科学する方法をとるという。異界の科学は自然現象に対して魔法と比べると強制力がない分、弱いが、安定的であるという。
「だが、あの国と我が国は敵対こそしないものの思想の違いにより、交わることはないはず」
「そう。魔物、とは言えませんがそれに近しい獣人達と手を取り合い、時には魔族とも和解しようとする我が国は、魔界に侵攻し、魔族を滅ぼさんとするタイタンとはとてもわかり合えない」
ウェイトは首を小さく横に振る。
「しかし、今のこの国の現状はどうでしょう。襲い来る魔族を人狼達に押しつけ、魔族排斥を唱える者達が上に立つ、今を」
「……そうか。……人狼達が負けるのが都合がいいのか。だからこそ我らのような古兵は前線から退かされ、新兵ばかりが送り込まれる。仮に人狼達が滅ぼされて、この国まで魔族が来ようものなら、……体の良い救世主が現れるわけか。……最近、聖教会の関係者が出入りしているのはそのせいか。植民地とは言えないまでも、属国に近い形にされるか?」
「そう、なるやもしれませんね」
「だがそこに誰になんの得が――いや、そうか。人狼達は商業、武力ともに力をつけつつある。……ならば、関係があるのは――この国の人間ではない――そうか、あの男はもしや――」
「おっと、その先を口にするのは少々お待ちください」
「……?」
ウェイトに止められ、バーニアスは首を傾げる。
微笑むウェイトは、手に持っている懐中時計をパタンと閉めた。
「――!?」
同時にバーニアスは、ずっしりとした重みを身体に感じる。何かをされた――というより、何かを止められたかのよう。そう、まるでスキルを消されてしまったかのような感覚だ。
「ウェイト殿、なにを……」
「申し訳ありません。これより先は用心する必要がありますので、あらゆるスキルを少々、打ち消させてもらいました。たとえパッシブであったとしても、消えてしまうので悪しからず」
ウェイトに敵意はない。一瞬、彼にはめられたかと思ったが違ったようだ。
「少なからず盗聴はされていますからね。頃合い的にも、今、打ち消すべきかと判断しました。この部屋は防音に優れておりますので、大声でなければ他人に聞かれる心配はありません」
懐中時計を胸ポケットに入れて、ウェイトは改めて姿勢を正す。
「時間がないので結論から申しますと、この戦争は仕組まれたものです。今世の魔王は我らと和解出来る存在だという情報は得ています。ですがこちらから出向いた使者の行方は知れず、向こうからも何も来ない。恐らく謀殺されてしまったのでしょう」
「……企てたのはタイタンが大元だとして……関わっているのは、吸血鬼達か」
「恐らくは。今のアンサム王子の隣にいるチェスターという男は吸血鬼でしょう」
「……この国はあくまでタイタンへの手土産か。狙いは『人狼達の国』。だが吸血鬼全てが敵に回ったわけではないだろうな。吸血鬼達も一枚岩ではないらしいからな。元奴隷であった人狼達が自分達より力をつけているのが気にくわないという連中が少なからずいるのだろう。……なんとも厄介な」
バーニアスは重々しいため息をつく。
ウェイトは指を立てる。
「そしてもう一つ。今のアンサム王子は偽物です」
「なに!?」
不意打ちに発せられた衝撃の事実に、バーニアスは思わず驚きの声を上げてしまう。ウェイトが自らの口に指を当てて、声を抑えるように示す。
「す、すまない。……だが、それは本当か?」
「正確には魂が、ですが。魂入れ替えの呪いでしょう。確証はまだ得ていませんが、彼の地でクレセント王子に似た者がアンサムと名乗っていたとの情報が私の耳に入ってきています」
バーニアスは唸り声を上げる。
確かにそうならば戦場から戻ってきてからアンサムの態度が激変したのも納得出来る。ルイスに対しての処遇も納得だ。クレセントはスラム出のルイスを嫌っていてたふしがある。
「……あのアンサム王子――いえ、クレセントが今、ルイス様を処刑する、というあからさまな行動を起こしたのはただの思いつきではないかもしれません。アンサム王子が近辺までやってきたのかもしれませんな。……恐らく、ルイス様を処刑なさるのはアンサム王子に対する嫌がらせでしょう」
何かあるわけでもなく、ただただ彼の心を傷つけるために行ったのだと、ウェイトは言う。
バーニアスの背後から微かに呻くような声が聞こえてくる。握った拳が力のあまりぷるぷると震えてしまう。
「私に何か出来ることは……いや貴方が王に進言すれば……」
「王は残念ながら、今回のことには口出しはしませんよ。私の情報を伝えたところあくまで『子供同士の喧嘩』に口は出さない、とおっしゃられていました。王子に戴冠はしていないものの、政も、今はほぼ退いた身。どうなろうともその結果に身を委ねる、と。そして私も時が来るまで、動くつもりはありません」
「何を……! 今は動かないというのであれば、いつ動くというのか! そもそも全てが分かっていた貴方が動いていれば、ルイスがあんな目に遭わなかったのでは無いのか!?」
バーニアスは机を思い切り叩き、中腰になってウェイトを睨み付ける。しかし、対する彼は一切臆した様子を見せず、紅茶を口にすると首を横に振るう。
「残念ながら出来ませんでしたよ。情報はあれど、それを元に『攻撃する術』がありません。そもそも私は様々なことを王に許されていますが、裏打ちされた権力を持っているわけではありませんしね。下手に手を出せば、周りから疎まれ、排斥されるでしょうな。私が出来るのはただ待つことだけ。そして打てる手は常にごく限られた一手だけ。それだけなのですよ」
「…………」
バーニアスはウェイトをしばらく睨み付けていた。だが、無意味だと知ると息を吐き出して力なく椅子に座り、深く項垂れた。
「……何故、私にこの話をしたのか」
「今の王子の行為に少なからず疑問に思っていたから、ですかね。……もしかしたら近いうち、ことが動き出すでしょう。その時、貴方が思うとおりに動けば良い。何が最善か、考えるのです」
「……なにが最善か」
アンサム王子を救うため、この国のために、自分は何が出来るのか。味方となってくれる者は王宮内には、いないと言って良い。
……そもそもバーニアスは馬鹿ではないものの、武人であり政治家ではないのだ。深く考えられるものの、戦場での指揮や作戦の立案はともかく、このような政略的な意味を持つ作戦を立てられる訳ではない。
――それに動くにはあまりにも手がなさすぎる。
「……分かるなら教えて欲しいのだが、誰か味方に出来る人物はいるのか?」
情けないが、今のバーニアスには尋ねることしか出来ない。
ウェイトは微笑むと、軽く首を傾げる。
「信用における優秀な人物はいますが、声をかけるのは憚られますよ。それでもよろしいなら」
「構わない」
ウェイトは少々悪戯っぽく笑った。
「――クレセントの弟、妹君様ですよ」
その答えに、思わずバーニアスは乾いた笑い声を上げた。確かに声をかけづらい相手だ、と。
だが、同時にクレセントとその下の兄妹の関係上、ある意味で信頼に値する、そう思えたのだった。




