第三章 二つの悪意
「何故ですか! 何故、何故あんな仕打ちを!」
豪奢な室内に低く大きな声が轟く。
二メートルもあり、横にも幅広い筋骨隆々の男が苦しげな顔をして椅子に腰をかけていた。握りしめた拳が机を叩きそうになっていたが、寸のところで思いとどまる。
仮にも目の前にいるのは、この国の次期国王とも言える存在だ。
たとえ男が歴戦の戦士であろうと――否、むしろこの国に仕える将軍であるからこそ逆らうわけにはいかないのだ。
しかし、それでも彼――バーニアスは簡単に退くことが出来なかった。
対面に座る金髪碧眼の整った顔立ちの男は第一王子アンサムだ。やや粗暴な口調や飄々とした態度をしているものの、威厳は損なわず、優しさと強さを兼ね備えている王子である。
――そのはずなのだが、机に足を乗せ、ワイングラスを片手に赤ら顔になっていた。たとえここがプライベートな室内であったとしても、その立ち振る舞いにはあまりにも優美さが欠けていた。
アンサムが鼻を鳴らす。
「何故? バーニアス将軍、キミは国家反逆罪を犯した男が罰を受けたのがそんなにおかしいというのかね」
明らかに人を見下したような小馬鹿にした顔と口調で言葉を紡ぐ。
「『あの男』はボクに斬りかかったのだよ? 第一王子であるこのボクに。ならば死刑になるのは当然じゃないか。むしろ、一族郎党皆殺しにならないだけでもありがたいと思って欲しいね。……いや、あれはスラムの出で身内がいないのかな? まあ、探す気にもなれんね」
そう言って彼が軽薄に笑うと、部屋にいた取り巻きの大臣や侍女達がクスクスと笑う。唯一笑っていなかったのは、アンサムの隣に立つ色白で銀髪、赤い目をした長身の男だった。
バーニアスは彼の名前を知らなかった。そもそもいつの間にかこの男はアンサムに侍っていたのだ。
男は熱を感じさせない、むしろ冷気すら感じさせるような近寄りがたい雰囲気を放っている。
アンサムは隣の男が無反応なのには特に気にせず、一度、ワインを呷る。そして彼は嘲るような表情になって口を開いた。
「薄汚いゴミを掃除出来て良かったと思うがね、ボクは。キミも彼とは仲が良くなかったじゃないか。……むしろせいせいしているんじゃないか?」
「――っ」
一瞬、バーニアスの頭に血が上ってしまった。衝動的にアンサムに向かって拳を振るいそうになったが、全力で己の獰猛な感情を押さえ込む。
「……分かりました。貴重なお時間をいただき、有り難うございました。失礼します」
バーニアスは椅子を軋ませながら立ち上がり、退室する。やや無作法ではあったが、これ以上、アンサムと会話をしていたら殴りかかる自信があった。……どうせ何を言っても無駄なのは、今に至るまでの態度ではっきりした。
それにアンサムも特に引き留める様子もなかった。
バーニアスが退出したのを見て、アンサム――ではなく、彼の肉体を奪ったクレセントがあからさまに疲れたため息をつく。
「一体、あいつが何をしにきたのはボクには分からないよ。しかし、弁明をしにきたところを見るに、意外に仲が良かったのかな? あっ、もしかして表面上は敵対している風で裏ではよろしくやってたってオチかな?」
クレセントが下卑たことを言うと、大臣達は苦笑し、侍女達は「やだー」と笑う。
口を開けて果物を侍女の一人に食べさせてもらい、またワインを飲む。空になったワイングラスにボトルを持った侍女がとぽとぽと注ぐ。
――部屋に濃厚な酒気が漂っている。慣れていないものは空気だけで酔ってしまいそうになるだろう。そして、ここには一名を除いて素面はいない。誰もが酒を飲み、近くの薄着の侍女にちょっかいをかけながら、楽しんでいる。
酒池肉林を絵に描いたかのようだった。仮にも戦時中とは思えない王族や貴族の立ち振る舞いだった。
クレセントは息をついて、仰け反るように椅子に身を沈み込ませる。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかだ。何故? そんなこと分かりきっているだろうに。何故そんなことを確かめるんだか。意味が分からない。……チェスター、『奴』はまだか?」
支離滅裂なことを呟きながら、最後にぽつりと隣の男――チェスターに問う。
この中で唯一、きっちりと衣服を纏っているチェスターは直立不動のまま言う。
「この近辺まで来ました。すぐに来ないところを見るに、何か企てている可能性もあるかと。……少々、あの畜生共が文字通り嗅ぎ回っていたようですからな。見つけたやもしれません。恐らく手を貸しているのかと」
チェスターにわずかながら、嫌悪の表情が浮かぶ。そんな彼を見て、クレセントは少し愉快げに笑った。
「……お前は本当にあのワーウルフ達が嫌いみたいだな。ボクとしては獣人もいけるがな。以前見た『獣神』、あれは好みだ。胸がでかくて。いくらやっても他種族は孕まないというのも良い。お前らは良い仕事をしたと思うぞ」
はっはっ、といやらしげに笑い、言葉を続ける。
「――それより、『奴』についてだが、そんな注意が必要か? 元の出来損ないに戻った奴に何が出来る。『仕事』を失敗しておめおめ逃げてきただけだろう。恥のせいですぐにこれないだけだろう。――だから、そんな出来損ないにボクが、――『お仕置き』をしてやるんだろうが」
クレセントが邪悪な笑みを浮かべ、顔を醜く歪めた。
「……ふんっ、弟子も弟子ならその師匠も間抜けだな。たかだか女一人で簡単に罠にはまってくれやがった。おかげでこっちは邪魔者を排除出来て万々歳だ。……ところでスラム野郎の女はどうした? 一晩で寝取って、奴の目の前で見せつけてやるのも面白そうだ」
「残念ながら、彼女はウェイト様に保護されました。さすがに彼から奪うのは容易くはないでしょう」
「……。本当になんなんだ、あの糞爺。特に何もしてこないくせに変なところで動きやがって。……父様と仲がいいせいで下手に手も出せない」
クレセントはワインを一気に飲み干し、放り投げるようにグラスを机に置く。
「どいつもこいつも鬱陶しい。面倒ばっかりかけやがって。ボクの苦労を増やすなよ。……無能共ばかりで疲れる。…………ああ、こんな日は、あの子と一緒になるか」
ふと、恍惚とした表情となった彼に、チェスターが軽く咳払いをした。
「失礼ですが、『彼女』とは極力会わないように願いたい。未だ素性も知れぬ女がいては、やや混乱した城内にさらなる混乱を招く可能性があるので。……現にゴーレムを使われて襲われたではありませんか」
先日、城内でゴーレム暗殺未遂があった。被害者は一月ほど前にクレセントが凱旋の時に連れ帰った女だ。
その女は素性は知れず、姿も見せないままクレセントが娶ったことで王宮内で不信感を強めた。さらにはその日を境に若干だが魔族排斥過激派だったクレセントが、やや軟派な発言をするようになったのだ。そのせいでかねてより進めていた聖教会の総本山、タイタンとの同盟が滞ってしまっていた。
そのため、暗殺されそうになった、というのが今、考えられている経緯だ。
クレセントはじろりとチェスターを睨んだ。
「ボクに指図するのか、お前は。……そもそもあれはお前の差し金じゃないのか?」
「まさか。犯人は魔道具研究室長であると判明しています。暗殺に用いられたのは、そこで製造されたゴーレムでもあり、なにより室長本人が逃走をはかっています。もし彼女が無実であるのならば、逃げずに弁明するはずでしょう」
「……。ふん、まあいい」
クレセントは心の中でよく回る舌だな、と悪態をつく。彼が知る限り、あそこの室長は暗殺をするような度胸があるようには思えなかった。貴族ではあるが生粋の研究員で外界とはほぼ繋がりを絶っており、好色なクレセントでさえ手を出したいとは思えない芋っぽい女、という印象だ。
恐らく――というより確実に室長はスケープゴートにされたのだろう。
「……チェスター、あまり調子には乗るなよ」
「何のことでしょうか。……それより貴方様もご用心くださいませ。素性の知れぬ女が『魔族』であると疑う者も少なくありません。いつ如何なる時、誰が手を出すやもしれませんからな。だからこそ言動にはご注意くださいませ。貴方の言葉一つで、彼女の命が左右されかねません」
「…………」
本当に忌々しい、クレセントはそう思った。
対してチェスターは心の中で深いため息をついた。
(本当にこの王子には困ったものだ。扱いやすいが欲望に忠実すぎる。……馬鹿だが、馬鹿すぎないところも面倒だ。いつ刃を突きつけてくるか分かった物ではない)
気位が高すぎて相手を見下し過ぎるが、物事を考える力はあるのだ、この王子は。さらに気に入らないことに乱暴な手段をとってくることがあるため注意が必要だ。
(……早めに王子をたぶらかす奴を殺す方法を考えなくてはな。……敵の正体には大体の予想はついている。対処に当たった王妃も惑わされているところを見るに――高位の淫魔の仕業だろう。下手な駒では取り込まれてしまうかもしれないが、さて、どうするか。……ゴーレムで仕留めきれなかったのが痛い。多少、戦闘能力もあるということか。……タイタンから応援が来るらしいが、使える奴だと良いが……。……それにアンサム王子の件もある。町の外に潜んでいるのは確実だろう。捜索隊を組んで探ってみるか。……タイタンにいる異界の転生者達の能力如何では、隊に組み込んで襲撃させて戦力を削るのも悪くない。……不確定要素はとにかく消しておかなければな)
クレセントは気にしてないようだが、きっとあの第一王子は何かをやらかしてくるはずだ。もしかしたら味方を作ったかもしれない。だから油断はせずに守りは固めておくべきだろう。最悪、一矢報いるために相打ちを狙う可能性だってある。こちらは向こうを殺せなくても、向こうはこちらを殺すことが出来るのだ。だとするならば、一時的にでも命令の呪いを撥ね除ける手段を持っていると想定すべきだ。
そしてその最中に淫魔がやらかす可能性があるため、早めに対処すべきだろう。
(色々と忙しくなりそうだ)
チェスターは今一度、心の中で大きなため息をついたのだった。




