第三十二章 その時、選ぶべきこと
『『テンタクル』への進化が完了しました。進化により『分裂体』『遠隔操作』『神経毒』『部位生成』を取得しました』
そんな機会音声が聞こえてから、約数分の間、俺は正座をしながら、ぷりぷりと怒っているリディアに見下ろされていた。
ちなみに今の俺の姿、かなり変質しちゃったみたい。口は丸状になってそこに鋭い牙が生えている。それが口の中に幾重にも続いており、一度食らいついたら、そう簡単に(俺でさえも)引き抜くことは出来ないだろう。髪もなくなり、目は瞼がなくなった代わりに薄い膜によって乾かないように保護されている。
背中はやや盛り上がり、そこにびっしりとフジツボ状の突起がついている。ここからなんか糸状の細い触手をたくさん出せた。
脇腹や腹など身体の至る所から不規則に太い触手が生えている。これらは好きに操れるし、結構長い上に筋肉の塊なのかゾンビにしてはかなり頑丈だった。
あと俺の手首には穴が開いており、そこから触手を射出して操ることが出来るようだ。先端に爪がついているから上手くすれば相手を刺し貫けたり出来るかも。リーチも伸びるから結構、便利かな。
(見た目の奇異差をさし抜いても、良い進化だったな!)
「そんなわけないでしょうに! マジなにしてんの、アハリちゃん!」
リディアが珍しく怒鳴ってきた。でもさっきの妖精に向けた怒りとはベクトルが違うね。
怒るのは無理はない。だってもう、勇者の原型残ってないからね。これ、どう足掻いたって町に入る事なんてできないよな。でも、俺に悔いはないよ。
あと、全身筋肉剥き出しみたいなピンク色しているし。ちょっとエッチかな?
「ゾンビは進化の回数熟すほど、見た目が人間からどんどん離れていくけど、せめて最低限人としての姿は保って欲しかったなあ。……仮にこれ勇者様の封印解けても、元に戻らないよね?」
(なんだよ、やっぱり俺の意識押しのける予定だったのかよ)
「そのつもりは元からないけど! ないけど……うー……」
すんごいリディアが悩ましげに唸っている。
……もしかしてやり過ぎちゃったかな。リディア、本気で困っちゃってる感じだ。俺の進化が失敗した訳じゃなくて、身体の変化が大きいのが気に入らないのかな。それは今後のためというよりは、この勇者の身体そのものが大事みたいな感じだ。
……薄々感じてたけど、やっぱり勇者とリディアって……。
――――俺の想像通りならちょっとやり過ぎちゃった罪悪感がある。
どうにか出来ないかな。……そういえばさっき手に入れたスキルに『擬態』とかあったな。あと『侵蝕』の肉体操作もあるし、姿は大幅に変えられると思う。
ぐちゃぐちゅ、メキゴキと身体の表面が蠕動、骨格が変形していく。勇者の顔はうろ覚えだけど、似せられると良いなあ。
「……ど、どうしたの?」
リディアが突然、変な音と立てて変形し出した俺に不安げに声をかけてきた。
(見た目、元の勇者っぽく……出来なくても最低限人間っぽく出来たらなあ、と思って。『擬態』っていうスキルも手に入れたし、試してみる)
窓ガラスを覗き込んで、顔の形状を確かめつつ、形を整えていく。って、言ってもいくらスキルがあるからってそう簡単にはできなかった。
あと、形状をいくら変えても筋肉剥き出し状態の肌がどうしようもない。……ここら辺は状態が良いゾンビの皮膚を引っぺがして流用しようか。
「……え、えっと、あー、無理はしなくてもいいからね?」
(多少はする。さすがにやり過ぎた感はあるし。……リディアにとって、この『勇者』は大切な奴なんだろ?)
「…………」
リディアは顔を赤らめる訳でもなく、ただ悲しそうに目を伏せる。まあ、答えられないわな。イエスと答えたら、勇者の味方になるって言ってるようなもんだし。
……どっちにしろ答えないっていうことは、イエスって言ってるようなもんだけど。それは諦めきれないってことになるから今後、勇者のために俺の意識を押しのけることもするかもしれないだろう。
――なんか、俺自身を取り巻く状況って面倒臭いなあって改めて思う。
俺の魂になんか魔物やら勇者やらの魂混じってるし。そいつらが微妙に干渉してきてるから将来内なる存在との戦いとかありそうだ。
……あっ、ちょうどごねごねしてた鼻が形成、出来たけど、なんか垂れちゃう。こんな猿いたよな、確か。骨の支えがやっぱり大切なのかな? 筋肉オンリーだと、もこぉ!っと団子っ鼻になっちゃうし。……むう、整形にエネルギー使うなあ。なんか肉減ってる気がする。うーむ、材料はまだたくさんいるし、あいつらを積極的に使っていこうかな。
これだと数日かけても整形は無理っぽいなあ。
「……アハリちゃんはやっぱり不安? 勇者様の魂が、身体に宿ってることが」
リディアがそう問いかけて来た。
(そりゃあな。どんなに人格が優れてるって言われても、やっぱり俺はそいつを知らないし。元の身体の奴が間借りしてる俺を追い出そうとしたとしても不思議じゃないだろ)
「そんなことはないよ。勇者様はそんなことはしない」
ムッとした顔でリディアが言うが、俺は首を横に振る。
(だったら勇者は俺の中からずっとお前を見ているだけだと思うのか? リディアは勇者がそれで何も感じないと思うのか?)
「……それは……」
絶対とは言い切れないよな。だって、完全な善人なんていない。仮に勇者が善人だったとしても、リディアを愛していたのなら、欲望から信念を歪めてしまうかもしれない。
そもそも俺が身体を乗っ取ったような立ち位置にいるのだ。大義名分も十分だろう。
だから、もしかしたら勇者はいつか俺から身体を取り返すかもしれない。
俺は自分や他人の善性を信じない。人間には必ず利己的な部分が存在する。それがいつ、どこで出てくるか分からないのだ。
そして世の中に最善はあれど、最高の展開、選択なんてほとんどないんだ。いつだって理不尽な選択を突きつけられるハメになる。
その時、人間の真価が問われる。――正義よりも自分の思いを優先することになるかもしれない。俺だって、この身体を返したくない。まだ、生きていたいんだ。
だから俺は人間の善意なんて信じていない。
もちろん人に対して自分を殺し、思いやることが出来る人間がいることを知ってはいる。けど、絶対ではないんだ。
(……俺はリディアと勇者の関係を信じるよ。だからこそ、俺は俺が選ばれないのを覚悟してる)
俺は整形によって普通になりかけている口で笑みをつくる。
(……だからせめて、その時は正々堂々、俺と戦ってくれよ)
「……っ。……。…………うん…………ごめん」
迷った末に、リディアはそう短く答えてくれた。
十分だ。土壇場で裏切られるよりはよっぽど良い。というか、その可能性しか思い浮かばないしな。
……もっとも、最悪の未来を待つだけなんてごめんだが。
(そもそも戦うの回避するためにリディアの俺に対する好意MAXにするのもありだけど俺、寝取りとかの趣味ないしなあ。てか、リディア的にそもそもゾンビいける?)
「えー、それ私に直に聞いちゃう? ……んーっと、私には死体愛好趣味はないかなあ。一応、無理矢理とか乱暴されるのは誰でもオールオッケーだけど、精神面で堕ちちゃうのはちょっと……」
ダメかあ。じゃあリディア、攻略ルートは存在しないってことでオーケー?
いや、待て、突発的なNTRはないにしても、徐々に徐々に好意をこちらに寄せていけばあり得ない話ではない。勇者についての恋愛相談とか聞いている内に親密度が上がって――とかもあり得るだろう。
ぐへへ、だからリディアを俺のものにするのは不可能ではない――――おろ? なんか身のうちから殺気を感じるぞい。
『魂感知』と『魂鑑定』のおかげか自分の魂でも集中すると、なんとなく俺以外の魂の情動が分かる気がする。本当に集中しなければならないし、その場合、数秒だけだけど。
んで、感知した結果、俺の中にある別の魂っぽいのがかなりご立腹な感じだ。こいつがたぶん勇者だろうな。封印で色々と阻まれているけど、ある程度の意思はあるっぽいね、やっぱり。
……そんでさらに感知、鑑定すると、――――なるほどなるほど、やっぱりそうか。やっぱり勇者様も人間なんだなあ、と思ったね。
魂から伝わるのはほんのわずかな気配だけだけど、それでも勇者から牽制するような敵意を感じる。
……ちょっと安心した。得体の知れない存在じゃないって分かっただけマシだ。
あと、下手にリディアに手を出さないようにしよう。なんか怖いわ。
……リディアに殺されないために、最悪の展開を回避する方法は他にも考えてはいる。今は出来ないし、現実的ではないから誰かに言う気はないけどな。
とりあえず色々と落ち着いたし、切り替えるか。
(じゃあ、屋敷で一晩過ごすか。ここゾンビいっぱいいるから、整形の練習にもってこいだしな。あと、なんかあっちも決着ついたっぽい)
屋敷にて繰り広げられていた乱闘は、アンサムとフェリスの勝利となったようだ。奴隷達は床に倒れているが大した怪我はなさそう。
リディアが鉄柵を操作するため、軽く手を振る。屋敷にゾンビが簡単に入って来れないよう屋敷を囲うように壁ギリギリに柵を突き刺した。何体か内側にいるが、簡単に掃討できるだろう。
作業が終わったリディアは、ちらりと屋敷を見てから俺に少し眉をひそめて首を傾げる。
「……アハリちゃん、怯えられないかな」
(十中八九怯えられるから、俺は外にいるよ。土の中の方が落ち着くし)
最近、割と土の中が良いなって思い始めてる。聴覚優れているから、外だとうるさくて落ち着かないんだよね。土の中だと、防音効果が程よくて意識も切りやすいんだ。あっ、村からもらう報酬に俺専用のお墓のような家を作ってもらおうかな? いいかも。
ということで俺は、外にて眠ることにしたのであった。
「うーん、その方がいいかなあ」
リディアも特に反対する様子も見せず、屋敷に向かおうとしたが、ふと何かを思いだしたのか、手を打った。
「――――あっ、そうだ。ミアエルちゃんのこともあるから、出来れば、村につくまでに見てくれの良い感じにして欲しいかなあ、と思っちゃったり」
あ、ああ、ミアエルのこと、うっかり忘れてたよ。確かにこのままじゃ恐がられちゃう。
……数日は徹夜だな。たぶんこの森からゾンビ、ほとんどいなくなるかも。
――――こうして長い一夜は更けていったのだった。




