第三十章 黒衣の王
俺は一人、屋敷の外に出る。屋敷内部より鬼火の照明が少ないけど、月が照っているおかげで視界は良好だ。もっとも俺は視界が悪くとも、周囲を割と高い精度で把握することができる。まあ、光源がないよりはあった方が格段に良いのは確かなんだけど。
手短にいるゾンビを『侵蝕』にて無力化して、軽く地面に埋めつつ、バックアードを見つめる。奴は数メートルほど先におり、立とうと必死になっている。だが腕がまだくっついていないため、上手く立ち上がれず何度かこけていた。
馬鹿っぽくてチョロそうに見えるが、能力が凶悪なため下手に手を出せない。
ただ黙って見ているのもあれだから、俺は新たに近づいてきたゾンビを二体ほど『侵蝕』で溶かす。その溶かした肉塊を筋肉と骨の塊により分けて――歪なハンマーを作り上げた。
とりあえず武器は確保した。ただ使えても一、二発が限界だろう。それ以上はバックアードの黒い靄で腐ってしまう。
武器は用意はしたが、積極的に近づきはしない。俺のすべきことはあくまで時間稼ぎだ。決定打となる攻撃がない以上、迂闊に接近しての攻撃はするべきではない。
試しに『溶解液』を最大出力でぶつけてみたが……効果は薄い。ぶつけた瞬間、多少、骨は溶けるようだが『溶解液』の劣化が早くダメージにはならない。有機物全般は、ほとんどあいつには通用しないと言って良いだろう。それに何度もやっていたら、奴が完全に溶ける頃には俺が干からびるだろうな。連発もさほど出来ないし、攻撃手段としてはあまり良くはない。
とりあえず周りのゾンビ(回復薬)の位置を把握しておく。逃げ回らないといけないから――感知系で捜索を――――って、あれ?
……なんか、生者を感知したんだけど。
リディア達ではない。方向が真逆の、この屋敷を囲う鉄柵付近からだ。
……あれは馬車か? アンサムの馬車? いや、待て、もう全員食い殺されているはずだろう。何かの間違いかと集中してみたが、やはり生者が馬車の中にたくさんいる。
でも、ゾンビが群がっている様子はない。なんで? どういうこと? 多少馬車の外をゾンビがうろうろとしているけれど、襲いかかる様子はない。気付いていないってことはないだろう。なら何でだ?
俺が混乱している間に、バックアードが腕をひっつけて立ち上がってしまう。
奴は俺を見ながら、カチカチと歯を鳴らすと、突っ込んで来やがった。本当にいきなりだったが、心構えは出来ていたため、横に跳んで躱す。
突っ込んできたバックアードは俺の今までいた位置に上半身を起こすようにして両腕を叩きつけてくる。外した、がそれでは止まらず、横にいる俺に鋭い尻尾を突き出してきた。
俺はフェリスと違って身体能力は高くないし技術も無い。だから紙一重で躱すなんてことも近寄ったままなんてこともしない。とにかく大げさでも当たらないように跳ぶように避けた。
突いてきた尻尾はなんとか躱せた。だが奴は俺に向かって一歩を踏み込むと尻尾を張ったまま大きくその場で横に回り、薙ぎ払ってくる。
あっ、これヤバい。範囲が広い上にあの尻尾、俺の腰辺りを狙ってきやがる。しゃがみ回避は出来ない。また奴から離れるように跳ぶしかないが――如何せん、速すぎた。
奴の尻尾の切っ先が俺の腹を深く裂き、内臓と血液、ついでに寄生虫をぶちまける。
痛みはないが臓物がぶちまけたことで重心がややずれて体勢を軽く崩してしまう。とっさに動けない。
バックアードはちょうど俺に真正面に向き合うと片手を高々と上げて、手の平が真っ黒に染まった手を振り下ろしてくる。――なるほど多少、黒靄も操作できんのね。
あと、分かったこともう一つ。
たぶん避け続けるだけって無理だわ。フェリスってガチですごいって今分かった。
俺は手に持つ肉塊ハンマーを腕の力だけで無作法に扇状に振るった。がむしゃらではあるが目測をしっかりして、バックアードの腕を真横から打ち抜く。
肉塊ハンマーは腐るが――一瞬ならぶつけることは出来る。奴の腕を肘関節から吹っ飛ばす。同時に俺の脳天からわずかにずれた腕の残りが、ちりっ、と側頭部に触れかけたが脳みそ腐らなかったからセーフだ。
俺は即座に腹の傷を塞ぎつつ、奴から離れる。ついでに今ので半分腐り落ちた肉塊ハンマーを力の限り、バックアードの頭に投げ付けてやった。
ごっ、と鈍い音がするがちょっと軽く仰け反っただけでダメージはなし。でも、一瞬でも動きが止まったのは助かった。
肉塊ハンマーはそのまま黒いヘドロとなって地面に腐れ落ちる。
カチンカチン、と歯をかち合わせる音が大きくなった。どうやらかなりムカついたようだ。
よし、良い感じ。このままヘイト集めてなるべく屋敷に突撃しないようにしないとな。
俺は身近なゾンビを見つけて溶かすと片腕に覆って擬似的に巨大な腕を作る。もう一方にはもう一度肉塊ハンマーを持つ。
本来なら俺はパラサイトとして兵隊を量産しつつ、隠れて戦うのが良いんだろうけど今のバックアードは雑兵が無意味だからな。ただ通るだけで蹴散らせてしまうだろう。
だからこいつの相手をするには直接触れずに、強い攻撃を当てて動きを制限していかないといけない。
ベストは金属類を使うことだけど、金属は屋敷を囲う鉄柵くらいだ。まあ、あれでもいいが下手に近づいて中に誰かいるらしい馬車にターゲットは移されるのはダメだろう。
――そんなことを考えつつ、しばらく俺はなんとかバックアードの猛攻を防ぎきっていた。たまに片腕とか千切られたり胴体を裂かれたりしてしまうが、まだゾンビ(回復薬)があるので問題は無い。
それにしてもリディア達はまだかな? 地下迷宮のルートはある程度把握しているけど、三十分程度はかかるらしい。……なんかもうそのくらい時間は経った気がする。
……いや、あんまりかかっていないかも? 時計がないから分からないけど、そんな気がしないでもない。
あれだな。昔、前世で友達に誘われて一度だけ格闘技のジムでスパーリングしたことあるんだ。三分間だけだったけど、異様に長く感じたな。相手はプロで初心者の俺に手加減はしてくれたけど、入れるとこはしっかり打撃を入れてくるから、神経を研ぎ澄ませなきゃならなかった。
あの時はたぶん、一秒一秒が長くなって、神経も磨り減ってすごく疲れたんだと思う。
そして今は命のやり取りだ。痛みも疲れもないけど、急所に当たればほぼ即死の攻撃が常に襲ってくる。逃げることは許されない。だから一瞬一瞬の時間を少しでも知覚出来ないといけないのだ。
だから時間が長く思えてしまうんだ。きっとまだまだ時間はあるだろうし、体感的にもっとさらに長くなるだろう。
――でも、幸い少しこの戦いにも慣れてきた。
俺の目の前にバックアードがやってくる。
でもバックアードから逃げず、あえて突っ込みながら襲いくる即死攻撃を掻い潜る。そして一瞬見える、わずかな隙。そこにゾンビで作った巨大な腕でバックアードの腕を薙ぎ払うように振った。途中で腕が完全に腐って、転ばすことは出来なかったが、多少、体勢は崩せた。そのまま畳みかけるように、一歩深く踏み込むと肉塊ハンマーで胴体の真横を殴りつける。
がぎっ、と鈍い音が聞こえ、バックアードの身体が吹っ飛んでいく。
俺は腐った腕とハンマーを捨てて、すぐに近くのゾンビを捕まえて装備を補充する。
意味はないけど、一旦、息を吐き出す。
――という風に一連の無力化の流れを築くことができた。
……ただ、この作戦だと、ゾンビ(武器)の消費が早すぎるかな。結構、多く居たはずなのに、目に見えて少なくなってきている。ヘドロ溜まりの方が多く目につき始めてるな。
おかしな話だが、ゾンビを保護しないといけない。
……だから戦いに巻き込まれないように隙を見て、寄生虫を埋め込んでやや戦いから離れたところに待機させたり、支配してから地中に埋めたりしている。
でもそうやっても減ってくるものだ。それになんか、バックアードの奴も狙ってるのかどうなのか、近くにいるゾンビをわざと殺しているようだ。
バックアードが立ち上がる。今度はどうくる? 突進か? それなら進行方向によっては普通に躱して、なんかヤバいモノぶっ壊しそうだったら、ギリギリ避けて横に一撃食らわせて転ばせてやろう。近接攻撃なら、さっきと同じ流れで吹っ飛ばしてやる。
俺が臨戦態勢を整えていると、奴は全ての腕に力を込めるかのように大地へ指先をめり込ませる。何か踏ん張っているような感じだが……何をする気だ?
時間にして一、二秒経った時だ。奴の胴体の真上に馬鹿でかい火球が出現する。
うそ、魔法使った? これやばいんじゃ――。
俺は危機を感じ、地中に逃げる準備をしていると――火球が奴の上で爆発した。
爆風が、ぶおお、と俺の全身を撫でる。奴は、多少爆風の影響を受けたのか、べしゃっと身体を地面に張り付けていた。
え、ええ……?
俺が困惑していると奴は立ち上がり――、
「GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
叫びながら、両前腕で地面をバシバシと叩いて苛立ちをダイナミックに表現していた。
いや、ぐがぁあ、じゃねえから。
…………んー、えーっと、えー、いや、油断するな俺。あいつはついに魔法を使ったんだ。つまりは今後、遠距離攻撃が増える可能性があり、距離を取る戦法が取りにくくなる。
地面に潜ることも考えなきゃならないかな。地中に潜るのは、相手が俺を見失ってしまって、ターゲットを変えてしまうため使いたくはなかった。でも、そうは言ってられなくなったな。
奴はまだ癇癪を起こしたままで、近くに居たゾンビを薙ぎ払って殺している。
――――いや、ちょっと待て。本当に怒り狂っているだけか? そもそもあいつ、最初から近くにいる奴を殺しまくっていた気がする。
――その行為が意味するのは……進化、か?
付近にいたゾンビを全て殺し終えたバックアードは、カチンカチンと歯を鳴らしながら俺を見る。しかし、襲ってこない。今までと違う。……もしかして知性が戻ってきたのか?
なんか色々と不味い感じなことが連続して起こってる気がするぞ。
奴は全身から力を抜き、わずかに骨の身が沈む。まるで何かに集中するようにしている。また魔法が来るかと身構えていると――奴は、ぐりんと不意に頭をある方角へと向けた。
視線の先にあるのは馬車だ。恐らく奴隷達がまだ乗っていると思しき、場所。
おい、ちょ、待て!
奴は俺を完全に無視し、馬車へと身体を向け突撃していく。
バックアードが何を狙っているのかまだ分からない。だが、少なくとも馬車の中にいる人達を皆殺しにしようとしているってのは分かった。
俺はすぐさま全速力で奴の後を追いかける。
くそっ、声を出せれば注意を促せられるが俺はただ叫ぶことしか出来ない。この場面では意味がない。
俺は両腕の肉ハンマーと肉腕を溶け合わせ、巨大な肉団子にする。
バックアードが馬車へとのしかかった。馬車の上部が腐り、中から数多の叫び声が上がる。
間に合わないことを悟った俺は、肉団子を力の限り振りかぶり、馬車へとのしかかるバックアードへと投げ付けた。俺は同時に近くにいるゾンビを溶かして肉ハンマーだけを作り上げて奴に駆け寄る。
肉団子が奴の背中に当たり、わずかに傾ぐ。でもちょっと間、動きを止められただけだ。横から攻撃して振り落とさなければ意味が無い。
今まで馬車の中に隠れていた奴隷達だが、さすがに不味いと分かったのか馬車から逃げ出してくる。
俺は走り寄るが、バックアードは馬車の左右と上部から中腕と前腕を突っ込む。先に出ていたほとんどの奴隷達はそれから逃れることが出来たが、今まさに出ようとした奴隷が捕まってしまった。
耳をつんざくような悲鳴が多数聞こえてくる。耳を塞ぎたくなるが、そんな暇はない。
俺は奴を真横から殴れる位置までつくと、力の限り肉ハンマーを振りかぶる。
しかし、それを読んでいたのか奴は素早く尻尾で俺の胴体を刺し貫いてきた。避けることは出来なかった。そんな余裕はどっちにしろなかった。
俺の腹の肉を腐らせ溶かしながら、尻尾は貫通してくる。一瞬身体が宙に浮かび、振り回されるかと思ったが――黒靄の腐敗速度は思いのほか速く、すっぽ抜けて俺は投げ出された。
俺は手に持つ肉ハンマーを取り込んで自身の身体を再生させる。その際、地面に落ちるまで、俺は奴から視線を逸らさなかった。
まだ中に誰かが残っていたのか、バックアードは馬車の中をかき回している。そんなことをしたためか、馬車の原型は数秒でなくなり、ヘドロの塊が地面に溜まっていた。
それでもなお、生きていた者が何人かおり、ヘドロの中を這って抜け出していた。
先に出た奴らは――叫びながら逃げ惑っている。幸い他のゾンビに襲われることは――って、いや、なんか襲われ始めてるぞ!? なんでだ、クソが!
突然増えた情報量の多さに俺の頭がパンク寸前になる。どうする、落ち着け、まず対処だ!
地面に埋めていた俺の回復兼武器用のゾンビを総動員させ、奴隷達を襲うおうとしているゾンビ達を逆に襲ってやる。
そして俺は力の限り、大声を上げた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
一瞬、ほんの一瞬だが、ほとんど全ての存在が俺へと注意を向ける。
俺は屋敷を指で指し示し、再度大声を上げた。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
同時にバックアードに接近し、今度は尻尾の一撃も避け、奴の胴体へと肉ハンマーを叩き込む。とにかく力の限り、奴を地面へと倒すつもりで。そうでなければ意味が無い。
がしゃああん、と骨の巨体が地面へと転がる。ついでに俺の両腕の骨もへし折れる。
その光景を見ていた奴隷が何人かいてくれた。俺はその中の一人に視線を合わせ、再度、屋敷へと顔を振り向け、叫ぶ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「――っ! おい、みんな、こっちだ!」
伝わってくれた。奴隷の一人が他の奴隷達に声をかけ、屋敷に向かって走って行ってくれた。
ただ錯乱している奴もやはり何人かいて、外へと繋がる鉄柵に張り付いて必死に壊そうとしていた。そいつらの周りにはすでにゾンビが集まっており、俺のゾンビを向かわせる時間はなかった。
もうどうしようもない。全員助けるのなんて無理だ。
鉄柵の方から絶叫が響き渡る中、俺は歯を食いしばりながら肉ハンマーを補充し、バックアードへと駆け寄る。
奴は真正面にいる。腕を吹っ飛ばさなかったから、復帰が速い。
今は猛攻を仕掛けなければならない。
奴隷達を屋敷へと逃がさないと恐らく不味いことになる。バックアードにあいつらを後何人か殺されたら、たぶんだが取り返しの付かないことになる気がしたのだ。
俺は近くの補充用ゾンビを確認しつつ、奴の前腕を薙ぎ払った。一本目の腕を数メートル先に吹っ飛ばす。二本目の腕はハンマーの打撃部分が腐ってしまってダメージを与えられない。
次だ――そう思った瞬間だった。
バックアードの眼窩に宿る赤い光が消えて、全身が崩れ落ちる。その上、黒靄が消え去る。
一瞬、俺の脳内が真っ白になる。だがすぐに一つのことを思い出す。スケルトンは核を自在に移すことが出来ると。つまり今吹っ飛ばした腕は核で、あれを壊せば――!
自然と俺の身体は焦りと勝利の高揚から吹っ飛ばした未だ黒靄を纏う腕へと向けられた。
――しかし、視界の端で立ち上がる奴の姿が映った。頭部の眼窩には赤い光は宿ってはいないが、しっかりとそこから俺に視線が向けられているのが分かった。ボッと奴の全身に黒靄が纏い出す。
――ブラフ。引っかかった。馬鹿か俺は。離れた骨の遠隔操作をこいつはしていただろうが。腕に核があろうとなかろうと、目を離すべきではなかった。焦りすぎた。
そう、瞬時に判断する脳みそが幸い俺にあってくれた。でも、対応出来る訳じゃない。
奴の片腕が高々と掲げられているが、逃げる術はなかった。
俺は肉ハンマーの成れの果てを頭上に振るう。先ほどのように扇状に振り払うが、奴以上の重量がない上にリーチもない。幸い手に当てたが、かんっ、と軽く頭上に弾く程度だ。
むしろ俺の方が力負けし、たたらを踏んでそのまま尻餅をついてしまった。
再度振り下ろされる奴の腕。俺は転がりながら回避する。
地面の中に逃げなければ――。
そう考えて行動に移そうとしている時にすでに奴の顔面が迫っていた。
ぐりん、と真横になった奴の頭が大口を開けている。幅は俺の上半身を全て包み込めるほどだ。
――間に合わない。
俺は苦し紛れに両腕で奴の上下の歯を掴むが、黒靄により数瞬で腐り落ちた。
バックアードの歯が迫る。
そして、ガッと俺の上半身に歯が突き立てられるとわずかな抵抗の下、容易くぐちゅりと潰され――。
――俺の意識は闇へと消えた。
※無駄な補足
現在のバックアード:『王種』。
特殊個体名:『ドラウグル』




