お花畑はどうですか?
人狼の男は狼の形態に変化して、臨戦態勢を整えていた。周りにはゴブリンが群がっており、結界の壁を叩いている。薄氷のようだが強固な守りだ。ゴブリン程度の力ではたたき割ることは出来ないだろう。
「ぐ、うぅ――」
だが、結界や障壁は攻撃されることで負荷がかかるものがある。結界を維持する術者にフィードバックされ、さらに魔力を多く消費させられてしまうことで結界の寿命は想定よりかなり短くなる。
人狼であれば、内在魔力の容量的に攻撃され続けたとしても30分以上は耐えられると思われる。――だが、あくまでそれは精神が良好であればの話だ。
結界を維持している人狼の女性は、精神的にかなり参っており、ふとした拍子に意識を手放してしまう危うさがあった。
隊長である人狼の男は代わってやりたいと思うが、もしもの時に自分が戦えなかったらそれこそ二人を守ることが出来ないと苦心して結界維持の役割を任せたのだ。
……それに、もう一人は使い物にならない可能性が高かったからだ。
「ひーん」
もう一人の人狼の女性は情けない泣き声をあげていた。一応、狼の形態になっているが、明らかに相方より戦意がない。
危機的状況なのに前を見据えておらず、地面に顔を向けてひんひん泣いているのだ。
「いつまで泣いている! シャンとしろ!」
さすがに捕まっている間なら慰めの言葉をかけたが、今は助かるかどうかの瀬戸際だ。
結界が解けても、すぐに張り直せばさらに時間を延ばせる。しかし、張り直す行為を迅速に行わなければゴブリンに瞬く間に制圧されてしまうだろう。
……たとえ一瞬だとしても、全方位からゴブリンが襲いかかってくるのはかなりきついのだ。その時間をコンマ秒でも短くしなければ生死に関わる。
「ここを凌げば助かるかもしれないんだ。もし捕まったらもっと酷い目に遭うぞ!」
そう。もっと酷い目に遭って、生きることになる。恐らく殺されることはないだろう。人狼は孕み袋としては有能過ぎることをゴブリン達に知られてしまったため、起死回生の手段として重宝するはずだ。だが、扱いは悪くなることは必至だ。
だからなんとかして、泣いている女性を鼓舞したいのだが……。
「意味ないですよお……」
さめざめと泣く女性。
「私、次女で武家で頭良くなくて遊郭いけなくて、未来ないのにゴブリンにヤられて、産まされて挙げ句にこんな身体になっちゃって、生きていけるわけないじゃないですかあ……」
「…………」
泣いている女性の言葉を聞いて、結界を維持している女性が俯いてしまう。
士気が下がってしまっている。このまま放置していたら、さらに下がって……結界が維持限界より前に解けてしまう可能性がある。
これ以上、叱咤激励したところで意味がない。最悪、泣いている女性は殺すべきだが、それは本当に最悪な状況の時だけだ。
だからどうにかして鼓舞を……いや、この場合はどうにかして、生きる希望を見出してもらわないといけないのだ。
しかし、何を言えば良いのか、と男は悩む。
安易に「まだ希望がある」などと言っても「そんなものはない」と一蹴されるだけだ。実際にあるとは男も思っていなかった。謎の触手生物は可能性はあると言っていたが、不確定であるというニュアンスを含ませていたため、信頼をおくことは出来ない。
少なくとも『明確な希望』を提示出来なければ、駄目だ。
――一つ、男は思いついたことがあったが、かなり口にするのを躊躇うことだった。そもそもそれは自分に自信がないと言えないことだったからだ。
だから他には――と考えるが、彼女達の今後を考えると絶望的で選択肢などほぼないことがなかった。そう、選べない。生きるか死ぬかの選択肢ではない、別の選択肢を与えてやるべきなのだ。
それがどんなことであれ、選ぶのは彼女達であるべきだ、自分ではない、と男は考え、意を決して言う。
「俺が嫁にもらってやるから、気張れ!」
そう言った直後に男はギュッと腹に力を込めて、固まってしまう。言って身体が後悔で緊張してしまうぐらいには中々にきつかった。
一応、彼女達とは良好な関係を築けてはいるが、さすがに男としては見られていないだろうと思っていた。男はそれなりの地位にいるが、あくまでそれなりだ。玉の輿を見越す人狼の女性達からすれば、あまりに魅力的ではない。実際、彼は未だに独身なのだ。
……結界の外は五月蠅いのに、結界の中は静寂が支配する。男は吐きそうだった。
そんな中、泣いている女性が「ひーん」と泣き出す。
「ちんちんない隊長はやだあ……!」
まさかの予想外の答えに、男は身体から力が抜けそうになってしまった。
「ぶほぉっ」
さらに結界を維持していた女性が吹きだしてしまう。
そんな二人に構わず、泣いている女性は続ける。
「隊長は格好良いから嬉しいけど、今、おっぱいもついてるしー……あっ、おっぱいはいいか」
「ぐっ……ふっ、ふ……」
結界を維持している女性はツボに入ってしまったようだ。……精神はなんとか持ち直したようだが、逆にうっかり結界を解いてしまわないか心配になる。
「そこはもうどうしようもないから気にするな!」
「えー……! じゃあ、どこに楽しさを見出せば良いんですかあ!?」
「お前、意外に乱れてるなあ!?」
「そんなことないですぅ! これでも初心ですぅっ! でも周りの子達ってヤれ、あの何々とヤったのとかそんなばっかで、そういうもんだと思ってるんですけどお!? 隊長はなんか他にあるっていうんですかあ! エッチなこと以外でえ!」
乱れていたのは人狼全体の風紀だった。
男は咳払いをする。
「……あれだ。綺麗な花畑があるところを知ってるんだ。そこでデートしたり、とか」
「可愛いかよお……!」
「ぷふっ、可愛い……!」
「っ……!」
男は顔から火が出そうだったが、尻尾で二人を叩くことでなんとか理性を保つことが出来た。
――もちろん他にもあるが、あまり『手を使う』ことは連想させたくなかった。この狼形態で今後過ごすことを考えると今後の生活や町を歩くこともまともに出来なくなるだろう。そこは考えさせなくて良い。
「とにかく! 二人とも面倒見てやるから、諦めるな! ――結界はどうだ!?」
「あと、3分以内……もっと短いかもしれません」
「……その前に交換出来るならするべきだが……結界の範囲を決めている柱が……材質は、骨……か? 最悪、壊されることを考えるとギリギリまで待った方が良いが……」
だがそうすると結界維持をしている女性が狼形態を保てなくなるかもしれない。一番の懸念点はそこで、入り込んできたゴブリンを捌くのが一気に困難になる。
どこでリスクを取るか、が重要になってくる。
「だがアレが3分以内にゴブリンキングを倒すという保証がない。少しでも生存確率をあげるなら……勝負をしかけるぞ。いけるな?」
男は結界を維持している女性に目配せする。
「はい。いけます」
先ほどより生きる意志を強く感じる。もう一人も――、
「なんでそっちばっかり確認取ってるんですかあ」
「お前はすぐに交われよ」
「ざつぅ!」
「ふふっ」
やはりこの士気を保った状態で勝負をした方が良い。ギリギリまで待って、不利な状況で勝負に挑んで危機に陥るくらいなら、まだ士気の高いこちらのリスクをとった方が断然マシだ。
「いくぞ――!」
男が合図をしたと同時に結界が解かれ、ゴブリンが雪崩れ込んでくる。幸い結界の柱を率先して狙ってくるゴブリンはいなかったが、如何せん数が多い。しかも全方位であるため、かなりの苦戦を強いられるのは必然だった。
けれど……、
「グ!? アギャアアアア!?」
突然、全てのゴブリンが苦しみだし、バタバタと倒れて頭を抱えながら、のたうち回りだした。そのうち立っていられた少数が、仲間に何故か恐怖したように襲いかかっていた。無論、男達にも襲いかかってくるゴブリンもいたが、軽く蹴散らすことが出来た。
「……何が……?」
あの触手の化け物が何かをしたのかもしれない。
「……まさか……いや、違うか?」
『白痴ノ獣』を一瞬思い浮かべたが、あれは精神を錯乱させる能力ではなかったはずだ。だが、もしものことを考えてこの部屋にいるゴブリンを駆除して、二人には壁際まで下がって、目をつむるように言っておく。
……フェリスが派遣され、『白痴ノ獣』の力を使う可能性は十分あり得た。妖精種に対してはかなり有効な力となっているからだ。
もし『白痴ノ獣』であるならば、出来うる限り五感を遮断しなければならない。そうしなければ今以上に生きていくことが困難になってしまう。
『白痴ノ獣』により、今もなお後遺症に苦しむ者がいるほどだ。……だからこそフェリスは現在でも恐れられ、嫌悪されているのだ。どんなに力を鍛えても、彼女はラピュセルでは絶対に認められない。
男も一応、目をつむっておく。鼻も出来る限り、使わないように努め、塞げない耳で仕方なく音を頼りにする。
――そして、
《大丈夫ですかー?》
えらく可愛らしい声が聞こえて目を開けると、目の前に白い巨大な怪物が立っていた。
「きゃあああああああ!?」
「!!」
後ろの二人も声を耳にして、目を開けたのだろう。しかし声の可愛さとは裏腹にグロテスクな見た目の怪物がいたため、叫ばずにはいられなかったようだ。
「レ、レギオン……?」
《そうですね、レギオンです。とりあえず襲わないんで安心してください》
意外に理性的だった。
だがこの見た目からくる恐怖心はそう簡単に拭えるものではなく、やはり緊張してしまった。
警戒心露わの三人にレギオン――アハリートは特に気にした様子もなく続ける。
《ゴブリンキングの無力化に成功しました。倒してはないんですけど、もう悪さは出来ないんで大丈夫です》
そう言ってアハリートは自らの身体に刺さっている巨大なゴブリンの上半身をポカポカと叩く。
「生きているのか?」
《生きてますね。有用なスキルを持っていたんで、どっかに売ろうかな、と。あっ、そうそう俺のことはどうでも良いんですよ。そっちの身体についていくつか提案があるんで訊いてくれます?》
「なんだ?」
まさかアンデッドにしてやるとか、お前もこの上半身コレクションに加えてやろうか、などと言われるのではないかと身構えてしまう。
《その肉体って遺伝子……肉体を形作る設計図ごと書き換えられてるらしいんですよね。だから回復系の力では治せません。なので荒療治ですけど、俺が新しい肉体を作って魂をそっちに乗せ替えるか、俺って他者を操る力があるんで『肉体改造』が出来るゴブリンが生き残っていたらそいつに出来る限り元の身体に近づけさせることが出来るかもしれません》
「本当か!?」
男は思わず恐怖心を忘れて、近づいてしまう。これには逆にアハリートが後退った。
《ああ、近寄らないでください。俺って毒とか寄生虫とかヤバいの体内にたくさんあるんで。こっちから触れても良いのを出さない限りは近寄りも厳禁です》
「そ、そうか」
本当に理性的な怪物だった。……魔族とは意外とこういう気配りが出来る存在と聞いたことがあるのだが、もしかしたらこれが本来の魔族なのだろうか、と男は思う。今までは狂戦士もかくやという相手と数年間小競り合いをし続けていたため、魔族=ヤバい奴らという印象が強くなっていた。考えをあらためるべきだろう、と男は思う。
《それで、どっちもリスクがあるんですよね。肉体の入れ替えは、まずベースがこの豚になります》
「ぷぎっ!」
アハリートは傍らに生えている豚をぽんぽんと叩く。豚――ラキューは独自の意思を持っていることを示すためなのか、元気よく鳴いた。
《正直、元の人狼とは言えないかもです。ただ形はしっかりと整えますし、気にならないかと。もし気になるところがあれば、俺がこの国に滞在する間なら変えることが出来ます》
色々と倫理的にアレな気はしたが、道徳を語るほど余裕はなかった。
《で、一番のリスクは魂の移動をする際に、若干ながら魂が崩壊する可能性があるかもしれないってことです》
「……それにどんなリスクがあるんだ?」
《シンプルに弱体化します。ゾンビや吸血鬼化よりもマイルドなんで記憶やスキルがなくなることはないみたいですけど、魔力の吸収効率だとか内在魔力の容量とか魔力関連の色々が軒並み下がるようです》
戦闘職としてはかなりの痛手を受けるリスクだ。
《一応、高濃度の魔力の中で作業すれば回避は出来そうなんですけど、その環境を整えるのは難しいです》
「……だろうな」
大気魔力を高濃度化するのはかなりの危険が伴う。無害化する方法は魔晶石などだが、一般的に使えるものではない。そもそもラピュセルにタイタンの教会はないし、仮にあったところでモンスターが使うことは許されてはいないのだ。それを破れば、どんな国でもタイタンと敵対することになる。だからプレイフォートで使うことも出来ない。
《それでもう一つの『肉体改造』を持つゴブリンを操る方なんですけど、こっちを推奨しますね。ですが、俺自身が能力を行使するわけじゃないんで改造を上手く出来ないかもしれないんですよね。遺伝子を弄くるのも初めてですし。そもそもそのゴブリンが生きているかどうか……》
ショック死しているゴブリンもいるだろうし、ちょっと精神が強くても逆に殺し合いになっているだろう。
だが今のように一斉に無力化しなければ、ゴブリンは駆除出来ないのも明白なので責めることも出来ない。むしろ称賛されるべきだろう。
《なので基本は肉体の入れ替えで、『肉体改造』持ちのゴブリンが生きていたらそっちをすすめます。なので皆さん、考えておいてくださいね》
「……わかった」
男は神妙に頷く。とりあえず最悪は脱することが出来そうだ。でも完全に元には戻らないということに、二人の部下がどう思うか……、
「……も、もしかしてちょっと良く出来たり……? おっぱいもこれ、もうちょっと形を良くすれば私もナイスバディになるかなあ?」
「私はもう少しスレンダーが良い」
……特に心配する必要はないようだ。とりあえず男は、自分の性器が戻ってくれるなら問題ないな、と肩の力を抜いて考えるのであった。
次回更新は4月28日23時の予定です。
※ちょっとした補足
ラピュセルには遊郭があるが通常の娼館とは違い、教養のある者が上の立場の者に結ばれることを目的としたもの。そのため、基本的に人狼以外には入れない。




