第二十一章 ぶちのめす
今、俺は割と本気で怒っている。
何せミアエルを傷つけられたんだからな。
年端もいかない女の子に酸ぶっかけた上に、馬乗りになって頭掴んで地面に叩きつけるとか、イカレているとしか言い様がない。
ミアエルを実際に傷つけたのは後ろにいる子供ゾンビとそこの子供風酸吐きゾンビだが、やらせたのは聞いてた限りじゃ目の前のこの蜘蛛脚野郎だ。
だから、こいつを俺の全力を持って殺してやることに決めた。
「なんだぁ、お前はぁ!」
蜘蛛脚野郎が俺を睨みながら、そんなことを言ってきたが答える義理はない。そもそも喋れないしな。
――ただ、怒りに任せて不用意には近づかない。
この蜘蛛脚野郎、ゾンビのくせに無駄に知能がありやがるようでしっかりと程よい距離を保っているのだ。
俺がもし不用意に突っ込んで行けば、『溶解液』を飛ばしてくるだろう。下手すると一撃でこちらが殺されてしまう。
そういえば俺、普通に他人の『溶解液』効くのな。こいつに当てられたところ、溶けてるんだけど。てっきり、自分自身に効果ないし全身から分泌出来るから、相手の『溶解液』も問題ないと思ってたんだが。少なくともダメージは減ってるかと思ったら、結構、ぶくぶく溶けてるし。ちょっと予想が外れた。
でも、そういうことなら俺の『溶解液』もあいつには効くかもしれないな。
まあそこは様子見だ。
さて、どうしようか。あいつを殺すために何をしよう。あのまま掴み続けていられたら、『侵蝕』で終わってたんだけど上手くいかないもんだ。あいつの足首を掴んでいた俺の右手は剥がされ、捨てられてしまったし。
……一応、一つ仕込みはあるが、たぶん時間がかかりそうだから、他のことをやりたい。
「お前、ゾンビだよなあ、なんで……。いや、なんだその腹立つ気配……生きた人間の魂でも入ってんのか?」
蜘蛛脚野郎が不愉快そうに俺を眺めてくる。
「あの魔女が主様の代わりになる支配者でも作ろうとでもしてたってのか? ぎぃひ、いけ好かねえなあ、あのクソ魔女」
なんか勝手に俺がリディアの使い魔的な存在として見られたんだが。てか、俺を作ったのはお前らの主人じゃないのか? まあ偶然の産物っぽいらしいが……うーむ、いや、ガチでリディアが関わっている可能性も考慮した方がいいか? 別に今はどっちだっていいけどさ。
「……なんでもいいかあ。げえひ、逆らうなら消しちまえばいい」
蜘蛛脚野郎がぷくっと喉の袋を膨らませる。
俺がとっさに身構える。だが、蜘蛛脚野郎はすぐに『溶解液』を放ってこない。狙いを定めているようでいながら、なんか視線は俺の背後に向かってる……ああ、そういうことか。
俺は喋れないし、喋れたところで言うつもりはないけど、お前の思う通りにはならないからな。たぶんお前はミアエルに馬乗りになってるゾンビに俺を襲うように命令しているんだろうけど、すでに『侵蝕』で完全支配している。
まあ、俺が遠隔で操ることとか出来ないんだけどな。『侵蝕』にて支配した奴を逐一動かすには、肉体的に接触していないといけないみたいだ。俺がテレパシーを使えたりとか喋れたらまた違ったんだろうけど、出来ないからどうしようもない。
蜘蛛脚野郎が、ぎりっと歯を軋ませる。
「『虫』のせいか……? ぎぃひ、だが、さっき生まれたゾンビ共も言うことを聞かないだと……一体なんだってんだ、クソがぁ……」
蜘蛛脚野郎が呟く悪態に俺の目論見が上手く行っていることを確認できた。
よし、とりあえず取り囲まれる心配はなくなった。地面にいた奴も軒並み処理したし、追加でも来ない限りは問題ないだろう。
さて、憂いも消えたし、ちょうど左手に『粘液』がたまったところだ。
あいつの早撃ちは如何ほどのものかな。動いた瞬間に吹っ飛ばされたりするかな。まあ、どっちにしろ、あいつが何らかのアクションを起こしてくれればそれで良い。たぶんそれだけで俺の仕込みは発動する。
俺は思いきり、『粘液』を持った手を振りかぶる。投げる直前、蜘蛛脚野郎はゾンビらしからぬ機敏さで、横に跳ぶ。奴の喉袋はすでに膨らんでおり、着地と同時に俺の顔面にでも放つつもりなのだろう。
俺の『粘液』の脅威は分かっていないだろうに、回避行動を取るとは本気で面倒な奴だ。
俺の手から放たれた『粘液』は何もない空間を通り、地面に落ちて弾ける。
俺の視界の端では、蜘蛛脚野郎が無防備な俺の頭へとしっかりと照準を合わせている。動きながらも狙いをブレさせない辺り、強者であるのは十分理解できた。
そして蜘蛛脚野郎は、着地して『溶解液』を放とうとした瞬間、――奴の右足がぐしゃりと崩れた。
「――!?」
さすがにそれは予想していなかったのか、受け身を取る様子も見せず、身体が地面に叩きつけられる。
蜘蛛脚野郎の『溶解液』が放たれるが、見当違いの明後日の方向にぶっ飛んでいった。
……感覚がないのが仇となったな。まさか剥がした俺の右手にまとわりついた『粘液』でじんわり足首が溶けているとは思わなかっただろう。
俺はすかさず蜘蛛脚野郎に全力で駆け、力任せに奴の顔面に向かって蹴りを放つ。
ぐしゃ、と肉と骨が砕けるが、陥没させたのは奴の顔面ではなく、とっさに奴の交差させて構えた両腕だった。
蜘蛛脚野郎は、数メートル転がる。無論、追撃をやらない理由はなく、俺は奴が体勢を立て直す前に駆け寄る。
俺はもう一度左手に溜めた『粘液』――それも『溶解液』含ませたモノ――を奴に叩きつける。狙いはあまり定めず、当たれば良い程度だったが、運良く奴の顔面左半分にぶち当たる。
じゅうう、と肉が焼ける音が聞こえ、蜘蛛脚野郎の顔半分が溶け落ちた。
「ぎぃひあぁ!? なんだ!? 目が、目があ――くそっ、取れねえ、くそぉっ! ――うあ、くんな! くんなああぁあああああ!」
やや焦っているところに俺が迫ってきたためだろう、蜘蛛脚野郎は半狂乱になって叫ぶ。
背中から生えている蜘蛛脚で俺を薙ぎ払ってくるが、距離感が掴めないためか眼前で空振るか掠るばかりだ。だが何気に狙いは正確で俺の側頭部を串刺しにしようとしてくる。
たぶん普通に目が無事だったら、最初の一振りで脳みそ串刺しで逆転されていたかもな、危ない。
ぶんぶん、俺を近づけまいと蜘蛛脚を振るってくるため、不用意に近づけない。『粘液』を再度左手に溜めているが、奴も『溶解液』を放とうと喉を膨らませている。
たぶんこいつ、俺の『粘液』を蜘蛛脚で無理矢理にでも防いだら、その瞬間に『溶解液』で俺の頭を溶かすつもりだろう。
蜘蛛脚野郎は尻餅をついた体勢で、ずりずりと他の蜘蛛脚で身体を引きずって後退って逃げていく。俺はそれに合わせるように一定の距離を保ちながら、ついていく。
膠着状態に陥ってしまった。うーむ、俺が優勢ではあるものの一歩間違えるとやられるな、これは。
どうしたもんか。突っ込んでの近接戦は論外だ。蜘蛛脚で突き刺されたら不味い。致命傷でなくても動きを止められたら『溶解液』の文字通りの一撃必殺が来るから。
『粘液』攻撃が有効だけど、『粘液』を投げる際に来るであろうカウンターが怖いんだよなあ。うーん『溶解液』対策で頭に『粘液』纏って守ってみるか? でも、こいつの『溶解液』吐き出す力って強そうなんだよな。『粘液』を突き抜ける可能性がある。
つーか、このままだと壁際近くに寄られて、たぶん他の壁越え出来るゾンビに加勢されるな。奇襲待ちしているのが数体いるのが分かる。で、そうなると不味い。けど、焦って攻撃するとそれも不味い。
一手足りないなあ。口の中噛んで『溶解液』含んだ血を溜めてから、吹き付ける? でも、少量かつ弱めだとあまり効果ないし、逆に効力高め過ぎると有害な煙出てミアエルとか危ないからな。そのせいで蜘蛛脚野郎の顔面にぶつけた『粘液』も決定打にはならなかったし。地面に潜って近づくのも、潜る瞬間を狙われる危険があるし……。仮に潜れたとしても、現れた瞬間に合わせて攻撃されるのは、さっき体験したしな。
本当にどうしよう――あら? ――これは――ああ、いけるかも。
ぞくりと感じ取った嫌な気配に俺は、逆に安堵し、蜘蛛脚野郎と相変わらず距離を保つことにする。
そんな俺を見ながら、蜘蛛脚野郎は必死に逃げながら、怒鳴ってくる。
「くそがくそがくそがああ! ぎゃひぁ! お前、なんだ! なんなんだあ! ザコゾンビのくせにクソザコランナーのくせに格下のくせによおおお!」
さっきから思ってたんだが、『溶解液』充填したまま喋れるのか。ということは、吐き出す瞬間まで喉のぷっくらしているところに溜まったままになってるってことか? うむ、何気に便利だな。
「それ以上近づいたら殺す! 絶対にだ! 絶対にだあ! 許さねえ、許さねえ許さねえ!お前なんかすぐにぶっ殺してやるぁ!」
怒鳴って誤魔化しているけど、本当は恐がっているんだろうな。やっぱり痛みがなくても死ぬのは怖いのか?
俺は怖かったな。デカ蛙に飲み込まれた時、死にたくないと思っていたな。
あの時は、必死に生きるために考えていたな。こいつもそうだろう。
けど、恐怖にとり憑かれると確かに必死になるから頭の回転は速くなるけど、視野は狭くなる。じゃなきゃ、胃袋の入り口塞いで潰されそうになるとか普通ないからな。
――だから今のお前は、『あれ』に気付けないんだ。俺ら魔物にとっての『脅威』に。逃げたくなるほどの『恐怖』に。
ぴゅん、と一筋の小さな小さな光の弾が蜘蛛脚野郎の喉袋を真横からぶち抜いて通り過ぎる。
「――――」
一瞬の静寂。そして訪れる、……絶叫。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
痛みを感じないはずの蜘蛛脚野郎が、苦痛の悲鳴を上げて転げ回る。喉袋に溜まっていた『溶解液』が辺りにぶちまけられ、しゅうしゅうと溶ける音が鳴る。
俺はちらりと光が来た方を見やる。
そこにはいつの間に移動したのか、ズタボロのミアエルがいた。ぷるぷると震えながらも人差し指を蜘蛛脚野郎に向けている。
ミアエルは本当に根性があるな。ヤバい状態なのによく動けるよ。ちょっと突然死なないか心配になってくるわ。あんまり無理はしないで、ほんと。
でも、助かった。
俺はミアエルにグッと親指だけを立てる。こっちでこのサインがどんな意味があるか知らないけど、意図は伝わったよな。……侮辱されたと勘違いして、第二射が俺のど頭を貫くことはないよな。
幸い、そんなことはなく俺は普通に蜘蛛脚野郎まで歩み寄ることが出来た。
蜘蛛脚野郎はまだ痛みに悶えている。
俺はなんの声がけもせず、ちょうど背中を見せた蜘蛛脚野郎の、蜘蛛脚の付け根を踏み潰した。
ぐしゃ、と蜘蛛脚結合部分どころか背骨や皮膚ごと砕き破いて地面に足がついた。
「ひ、ひぎぃ――た、たすけ――ひぐぅ!?」
俺はなんか命乞いしてきた蜘蛛脚野郎の言葉を無視して、頭を掴んで『侵蝕』を使ってやった。変な呻き声を漏らした後、何も言わなくなる。
うーん、『侵蝕』は本当に凄いな。こいつさっきまで、あんなにやかましかったのにピクリとも反応しなくなった。
しかし気色の悪い血管みたいなものが蜘蛛脚野郎の頭全体に広がる様は、中々グロいな。
大人しくなった蜘蛛脚野郎の顔を見ると、泣いたのか涙っぽいものが顔に張り付いている。
…………あのままほっといたら延々と許しをこいていたのだろうか、こいつは。
……アホか。命乞いなんて聞くわけないだろうに。
俺はお前を初めから助けるつもりなんてなかった。どうせ聞いたところで、絶対なんかやってくるだろう、こいつ。だから何を言おうと殺すつもりだった。慈悲をかける価値もないしな。
てか、そんな余裕ないし。余裕ぶっているが俺は俺でいっぱいっぱいなんだ。心臓が動いていれば常にバクバクしているはずだ。だから殺せる時に殺しとかないと心労でぶっ倒れること間違いなし。仕留められるとき仕留めないといけない。慢心ダメ絶対。
まあ、まだ殺しちゃいないけど。
とりあえずこいつを殺すのはこいつの頭の情報、全部ぶちまけさせてからだ。
――そうして俺は蜘蛛脚野郎を操り、こいつが知りうる限り全ての情報を吐き出させる。
全ての情報を得た後、用なしとなったこいつの後頭部を踏みつけると、遠慮無く力を込めて潰す。
同時にレベルアップを知らせる機械音声が頭に鳴り響いたの聞いて、俺はとりあえず一息つくのであった。




