最終章 あの日願った続きを貴方達に
アスカは、プルクラの頭の上から、なんとなしに周りを眺めていた。
今、特に興味深いのはダラーとサンだった。
ダラーがサンに抱きついていたのだ。
これにはサンも「ダ、ダラーくん!?」と驚いていた。でも、ダラーは感極まってしまったのか、「良かった……」と涙声で呟くばかりだ。
さすがに周りも一歩引いて見守る。
アスカは二人の関係性は分からなかったが、ダラーの様子から見て、サンがとても大切であるのがうかがい知れた。少なくとも下にいるプルクラが譲る程度には、親しい仲であるのを理解出来た。
「もう……」
驚いていたサンは、泣きそうなダラーを見て、落ち着きを取り戻したようで、革の目隠しを外して首にかけると彼に手を伸ばして、彼の頬を挟んだ。
「――どれくらい経ったか分からないけど、ダラーくんは変わらないなあ」
そうはにかみながら、言って、サンはダラーを抱き寄せる。
アスカは、それを見て、ぼんやりと思う。
よろしいのではないだろうか、と。――生憎と鈍感な精神は昔とそんなに変わらなかった。残念ながら、魂に由来する欠陥だったようだ。魔神と経て、妖精に至ったがその欠陥はあまり良くはならなかったらしい。
よろしいので、――どうすれば良いのか分からなかったから…………お助けを求めるために、割と信頼している……パックを念じて見る。
こうすれば来てくれるかなあ、と思ったが……何故か来なかった。
《……何故だ》
来て欲しいのだが。それと、あれだ。ちゅーがしたい。ちゅーが。パックと同じ大きさになったので、たぶん気に入っているパックにちゅーがしたい。
――と、そんなことを思っているが、そう思っているが故にパックが来ないという悲しい事実に精神的欠陥がある彼女は気付けない。
「どうしました?」
プルクラがアスカの呟きを聞き、指を伸ばしてくる。巨大な人差し指を掴み、マイクに見立てて声を響かせる。
《念じてもパックが来ない》
「……忙しいのかもしれませんよ。……何か彼にご所望で?」
そう問われたのでアスカは、ダラーとサンを指さす。
《何やらよろしい感じがするので、如何なる動きをすべきか訊きたく候》
「あー、確かによろしいですねえ。あのよろしさはたぶんよろしい二人のよろしい関係なので、よろしくなると、たぶんキスとかすると思うので私のほっぺに如何です?」
《ならばパックに致したい》
「ごばぁあ!!」
プルクラが吐血して、膝をついた。これにはさすがのアスカもビックリしてしまう。
《どうした?》
「胃に超速で穴が開いて、心臓が勢い良く跳ねた瞬間に止まりかけました」
何やら忙しない病状に見舞われていた。
《原因は?》
「ストレス!」
《ますたーに鎮静剤でも処方してもらう?》
そう言ったら、今度は強く歯を食いしばって鼻血と革のアイマスクから、血――恐らく血涙を流していた。
《どうした?》
「アスカ様があの化け物をマスターと呼んだことに強いストレスを感じてしまいました……!」
《難儀なモノだ》
もはやどうしようもないのではないだろうか。
現代社会とは肉体に影響を及ぼしてしまうほどにストレスを感じてしまうようだ。魔神になってから千年経過したようだが、それでもなお精神的なものは改善しないらしい(文化があまり進まないにしても)。他人の話を聞くだけで大ダメージを受けるとは生きにくい世の中になったものだ、とアスカは感慨深く思うのであった。
とりあえず回復させたら、少し落ち着いたので気を取り直す。
《おーけー?》
「……おかげさまで」
プルクラは息も絶え絶えだった。
アスカは思う。プルクラはなんとも難しい生態をしているなあ、と。こんなにポコポコ死にかけるのに、千年も良く生きられたものだ。
――そう、千年も。
アスカ自身は、ほぼまどろんでいる状態だったため、千年も生きたつもりはない。けれどプルクラ達は千年を『まとも』に生きて、国まで創ってしまった。
国を創るとは想像もつかない。途方もないことだったろうに。そしてその目的がアスカを『助けるため』だと知って、素直にありがたいことだと判断する。
それにこれは――、
《――『彼』と私に似ている》
根本は違う。『彼』は死に、アスカは『彼』を少しでも知るために、断片を真似て形作ろうとした。でもプルクラ達は生きているアスカをどうにかしようと苦心していた。
……無知故に歩めた者と、助けられると知ってしまった者達――それぞれにあったのは『希望』だ。
わずかな希望というのは、どうしてこれほどまでに残酷なのか。なくなってしまえば、追いかけることなどしなかっただろうに。
国を創る苦労は分からない。でも『何をどうすれば良いか分からない』、そんなもどかしさと辛さはなんとなく理解出来た。
――失った人をまた取り戻したいと思う気持ちもアスカでも分かった。そこは切実に。
……だから――、
《おべべ!》
「おべべ?」
首を傾げるプルクラに構わず、アスカはアハリートを向き、声をかける。
《ますたー、おべべ!》
《今からおべべ!?》
《今すぐおべべ!!》
そう頓珍漢な問答をすると、アハリートは理解したのか、慌ただしく駆け回る。そして、資材の山にかけられていた大きな布を引っ掴み、埃を払う。
《簡易おべべ! ゆるされる!?》
《素晴らしいおべべ! ゆるす!》
アスカが、《とうっ》とプルクラの頭部から飛び立ち(まだ飛行に慣れていないのか危なっかしくふらつきながら)。
アハリートが布をサークル状にして構えて、アスカが真ん中に飛び込む。ついでにアハリートが上半身を二人半ほど(ラキュー達ではない)、突っ込んだ。
《時間は?》
《無制限》
アスカが淡々と問い、アハリートが淡泊に答える。
《ならばポロリはなし?》
《ナシです。俺は規制がある時代に生まれたので》
アハリートは、そう答えつつ、ダミ声で謎の音楽を口ずさみながら、大きな身体を楽しげに振っている。
「…………」
プルクラは意味が分からなかったが、アスカがやることなので文句は言わない。それとあの程度の布の透視は余裕だが、何かのサプライズをしてくれるようなので、しない。
そうして待っていると、ついに布が降りてくる。――そして半分近く布が降りたところでプルクラは信じられないものを見た。
そこにアスカがいたのだ。――妖精ではない、吸血鬼だった頃の大きさであることが窺える顔が見えた。
――胸元辺りまで布が降りると、丁寧に巻き付けられたので「くそっ」と呟いてしまうプルクラである。
しかし透視はしない。そういうマナーはしっかりしている。
そうして、布が良い感じに巻かれ、裾もラフレシアに丁寧に整えられる。
《……ぶっつけ本番で成功したとか》
ラフレシアが呆れ半分、感心半分と言った呟き声を漏らす。
「――――」
吸血鬼の頃の完全なるアスカを目の当たりにして、プルクラは言葉を失う。周りも驚いているようだった。
プルクラの脳裏に色々と疑問点などが駆け巡る――、
《かもん》
「いやほぉっい!」
だがアスカに手招きをされたので、脳味噌ごと放り捨てて胸元に飛び込むのであった。
アスカはプルクラを胸に抱き、頭を撫でる。対するプルクラはいつもの澄まし顔など、砕け散り、えへえへと鼻の下を伸ばして、存分に抱きついていた。
アスカはそんなプルクラの頭をよしよしと撫でる。
《今からプルクラを思う存分、よしよしする》
「そんな贅沢が許されて良いのですか!?」
《良いのです。私を助けてくれたのですから》
そうアスカが言った途端、――だらしない顔をしていたプルクラの表情が固まり……すぐに曇ってしまった。
「……私は、何も出来ませんでした」
《そんなことないよ》
アスカはプルクラの頭を撫でる。笑顔が良いのだろうか。でも、にっこりは駄目だろう。そう思って、口角を少し上げたら、見た目上は優しく微笑んだ顔になった。
《……と、言いつつ私は一つを除いて、国を創ったことしか知らないのである》
「…………」
やっぱり――、と肩から力が抜けてしまうプルクラにアスカは続ける。
《なので頑張ったことを言ってください。そうしたら、私自身がプルクラに『そんなことない』って思ったことを言ってあげる》
「……え……それは――」
《とりあえず国を創ったことをよしよしします》
そう言ってアスカは困惑するプルクラの頭を撫でる。
《じゃあ言おう、プルクラ。この千年で頑張ったことを》
「…………頑張った、こと……」
そう言われてパッと思いつかない。――千年間、必死であらゆることを『当たり前』に出来るようにしていたから。称賛は時々されたが、彼女の意外なほどに低い自己評価を覆すことはなかった。
……本来ならプルクラはここで考えるのをやめただろう。だが、アスカによしよしをしてもらいたいという欲求があり、必死に記憶を漁る。
「政治を……頑張って……学びました」
《すごいです。リーダーシップを取れるようになったんだ。よしよし》
アスカに撫でられて、プルクラがはにかむ。――やっぱり悪い気分ではなかったのだ。
……だけど、でも……プルクラの心にもやもやしたモノが生まれてしまう。過去を思い返せば思い返すほど、自分達にとっての最善が……他者にとっての最悪となってしまっていたのだ。
政治を学び、学ばせてもらった貴族を――悪い奴らだったとしても――全て葬った。それに伴って、獣人達という多種多様な種族を丸ごと不幸にした。
他の四天王や眷属になってくれた者達に望まぬことを強いて不幸にした。
――そして、最近では魔族の子供を攫い無残に殺し、戦争が起こるように利用した。
許されることではない、誇ることではない。
だから――、
「――私は、この千年…………悪いこともしてきました。良いことよりずっと悪いことを……」
プルクラは耐えられなくなって、そんな言葉が口を次いで出てきた。
大好きで褒められたいからこそ、アスカには黙っていられなかった。
「私は――!」
《すとっぷ》
「んぶ!?」
アスカがプルクラを抱き寄せ、口を閉じさせる。このサービスにはさすがに驚く。
《悪いことは聞かないよ。……それだとプルクラを褒められなくなっちゃうから》
「んぅ――ぷはっ――でも――」
《私は知らなくても良いの。ずっとそうやって歩いて来られたから。それに私は知ってるから。『全部を知ってること』で何も出来なくなった尊敬する人を》
何も知らず、無意味な生を歩み続けたということに気付いたが、同時に歩んでこられたからこその今があると言える。
そして『知っている』からと言って、良いわけでもないことを知っている。あらゆることを知りすぎて、何も選べなくなるということもあるのだ。
賢い者は前に進みにくい。未来という暗闇の怖さを知っているから。
愚か者は前へと進む。未来という暗闇の怖さを知らないから。
割と気付きにくいが、前に進まないと前には進めない。簡単なことだが、とても難しいことなのだ。
アスカの尊敬する人――パックが恐れるのは現在から全ての過去を見通せるけど、自身の選択による未来が見通せないから。
《先が分からないのに、進み続けてこられたプルクラ達はすごいよ。そうして、国を創った。――ねえ、ここに私の居場所はある?》
アスカにそう問われ、プルクラはとっさに顔を上げて、すぐさま頷く。
「あります! もちろん! ないなんてことは――ありえません!」
アスカはプルクラから離れて、距離を取って向かい合う。
《なら私に居場所を作ってくれたことになる。これは全然、すごくないことじゃないよ》
それくらいアスカにでさえ分かる。
《私の帰る場所を作ってくれてありがとう》
そしてアスカの思いのまま、本当の感謝の気持ちを伝える。
アスカには居場所がなかった。それを辛いという気持ちもなかったから、ずっと生き続けてこられたが――あるとき気付いた。『彼』にも居場所がなかったことを。アスカは『彼』と一つ所に留まり続けたことがなかったのだ。
それはアスカの出生が原因であり、その理由は終ぞ知ることもなかった。――正直そこの理由はどうでもいい。
――思うのだ。もし『彼』に帰る場所があったのなら、と。
もし『彼』が当てもなく歩いていたのだとしたら、帰る場所があったのなら――『彼』は生き続けていたのではないか、と。
たられば、は意味もなく悲しい考えだが、自身に当てはめて考え、同じ過ちを犯さないことも出来るはずだとアスカは思う。
《――それでもって、私は儀式をしようと思う》
「儀式、ですか?」
アスカの唐突な提案に、プルクラは首を傾げてしまう。
《ところでプルクラ。訊くけど、パックのことをどう思う。正直に》
「――――」
アスカがそう問うと、プルクラがすごい顔をした。とても嫌そうに、口をへの字にしてやや顔を仰け反らせたのだ。アスカでさえ、見ただけですごく嫌そうな顔であるのが理解出来た。
プルクラは唸り、言葉を選ぼうと頑張り――、
「嫌いです。大っっっ嫌いです」
もう率直に言った。
《そっか。私は好き》
「ふぐぅうう」
突発的に思わず泣いてしまうプルクラである。色々と情緒がおかしいが、――アスカの前では割とこんなものだな、と他の四天王は気にせず、アハリート達はドン引きしていた。
《でも、尊敬の部分も強くて、定期的に勝ちたい気持ちもわずかにあるような気がする》
アスカは、定期的にそんな気持ちになって、隙あらばどやりたく思っていた。これも本心なはず。
《なので下剋上をしようと思う。パックに出来なかったことをプルクラにやって欲しい》
「パックに出来ないこと、ですか?」
プルクラはパックのことが嫌いで、それは偽りない本心だが、その無駄に有能な能力は認めている。選択、という意外では勝ち目はないのではないかと思うが――。
「なんですか、それ?」
《パックがしてくれなかったことを代わりにやって欲しいの。――ああ、違う。パックの真似を私がやって、プルクラに私の真似をして貰いたいんだ》
「?」
これにはプルクラも困惑してしまう。
《たぶん簡単なはず。私の言葉に一言返してくれればいいの。――それがずっと『彼』から欲しかった言葉だったと思うから。そして私が返したかった言葉のはず》
「――――っ」
それは責任重大ではなかろうか。プルクラは最大限に緊張する。真っ白になりそうな頭の中をなんとか稼働させて考えを巡らせる。とにかくあらゆるパターンを想定して――。
そう超高速で考えているプルクラを前に、アスカは改めて歩み寄る。
そして、アスカはまたプルクラを抱きしめ、言った。
《ただいま》
そう一言だけ。
「――――」
プルクラの頭の中が真っ白になってしまった。
でも混乱はしていない。
……ただ、――そうだった――言えてなかった言葉ある、そう気付いたのだ。
「おかえりなさい」
その言葉がプルクラの口から零れた。
アスカがプルクラを見つめ、口を開く。
《――それが私の言葉?》
「はい」
《そっか》
プルクラはアスカを頭から抱き寄せる。今度は縋り付くのではなく、抱きしめ合う。
――プルクラの言葉はきっと間違ってはいない。『彼』として言うべき言葉は正しくて、『私』として言うべき言葉も合っている。
そしてそれが分かれば分かるほど、悲しいくらい絶対に『彼』と過去の自分からは出てこない言葉だと分かってしまった。
アスカを帰るべきところだと認識していない『彼』は絶対に戻らず、そしてアスカも己のことを何も分かってないが故に、『彼』の支えにはなれなかった。
――それを完璧に理解して……アスカはようやく『彼』への物語を閉じることが出来た。
『彼』の真似はずっとするだろう。好きなはずだから。でも『彼』を理解するつもりで、やらない。
……それに『彼』のようにはならないと決意する。
『彼』と自分の関係が、自分とプルクラ達と同じだと思うなら――、
(この子達の物語を、止まらせない。もう二度と、辛い思いはさせない)
そう決意する。
そして、そう決意させてくれた――今の自分に戻してくれたプルクラに言葉を贈る。
《ありがとう、プルクラ……皆。私は、貴方達を吸血鬼にして本当に良かった。愛しているよ》
「――――っ」
その言葉は本当に意図していないものだったが、プルクラの心に強く突き刺さった。特に自分だけは求められていなかったと思っていた彼女にとってそれは祝福でもあったのだ。
「~~!」
プルクラは言葉にならないほどボロボロと泣いてしまう。
《?》
アスカはそんな彼女を不思議そうに見上げながら、とりあえず優しく抱き寄せて背中を撫でてあげる。言葉はとりあえずかけない。これがいいはず。たぶんまあ、悪い涙ではないとなんとなく分かったので。
(……この子達に最高の結末…………ううん、終わりじゃない――終わりは、今はいらない)
だからこう思うべきなのだ。この子達を愛していると思うのならば。
(あの日願った『続き』を貴方達に)
それを届けよう。絶対にバッドエンドに到る道など辿らせるものか。
アスカは初めて、強く強くそう決意した。
次回更新は10月1日まで不定期になります。基本的に更新は日曜日の23時の更新とは思います。




