第二十章 勇者の資質
※注意
この章にはかなり暴力的かつグロテスクなシーンがあります。
村の結界は、一つの動力源と四つの柱によって構築されている。動力源を破壊されてしまうと結界は一瞬にして崩壊してしまう。それ故に動力源は村の中心に位置し、厳重に守られている。
そして四つの柱は、結界の境界を決めるために設置されているものである。その性質上、結界のギリギリ端に位置しており、ある意味、結界の弱点とも言える。直径一メートルほどの図太く頑丈な柱であるため、そう簡単に壊すことは出来ないが、一定の衝撃を与えられることで機能が一時的に停止する。
ただ、たとえ柱そのものが破壊されたとしても、問題はない。柱は修復機能を備えており、動力源が生きてさえいれば、粉々にされたとしても一分程度で復活するのだ。
だが、その一分間でも、重大な問題に発展することは充分にある。
ミアエルは、結界の柱に向かっていた。
ゾンビの発生源である小屋には、やはりであるがもうゾンビは一体も残ってはいなかった。ただ幸いにして、ゾンビの奇襲から生き残った兵士がいたため、『感染』の解毒をして回復させてから大まかな現状を聞くことが出来た。
まず、この村には兵士が五十人ほどいる。村の人口は三百ほどだから、村の規模にしては多いくらいだろう。
それに農作業を生業としている者も戦えるため、戦力はもう少し多く見積もってもいいそうだ。彼らは境界付近の警備を担当することがないため、村の中心を守っている。老人や子供以外は戦えると思ってもいいようだ。
小屋付近や結界の境界を警備していたのは、十人ほどで、奇襲によりほとんどがゾンビになってしまった。
兵士全員が感染に対してのある程度の免疫は持っていたようだったが、致命傷を負ったりデフュージョンなどの毒性が強いゾンビがいたせいで、耐えることが出来なかったそうだ。
ランナーとなった者は半数でその全員が村の中心に向かって行った。だが、村の中心には戦える者達がいるため、問題はないだろう。
問題は他だ。残りの異常進化したらしい、迷い人のゾンビ達は二手に分かれて、それぞれ結界の柱へ向かったらしい。
その二手に分かれた中で、ミアエルは小屋にいた兵士――スーヤと共にバースターがいる方へと向かっていた。
バースターは、体内に溜めた揮発性の高い体液を噴射するようにして爆発し、障害物を破壊する工兵のようなゾンビだ。爆発すると言っても、全身が吹っ飛ぶ訳ではなく、爆発には指向性があり、かつ体内は爆発に耐えうるような構造をしている。そのため爆発後、死亡はせず、一定時間、爆発が行えなくなるだけなのだ。
結界の柱は、多少の打撃程度ならすぐに壊れることはないそうだが、バースターの一撃なら別だ。もし結界の柱がバースターの爆発を間近で食らってしまったら、確実に結界は消えてしまうだろう。
修復まで一分の間、この村を取り囲んでいるらしいゾンビの群れが一気に雪崩れ込んでくることになる。全てのゾンビが入ってくることはないだろうが、それでもたくさん入り込まれてしまうだろう。その場合、最悪数で押し切られてしまう。
柱に向かったのがバースターだけならば、村の兵士達だけで対処出来るだろうからミアエルが慌てて救援に向かう必要はなかっただろう。
しかし、相手の中には毒の霧を発生させるデフュージョンがいる。視界も悪くなるため弓矢での攻撃では即死は難しくなるだろう。
そのため魔物に対してどこに当てても致死効果のある光魔法が必須だったのだ。
白い大きな柱が見えてくる。柱の表面は研磨されたかのように傷一つない綺麗なものだった。
柱のすぐ近くには、小屋が一戸だけ建っており、周囲は何もない広場となっている。
柱は村の境界付近にあり、境界の境には村を取り囲む高さ十数メートルある木の壁が組まれている。
その壁の向こうからゾンビの掠れた唸り声が聞こえてくる。たとえ結界が切れたとしても脆弱な扉ならともかく、壁はそう簡単には壊されないだろう。だが、絶え間なく、そして数知れない亡者の唸り声はミアエル達の背筋を寒くさせた。
(結界を絶対に壊されないようにしないと)
柱の手前、十数メートル付近に赤黒い霧が漂っていた。その周りには、傷ついた兵士らが十名ほど弓を持ちながら立ち回っている。
矢を射っているようだが、血の霧の中にいるであろうゾンビが倒れる様子はない。
魔法も放とうとしているが、その度に術者はヴォーメットの溶解液によって、詠唱や魔力操作を中断させられている、
さらに飛び出してくるヴォーメットの溶解液に直撃はせずとも、着実にダメージを負ってしまっているのだ。ゆっくりと死が近づいていく。
彼らの気を追い立てるように、ゆっくりと血の霧が柱に向かって進んでいく。
早く止めなければ。
ミアエルは、手の平を突き出し、光を収束させる。威力は低くくなるが比較的範囲が広がるように調整する。
だが、撃ち放つ前に霧の中から叫び声が上がり、ヴォーメットの溶解液がミアエルに向かって飛び出してくる。
「!」
ミアエルはとっさに『破魔ノ散光』をキャンセルし、物理障壁を張る。目の前で酸が音を立てながら異臭を放ち障壁を溶かしていく。ミアエルは鼻を押さえながら、後ろに下がった。
――物理障壁の溶解速度が想像以上に速かった。恐らく『破魔ノ散光』と併用して厚く張っていなかったら、突き抜けていたかもしれない。
スーヤが顔を強張らせながら笑う。
「やっぱりそう簡単にはやらせてくれないか。……盾でもあればいいんだが」
「でも、注意は引けました」
柱に向かっていた血霧が止まり、その中の叫び声が大きくなる。怒りのような感情を感じ取る。
ミアエルは落ち着いた様子を見せていたが、段々と心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。
響き渡る声は、しゃがれていたけれど、でもどこか幼い子供の音色も混じっていて。それがミアエルの胸に微かな痛みを与えてしまう。
――ミアエルが普通の無邪気で残酷な普通の子供であったのなら、問題なかっただろう。
彼らと共に逃げなかったことを悔やむこともなく、「私は知らない」「運が悪かった」と残酷に切って捨てただろう。
だが、ミアエルは子供らしからぬ振る舞いをする子供で変に道理を弁えていた。
……だからこそ、子供達と共に逃げなかったことを後悔していたのだ。
けれど、『弁えている』からこそ今この場で「ごめんなさい」と泣き崩れることはなかった。
ただ今すべきことを――彼らを葬り去ることを考えていた。謝るのは彼らの墓標を作ってその前にすべきだと。
少女型のランナーの一体が、叫び声を上げながら血霧の中から飛び出してくる。脇目も振らず、ミアエルに突っ込んでいく。
見覚えがあった少女の姿に一瞬、息を呑んでしまうミアエル。それでもなんとか身体は強ばりはせず、歯を食いしばりながら通常型の『破魔ノ光』を胴体めがけて放つ。
ランナーの腹に五十センチほどの大穴が開く。
「ぎゃああああああああああああああああ!」
ランナーが耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げて、もんどり打って倒れる。それをすかさずスーヤが剣を頭に突き刺しトドメをさした。
「まずは一体! 酸液に気をつけろ! お前らも魔法の攻撃を中心にしろ! こっちに注意が向いている今なら、放てるはずだ!」
スーヤの呼びかけに応戦していた兵士達が頷き、魔法の詠唱を中心にして攻撃を開始する。
「次、は……!」
ミアエルはさらに強く歯を食いしばりながら、血霧の方に目を向ける。
――と、今までゾンビ達の周りを漂っていた血霧が、揺らぐ。ミアエルとスーヤ、周りの兵士らが何事かと身構えていると霧がゆっくりと晴れていった。
ヴォーメットやランナーとなった子供達の姿が露わになる。そして、その中央には穴の開いた腹から弱々しい煙を上げるデフュージョンがいた。
今し方ミアエルが放った『破魔ノ光』がランナーを貫通して、偶然にもデフュージョンをも穿ったのだ。
そして、霧が晴れたことによりバースターの姿を発見する。ミアエルはすぐさまバースターへと手の平を向けた。
ゾンビの群れの近くにいた一人の若者兵士が剣を構えて走って行く。ミアエルへの射線もしっかり開けている。もしミアエルが撃ち漏らした場合の追撃も兼ねているのだろう。
即席にしては良い連携を行った――だが。
「ダメだ! デフュージョンがまだ動ける! 自爆するぞ! 遠距離持ち、トドメを刺せ!」
スーヤがそう叫んだことにより、ミアエルはとっさに倒れていたデフュージョンを見やる。
そこには、赤黒い体液をどろどろと垂れ流しているデフュージョンがいた。――腹に開いた穴からだけではない。皮膚は蠕動を繰り返し、フジツボ状の噴出口からも無理矢理体外へと体液を流しているのだ。やや粘性を帯びた体液は、土に染みこまず、どす黒い水たまりを作っていく。
ミアエルは、一瞬、デフュージョンが何をする気なのか分からなかった。どれほどの危険性があるのかも。
何故、体液を垂れ流す? 自爆とは? 何が起こる? どのくらいの被害がある?
スキル『気化散布』の効果、発動条件を知らなかったがために、デフュージョンかバースター、どちらを倒せばいいのか迷ってしまった。
『感染』『毒性強化』『気化散布』。
わたしおわる なかまをつくるどく すごくつよくする いっぱいひろがる おわるまで
そんなデフュージョンの白濁した愚鈍な思考は、実行に移された。
ミアエルはスーヤの警告を信じ、『破魔ノ光』を放とうとするが、すでに遅かった。
一瞬して赤黒い霧が柱の広場全体を包み込む。
「かっ、は、ぇ……?」
ミアエルの身体が不意にぐらりと揺らぐ。血霧に包まれたと同時に全身にどうしようもない気怠さと悪寒が襲いかかってきたのだ。
油断していれば、一瞬にして意識を奪われてしまっただろう。それほどまでに強い毒性を帯びた霧だったのだ。
「解毒全開にしろ!」
スーヤのごぼごぼと血の気の混じった声が聞こえてきて、すぐにミアエルは抱きかかえられる。スーヤはそのままがむしゃらに走り出した。
「あ、い……」
胃や肺が爛れて血が滲み、逆流してきて口の端から伝い落ちていく。肌に不気味などす黒い斑点が浮き上がる。
ミアエルは出来うる限り、息をしないように心がける。粘膜からもっとも侵食するため、目を閉じ、口を閉じる。
ただひたすら、自身の体内とスーヤの体内に急速に侵食する毒を消すことだけを考える。
だが、完全に消すことは出来ない。
毒素があまりにも強すぎるのだ。ミアエルの力量では、二人分を同時に解毒するには荷が重すぎた。それにこのままでは内在魔力が切れる危険がある。
内在魔力が切れると一切の魔法を使えなくなるため、戦闘面でも不利になってしまう。
だからこそ霧から一刻も早く抜け出す必要がある。
――毒霧を必死に走る最中、どぉん、と身体の芯に響く音が確かに二人の耳に届いた。
「くそ……」
スーヤの弱々しく苦々しげな悪態で、ミアエルは訊かずとも何が起こったか理解した。
数秒程度が長い時に感じた。ようやく霧の中から飛び出ると同時に、スーヤが身を捻りながら地面に倒れ込む。ミアエルを自らの身体の上に抱きかかえている辺り、まだ冷静さは完全には失われてはいないようだ。
入り口近くにも霧は若干、流れてはくるが汚染濃度は比べくもない。
ミアエルはようやく解毒を完全に済ませることができたが、しかし身体に気怠さが残る。身体の毒素は消せても、毒素によって破壊された肉体の回復は出来ないからだ。
咳き込む度に血が飛散する。斑点が浮かんだ皮膚はズキズキと痛む。魔力感知に若干の支障をきたす恐れがあるかもしれない。光魔法の精度が落ちるだろう。最悪、発動途中で消えてしまうかもしれない。光魔法はスキルであっても制御が難しいものなのだ。
身体の痛みは辛いが、幸いにして視覚などの感覚器官は損なわれていない。
荒い息を繰り返しながらも、ミアエルは立ち上がる。スーヤも同じく立ち上がり、剣を構えて晴れていく血霧を睨み見据えていた。
「数はバースターが1。ヴォーメットが2。ランナーは2体程度か? ……デフュージョンは……生きていたとしても体液がない、な。よし、なら問題ないか。他、十人全員はゾンビに転化が確実か」
「……っ。……どう、しますか?」
謝罪の言葉が漏れそうになるが、ミアエルは言葉を飲み込む。今は感傷に浸っている場合ではない。何をしなければならないか、それ知り、行動しなければ死ぬだけだ。
分からなかったから死んだ。――殺してしまった。今、目の前でそれが実際に起こったのだ。為すべきことを理解するのだ。もう誰も死せないために。
スーヤは息を整えながら、答える。
「出来れば、広場にいる奴らを叩く。外に通じる扉も心配だが、結界の一部が途切れた以上、中央や他の結界側から俺らにも増援が来るはずだ。だから俺らはまず、修復した結界がまた消されないように広場にいる奴らを倒さなきゃいけない」
柱は村の角に位置し、それぞれ一つずつ、計四つ存在している。それに中心部である動力源も結界の構成要素として使われており、村を包む結界は四区画となっている。そのため一つの柱が機能不全に陥った場合、一区画の結界が一時的に消滅する。
外に通じる扉は北と南の二つだけだ。扉を破壊されるとしても今のところ、侵入経路は一つ。それも扉は区画にまたがっているため、扉の半分は結界が張られたままだ。扉が破壊されたとしても、一度に雪崩れ込んでくる数は少なくなるだろう。
壁は木ではあるが、堅固に組まれているためよほどの事でもない限り、バースターでも壊すことは容易ではない。比較的脆い扉もバースターやボーアの突撃でも二、三度ほ耐えうるはずだ。
だからいきなりあちらこちらから大群が流れ込んでくることはない。
この柱の広場は広いがミアエルとスーヤがいる出入り口以外に木の壁に囲まれている。だからこの広場のゾンビが他の場所に移動することはないし、背後に注意さえしていれば、広場にいきなり来ることもない。
今、この場のゾンビさえ倒すことが出来たのなら、まだ十分立て直す事が出来る。
もっとも立て直すには、戦力的に難しいのだが。増援を待つのが得策だろう。
しかし、とスーヤは心の中で唸る。
(……消極的に待つのも不味いだろうな。壁を登るタイプや地中を進むタイプがいるかもしれない。それに上位個体が乗り込んで指揮を執られたら不味い。あのクソ骸骨が本気を出しているってんなら、誘い出したリディア様だけに上位個体を当てるとは思えない。ここにも確実に数体――一区画に一体以上はいるはず)
霧が晴れてくると、全身の穴という穴から血液を垂れ流してゾンビになった元兵士達が見えてくる。初期個体のウォーカーではあるが、十体は少々厳しいかもしれない。やはりあまり踏み込んで倒すべきではないだろう。
それにあのゾンビ達は広場に留まっている。だが別にこちらを見失った訳ではない。
……むしろこちらを注視している。そのことから推察するにすでに何らかの指揮を受けていると考えるべきだ。
――上位個体が侵入し、こちらを監視しているのは確実だ。最悪の状況だろう。
「ミアエル。光魔法はまだ使えるか?」
「『破魔ノ光』なら種類別含めて十六回ぐらいなら使えます。でも、それ以外は……解毒は内在魔力が少なくなって四回程度しか使えないです。解毒を一回使うごとに光魔法は四回使えなくなります」
「そうすると解毒はきついか。……仕方ない。切羽詰まった時以外は俺に解毒は使うことを考えないでくれ。あと足元には気をつけてくれ。地面を掘り進んでくる奴がいるかもしれない。壁を越えてくる奴や上位個体と思える奴がいたら、報告を頼む」
スーヤは苦笑いを浮かべる。
「……小さい子に期待するのは悪いが、こんな状況だ。気張ってくれ。でも無理はするな」
「大丈夫です」
ミアエルはしっかりとした口調でスーヤに返す。
人々を助けるのは自分の役目なのだから、とミアエルは心の中でひっそりと思う。
光の種族とは魔物と戦う者であり、人類の守護者だ。人類に仇なす魔物を屠り、安寧を守ることは彼らにとっての正義で在り、存在意義でもある。
物心ついた時から、己が種族の正義を教えられて育ったミアエルにとってそれは根幹を成す教示であった。
人々を助け、守る存在。一時、生きるために夜盗の真似事をしていたが、それでもしっかりと人に害なす魔物の退治はしていた。そのことを生活の手段として用いることが出来なかった不器用さはあるものの、決して根本は変わることはなかった。
何度も何度も辛い目にあったり、報われなかったり、結果を出せなかったものの、ミアエルは目の前の事柄から目を逸らさなかった。
何故なら、戦い守ることが存在意義であるから。全てを失ったミアエルに残る、復讐以外の自分が生き続けても良い理由だったから。
だから、戦わねばならない。守らなければならない。助けなければならない。
――だから、……出来ない、助けてなんて言えるわけがない。
(……それに、どうせ声は届かないもん)
泣いたところで、祈ったところで、意味がない。助ける側が、助けられることなんて絶対にないのだから。
もし仮にそんな存在がいてくれたのなら、今頃、ミアエルはここにはいない。今も仲間と共に明日のために励んでいただろう。
「よし、行くぞ」
スーヤが構えたのを見て、ミアエルも呼吸を整え、大気の魔力を感じ取る。同時に身体中がじくじくと痛む。やはり精密な魔力操作は出来ない。だが、最低限『破魔ノ光』くらいは使えるはず。
「基本は俺の援護を頼む。俺は邪魔なゾンビ共を排除してバースターへ攻撃出来るようにする。たださっき言ったように無理はするな。俺も深くは踏み込むつもりはない。正直、二人でどうにかするレベルじゃないんだ。基本は増援を待つつもりだ。多少侵入されるだろうが、あと、一、二回柱を停止されるぐらいは猶予はあるはずだから、焦らなくてもいい。そっちに近づいてくる奴もいるだろうから、その時は自分の身を優先に守るんだ」
「はい……!」
その言葉にミアエルの気が楽になる。とりあえずスーヤの援護をしつつ、自らの身を守ることさえ考えていれば良い。下手なことはやらない。英雄的な行動は今は必要ない。確実なチャンスにのみ、力を使うことを考えるのだ。
スーヤが剣を構えて、ゾンビの群れに突撃していく。だが、無謀に敵中に突っ込むことはなく、前面に突出しているゾンビ化した兵士の一体に斬りかかった。
スーヤはゾンビの首を一太刀で切り飛ばす。ヴォーメットの『溶解液』が飛んでくるが、それを余裕を持ってかわし、隙を見せない。
ゾンビ化した兵士達がのろのろと動き始め、スーヤへと足を向ける。ただスーヤに向かって一直線に行かず、スーヤに狙われているゾンビ以外は、明らかに彼を囲うように動く。
その動きにスーヤは舌打ちし、上位個体がいることを確信した。奇襲されないようにさらに気を引き締める。
ミアエルはスーヤの動きと彼を囲うとするゾンビ達の動きに注視した。もしスーヤの死角に入って彼を襲おうとした場合、すぐに援護しなければならない。でも、スーヤはミアエルの予想よりも遙かに強く、今のところ立ち回りもゾンビに回り込まれないように動いている。
――子供達がゾンビに変異した小屋やこの広場で兵士達がゾンビ化したことで、村の戦闘能力を低く見積もっていたが、あの全ては状況が悪かっただけなのだろう。
もし、バースターがいなかったら、もし、デフュージョンがいなかったら、彼らは死んでいなかったのかもしれない。
スーヤはミアエルが援護するまでもなく確実に一手一手を決めて、すでに三体のゾンビを屠っている。
けど、スーヤの強さは絶対的なわけではない。
(……少し、危ないかも。スーヤさんの援護をしないと)
スーヤはヴォーメットの射線になるべく入らないように動いてはいるものの、盾として扱っているゾンビの数が減ってしまっている。そのためこのままでは遮蔽物がない広場では、的になってしまうだろう。
彼女はゆっくりと歩きながらヴォーメット二体の内、一体の射線を遮るように移動する。ここで攻撃したら、こちらに注意が向いてしまう。一体だけならまだしも、二体分の酸液は避けられないかもしれないのだ。
そして一体のヴォーメットに狙いを定めて、ミアエルは『破魔ノ光』を撃ち放つ。
問題なく放つことは出来た、が、発射前に気付かれてしまい避けられてしまう。『破魔ノ光』の弾速は速いのだが収束時に目立つ点と魔物は本能的に察知してしまうため、遠くからの狙撃が難しい。
故に奇襲や不意打ちにはよほどのことがない限り向かない力だ。
でも、注意は向けられる。
「うがぁああああああああああああああああああ!」
ランナーの一体が叫び声を上げて、ミアエルに突っ込んでくる。ヴォーメットも喉を膨らませて射撃体勢に入った。
あの勢いのまま接近されたら、不味い。だからすぐにランナーを倒して、ヴォーメットの攻撃にも備えなければ。
一撃必殺が望ましいが、欲張ってはいけない。この地点数メートル内で撃てる『破魔ノ光』は魔力濃度的に人間の頭部一個分の大きさ二発が限度だ。全身を包むような範囲強化は大気中の魔力を大量に霧散させてしまうため、一発――それか不発を起こしてしまうかもしれない。
それに範囲を広くすると収束の時間が長くなってしまうだろう。ランナーを迎え撃てたとしても、その隙にヴォーメットの攻撃を食らってしまう。
……もし相手が魔法使いなら『破魔ノ光』で魔法ごと消し飛ばすだけだ。だが、ヴォーメットのように『溶解液』を体内で生成している場合、『溶解液』のスキルによる強化は消せても、『溶解液』そのものを消すことは出来ないのだ。アハリートのように体内に生成器官がなくスキルで無理矢理『溶解液』を生成している場合ならば、消すことは容易いのだが。
だからこそ、ミアエルが選んだのは素早く行動できる選択だ。そのためランナーを一撃で殺すことではなく、もっとも当てやすい胴体を撃ち抜き、確実に当てることにした。
ミアエルは冷静沈着に最善の行動を取る。
ミアエルの『破魔ノ光』は見事、ランナーの腹を撃ち射貫く。
ランナーは腹に手を当て、叫びながらもんどり打ちながら転がってくる。ミアエルは微かに胸の痛みを感じつつも、腹を押さえて呻くランナーに手の平を向けて、即座に抹殺しようとした。
――だが。
「……たす、ケて」
「――!」
ランナーが漏らした声を聞き、ミアエルはヒュッと息を呑んでしまった。
意識が乱れたのは一瞬だ。
でもその一瞬が命取りだった。
ミアエルは、すぐに我に返ったが遅かった。
乱れた『魔力感知』に何かを捉えた。それはすぐ近く。回避不可。
どじゅ、とミアエルの右肩にぶち当たる液体の重い感触。
じゅうう、と耳に届く肉が泡立ち溶ける音。
右肩を中心に広がる激痛。
「あぃぎ――ぃぁああああああああああああああああああああああ!」
ミアエルの叫び声が上がる。
(何が――分かる――ヴォーメット、酸、当たった――何をすべき――消す――解毒――違う――強化、あり――酸、消す――無理、違う――弱める――『破魔ノ光』収束、肩――!)
「ランナーだ! 逃げろ!」
スーヤの注意を促す声が聞こえる。
(ランナー? 倒した奴――違う――違う――来てる、足音――肩、やめて、撃たなきゃ――ダメ――魔力操作乱れて――間に合わない――!)
がご、とミアエルの横っ面に重い一撃が入った。軽いミアエルの身体は、走ってきたランナーの一撃にいとも簡単に浮かび、吹っ飛んでいく。
「がっ、ぐうぅ……」
ゴロゴロと地面を転がりようやく俯せに止まったミアエルは、すぐに立ち上がろうとしたが身体が動かなかった。意思に反して身体はまるで重りのように言うことを聞いてくれない。
そのミアエルの背中にドスンと無遠慮に何かがのしかかる。
『それ』――ランナーはミアエルの頭を掴むと地面に何度も叩きつける。
「ぎっ、あぐっ、やめ――で――!」
抵抗出来ない。かろうじて左手を動かして、ランナーの手を掴んだが、力が入らず引き剥がせない。
右手は肩から下がほとんど感覚がない。腐り落ちてはいないだろう。けれど、動かすことは出来ない。
だから、ただ無抵抗に痛みに耐えることしか出来なかった。
鼻が折れたのか、鼻から息が吸えなくなる。血の臭いが鼻に満たされ、鉄の味が口に溢れてくる。ねっとりとした血が喉を通り、微かな拒絶反応を示すが呻くだけで咳をする気力がない。
ようやくランナーがミアエルの頭を放したが、その姿は惨憺たる有様だった。
顔全体は土と血に塗れ、痣と傷だらけになっている。ひゅっひゅっと微かに息を漏らしていることから、死んではいないが危険な状態なのは明らかだった。
ミアエルは意識だけは保っていた。何度も目の前が暗転し、意識を失いそうになったが、寸前でなんとか耐えていたのだ。いや、逆に叩きつけられたことが気付けとなってしまった部分もあったのだろう。
ミアエルは朦朧としながらも、思う。今、ここから逃げ出さないといけない。このままではいけない。自分は捕まってはいけないのだ。
――だって、こうなってしまったら――。
「ミアエル!」
(――貴方は私を助けに来てしまうから)
もし、ランナーがミアエルの頭をその力を持って潰すか、急所を食い千切っていたのなら問題なかった。
スーヤはきっと割り切ってくれるだろう。即死や致命傷は回復役のいない現状、もはや助からない。だからそうなった場合は、助けず戦闘を継続するか撤退してくれたはず。
でも、ランナーは何故かミアエルを殺さなかった。
生きているのが分かる程度に生かし、助けられれば助けられる程度に留めた。
スーヤが自分に近づくウォーカーの一体を切り捨てると、即座にミアエルに向かって駆け出す。敵に背を向ける形で。
ヴォーメット二体はスーヤに向かって『溶解液』を吐きかける。
スーヤはその二体から背を向けながらも攻撃を察知し、身を翻すように最小限でかわす。
けれど、それでもわずかに体勢を崩し、足を止めてしまう。他のゾンビの追撃はまだこない。ヴォーメット達もすぐには『溶解液』は飛ばせない。
でも、そんな彼の遙か斜め後方――木の壁の上に蜘蛛のような足を背中に生やしたヴォーメットがいた。そのヴォーメットが大きく肺と酸液が入った喉袋を膨らませ――『溶解液』を吐き出す。
今までで一番速く飛来するそれは、彼の胴体を狙う。
そんな攻撃をスーヤは――かわしてみせた。片足で地を蹴るように無理矢理、『溶解液』の軌道上から逃れて見せたのだ。
しかし、そんな彼が着地した足元で土が、ぼこりと盛り上がる。太い爪と平べったい手のような形をしたものが地面から二本突き出し、スーヤの片足首をトラバサミのように掴んで肉を抉る。
「ぐっ!」
スーヤはダメージを受けてしまったが、それでも慌てず的確にその手のようなモノを切り飛ばした。
すぐさまその場から逃げようとしたが、ウォーカーの一体がスーヤの背に追いつき、倒れ込むように掴みかかる。
スーヤはとっさに剣を肩越しに突きだし、今まさに肩に食いつこうとしていたウォーカーの顔面を刺し貫いた。――深く肉に埋まった剣は無理な体勢では引き抜けない。さらにウォーカーの死体が背にのしかかる。厄介なことに服を掴まれた時に殺してしまったため、簡単に振り払えない。
背にのしかかられ、足に怪我を負って、さらに武器を失った。
そんな彼に残りのウォーカーが取り囲み、掴みかかった。スーヤが押し倒される。
もうスーヤに抵抗する術はない。ゾンビの数と力の差は、もう覆せない。
「ス、スーヤさん――や、やだ――」
ミアエルはその光景をただ眺めていることしか出来なかった。
スーヤの抵抗する声が聞こえる。ゾンビ共を振り払おうとしているのだろう。でも、ゾンビが脆いと言っても手足をばたつかせる程度では、到底倒すことは出来ない。
ぶち、ぐち、ぐちゃ、と肉を咀嚼するような音が聞こえてくる。スーヤの声が激しくなってくる。けれど、わずかに見える彼の抵抗する姿は弱まっていく。
「――やめて、お願い……やだ、やだやだやだ――動いて、……身体、お願い……」
どうして? 何故こうなる? なんで? 殺されるべきは自分ではなかったのか? 死ぬとしたら、先に地べたに這いつくばった役立たずの自分ではないのか?
なのに、なんで彼が先に生きながら食われている?
「ぐぇひげぇひ」
ひた、ひた、とという足音と気色の悪い掠れたような笑い声が近づいてくる。
それは先ほど木の壁の上にいた奇妙なヴォーメットだった。
それは近づくと余計はっきりと分かる。気色の悪い蜘蛛の脚を背中から生やし、喉と肺が通常よりもさらに異様に膨らんだヴォーメットだった。蜘蛛のように通常の人間の目の他に、額に複眼のようなモノが八つついていた。
そいつはミアエルのすぐ近くまで歩み寄ると、話しかけてくる。
「おい、生きてるか? ひききっ、やっぱこの胸くそ悪い気配、光の種族か。なんでここにいんだよ。ったく、危うく殺してたじゃねえかよ」
質問のようなことを口にしながらも、ミアエルからの応えを求めているつもりはなかったのだろう。ただただそのヴォーメットは悪態のような言葉を紡ぐ。
「くそが。奴隷商人が……いや、ちげえな、……あの魔女が、横取りしやがったんだな。性悪の猿め。やっぱ滅ぼすべきだなあ。主様は正しい。……ところでお前死なないよな。大丈夫だよな。お前、殺せないから、毒だけ消しておけよ。げぇひ、人間、どこまでやったら死ぬか分からねえから、嫌だぜ。あと、てめえもだよ、くそが」
ヴォーメットがミアエルの拘束をしてから動かなくなったランナーを軽く蹴飛ばす。
「やり過ぎだ。これだから『虫』の入った奴は扱い辛くてヤだぜ。げぇひ、まあ、なんだかんだで役に立ったがな、げぇひひ。――やっぱり『喋らすだけでも』違うみてえだな」
「……なに、それ」
ミアエルがヴォーメットの一言に反応し、わずかに声を漏らす。蚊が鳴くような微かな声だったが、耳が良いゾンビはそれを聞き取り、鼻で笑った。
「げぎひぃ! 主様がこのガキ共がゾンビになった時、喋れるように設定してたんだよ。ぐひゃひぃ! 笑えるなあ、お前、これが本当に人間の時の記憶が残ってると思ってたか? ただ一言二言しか喋れねえ、デクによぉ、ぎゃひひゃひゃあ!」
「たスけて」「やめテ」「コわい」「ごめん、ナサイ」
子供達のゾンビが次々に口を開き、言葉を漏らす。感情はこもってはいないけれど、悲痛さ、そしてどこか人としての意思が宿っているのではという『希望』を抱かせる。
けど、本当に単なる張りぼての『言葉』だった。
魂なんて欠片も宿ってなんかいなかった。
「――――っ」
なんだそれ。
ふざけるな。
なら、自分は意味のない言葉に気を散らし――彼を、スーヤを殺したのか?
ミアエルの目から涙がこぼれ落ちる。
……何を、やっているんだろう、自分は。
今日まで、何人殺した? 死なさずにいられた人間を何人……。兵士だけではない、奴隷の子供達だって、ゾンビにさせることもなかったのではないだろうか。
『もしも』を考えることは意味がない。けれど、今のミアエルは考えずにはいられなかった。
この広場での最初の戦いの時、デフュージョンを確実に仕留めていれば……。いや、そもそも自分は何もすべきではなかったのではないだろうか。リディアの家に隠れていれば――奴隷の子供達を逃がさなければ――あのひょろひょろとした男に襲われた時に抵抗しなければ――そもそも生きようとしたのが間違いだったのでは?
もっともっと最初の魔族に光の種族の村を襲われた時、村の皆と一緒に戦って死んでいたらそこで終わっていた。誰の運命を狂わせずにいたのではないだろうか。
――ああ、聞こえる。
断末魔の悲鳴は、もうほとんど聞こえない。
でも、違う音は聞こえる。良く聞こえてしまう。
スーヤの肉と骨が砕かれ、食い千切られる音が。
耳を塞ぐことは出来ない。
目を閉じたところで、遮断は出来ない。
やめて欲しい。でも、何も出来ない。……出来るのは、ただ口から意味の無い音を出すだけ。
出すのは悲鳴? それとも、悪態? 呪詛? それとも――懇願?
今、自分が願うのは、スーヤが助かること。だから、懇願だ。
……でもその言葉に意味がないと知っていた。あのゾンビが聞き届けてくれるとは思えない。
きっと嘲笑われるだけだ。……そもそもスーヤはもう……。
少なくとも、自分が助かるために使うつもりはなかった。だって意味が無いから。
そのヴォーメットにしろ誰にしろ、自分の声が誰にも届かないのを知っていたから。無意味なのだ。……そして何よりも、自分が口にするのは罪に思えたのだ。助けを与える側であるはずの自分が、と。
でも、自分に対してじゃなければ口にしてもいいだろう。許されるはずだ。
でなきゃ耐えられない。この現実を直視できない。助けて貰うわずかな希望に縋ろう。無意味と分かっていながらも。
「げぇひ、意外にあいつしぶといじゃねえか、まだ魂が崩れてねえなあ。頑丈だなあ。あいつぁ、主様に改造してもらった方がいいかぁ?」
「――けて」
「あ?」
ヴォーメット、怪訝そうな顔でミアエルを見下ろす。
「なんだ? なんか言ったか?」
「――――助けて……」
「ああ? お前は殺さねえよ。殺したら主様に俺が殺されちまう」
「――あの、人だけは、もう、やめて……お願い、あの人を、助けて……」
「はあ? ――げひっ、何を、もう遅えだろうが! ぎゃひひひひ! 俺でもわかんぜ、もう治せねえよ、あれは! まあゾンビになってなら蘇るかもなあ」
ヴォーメットは嘲笑う。
知っている。意味のないことくらい。奇跡なんて起こらないことくらい。もし奇跡があったのなら、この世界に優しい神様がいたのなら自分は今、この瞬間、この場に存在していないはずなのだから。
でも、良いだろう、別に。
叶わないとしても、誰もとがめない。
願うだけなら、今の自分にだって出来るから。
今の『私』が出来るたった一つの抵抗だから――。
「――お願い……誰か、助けて――!」
「馬鹿がよぉ――――あぁあ!?」
馬鹿笑いをしていたヴォーメットが、突然変な声を上げ、自らの足元に向かって蜘蛛の脚を振り下ろした。
「――っ」
一瞬、ミアエルは殺されるのかと思って目を閉じた。
『溶解液』も吐いたのだろう。酸特有の嫌な臭いを間近に感じた。
けど、痛みは来ない。『溶解液』も直接当てられたわけでもないのか、煙に当たったときのヒリヒリとする感覚だけだ。
「なんだぁ、お前はぁ!」
ヴォーメットが離れたのか、先ほどよりも遠い位置にいる。その声は慌てていた。
どういうことだろう? 何があった?
ミアエルは恐る恐る目を開ける。
「……あ……」
晴れていく白い靄の中、ミアエルを守るように立つ者がいた。
最近、良く見慣れた背中だった。半裸でその身体は継ぎ接ぎが少しある。右手首から下がなくなっている
けれど、破損や欠損は最近ではいつものこと。
優しい風貌の青年であったけれども、肌は死人のように青白く生きているようには見えない。でも、それもいつものこと。
「…………っ!」
……声は届かないと思っていた。
助けてなんて言っても、誰もやってこないと思っていた。
本当はずっと言いたかったけど、救いがないと諦めていたから、口にするのをやめた『助けて』という言葉。
助けてくれる人――ヒーローなんて現れない。だって自分がそちらの側だと思っていたし、言われてもいたから。
だから、叶うなんて思ってもいなかった。
でも、『それ』は無様で滑稽であったけれども。
「ゾンビ、さん……!」
――それでも、確かに彼女のヒーローは、現れた。




