第十九章 魔女の鉄槌
リディアは、木々の上をふわりふわりと重力を無視したように移動していた。
暗視を備えた目にて眼下の数えきれぬほどのゾンビを見渡す。
偵察をしてきてくれた兵士によると、数は千体ほどだそうだ。広範囲を一気に殲滅することは出来ないことはない。だが、何が仕掛けられてくるか分からない以上、慎重に行動すべきなのだ。
今、すべきことはこの群れを連れてきた者の排除だ。
魔物はある一定の強さを持つと、同族の支配能力を手に入れる。ただし、自我がある者の絶対支配というのは出来ないらしいが。あくまで自らに従う者に対する統率能力が上がる程度だ。他に同一の感情――敵対者に対する強い敵意を抱かせることが出来たり等々。
だが、自我のないゾンビのような魔物に対しては、ほぼ確実に絶対支配が成し遂げられる。
支配能力を手に入れた魔物は、初期で十体程度操れる。そこそこレベルがあれば、百体以上はいけるだろう。また運用方法によっては、数は大きく変わってくる。たとえば一定方向に向かわせるだけなら、初期でも百体はいけるだろう。
「単調に一方向に行っているのから見て、高レベルなら一体だけが支配してそうだけど……。部隊が分けられているわけでもない。ただ村に流しているだけ、だから少数なのは間違ってはいないはず」
ゾンビを支配している者が少ないならそれはそれでやりやすいのだが。最悪なのは、支配能力を持つ者が数体いて、バラバラの位置にいることだ。つまりリディアをおびき寄せるための罠を張っていること。
「……どこにいるかなあ。村から結構、離れちゃったなあ」
支配能力を持つ者がいるとしたら、流れてくるゾンビの後方だろう。もちろん細かく群体を運用するために前線に立つ場合もある。だが、今回のように動きが単調であくまで進ませるだけならば、後方にいた方が安全だ。
(何か手がかりがあればいいんだけどねえ)
ピンポイントで探る感知能力でもあればいいのだが、生憎とそこまで都合の良い物は持ってはいない。リディアが持つスキルとしての感知能力は『動体感知』という動く物の形を把握出来るものだけだ。詠唱を行うものもいくつかあるが、特定の種族、力を感知するものはない。
出来れば向こうから接触してきて欲しいのだが。
――そうこう思いながら、移動しているうちに群れの後方にやってきた。ここまで二時間ほどだ。本気を出せば数分で帰れるが、敵を見つけるまでは本気の移動は危険だ。その時に撃ち落とされたら、致命傷は確実だ。だから戻るにしても、必ず見つけなければ。
ここら辺で少し気を引いてみようか。
「『轟雷』」
リディアは手の平を下に向け、そう呟く。すると彼女の手の平から半透明の風船のような球体が現れ――重力に従い落ちていく。そしてそれは地面に衝突した瞬間、破裂する。
キィィィィィン、という爆音が響き渡った。身の内側まで震蕩させるほどの音に間近に当てられたゾンビらは耳から血を流して平衡感覚を失い倒れ込む。さすがにこの程度で死にはしないが、唯一の信頼における感覚器官を失ったゾンビは立ち上がることも出来ずに地面に這いつくばって蠢いている。
リディアはさらに指先に大きめの炎を浮かせ、あからさまに自分の位置を知らせる。他のゾンビ達が木の下に群がってきたが、指揮官系のゾンビは見当たらない。
支配者は少なくとも三段階以上進化したタイプか、もしくは特定の属性を与えられ、本来とは違う進化を遂げたゾンビのはずだから、見つけやすいとは思うのだが。
できるだけ早く接触してきて欲しい……。
そうリディアが思っていると、ばしゅんと何か液体のようなものが指先に当たる。今ので指先に灯していた炎を消されてしまった。しかもどうやらこの液体は酸性のようで、しゅうしゅうと音を立てている。
リディアには服を含めて身体にダメージは一切ないが。
とりあえず弾道は見えたので、そちらに瞬時に移動。
「――っ!」
いきなり現れたリディアに目の前の者はビクついた。
目の前にいるゾンビは蛙の顔に肥大した声帯を持つ『ヴォーメット』――のさらに進化した個体だろうか。肌の色が若干浅黒い感じだ。そして自我も見て取れる。
これが支配能力を持つ個体で間違いないだろう。他は見受けられない。バックアードは自我のあるアンデッドの部下をまだ持ってかもしれないから油断は出来ないけれども。
とりあえず話し合いだ。でも相手からは若干の敵意があるのを見受けられるので、周りの一般ゾンビを遠ざけよう。
リディアは両腕を真横に伸ばす、と同時に衝撃波が発生し、目の前のヴォーメット以外の前後左右のゾンビが数十メートル吹っ飛ばされる。ついでに地面を踏みつけ、地中にいるかもしれないゾンビも衝撃で潰して封殺しておく。
これで多少、話す時間が作れた。
リディアは小首を傾げ、敵意のない笑顔をヴォーメットへと向ける。
「キミは話せるのかなん? たぶんキミが彼らを連れてきたと思うんだけど、要件は? この先には私達の村があるから、迂回してくれると助かるんだよねえ。ちなみに話せないなら、容赦なく消すから」
攻撃的なのは許して欲しい。正直な所、かなり苛ついているのだ。
……本当はもう話し合いなんて出来ないと思っている。ここまで敵意を向けられて友好的になろうなんて、さすがに無理がある。どうみたって彼らはこちらを殺しにきている。
でも、最低限の体裁は整えるつもりだ。それが勇者との『約束』だから。
「…………」
ヴォーメットがごくりとツバを飲み込んだ。人間らしい動作だ。やはり自我がある。指揮官はこのゾンビで間違いないだろう。
「私としては時間がないかもしれないから、早く話してくれると助かるかなあ。でないと、本当に問答無用なことしちゃうよ?」
「…………俺様に勝てるというのか、人間風情が」
ガラガラとした聞き取りづらい声ではあるものの、言葉を発してくれた。敵意をはっきりと身体から滲ませ、タイミングを計るように肥大した袋のような喉が膨らみ、収縮する。
「あまり力自慢的なことは言いたくはないけど、まあ、それなりには強いよ。人間でも『王種』に至れば、場合によっては圧倒できるしねえ」
『王種』、その言葉にヴォーメットが身体が小さく震える。それは恐怖からかそれとも武者震いだろうか。
彼は、ふっと手を挙げる。すると周囲に強い気配が現れるのを感じた。木の上に数体、地上に数体。……目の前のも合わせて大体十匹くらいだろうか。今まで隠れていたのか。気配を抑えることが出来ると言うことは、それなりの上位種ということになる。
「……ならば、進化を幾度と為した者が多数いればどうだ?」
「無駄な争いは嫌だから言うけど、無駄だよ。出来れば私としては平和的に話し合いをして、ここから他のゾンビちゃんを引き連れて帰ってもらえると助かるんだけどねえ」
リディアのその言葉の真意をヴォーメットはどう受け取ったのか、口の端を歪め、笑う。
「人間ならばもう少し頭を振り絞って、まともな言い訳を考えられないのか? 我々に勝てる? 冗談も休み休み言うのだな!」
「私としては、別にもう何でも良いんだけどねえ。そんなことよりも、なんのためにここにゾンビちゃんの大群を引き連れてきたか教えて欲しいかなあ。観光とか移住とか? それならもっと良い場所を紹介するけど」
リディアがなおも笑顔で言うと、ヴォーメットの喉が不意にぷくりと膨らむ。
ヴォーメットの口から強酸性のツバがリディアに向かって吐きつけられる。
リディアはもろにその攻撃を受けてしまう。そして溶けるような音と強い刺激臭が辺りに立ち込める。
大木をも一瞬にして腐食させる『溶解液』を浴び、絶命は免れないと思われたが――。
しかし白い霧が晴れた先にはリディアが何事もなかったように立っていた。
彼女は指を二本立てる。
「……昔、友達から聞いたんだけど、『仏の顔も三度まで』って言葉があるらしいんだよね。それってどんなに優しい人でも二回までなら許してくれるけど、それ以上はダメって感じらしいよ。……実際の所ね、キミらには私のちゃんとした実力を見て貰った方がいいかもって少し思ってるんだよ。そうすれば、『人間風情』なんてこと考えないと思うんだ」
「《火球よ、火柱となりて、焼き尽くせ!》 ――燃え尽きるが良い!」
リディアの警告を無視し、木の上から呪文の詠唱が響き渡る。彼女の真上に巨大な炎が出現し、一瞬にして火柱となって包み込む。
だがリディアは千度以上もの高熱に晒されながらも、何事もなくため息をつく。
「……うん、何度もやられると確かに腹立つね。お話用に一体だけ残して、後は始末しないとねえ」
リディアはその場に留まったまま、片腕を掲げ、ギュッと拳を握る。
瞬間、木の上にいたらしいゾンビ六体がリディアに引き寄せられ、そのまま火柱の中に強制的にダイブさせられる。
「がぁあああああああああああ!」
ゾンビらの悲鳴が上がる。痛みは本来感じないはずだが、絶命必至の火炎の中に飛び込んだことで恐怖を覚えたのだろう。もしかしたら中にはバックアードに痛覚を与えられた個体もいたかもしれない。
(……痛かろうが、知ったことじゃないけど)
火柱が収まると、リディアの近くには黒焦げになったゾンビが六体ほど転がっていた。
辛うじて二体ほど魔法に抵抗力があったのか、頑張れば立ち上がれる程度には助かっていたが、それ以外は死んではいないものの身体がほぼ炭化してぴくぴくとしか動くことが出来なくなっているようだ。
リディアは片手を軽く下に振る。
どすん、と彼女の周囲、数メートル四方の空間が整地したかのように綺麗に潰れてしまった。空間にあったものはゾンビを含めて原型すらなくなり、数ミリ程度の厚さを持った『何か』に変貌していた。
一瞬にして六体のゾンビは消滅した。
リディアはつまらなそうな顔をして周囲を見回す。そしていつの間にか安全圏へと避難していたヴォーメットを見やる。
ヴォーメットは目の前の惨状を引き起こした魔女に見られ、またも身体をビクつかせる。だが、退く気はないのか、リディアを睨むと、彼女を指さした。
「怯えるな! あれほどの魔法を使えば、いかに王種と言えども、魔力切れを起こすはずだ!このまま畳みかけるぞ! 魔法障壁や物理障壁も張っているだろうが、両方張っているなら、『ボーア』、お前の攻撃なら通るはずだ! いけ! 援護する、押し潰せ!」
ヴォーメットがそう叫ぶと、三メートルはある筋骨隆々の巨軀のゾンビが大地を揺らしながら、突っ込んできた。重々しい足音を響かせながらも、かなり速い。ゾンビに似つかわしくない頑丈そうな筋肉に覆われた存在は、肩を突き出し、リディアを跳ね飛ばそうとする。
さらにヴォーメットとローブをまとった唯一のスケルトンが、リディアの足止めをしようと『溶解液』や目くらましに魔法を使ってくる。
そして、巨軀のゾンビ――ボーアの後ろに追従するようにブロードソードを持った黒髪の剣士風のゾンビが走ってきている。追撃要員だろう。
アンデッドながらも良く出来たコンビネーションだと言える。これならば大抵の人間なら太刀打ち出来ず殺されてしまうだろう。
――もっとも、リディアは『まとも』ではない。
リディアはヴォーメットとスケルトンの絶え間なく襲い来る攻撃を完全に無視し、腰を捻り、拳を握りしめ、あからさまな溜めるような構えをとる。まるでボーアを真正面から迎え撃とうかというような構えだ。
だがヴォーメットはそれをハッタリだと判断する。
大方、寸前で転移か先ほどの押し潰す魔法で牽制や反撃をするつもりだろう、と。たとえ逃げようとしたりボーアが潰されても、その隙に高威力の遠距離攻撃を叩き込めばいいのだ。
魔法を複数同時に発動することは出来る。だが相応の集中力が必要になり、精度も下がってくる。そのため障壁を張ったとしても、展開が遅かったり厚く張れずに高威力の攻撃なら貫けてしまうだろう。だから向こうからの攻撃はない。少なくとも休まず攻撃し続けていれば、いずれ力尽きるか隙が生まれるはずだ。
しかしリディアはヴォーメットの予想を裏切り、一歩踏み込み、無謀にもボーアに向かって拳を振り抜いたのだ。
小さな拳が巨体にぶつかり――そして……。
ばすっ、と気の抜けた音がして、ボーアの一部が消滅した。
「なっ……」
その光景を見ていたヴォーメットは絶句する。
まるで何かに食われてしまったかのように跡形もなく、ボーアの一部が円形状になくなってしまったのだ。リディアに向かってタックルをして前傾になっていたため、片腕と胸、太股までが消えた。
その身体――上半身は慣性に従い、リディアの真上を通り抜け、ぼとんと無様に落ちる。ゾンビ故、死にはしなかったが、完全なる戦闘不能だった。
――リディアの攻撃はそれで終わらなかった。
振り抜いた拳の先には、ボーアの後ろに隠れていた剣士風のゾンビがいたのだ。予想外のことに止まることすら出来なかったそのゾンビは胸元辺りにリディアの拳を受けてしまう。
同時にボーア同様、跡形もなく――彼の場合は上半身まるまる消し飛んでしまった。
びしゃ、と騎士風ゾンビだったものの下半身が倒れ、肉片と体液をまき散らす。
リディアは返り血を浴びながら、くるりと半回転して、倒れ伏すボーアを見やると、彼に向かって軽く手を下に振って押し潰し、完全に死に至らしめた。
残るはヴォーメットとスケルトンのみ。
スケルトンはカタカタと怯えるように骨を鳴らすと、振り返って逃げだそうとした。――が、不可思議なことにスケルトンは進行方向とは逆にヴォーメットの横を飛ぶように通り過ぎ、リディアに向かって飛んで行く。
そしてあっけなく、彼女に顔面を軽く殴り飛ばされて、消滅してしまった。
「な、な……」
ヴォーメットは無意識に喉の袋が大きく上下するのを感じる。
恐怖を抱いていたのだ。あまりの格の違いに、身体が負けを認め、心が折れようとしていた。
言い訳がましくも言うならば、この一言だけだろう。
『こんなはずではなかった』と。
犠牲は少なからず出ると思っていた。それでもあの魔女を殺せると踏んでいたのだ。驕りでも何でもなく、上手く消耗させれば殺すことが出来ると思っていたのだ。
けれど先ほどから、一度も遠距離攻撃は通らなかった。あの魔女の近接攻撃に合わせて高威力の攻撃したのにもかかわらず、何故か障壁を破ることが出来なかったのだ。
ヴォーメットは何が起きたか分からなかったが、それでも一つだけ理解した。恐らくは今の戦いでリディアの実力の片鱗すら垣間見ることは出来なかっただろう。大して消耗させることも出来なかっただろう、と。
あの魔女には決して勝てない。
それをヴォーメットはまざまざと感じることができた。
リディアは、ゆっくりとヴォーメットに向き直る。
「もう一度、質問するけど、何しにここに来たのかな? ああ、つまらない嘘は言わないで欲しいかなあ。少なくともキミらの『ご主人様』のことについてはよく理解しているから、そのつもりで」
「…………」
リディアからは殺意はない。先ほどの戦闘でも、一切の殺意は見せていない。あまりの実力差故に、羽虫を潰す程度の認識しか抱いていなかったのだろう。
彼女はヴォーメット達に呆れ、疲れて、『対処』したのだ。五月蠅い虫を潰すかのように。
「……はあ。――《混沌の朧気なる力の子らよ。静謐なる光の刃を前に消え果てよ》」
リディアは、黙るヴォーメットにため息をつくと、呪文を唱える、すると指先に光を灯すとそれは一直線に伸びた。その光の柱をヴォーメットに向かって振るう。
「ぐがぁあ!?」
ヴォーメットの下半身に走る激痛。そして、顔面が地面へと叩きつけられる。
あまりのことに混乱していると、リディアが歩み寄り、ヴォーメットを見下ろす。
「『破魔ノ刃』で腰から下、切ったからね。面倒だから、次、黙ってたら、首から下を切り落とすよ。ちなみにそうなったらもう助からないし、死ぬまでに十分くらいはかかるからね」
リディアは淡々と、感情を込めずに説明する。脅しているわけではない、ただ説明しているのだ。次、何々しなかったら何々する、と。作業故に命乞いのような感情に訴えかけることは無意味に等しかった。
ヴォーメットは死を確信した。もうどうにもならない。かと言って、バックアードを裏切って洗いざらい話す気などない。けど、このまま死ぬつもりもない。
「くくくくく…………」
ヴォーメットは笑う。最後にこの魔女の慌てふためく顔をさせようと誓い、口を開いた。
「主は、間違ってはいなかった! 貴様を足止めしたのは正しい! 貴様とて転移が出来ると言えども、あの結界内まではいけまい! 周辺もゾンビが固めている故に、貴様のその力があったとしても容易く突破は出来まい! 今頃、貴様の村は、貴様らが迎え入れた子供によって崩壊していることだろう! ランナーが! ヴォーメットが! バースターが! デフュージョンが! 生まれ、そして結界を破壊し、ゾンビ共を村へと招き入れるだろう! 貴様が戻る頃には、村には生者など一人もいなくなっているだろう! この近くにまだいる我らの仲間がゾンビを操っている限り、村の周りから消えることはないだろう! くはははははははははは!」
ヴォーメットのかすれた笑い声が森の中に響き渡る。この声に周辺のゾンビを集めていやがらせをすることも出来る。それにこの近辺にまだ仲間がいると嘘をつけば、この魔女はすぐに村へは帰られなくなるはず。見たところ索敵能力はそれほど高くないため、この程度でも時間稼ぎは出来るだろう。
もはや死は確定している。ならば、覚悟を決めてしまえばいいのだ。一度は死んだ身だ。二度目の死など恐るるに足らない。
――そう、思っていた。
「……そっか」
リディアはぽつりと呟き、素早く『破魔ノ刃』を詠唱すると、ヴォーメットの首を切り落とした。
ヴォーメットはもはや声を出すことは出来なかったが、いまさらそれがどうしたと顔の筋肉を歪めて、リディアに嘲笑を向ける。
彼女はそんなヴォーメットを見返し、口を開く。
「時間っていうのは、流れ方が違う場合があるらしいね。物体は速ければ速くなるほど、その物体は通常の時間より遅くなったりするらしいよ。でも、そんなことをしなくても、永遠を感じ取れる方法ってあるんだよ」
「……?」
いきなり意味の分からぬ事を言い出したリディアにヴォーメットは戸惑う。
そんなヴォーメットをよそにリディアはなおも話し続ける。
「認識能力をちょっと弄くって時間分解能力を底上げしてあげるの。……例えば1秒っていう時間があるよね。1秒はどう足掻いても1秒。それは絶対に変わらない。けど、もし仮に0.1秒なんていう時間を極限まで知覚出来て、それをまるで1秒と同等に感じられたらどうだろう? 本来感じられない時間を感じるようになる。もちろん身体は動かないよ。意識だけがその長くなった時間を感じ取るの。そうなるときっと見えているモノが全て遅くなるよね。……でさ、それが年単位の期間だったら? ――たった1秒が永遠とも言える時間だったら?」
ひたり、とリディアの手がヴォーメットの顔に触れる。彼女の瞳には何の感情も宿していない。
怖い。
「――――!」
ヴォーメットは学術的な知識や哲学の心得など有していない。それでもリディアによって簡潔に示された言葉の意味を、そして彼女が何をしようとしているのかを察知し、恐怖した。
リディアは哀れな者を見るような目でヴォーメットを見下ろす。
「キミは十分後に死ぬ。けどキミはその死という終わりを永久に感じ取れない。キミは意識だけがこの世界の理から弾き飛ばされる」
「っ! っっっ!」
ヴォーメットは必死に口をぱくぱくとさせ、命乞いをするが、もはや言葉は紡げない。
「…………もう、遅いよ。キミは最後の最後まで私を侮り過ぎたね。私が怒ってこういう真似をするなんて考えなかったでしょ」
リディアはヴォーメットの頬を優しげに撫でる。
「さようなら。私が十分以内に死ねば、この魔法は解けるから、刹那が永遠に近い時の中、期待しててね。――――『幽世ノ傍観者』」
リディア最後の言葉を境に、ヴォーメットの永遠に終わらない十分間が始まった。
疲れた、というのがリディアの正直な感想だった。
さすがに感情的になってしまって、無駄な力を使ってしまった。まったく痛手にならないけれど、雑魚にやるほどのことでもなかったのに。
(……ていうか、普通に脅して居場所とか聞き出せば良かったのに。何やってんだろ、私は。……。今更解いても、もう壊れてるだろうしねえ。はあ、馬鹿やっちゃった)
やはり長生きしても自分はまだまだ子供だな、とリディアは自嘲する。肉体に精神が引っ張られているのかもしれない。
(……嘆いていても仕方ないかな。さっさと敵を探して、潰して早く戻らないとなあ。勇者様が作ったあの村を数百年ぽっちでなくすわけにはいかなないからねえ)
リディアはそう思うと同時に、その場から一瞬にして姿を消す。
後には原型が残っていないアンデッドの死体が転がるばかりだった。
エターナルアブソーバー!! 相手は死ねない。
※無駄な補足
リディアの使っていた殴ると相手が消滅する技は、『虚喰』というスキル化された魔法。
殴る&大気中にある付近の魔力を一定に調整することで発動する。殴った先にあるものを球状にすりつぶす。範囲も広く空間にあるものを何だろうと無に帰す能力のため、発動したら、文字通りの必殺となる。
対抗策は自身の周囲の魔力を操らせない。もしくは殴られないこと。




