第一章 お墓の中からこんばんは
俺が目を開けると、闇が広がっていた。
たぶん、目を開けていると思う。でも、何も見えない。
寝てたのか、俺。ていうか、今、夜か? 全然何も見えない。なんだか身体に違和感もある。
やや混乱をした頭で、ゆっくりと自分に何が起きたか思い出す。……つっても、何も記憶にはないのだが。寝た――というか、気を失った瞬間すら覚えていない。
うーん、なんかこういう感覚に覚えがあるな。確か、風呂場でのぼせた時だったっけかな、こんな風にいつの間にか意識が途切れたのって。あの時は気付いたら、天井を見上げていたんだよな。
……順々に思い出していくか。
えーっと、バスに乗ってたのは覚えている。降りた記憶はない。……だとすると、バスで目的地に向かっている最中に何かあったのか? 何らかの事故に巻き込まれてしまったのだろうか。……あっ、なんか思い出しそう。なんか薄らと天井が迫ってくるような光景が頭を過ぎる。もっとなんか……とか思ったのだが、ダメだ、これ以上思い出せなかった。
つーか、やっぱりなんだか身体に違和感がある。
言うなれば、感覚がほとんどない。
……あっ、ちょっとヤバい。これってあれか? 脊髄損傷による、植物人間状態とか? 勘弁して欲しい。
俺は慌てて身体を動かすと――幸い、動くことができた。でも、感触がないのは変わらずだ。聴覚は一応、ある模様。ごっごっ、と手が木に当たるような音が聞こえてきたのだ。
一応、生きているのだろう。触覚ないとか最悪だが……生きてるだけマシかな。感覚はないけど、動けるし。
しかし、これは一体どういう状況なのだろう。
バスの中か? 潰れでもして、その隙間にいるとか?
うーん、でも、少しくらい光でもあっていいものだが。目、見えなくなったとかだろうか。
それは正直、止めて欲しい。
ポジティブに考えるとしたら、病院……なんだろうが、ここはきっと病院ではない。
というか、病院が患者を狭い場所に閉じ込めるとか、絶対にありえない。
そんなこと訴訟問題である。
では一体――。
……ま、まさか……。
ここは棺桶の中なのではないだろうか。木っぽい音がするし、何気にスペースがあるので間違いではないかも。
……そこでふと、死んだと思われていたが、実際は生きていて火葬されてしまった哀れな人間の話を思い出す。……あれって、都市伝説だっけ? 本当の話だっけ?
(……いや、いやいやいや。ちょっと待て待て待て待て! じゃあ、俺、火葬されるってことか? ヤバい、ヤバいぞ! だ、誰かー! 俺、生きてまーすよー!)
俺は慌てて声を張り上げたのだが――、
「うー! うー!」
変な呻き声が上がるだけだった。
たぶん脳の一部がやられでもして、触覚と一緒に発声能力まで失われてしまったのか。しかもこの声、呻く感じであまり響かない。声を出して助けを求めるのは、あまり有効な手段ではないっぽい。
必死に暴れて見る。もう、この棺桶をぶち破るつもりでだ。で、何度か手当たり次第ごんごんとぶったたいていると、側面の木がひび割れわずかに穴が開いたように感じた。
こんなに殴ったら手、血だらけだろうな、と一瞬思いつつも、助かりたい一心で暴れたのだ。そして微かに身じろぎ、穴が開いた方を見やる。
火が照っている様子はない。暗闇のままだ。でも、それは火葬前段階ということかもしれない。
――そう、思っていたのだが。
ひび割れの中に指を突っ込むと、何かに突き当たる。感触がないのでよく分からないが、音から察するに棺桶の奥にさらに何かがある模様。
どういうことだ? 棺桶をさらにコーティングしているってことか? 何のために?
仮に棺桶を何かが囲んでいると仮定として、このコーティング物はなんだろう。
たぶん、感触がないから、断定できないけど、そんなに固くはない、なんというか粘土っぽい感じ?
ぽろねちょぼそと幾分転がり込んでくる音が聞こえてくる。
つか、俺、なんか耳良くなってる気がする。気のせい? なんか耳でソムリエってる感じ。
……いや、どうでもいいか、今は。
……しかしこんなもんで包んで焼いたら、骨になんないと思うけど。……何、俺の実家とかの宗派で死体を蒸し焼きにでもするんだっけ? 覚えないけど。
(……だとすると……これ、マジで土か? ……え? もしかして、ここ墓の中、とか…………いやいやいやいやいや、俺の家、土葬でもなかったぞ!?)
でも、棺桶をコーティングして蒸し焼きするなんて考えるよりは現実的だ。もしかしたら、実家の両親は俺が居ぬ間にクリ○チャン辺りに改宗していたのかもしれない。
……そう考えるのが妥当だろうか? だとすると今の状況かなりヤバいよな? このままだと窒息で死ぬのは目に見えてるし、脱出なんて夢のまた夢だ。
そういえば土葬地域では、たしか昔のことだったかもしれないけど、誤葬が頻発していたとか。その対策として棺桶内部から外の鈴を鳴らす仕掛けがあったとかなかったとか。
でもあれって、ペストが蔓延した時代とかで生死を判断する術がなかった時じゃなかったっけ?
……うーん、火葬の件、同様に覚えてない。
……で、一応、引き紐みたいなのがないか調べて見たけど、ここには残念ながらなかった。絶望的だ。
……あー生きてたと思ったのにすぐ死ぬことになるなんて、運悪いな、ほんとに。
窒息ってどんだけ苦しんだろうか。すごい苦しいとか聞いた覚えがあるような。
それでもって一体、どのくらいまで保つのだろう。今は余裕だけど――――あれ?
……いや? なんかおかしい。え、でも……もしかして、俺、……息止めても苦しくない?
意識して気付いたのだが、俺、息はしていたけど、止めても苦しくなかったよ。
息止めても――ヤケクソになってかなり長い時間止めてもみたが――意識はまったく途切れなかった。
……ガチでどういうことだ。本当に生きてるのか俺は? 実は死んでいるのに生きているとか?
うん、自分で思ってみたが、まったく意味が分からない。
まあ、でも考える時間はあるし、抜け出す時間も出来たということにしよう。
細かいことはキニシナーイ。
というわけで、脱出ターイム!
作業は簡単。とにかくこの棺桶(仮)をぶったたいてぶっ壊して、ゾンビさながら地中から這い出てやるのだ。
土の中で身動き出来るのかどうかとかもうどうでもいい。今の状況が意味分からないし、とにかく早く抜け出したかったのだ。一切の光のない暗闇は精神がおかしくなる。
だから、遠慮はしなかった。
痛みがないのは助かった。木とはいえ棺桶を殴って破壊とか、手が粉砕して悶えることになるわ。
そうして俺はこの棺桶(仮)を壊すことに成功した。
ここは本当に土の中のようで、なんとか土を掻き分けるように這い出ようとする。ちょっと泥っぽいというか、かなり掘りやすかった。
時間の感覚はなかったので、どれほど経ったか不明だった。けど、思いのほか、土を掻き分けるのがスムーズに行えて、ついに俺は地上に這い出ることに成功した。
「うー!」
俺は元気良い呻き声と共に腕、頭、上半身と順に大地から突き出す。
どうやら今は夜で月明かりが――――あれ? 月がいつもより大きいような? 気のせいかな? 天体には詳しくないけど、おっきく見える時期だったのかも。
そのおかげか思いのほか、明るいし、助かった。
で、ここは予想通り西洋風の墓地だった模様。なんか十字架っぽいものが至る所に突き刺さってるし。
何はともあれ、とりあえず脱出成功だ。この場所はどこか分からないけど、幸い、墓地に結構人がいる。
「うー」「うヴー!」「あー!」※皆、低音ボイス。
……うん、人が…………。
「あうー!」「おうー」「うがー」※皆、低音ボイス。
俺は、一旦、地中に帰ることにする。
さすがに俺もちょっとおかしいと気づいたよ。元より最初からおかしいこと満載だったけど、不用意に誰かに声をかけなかったのは褒めて貰いたい。
歩いている人なんだけどね、なんかね、すごいの。
なにがすごいって、腕は片方ないわ、目の玉片方や両方を定位置からズレたところにぶらさげているわ、至る所の皮剥がれているわ。
あれだわ。月並みに言うと、――ゾンビが徘徊していた。
……これだから土葬は嫌なんだよ、とちょっと錯乱して違うところに憤慨してしまう。
(なんでゾンビが……。…………あれ、もしかして……俺ってまさか……)
……この場合、色々な情報を統合して考えると俺は……いや、たぶん、信じたくないし、考えたくもないけど、自分もゾンビなのではないだろうか?
一応、理性はあるけれど、感覚ないし、「うーうー」しか言えないし。
……あれか、俺が死んだ後にゾンビパニックが発生したのか? そういえば某有名なゾンビ系の海外ドラマでも主人公が死にかけて入院している間にゾンビな世界に変わっていたが……。
俺の場合、死にかけどころか、死んでゾンビになっているんだろうけどね。理性はあるだけマシなのか。
で、外にいるゾンビだが、たぶん俺のように理性や知性はないと思う。直感だが、人としての意思というかなんというか、それが極端に弱いように思えたのだ。
少なくとも徘徊っぽいことしている彼らは、何らかの目的を持っているようには見えなかった。ただただあてもなく歩けるから歩いている様子だった。
かなり怖い。
けど、これはチャンスではないだろうか。
もし自分がゾンビならば、彼らに紛れてここから逃げ出せばいいのだから。
よしっ、ならば、よくあるゾンビを真似て――真似ってか俺も本物かもしれないけど――墓地脱出作戦を決行するっ!
俺は、意を決して土から這い出ると「うーうー」言いながら、とりあえず近くの林の方に向かう。
ここはどうやらあまり整備されていない場所のようだ。たぶん森か林の中に作った空き地を利用しているのではないだろうか。三六〇度、距離に違いはあれど、ある境から木々が生い茂っていたし。
あっ、ちなみにだけど、やっぱり俺、本当にゾンビになったようだ。
心臓は動いてないようだし、抉れてるとかの身体の損傷は見る限りではないけど肌がすごい青白い。あと何故か走ることが出来なくなっていた。ちゃんと脚は稼働するのだけど、硬直しているのか最低限しか動かせず、走ることが出来ない。腕はある程度、速く動かせるけど、生前に比べたら遅い。
感触も温度も分からないけど、これが生きている人間の身体じゃないのは直感的に分かった。
やっぱ俺、ゾンビになってるのかあ。
……まあ、別に良いんだけどさ。ていうか、人外が好きって言うのもあるしね。ちょっと興奮していたり。
さて、己の性癖を改めて心中にて独白するのはこれぐらいにして……ゾンビ達がいないであろう林に向けて歩いているのだが……成功しているのか? このゾンビのフリ作戦。
後ろからぞろぞろとついてきている気がするんだけど、気のせいだろう。そう思いたい。
幸い今のところ、進行方向にて妨害する奴はいなかったけど――――あっ、ちょっと先に交差するようにぶつかってしまう個体がいる。
でも、ここで方向を変えるのも時間がかかるし、後ろの奴らに追いつかれるのはなんだか嫌な予感がするので、このまま進む。
俺は内心ドキドキしつつ(心臓は動いてないけど)、そのゾンビに近づいて行く。
「うー」
と、ゾンビが俺を見た。赤髪の生前はイケメンであったろう男だ。唇を失って常に歯茎が見えてちょっと直視できない姿になっているけど。濁った瞳で俺を捉え、よちよちと方向を変えると、明らかに俺へと突き進んでくる。ヤバいか?
いや、もしかしたら狙いは俺ではなくて、気分的な問題での進路変更なのかも。そうだと思いたい。
大体、同じゾンビなのに、何をしようってんだ。あいつら共食いしてはないし、食う気はないと思うけど。
あっ、もしかしてただ一人でいる個体を見つけると擦り寄って団体行動をしようとするのだろうか。後ろにいる奴らも団体行動しているし。だから追っかけてきてるのかも。
一体だけでは弱いと本能的に分かっているのかも。
――その俺の予想は恐らく当たっていたと思う。ゾンビは群れる性質があるのだ。
けど――
がぶっ。
――どうやら俺だけはその本能の適用外だったらしい。
イケメンゾンビに噛みつかれた。前に伸ばしていた腕にがっぷりと。
「うー!(何すんだお前!)」
俺は危機を感じ、とっさにイケメンゾンビの横っ面を殴りつける。ゾンビが脆いこともあるのだろうが中々強い力だったようで、めしゃっとイケメンのイケメンを潰してしまう。
でも、そのおかげで離してくれたから、良しとする。けど、同時に俺のちょっとした肉も、もっていかれた。
(俺のお肉がっ! ちょっ、骨見えてるじゃねえか! 治んの? 治んのこれ!)
イケメンは今の一撃がクリティカルだったようで、ピクピクしていたが、ついに動かなくなる。まあ、俺にそれを悠長に眺めている暇はなかったんだけどね。何故なら、今、後ろについてきているゾンビ共が全員敵なのが判明したのだから!
涙は出ないが、内心、泣き出しそうになりつつ、よたよたと逃げる俺。
すると――、
『レベル2に上がりました』
そんな機械音声が脳内に響き渡る。
「う?」
『レベルアップによりスキルの熟練度にボーナスが入ります。またレベルアップにより魔力の最大値が上昇しました』
その声は淡々と告げ、沈黙する。
(なんだ、今の……)
まるで、そう、まるでゲームのレベルが上がったような対応だった。ファンファーレは鳴らなかったが、間違いない。それにスキルとか言っていた。
(……待て、この展開、もしかして、ゾンビ世界になったんじゃなくて……ここ、ゲームの中か?でも、俺、VRなんてした記憶ないけど……これなら痛みがない理由は納得出来る、けど。……もしくは変な世界に転生とか?)
輪廻転生なんて思想は元の世界にもあって、俺の家の宗派はなんか仏教だった気がするけど信じていると言われたら、そんなことはない。
てか、転生していきなりゾンビとか意味分からんし。転生ちげえし! 生きてねえよ、死んでるよ!
本体である生身の肉体があって、一時的に意識だけを死体に移しているとかそういう術とかなら、納得してもいいが、思いっきり死体に魂定着してるよね、これ。
やっぱりVRかな。そっちの方が濃厚そう。
いや、今はいい! とりあえずここから逃げないと! 考えるのはそれからだ! この世界がゲームだとしても、死ぬと抜け出せる可能性もあるが――確かめるために死ぬなんて出来るか!
……というか、逃げられるのだろうか。いけるかな? 同じ速度で皆よたよた歩きだし。……いや、ちょっと待て、少し速い個体が数体いるぞ! このままだと追いつかれる!
反撃するにしても、止まったらあの群体に追いつかれて押し倒されてむしゃむしゃされてしまう!
幸い進行方向には追いついてきそうなゾンビがいないけど――――あっ、林からなんか出てきた。フード付きのローブまとっていてなんだか分からないけど、たぶんゾンビだ。
(一体くらいなら、顔面一撃で倒せるか?)
ゾンビはそれほど防御力は高くない。……というよりゾンビの腕力が強いのか?
なんでもいい。とにかくあいつを倒さなくては。
その場から動いていないけど、こちらに視線をたぶん向けている。……もしかして上位個体とか? いや、だとしても構うものか。レベルという概念があるなら、倒して糧にしてしまおう。それで突破口が開けるかもしれないし。
そのローブ野郎に近づいて行き、俺は拳を握りしめる。やや腰を捻る体勢に移行。そのまま勢いをつけて近づき腕を振るおうとする。
あと少しというところで、不意にそのローブ野郎がフードをバサリと後ろに外した。
そこにいたのは十代後半くらいもしくは少し上くらいの野郎――ではなく女性。カラスの濡れ羽色のような美しい黒髪に妖しげな紫色の目が特徴的だった。整った顔立ちに濃いアイシャドーをした、美人さんだ。でも、血色が明らかに悪そうなためゾンビと判断。
迷わず俺は、殴りつける。
と、その少女が両腕を広げ、笑みを浮かべて喋った。
「愛しのゾンビちゃあん! 私を噛み噛みしてぶふぁ!」
(あっヤベ……)
少女がたぶん『生きた人間』であるのを悟ったが、時すでに遅し。気持ちいいくらい思い切り、真正面から殴りつけてしまった。
ごろごろと数メートル転がる少女だ。
これは死んだかも、と焦る俺だったが――、
「うっ、ううっ――うへっ、うへへっ、さ、最高……! まさか殴るなんて希少な行動に巡りあえるなんて、ああっ、長く生きてるけど、世界はまだまだ私を楽しませてくれるにゃあ――ぐへへ」
少女は生きていた上に、なんだか気持ち悪く笑っていた。
さすがにゾンビの俺でもこれには引いた。
どうしようかと悩んだが、この少女を置いていくことにする。
非情に思えるだろうが、生きたまま食われるなんて痛くなくてもまっぴらだし、……何より、この少女(?)、死ななそうだったから。
確証はないけど、囮として使うことにした。
ていうか、かかわるのなんか怖いし。
そして俺は少女を置いて墓地から脱出を果たす。
遠くなった墓地の方から、少女の気持ちよさそうな嬌声が絶え間なく聞こえてきた。それは俺の予想が正しかったようで、少女は大した被害が及ばない証でもあった。たぶん満足したら逃げるだろう。
(まあ、もう遭うことはないだろうな)
とりあえず、このまま平穏なゾンビ生を過ごそうと俺は誓う。
――けれど、俺の決意とは裏腹に、あの女とはすぐに出会うことになる。