第三十九章 変わることを恐るるなかれ
ブラーカーはクマのような5メートルもある毛むくじゃらの体躯をして、頭部は草食動物のようなやや長く――だが肉を引き千切るのに適した強靱な顎を形成している。
側頭部には巻き角が生えており、先端は鋭く尖り、とても長い。
フーフシャーとは似ても似つかぬ化け物は、その様相にふさわしい咆吼を上げてリディアに襲いかかっていた。
「ブラちゃん! 落ち着いて! 話を聞いて!」
「がぁああああああああああああああああ!!」
リディアがそう叫ぶが、ブラーカーの怒声に掻き消され耳に届くことはない。
ブラーカーは鋭い爪の生えた大きな腕を無造作に、しかし目にも止まらぬ速さで振るう。風切り音が鳴り、風圧だけでもよろけてしまうほど。
リディアはスキルを最大限に使い、一瞬の隙も出来ないように立ち回っていた。
避けるだけでは駄目だ。ブラーカーは常に前へと進もうとするため、脅威のない敵はそのまま突破しようとする。雑にそれを行えるほどの身体能力を有してるのだ。
だからリディアは『重架』をブラーカーの身体に何度も叩きつけていた。見た目以上に重く硬い『重架』にさしものブラーカーはダメージを受ける。しかし、どぉんと鈍く大きな音が鳴っても、呻いて、当たり所が良ければふらつく程度だ。当たりが弱いと、少し身体を屈むか仰け反らせる程度で、瞬時に反撃をしてくる。
(やっぱり単純な身体能力強化系は苦手だなあ)
特殊能力特化ならそもそも『理ノ調律』で完封することが出来る。特殊効果の『自分にとって都合の良い空間』を常時発動させれば、ほぼ無力化出来てしまうのだ(フーフシャーなどは相性が良い)。
黒杖での打撃もそこまで大きなダメージとはならないだろう。むしろ接近する分、自らを危険に晒してしまう。『拳聖』スキルで強化出来る身体能力は、ブラーカーからすればさほど高くない強化で、防御に関しては紙と言って良い。
今のところ役に立っているのが『魔女ノ夜会』による処理能力だ。これで至近距離でも紙一重でかわすことが出来ているのだ。
それでも、ジリ貧であることは変わらず、いつか『詰み』が来てしまうだろう。
(アハリちゃん達が到着するのは……何時間ぐらいだろ)
アハリート単体ならば、休まず走り続けることが出来るだろう。道端に落ちてる死体を使えば、身体がもげようとも再生して無理矢理走り続けることが出来る。だが、そもそも足が遅いためフーフシャーと比べるともしかしたらあまり差がないかもしれない。
それなりに長い時間を覚悟しなければならないが、その間、ミスを一つもしてはいけないのは辛い。最悪、一度退いて仕切り直しも考えた方が良いだろう。ただ、一応現在の大将はリディアであるので、下手に退いたら総崩れになる。
ブラーカーを抑えられる人間がいないため、リディアが負ける及び逃げてしまうと、軍隊としての負けが決定してしまう。
リディアが退くベストな条件は、リディアが負けるより先に兵達が壊滅して逃げ出した時だろう。ただ、幸か不幸かプレイフォートの兵隊は強いようで、食い下がっているのだ。
善戦はしているが、勝てるかどうかは微妙なところ。そのせいで皮肉にもリディアが事故を起こす可能性も上がってきている。
人狼達が道中で数を減らしてくれたのか、数も上回っている。だが、ブラーカーの仲間は個体値が高いためか、どうしても押し切れず、ブラーカーやリディア側に抜けてきてしまうのだ。
実際、ブラーカーの仲間による援護攻撃がリディアに度々くるため、事故が起きてしまうのはきっと避けられない。
――厄介なのはブラーカーは怒り狂って知性がなくなっているが、仲間はある程度周りが見えるようで、リディアがブラーカーの攻撃を回避するために数度使った『混代』を警戒しているのだ。
遠くに置いて下手に飛ぼうものなら、手痛いカウンターを食らう可能性も出てきた。かと言って、ブラーカーの近くに転移しては、脊髄反射で攻撃を貰うかもしれない。
さて、どうしよう――と、援護に抜けてきたブラーカーの仲間の一体を『重架』で一殺しつつ、リディアはどうするか考える(死体から意識を逸らさない。最後の最期に動き出すということがままあるのだ)。
と、その時だった。
(ん?)
怒号が入り交じる戦場に置いて、それでもなお聞こえてくる音があったのだ。遠くの方から、ゴーッという腹に響くような低い音だ。現世では絶対に聞かない――でも、前の世界では良く聞いた音。
(飛行機?)
空から、その音は、まさに空飛ぶ鉄の塊から発せられるもの。だが、誰が――最悪、タイタンが技術を結集させてロケットを作って飛ばした可能性……を考えたものの、即座に否定する。この世界には資源が少ない。少なくとも知識があろうとも前世のような技術レベルを維持することは不可能なのだ。魔法で、ある程度無理は出来ても、一時的にオーバーテクノロジーを扱えるだけだ。……そもそもロケットは相手に物資を送っているようなものだから、やらないだろう。
なら、一体なんだ、と思っていると――、
「あぁああああああああああああああああ!! 思ったより減速出来ないぃいい!」
《当たり前じゃん! 普通逆噴射とか、噴射を止めて減速してから滑走路とかに降りて、止まるもんでしょ、これ!?》
「なんで言ってくんないの!? 車輪もないし、そもそもここデコボコ――なんかデカいクレーターもあるし!」
《こういうの口出しすると怒るじゃん!!》
航空機の音の中にダミ声が混じり、異様に耳に入ってくる(一人だけで何か叫んでいるようだ)。そしてそれは、皆一様に恐怖を抱かせるため、戦場が一瞬止まった。
ブラーカーでさえ、思わず止まって身震いしてしまうほどだ。
だがこの恐怖はすぐ慣れるものだ。だから戦場はすぐに元通りになるはずだった。
けれど、皆の目は空飛ぶ謎の飛行物体に奪われることで、さらに呆然と手を止めてしまう。
「あっ、リディアだ、リディアぁあああ! 助けて! 止めて! そのでっかいの――もしかして妹さんなら、ぶつかった後にでも止めてぇええ!」
謎の飛行物体ことアハリートがそう叫ぶ。
「えぇ……」
たぶん助けに来てくれたのではなかろうか。何故、助けを乞われているのか。
……というか、なんだろうか、あれ。思考の高速化でじっくりと観察してみると……肉の塊が不格好な飛行機のような形をしている。遠目から見てもかなり大きいのが分かる。後ろにブースターのようなものがついており、そこから青い炎がわずかに見えた。
(ロケットになって飛んできた? すごいことするなあ。炎の色からして液体燃料かなん? ……爆発の危険もありそうだけど勇気あるねえ)
まあ、とりあえず範囲内に入ったら減速出来るように重力操作の準備をしておく。それと進行方向がブラーカーの背中であるため、とりあずリクエスト通りにぶつけよう。
どのくらいの勢いが良いのだろう。強すぎるとアハリートが爆発四散して死亡して、弱すぎると反撃されて死亡する。……難しい塩梅だが……まあ、後者の方が生き残れそうなので弱めにしておこう。
ブラーカーはすでにリディアに攻撃を開始しており、背後から迫り来る音には注意を割かないようだった。ただ、耳がピクピクと敏感に動いていることからいつでも反応出来るようにはしているようだ。
(あら、これは私が退くタイミングとか間違うとアハリちゃん死んじゃうな)
ギャグみたいなことをしようとしているけれど、かなりタイミングがシビアだ。でも、爆発四散しても生き残れそうなのがアハリートだから、そんな難しく考えない方が良いのかもしれない。大きいのは燃料や機構を詰めこんだ以外に、自身を保護するためでもあるのかもしれない。
リディアには思考する時間はたっぷりとあるが、残念ながらのんびり会話は出来ないため、すべて予想立てて行動しなければならない。
液体燃料の爆発に関しては考えなくていい。向こうが死なないような対策を取っていれば、問題ない。こちらには熱も爆風も効果はない。礫さえ気をつければ大丈夫だろう。
リディアはぷかぷかと宙に浮きながら、ブラーカーの攻撃を避けつつ、急降下してきたアハリートを視界に収める。
ブラーカーに大きな隙を作るのがベストだろう。とりあえず今の今まで攻撃を繰り返して、大体の耐久力は把握出来た。
多少強い『現象』を直に当てても、死なないどころか致命傷にすらならないだろう。
なのでリディアは、ブラーカーの腹部に『重架』を叩き込んでひるんだ瞬間に、彼女の真横の空間にスリットを入れた。
同時に、ぼぉんという爆音と衝撃波がブラーカーを襲う。
「!?」
ブラーカーの巨体が宙を浮き、地面に叩きつけられるも異常な体幹の良さからかすぐに体勢を立て直す。やはり身体能力は異常なレベルで高い。
ちなみに今のは『神の杖』を落とした時に発生した衝撃波が異空間に入り込んで蓄えられていた衝撃波だ。『神の杖』作成のためにループさせていた空間はそれほど広くないものだったため、衝撃波が逃げられずに溜まってしまっていたのだ。まあ、利用出来そうだからと衝撃が発散する速度を遅くしていたというのもあるが。いわゆる副産物の攻撃手段である。
――ブラーカーの隙はわずかだが、アハリートは高速で近づいてきている。対応は出来まい。
リディアは『重力操作』でアハリートを巨大な飛来物がしてはいけない直角な動きでブラーカーの背後にぶつける(曲がった瞬間、アハリートから、ぶちゃあ、と変な音が聞こえたが大丈夫だろう)。
「ぶぐぅ!?」
これにはさすがのブラーカーも踏ん張れず、吹っ飛び転がって行く。――さて、それなりに猶予は出来た。
リディアは転がる肉塊に目を向ける。肉塊から浮き上がるようにして鹿骨頭のアハリートが姿を現した。どうやら元の姿で挑むらしい。半分以上肉塊を吸い上げて、外骨格も纏い、ゴリラのような体躯になる。――ただ、それでもブラーカーよりは一回りは小さい。
《リディアー、あんがとー助かったー。ところで倒した?》
アハリートがブラーカーの方に目を向ける。だが彼女はちょうど地面に怒りを叩きつけて、周辺を震わせてるところだった。やはり大したダメージは受けていない。
《……ほぼ無傷とか……。どうすれば良いの、あれ?》
「出来れば何度か叩いて大人しくなったところに語りかければ良いのかもしれないけど……まず生半可な攻撃じゃ倒れないんだよねえ」
落ち着かせるために地に伏させるのが一番だが、頑丈過ぎて全くダメージがないのだ。リディアの攻撃では、これ以上の攻撃は即死級のものしかないため、どうしようも出来なかった。
「捕まえて、しばらく拘束とかして話しかけ続ければいけるとは思う」
《そっか! じゃあ、やってみる!》
アハリートはそう言って、《うぉおおお!》と叫びながら意気揚々と向かって行った。――接近したら怒りにまかせたブラーカーの雑に振り回した腕で半身がごっそり削られた。見事なほどに抵抗感がなく、プリンでも叩いたのかと思えるほどだ。
《あーん、リディアー》
アハリートがベソをかいて戻ってきた。
肉の塊に突っ込み、失った半身を再生させる。ついでに抜けて襲いかかってきたブラーカーの仲間も取り込んでいた。
《対峙して分かった。あれは今の俺がどうこう出来るものじゃないわ》
《マスターの身体、抵抗なく綺麗に削れたよね》
アハリートの鹿骨の眼窩からラフレシアが外を覗くように顔を見せた。
「でもまあ、アハリちゃんの毒とか電気とか触手巻き付きは結構効きそうではある」
《どれもかなり多めにしないといけなそうだけど。巻き付きに関しては、考えて注意払って巻き付かないと、ぶっちりいかれそう》
「まあ、そこは私がサポートすれば……いけるかなあ」
程々の攻撃ではひるませるのが関の山で、それでは張り付いているアハリートに攻撃を集中されてしまうだろう。それに威力を高めると範囲も広がってしまうため、アハリートを巻き込んでしまう。
リディアは首を横に振る。
「――無理かも」
《結論が早くて素晴らしい。うーん、やっぱり奥の手使っちゃうか》
「奥の手?」
《うん。進化する。ちょっとそろそろ妹さん来そうだから相手してて。んで、もし俺が現れたらなんとか誘導して、カチ当てて》
そう言ってアハリートは余った肉塊を引っ掴み、たた遠くの方まで引きずると取り込んで地面に潜ってしまった。
「……何するの?」
《進化って、言ったでしょ》
隣からラフレシアの声がして、ちょっとビックリしてしまうリディアだ。いつの間にか真横にラフレシアが浮いていた。
「あれ? 増えた?」
《外から観測用&リディアに近況伝える用としてね。周りにバレるの嫌だから、ちょっとフードに入って良い?》
「良いけど……」
リディアは被っていたフードの頭部分に隙間を作ると、そこにラフレシアが入ってきた。――久しぶりな重さと温度に、なんとも言えない気分になる。
ここで哀愁を感じて鈍るのはいけないため、気持ちを静める。
「……進化って、レベル上げてて良い進化先があったの?」
《ううん、そうじゃないよ。今から魂を直接ぶち込んで強制的にレベル上げをして進化させるの》
「なんで!? 危険じゃん!」
リディアは一瞬、ラフレシアには敵意がまだあって、アハリートを騙したのではと思ったが、ラフレシアはため息をつく。
《そんなの分かってるけど、淫魔とかから話を聞いてこうでもしないと止められないと思ったから。ちゃんとマスターには危険性とか説明したし、入れる魂も出来るだけ私が調整しておいたから危険度はそれなりに低くなってるはず》
「でも、そんな無理に進化したところで、ブラちゃんと対抗出来るの?」
《出来ると思うよ。魂とか進化に関しては私達の十八番だからね。それにあれは大きな戦争だとほぼ毎回現れて戦地どころか国まで飲み込むこともあったしね。戦場を回る私達はいつもあれを見てきて、その厄介さは身に染みてる。下手をすれば王種すらも止められるポテンシャルはあるよ》
「……それって?」
なんとなく分かった。リディアも長年生きてきて、それとなく戦場ではアンデッドが生まれやすいのは知っていて――その中でも特に危険なアンデッドの話をちらほら耳にしていた。
ラフレシアは言う。
《『レギオン』》
それはある意味、この世界ではもっとも危険なアンデッドの名だった
次回更新は11月6日23時の予定です。




