第三十二章 我が全心臓に懸けて
「ちょっと名乗り上げていいか?」
ルイスは金棒を斜め下に構え、今まさに飛びかかろうとしていたところで、トラサァンにそう制止させられる。
――このまま、飛びかかって先制攻撃を仕掛けようかと思った。……だが、相手の毒のない気配を感じて、それは無粋であるとやめる。さすがに体勢までも解くことはしなかったが。
「……あれか? 王種の魔物が、自分の特殊個体名名乗るやつ」
「いいや、違う。名乗るのは実際の俺の名前だな。俺、よくトラサーンとか間違われるし、しばらくぶりにリーダーがつけてくれた役割とか言っとくかな、と思ってな」
「リーダー? プルクラってやつか?」
「あいつはちげえよ。俺の命を救って――俺を吸血鬼にしたやつさ。今はいねえけど、まあ、なんであれ、名乗らせてもらってもいいか? ついでだし、そっちも」
「別にいいぜ」
バルトゥラロメウスがこられると困るから、短期決戦が望ましいが――別に構わないだろう。さすがにこれ以上長引かせようとしたのなら、時間稼ぎの線を疑うが、まだその判断を下すほどじゃない。
トラサァンは咳払いをしてから、拳を握り、腕を内側に捻り込むようなマッスルスタイルを取る。
「四天王『筋肉』担当、トラサァン!」
「…………。なんだ筋肉担当って」
「知らん。リーダーが、ノリでつけたから大した意味はねえんだ。けど、そんなに悪くねえし、気に入ってる」
「そりゃ羨ましい限りだ」
ルイスは、自分の――特にミドルネームとファーストネームに良い思い出がない。今の恋人もなんやかんやと名で――実際のところは地位で――面倒になっているのだ。
鼻を鳴らしたルイスを見て、トラサァンが首を傾げた。
「なんだ? 自分の名前が嫌いなのか?」
「嫌いってほどでもねえが、好きにもなれないもんでね」
ルイスは肩をすくめる。
「んじゃ、名乗るぜ。ルイス・フォン・バール。爵位は男爵。遊撃部隊隊長をやらせてもらってる。――やろうや」
「おう!」
気軽な掛け声を返した瞬間、ルイスの姿がかき消え、トラサァンが吹き飛ばされた。弾け飛ぶような鈍く大きな音が、遅れて聞こえ、その間にも木々がへし折れ倒れる音が鳴り響く。
「……防がれたな」
金棒をぶち当てた際、肉を潰し、骨を砕く感触が一切なかった。クッションがある金属を殴りつけたような、そんな手応えだったのだ。
何本かの木に細い血管のようなモノが無数に張り付いていた。目を凝らさないと見えないほど細いのに、切れないどころか、引っ張られて、ぎしぎしと木が軋んで曲がっている。
その血管に少し目を向けてしまった瞬間、トラサァンが勢い良く飛んできた。その血管をバネのようにして、自らの身体を飛ばしたのだ。
速いが――目に止まらぬほどではない。
ルイスは迎え撃つため、金棒を構える。
トラサァンが全身に血の鎧を纏っている。だが先ほどのように五メートルもある巨漢になったわけではなく、一回り――それこそ、鎧を装ったかのようだ。
どうするべきか。薄かろうが、十分なダメージ軽減の効果があるとみるべきだ。衝撃を増幅し、伝播させるスキル『無突』を使えば、本体に十分ダメージを与えられるだろう。しかし、事前に聞いた情報では、トラサァンは抵抗能力が並外れており、スキルを叩き込んだらレジストされてしまう可能性があるらしい。
だから下手に使うことが出来ないのだ。
――あの分厚い鎧の時に本気で殴ったら痛がっていたから、多少は通るとは思うが――。
(……いや、だとしたら今の攻撃を防がれたのはどういうわけだ。完全に不意をついてたっつーか、反応出来てなかったぞ。反射的に何かしたか――もしかしたら……)
トラサァンから、どぅん、と大きく弾むような音が鳴った瞬間、血の鎧が大きく膨らむ。
「『解放』」
「――! やべっ!」
ルイスは出来うる限りの身体能力強化で――退いた。同時に、トラサァンの血の鎧が急激に膨らみ、草木――あらゆるものをその血の中に埋めていったのだ。
瞬く間に直系数十メートルもの血の塊になったと思ったら、すぐさま収縮していく。
元の鎧姿になったトラサァンは、腰に手を当てて、避けたルイスに驚いたように声をかけた。
「速いな、おい。これ、初見で躱されたの初めてだぞ」
「二回目は避けられるみたいに言ってるけどよ、初見じゃない奴いんのかよ。……つーか、一応訊くけどよ、食らったらどーなんのよ、あれ」
あの血の塊に触れた草木は、見る限りでは影響はないように思う。
「敵を取り込んだら、その瞬間に血の操作で圧縮して潰す」
「こえっ」
さすが化け物と言えるか、えげつない攻撃をしてくる。――ちょっと認識が甘かったようだ。人型だからと人間と同等に考えてしまった。あくまで人型の化け物なのだ。ドラゴンなどと変わらない。一撃一撃が、死に直結し、理不尽な効果を常に放ってくるのだ。
全力で行かねばならない。
ただし、ルイスは高出力でスキルを扱うことが出来るものの、燃費が異常に悪いため、タイマンでは短期決戦しか出来ない。
食いだめはしたが、何も考えずに全力を出し続ければ、瞬く間に戦闘不能に陥ってしまうだろう。
観察は大事だ。
先ほど、通り抜け様に腹にぶち込んだが……、動きが若干、鈍く、腹を庇っているようにみえる。ダメージは食らっているが、想定より低い。
何らかの防御手段を貫通、または発動前に叩くことが出来れば一撃で倒せるかもしれない。
(…………。縦に殴ればいいか?)
もしくは地面に向かって叩きつければ、横から殴りつけるより衝撃は逃げないかもしれない。それも連続で叩きつければ、ダメージも多く通るだろう。――これ以上、賢いやり方は思いつかない。
そもそも、それほどトリッキーなことを出来る能力は有していないのだ。まあ、『餓虎ノ狂宴』の特殊効果は、場合によってはかなり強力なものではあるが、――発動条件が中々に厳しい。そこも狙えるなら狙っていこう。
ちなみに『餓虎ノ狂宴』はパッシブ効果と通常効果、特殊効果と別れている。パッシブはあらゆるものを食えるようになり、腹を下すこともなくなる便利なものだ。あと、多少食いだめが出来る。
通常効果は意図的に発動するもので、どのくらい使用するかという継続時間を決めると使える。その間、時間を経るごとに回復量が増し、四肢がもげても再生する脅威の治癒力を得るのだ。
魔力もほとんど必要としないが――、時間が経つほどに空腹に陥り、何かを食わなければ餓死してしまう。そして、一度決めた時間が経過しなければ解除することが出来ないのだ。
そして、特殊効果は……食った対象の種族、能力をコピーすることが出来る。
最上位スキルであるが故に、能力は強力無比で『相手の能力をそのまま』使えるのだ。だが、一時的に真似るわけではなく、相手そのものに近づくため、特殊効果を解除してもしばらくはそのままになってしまう。
食えば食うほど強くなるが、その姿は化け物に変わり果ててしまう。
戦場に放り込めば、相手を食い殺すほどに強くなり、『戦神ノ加護』による殺した対象の魂を魔力へと変換する効果により、戦場が空になるまで戦い続けることが出来る。
――その『戦神ノ加護』は基礎能力の向上の他、一時的な身体能力を強化、また装備しているものも強化出来る。特殊効果は、指定した仲間にも擬似的に『戦神ノ加護』の効果を分け与えることが出来るようになるのだ。
このようにルイスの能力は多数戦によって輝く能力となっている。燃費の悪さを補うのを含めて、戦場に放り込んで暴れさせる方が良いのだ。正直な話、一対一であればバーニアスやアンサムの方が良いまである。
けれど、それはあくまで『それなりに強いくらいのまともな敵』であることが条件だ。王種は、王種でないとまともな戦闘が出来ない可能性すらある。
化け物には化け物をぶつけるしか道はない。
(身体強化を全力でかけて、食いだめを内在魔力にすれば――20秒が良いところか?)
最低限、攻撃が通じるのが分かったのだ。今は全力で叩き潰すしかない。速度では勝っているのだ。
「うん、駄目だな」
トラサァンが頷く。
強化をかけようとしていたルイスは、とりあえず止まる。なんとなく分かったが、このトラサァンという吸血鬼は、良くも悪くも真っ直ぐだ。だから話をまともに聞いても、あくまで時間稼ぎが目的とかで、隙をついたりはしないはず。だからこっちも、無闇に攻撃を仕掛けない方が考える時間が増えて得だ。
「何がだ?」
「オペレーターから、あんたのこと言われたんだがな、まあ、防御に徹すれば良いっていう判断を下されたわけだが――打ち合ってみたが、駄目だな、耐えられんかもしれん。普通にダメージ食らってるからな」
「…………」
真意は不明だが、嘘をついているようにはみえない。……言葉を信じれば攻撃は一応、通っているようだ。
「たぶん、俺の予想では強化の上限がまだあると思うんだ。だから俺の防御が貫かれる危険がある。どのみち、受け続けるのは無理がある」
「敵に塩を送るのもどうかと思うけどよ、防御ならあのでっかい状態になりゃいいんじゃねえの?」
「あれは駄目だ。反応速度は今より遅くなるんだ。ギリ守れても、滅多打ちにされるのが関の山で、それはそれで負け筋だ。だったら攻める方が良いだろう?」
トラサァンは自らの胸に手を当てる。
「短期決戦。全力で行かせてもらう。――『我が全心臓に懸けて』」
最後の文言と同時に、どぅんどぅん、と重低音がトラサァンから鳴り始める。それが重々しい音ながらも、速くなっていく。
それに伴い、筋肉が盛り上がっているのが、鎧の下が一回り膨れ上がる。
――ルイスは一瞬で悟る。全力で迎え撃たなければ、死ぬ、と。
次回更新は9月11日23時の予定です。




