第二十二章 パパパパパウワードドン!!
ハイマは四階層の最前線、嗜好品食料庫付近で二部隊を配備させ、その後方に立っていた。
倉庫の扉前には豚が数匹、ふごふごと鼻をひくつかせながら待機している。
いわゆる睨み合い状態だ。
ハイマには攻撃命令などをいつでも出せる権限を貰っているが、まず上からは一応、豚と話し合いをしろと言われたのだ。
今のところ他の階層も膠着している。三階層は完全に汚染されてしまっているが、三階層から他の階層へ向かえる通路を抑えているので、他階層へ被害は広がっていない。
国中で豚が糞をしているという話を初めて聞いた時は、何をふざけているのかと思ったが、想像以上に厄介だった。
思っていたよりも臭いがきついのだ。直接嗅げば臭いで気絶してしまのだから相当なものだろう。
それに豚は火を当てると爆発するタイプもいるようで、この国では焼き払うことも難しい。それに耐久もどことなく高いのだ。痛みもそれほど感じていないようだ。……まるでアンデッドのような存在だ。
豚と話し合いが良い方向にまとまれば良いが、そうでなければ全面戦争になり得る。
ハイマとしてはそれでも構わないが、ここで戦うには少々、落ち着かなかった。一階層や三階層が汚染されたこともあって、この四階層では労働者が各エリアに待機するように命じられているのだ。そこに彼女にとって大事な存在がいるため、ここを戦場とするのは気が引けたのだ。
まだ幸いあの豚達は倉庫に一直線だったため、出歩いていた労働者が少々怯えさせられただけのようだが……。
さて、ここからの問答によっては戦うこともあるだろう。
「ハイマ様、髭の豚が出てきました」
「分かった」
ハイマが進み出ると、髭を生やしてシルクハットを被ったおふざけを具現化したような生物がそこにいた。
大きさは普通の豚と大体同じくらいだろう。少し離れていても、視線はやや下に向いてしまう。
「話し合ーいでぃすか?」
「要求があるらしいな。私は政治派閥ではないが、軍では最高権力を持っている。お前の話にも耳を傾け、上に通すことも出来るだろう」
ハイマは冷静に豚に言葉を返したが、――確かに報告通り、奴の声を聞くと恐ろしさが込み上げてくる。ただ豚に、まるで強大で恐ろしい怪物と出会ったような、そんな恐怖心を抱いてしまう。
だが、それだけだ。
この千年で、この程度の恐怖は何度か体験したことはある。心構えさえあれば、とっさに声を上げられた時でも耐えられるだろう。
ただ、心の隙を突かれて崩されることも考慮せねばならない。
それとこの声についても早急に対策をせねばならない。
(『音無し』どう?)
(耳栓では、恐怖を感じます。わずかに声が聞こえますね)
(魔法で防音すれば、恐怖心は感じませんでした。やはり声が聞こえるかどうかですね)
部下達の報告を聞きながら、ハイマは(そう)と返した。
(感知スキルがあるモノは防音の魔法を自分にかけるのも有効そうね。一番は奴に直接、防音魔法をかけることだけど――)
(魔法を使えるらしいので、レジストされるでしょうね)
(えぇ、わざわざ相手にアドバンテージを与える必要はない)
たった一人、レジストされて免疫をもたれてしまうだけでも、致命的な結果になるかもしれないのだ。あの豚の底はまだまだ見せていないはず。隙を見せるのはよろしくない。
あの豚の糞は催涙効果、幻覚――そして催淫まで出来るらしい。催涙以外は必ずしも効果が乗っているわけではないようだが、つまりそれは好きに切り替えることが出来ると言うこと。
もっと違う毒を使える可能性がある。
場合によっては『致死性の猛毒』すら扱えるかもしれないのだ。あくまで向こうはこちらとの話し合いを引き出すためにその手の殺傷能力を弱めているだけかもしれない。
下手に追いつめたら、猛毒を撒き散らされて国民を巻き込んで全滅なんていうこともあり得るかもしれないのだ。
それを踏まえた上で、豚と交渉するとしよう。
「それで? 何を求める?」
「われーらに安全なりょーどを。ゆたーかな暮らしを。そしてこの前ーにわれーらの同ー胞が殺されましーた。そのいーたいを引き渡してほしーいのでぃす」
「遺体については運び込まれた研究派閥に掛け合って引き渡して貰うように頼もう」
「助かりまーす」
「だが、前者に要求については時間がかかることを言っておく。それとここで暮らすというのなら、お前達に何が出来るのか教えて貰いたい」
さすがに無条件で空間を用意して、暮らすことなど許可出来ない。まさか豚だからと家畜にするわけにもいかないだろう。そもそもこの豚達は毒持ちで、糞を撒き散らしたのだ。そんな生き物なんて誰も食いたいと思えないはず(それなりの知性がある相手を食うのも抵抗がある)。
だから政治派閥からは、要求を飲むことはやぶさかではないが、それは相手がこちらに対して有用な何かを持っている場合に限る、と言っていた。
「なにーができーるかー?」
髭の豚が眉をひそめた。何気にこの豚は表情が豊かだ。
「……魔道具の製作にスキルのコピーを取らせて貰うなどがある。今、お前が発している『鬼胎』というスキルは有用なものと言える。進化によって得るスキルが個体ごとに変わるというのなら、様々な存在に進化することでスキルを得て貰うよう要請するかもしれない」
無闇矢鱈に増えたり進化されたりすると手に負えないため、増えることに関しても制限を設けるだろうが。
豚が眉をひそめながら、小首を傾げる。
「われーらをたべーたり?」
「さすがにそれはない」
「そうでぃすかぁ……」
少し残念そうだった。
何故この豚は積極的に食べられようとするのだろうか。無駄に家畜根性でも遺伝子に組み込まれているのか、自分の肉質に無駄に自信を持っているように思う。
「ひとーつよろしーでぃす?」
「なんだ?」
「われーらは働きたくありませーん」
「…………」
ハイマの目が細まった。ピリッとした空気が溢れ出す。周りの部下達はそのわずかな変化に身を微かに強張らせた。
ハイマは真面目だ。働くこと、そして国に貢献することが国民の義務であると思っているし、そのために労力を割くことを厭わない。時にルールを破ることに目を瞑ることすらある。だが楽をするためにサボる、他人に仕事を押しつけるような輩をとにかく嫌っている。
何かの理由により職につけない存在などは認めてはいるが、何も理由がないのに働こうとしないのは正直、彼女としては許せなかった。
「生きること――食料を得ることは、対価が必要だ。それを行わないということは生きるに値しない」
「われーらはへいーわが欲しいのでーす。めいきゅーではただ食べられるでけでぃす。弱いでーす。――そんーな弱いわれーらの力の根源をあなーた方に教えるとお思いでぃ?」
確かにその考えは真っ当だ。有用なスキルがないと判断されたら、そのまま駆除されてしまうだろう。そしてその間に彼らのスキルを徹底的に暴かれているならば、対策を講じれるということ。要らなくなったら簡単に捨てることも容易になるのだ。
ハイマはそれは理解した。だが、それで何もしないでいさせるほどこの国は甘くない。
「なら別の有用性を示せ」
「……じかーんをくりぇますーか?」
「残念ながら猶予はない」
「そーでーすかー」
豚は顔を下げて、頭を左右に振った。
「……この国ーを出て行くことーは?」
「許されるわけがない」
「…………」
豚が黙り、軽くため息をついた。そして口をパカリと開いた。
「――! 総員、構えろ!」
ハイマがそう叫んだ瞬間、豚が大声を上げた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
それも坑道全てを震わせるほど、大きな声だ。
『鬼胎』の効果もそうだが、あまりの声の大きさに肌が粟立ち、とっさに耳を塞がねば平衡感覚を失ってしまいかねない振動が伝わってくる。
(交渉決裂! 戦闘に移る!)
そうハイマは繋がっている部下にそう伝え、飛びかかってくる髭の豚や嗜好品食料庫から溢れ出てくる豚達に備えるのであった。
戦闘開始じゃー! パパパパパウワードドン!!
どうであれこうする予定だった。さすがに譲歩されて領土用意されても困っちゃうしね。なので、交渉相手が誰であれ、その相手が嫌いそうな要求を選び戦闘に移るつもりだったのだ。
誰が来ても、大体ドクターに訊けば分かるしね。ハイマさんはやる気のないニートが嫌いらしいから(ドクターにもちょっと当たりが強かったらしいよ)、その予備軍的な振る舞いをして、印象を悪くしてみました。
相手がどんなに優しかろうと、嫌いな要素をぶち込まれると態度が変わるもんだ。
んでもって、先手必勝、ハイマさんを戦闘不能に陥れて、このまま戦況をこっちに傾けて一気に押し通るぞ。
軍を倒せば、動きやすくなるはず。その後は四階層から一階層に向かって外に出よう。もちろん、ドクターやフーフシャーさんの後から行く予定だよ。
さて、ドクターやダラーさんにはとりあえず知ってる限りの強者の能力について教えて貰っているよ。
ハイマさんは推定レベル70ちょいのデイウォーカーで、肉弾戦を得意とする。――つーか、トラサァンの軍って主に『霧化』は使わずに血を鎧のように纏って格闘戦を主体としているようだね。
血は武器のように纏ってそれを使って、立ち回るようだ。んで、身体強化系のスキルやらを持っているので注意、と。
しかも内在魔力は使わない身体強化があるっぽく、強化されたままの状態での継戦能力が高いみたいだよ。そしてその上で、さらに別の身体強化スキルも併用出来る、と。そっちは継続時間が短いらしいけどね。内在魔力を使う方だってさ。……界王拳かな?
まあ、普通に戦ったら秒で倒される。
なんで、色々と駆使して戦うぞ。まあ、最悪、俺が死ななければこの盤面では勝たなくても良いんだけどね。
そんでもって、ハイマさんと近接戦になったわけだけども……。
今まさに横っ腹に蹴りを入れられて吹っ飛んでいます。
蹴り当たった時、どぱぁん、っていう音が鳴って内臓全て破裂してシェイクされてしまいましたわ(隔離していた寄生虫と混じったから、もううんこ使えない)。間一髪、脳の破壊とかワームくんの即死は避けられているけれども、一撃が重すぎてヤバいんだが。
しかも素早い。吹っ飛んで転がる俺に併走するってどんだけだよ。開幕ピンチなんですが。
周りも数は十人程度なのに、次々溢れ出す豚達を仕留めていくんですけれども。的確に頭部を潰して、豚の波に押されない。その潰す速度が速くて、一撃を放ったあとの隙がもう小さい小さい。
軍人、強いんですが。いやあ、さすがに舐めてたわ。的確に、一撃必殺決めてくるんですが、向かって行く豚さん達、ほぼやられてます。
ちなみにハイマさんにも、初手で頭部に血のハンマーを叩き込まれた。けど、骨のシルクハットでギリ受け切れました(若干陥没したけど、問題なし。再生もしたし)。
防護服破れたらワンチャンとかのレベルじゃないな、これ。
そもそも身体強化系のスキルを持つ人って五感ももちろん操作することが出来るらしくってさ、普通に嗅覚をオフに出来るかもだってよ。
まあ、感覚を一つ失わせるって、常時その状態な俺みたいなのならともかく、訓練していても違和感に身体がついていかなくなるかもだから、最終手段っぽいけど。
(俺がハイマさん以外の相手をするのはー、まあ、許して貰えないよね。他の人ならチャンスなくもなさそうなんだけどなー)
《向こうもそれ分かってるから、マスターを絶対に他の人に回すことはないと思うよ》
(じゃあ、魔道具使おう。使う瞬間の偽装よろしく)
《了解》
ハイマさんがまさに俺の頭部を潰そうと、血のハンマーを振り下ろしたところで、尻から火を噴射して、ギリギリで回避する。
おならジェット、結構使えるね。噴射しても寄生虫はちゃんと焼けてぶちまける心配もないし。
俺が謎の推進力を駆使して移動することは割れてるっぽいから、特に驚くことなく的確に俺を捕捉し続けて、追撃を狙ってくる。それでも普通に追いつかれるのは、かなり怖い。
俺はそんなハイマさんに向かって口を開ける。
俺の第二の魔道具――『孤苦零丁』だ!
「ヴァアアアアアアアアアアアアアア!」
俺はハイマさんに向かって叫ぶ。
「――!?」
ハイマさんがわずかに眉をひそめる。そして、なんと避けやがったよ。いや、なんで避けれんの? 確かにこの『孤苦零丁』は、声を狭い範囲に限定して、真っ直ぐ飛ばすから避けられないこともないけど、魔力とか特にないから当たるまで特に判別出来ないはずなのに。
「あ? あああああああああああああああああああ!?」
ちなみにその流れ弾は軍人くんAに当たっちゃいました。あーあ。
軍人くんAは戦闘中だというのに、素っ転んで周囲を見渡し、恐怖に駆られたように暴れてあらゆるものに攻撃している。というか、俺や豚さん以外だね。
軍人くんBが軍人くんAの異変に気付いて駆け寄る。
「どうした!?」
「やめ――あ? なにが?」
で、すぐに戻っちゃう。
今、何が起こったかっていうと、まあ、『精神汚染』されて、視界が全部腐り落ちたものに見えていたんだ。仲間は皆化け物みたいな感じだね。
『孤苦零丁』は声によって、一時的に『精神汚染』の状態にするのだ。まあ、本当にちょっとの間だけなんだけどね。
俺の『鬼胎』が『呪言』によって声に乗ることに着目して『精神汚染』を乗せることに成功したのだ。あと『遠隔操作』もちょこっと乗ってる。でも、あくまで転ばせるだけの操作なんだけどね。
けれど、この『一時的』が割と重要だったりする。
ほぼ強制的に相手を狂乱状態にするから、隙を作らせることが出来るのだ。
それと滅茶苦茶に攻撃してくれるけど、俺やその分身は逆に避けてくれるんだ。
なんかね、俺の『精神汚染』状態って、俺や俺から分かたれたモノは愛おしく見えちゃうんだってさ。精神操作してるわけじゃないけど依存させる、マジモンの『精神汚染』をしているのだ。……つまり、聖人の眼鏡の子はちゃんと治療されなきゃたぶん……。
まあ、そこはいいや。
あっ、ちなみにだけど『孤苦零丁』には俺らを愛おしく見せる効果はない。あくまで危険じゃない安心出来るものとして、避けてくれるのだ。
「…………」
ハイマさんが俺に微かな脅威を抱いたようで、攻め手が止まった。
んで、豚さんに後から飛びかかってもらったけど、普通に背面から血を伸ばされて吹っ飛ばされたよ。しかも全く見てねえし。
……味方に連絡でも入れたのかな、皆の視線を感じる気がするよ。ふふっ注意を引ければ上々上々。
つっても、今も軍人くんAが転げ回った時も、多少、押したかに見えたけどなんか他の味方がカバーに入って全然、効果がないように見えたんだけど。
(うーん、強い。心折れそう)
《対処してる時、明らかに全員の身体能力が上がったから内在魔力は消費させてると思うよ。マスターが効果ないと思ってる以上に、向こうは苦しいかもね》
(そう言われるとやる気出てきた! 人の嫌がることをもっとやりましょう!)
《……。時々、マスターのやる気を出させるのは間違いなんじゃって思い始めてる》
(なんでじゃい。もっと高揚させてたもれ)
まあ、これでもやる気出たから、頑張って勝つぞー。
ちょっとした裏話。
ハイマには子供がおり、それがクロフィー。見た目によらず実は溺愛している。
次回更新は7月3日23時の予定です。もしかしたら少し早く投稿するかもしれません。




