止められなかった過ち
《逃がさないと――皆を――どうにか――あぁ……!》
『…………』
オーベロンは頭を抱えて呻くフラワーを見守ることしか出来なかった。
パックがアスカの魔神化を阻止出来ず、今や『血』が洪水となって町へと迫っていた。オーベロンは現場に赴くことが叶わず、何も出来なかったが、パックをほぼ総動員する指示を出していた。
パックはあんなことがあったが、必死に救助をしようとしてくれている。
――生憎とオーベロンとパックは心に強く感応する性質故に、精神に強い負荷がかかっても壊れることはない。どんなに辛い思いを抱こうとも自殺願望などの鬱屈とした精神には至らないのだ。
それが幸か不幸か分からないが。
どちらにせよ、動けないよりかはマシだ。むしろ誰かを殺そうとするより、誰かを助けようとするのがパックには性に合って、多少精神の回復の助けになるだろう。
正し、『助けられたら』だが。
救助は絶望的だ。
血の迫る速度や町の住民達の避難速度から鑑みて、全滅は必至だろう。
……だから、最悪を考えなければならない。
今のフラワーの精神はとても不安定になっており、いつ爆発してもおかしくはない。それに改ざんされた偽の記憶によって、魔物に対して強い不信感を抱いているのだ。
もしこのまま全滅してしまったら、狂乱するのは確実だ。少なくとも、とてつもなく感情的になってまともな会話が出来なくなる。
だから出来うることは、オーベロンが何かするならば自らの能力を使って、精神や記憶を弄くることだ。ただ、それは悪手と言わざるを得ない。
能力が届く届かない以前に、フラワーの魂の干渉能力は何かと危険なのだ。魂を送り込むことにはある程度の制約があるものの、それ以外の――最近では魔道具の動かし方などを覚え始めている。もしかしたら、魂を送らない違う行為ならば、もう少し過激なことも出来るかもしれない(フラワー達もそれは考えており――しかし、倫理的な理由から手を出そうとしていなかった)。
オーベロンはフラワーに何かしらの干渉をされた場合、防ぐ手段を持ち合わせていない。
一番良いのは――、
『ティターニア、もしフラワーが暴れたら機能を停止させるか、初期化することは出来るか?』
口に出さず、ティターニアの心に問いかけると――やはり怪訝な顔をされてしまった。
『――それは『ずるい』言い方だと思いますよ。確かにそれは『出来る』でしょう。それは私の能力的な問題で、ちゃんと出来ることなのですから。――ただ、感情的な問題としては、やれるかどうかは……分からない、とだけ言っておきます』
――ティターニア自身、その自分の答えに少し戸惑っているようでもあった。
『……分かっている。話し合いで止められるなら、そうしてくれた方が良い。……最悪、我が輩も手を下す場合がある。それは許して欲しい』
『……ええ、構いません。ただ、そうならないように善処しますが』
『頼む』
――躊躇う可能性は十分ある。その危険性を念頭に置く。……置いておいたところでどうにかなるわけではないのだが。まさか冷酷になるように精神を弄くるわけにもいかない。
ティターニアが人としての感情を覚えてしまったのは、良いことか悪いことか考えてしまう。躊躇ってはいけない場面で躊躇うことがあるならば、駄目だと言えるが――昔の冷酷なままであったのなら、きっともっと早くフラワーと衝突していたはずだ。
……もっとも、その場合はきっとフラワーの記憶の初期化をされて沈静化はするが……、確実にリディアと何かしら問題が起きていたはず。
何が良く、何が悪いことであるのか、判断がつかない。よかれと思ってやったことが、この現在ならば、――正反対のことが正しいのか、平和的になるのか、……分からない。
極論的に何かを語るのは間違いであるし、そんな考えを持つつもりはない。だが、この現在を見るに、自分の行いが間違いであったかもしれないと思ってしまう。手を出さず何もせず、傍観していれば、もしかしたら――それとももっと違う選択肢があったのかもしれない、と。……ただ、何もせずにいるのは危険だ。この数千年、『不死ノ王』以外のイレギュラーたる芽はいくつもあった。それを事前に摘んでいたのだ。……『不死ノ王』は、摘むべきではない芽だと思ったからこそ、あの末路に多少落ち込みもした。――本当にどうすれば良いのだろう。
理想のために、よりよい方法を考え続けるというのは、とても不毛なことだ。
……だからだろう……楽な方――極論に――とても楽な考えに人は傾いてしまうのだ。
『誰もが幸せになる未来』がもしあるとすれば、それは清いだけではなく、濁りだけがあるわけではなく、清濁がとてつもなく絶妙なバランスで成り立つことなのだろう。
か細い折れそうな道で必死に堕ちないように、耐え続けなければならないのだ。
そして、今は――『アスカが魔神化について知らなかった』というたった一つのことで体勢を崩し、落ちている最中なのだ。
この間違いで、フラワーは魔物を敵視するはず。
そう考えて、行動した方が、とても単純で楽だから。自分の願う目的を達成しやすくなるから。
――そう、オーベロンは考えてしまう。
(……それで、仕方ない、と考えるのは我が輩の悪いところだ)
誰かの感情に寄せて考えるのは悪いことではない。でも、だからと思考放棄しては何も為し得ないだろう。……だが、自分や相手にとっての『その先』を考えるのがとても難しい。
…………やはり、町民は全て全滅してしまう。その際にフラワーやパックも飲み込まれてしまったため、改めて召喚して向かわせる。
パックは同一体が一体でも残っていれば、すぐさまワープ出来るため、オーベロンから生成された後、すぐに向かって行く。フラワーはそういった能力がないため、ティターニアから生成され、神殿から順次飛び立っていく。
『血』が波引くように戻って行き、後は人気のないゴーストタウンが残される。パックが見回る限りでは、人っ子一人どころか他の動物すら消え失せてしまった。
生き物の気配が全くない夜の町は、不気味なことこの上ない。
《……誰も、皆……いない…………魂は…………やっぱり、あそこに……》
町にいるフラワーが丘の上を見上げている。彼女の目には巨大な鳥籠にいくつもの魂が渦巻いているのが映っていた。
倒せば『もしかしたら』があるかもしれない。しかし、あのアスカに挑む戦力は、この近辺のどこにもない。生半可な力や数を送ったところで、取り込まれるのがオチだろう。それに今のアスカは不死能力がさらに強化されているはず。真正面から挑んだところで、殺しきることは恐らくどんな存在であろうと無理だろう。
可能性があるとしたら――、
《マスター……マスターの力を、貸して、ください……》
『…………』
フラワーの懇願にティターニアは眉をひそめてしまう。
ティターニアの力なら確かに、アスカの不死能力を突破出来るかもしれない。光魔法は魔力そのものを散らす効果があり、魔力が大きな原動力になっている魔神には特効となるだろう。
『力を貸すのはやぶさかではありません。ですが……相手が魔神となると話が違ってきます。詳細な情報がなければ、近づくことすら遙かにリスクを伴います。まずは情報収集をしなければ――』
《そんな時間はありません! 分かっているでしょう!?》
フラワーが爆発したように叫ぶと、ティターニアがわずかに驚いたように目を見開いた。しかし、いつものようにすました顔になり、頷く。
『分かっています。だからと無闇に突撃して、取り込まれでもしたら目も当てられないでしょう。そもそも私の最大火力でも完全に消滅しきることは恐らく難しいはず。魔力で出来た身体を持つため、光魔法を食らったら侵食して消滅してくれるかもしれません。ですが……恐らくあの魔物は強い再生能力を持っているので、光魔法を使う回数が増えてしまうでしょう。結果、私が何も出来ないまま、やはり取り込まれる可能性が想定出来ます』
――光魔法は、魔力を散らすという特性のせいで使い過ぎると、術者本人が魔法を使えなくなるというデメリットが存在する。それに光魔法は特に魔物に警戒されてしまうため、最悪、あのアスカを下手に刺激することになるかもしれないのだ。
つまり、光魔法の使い手は短期決戦が望ましい。それが出来ないのなら、戦うべきではないのだ。
《……だから、見殺しにしろと、そういうことなんですか……?》
『そうは言っていません。……貴方にはそう聞こえるかもしれませんが――。とにかくあれに挑むなら準備が必要ということです』
ティターニアは慎重に言葉を選んでいた。この場で町民達を見放すような言葉を口にしたら、感情の爆発が起きてしまうことを理解しているようだった。
『今からでも考えるのは遅くありません。あの魔神がどう言ったパターンで取り込むのかさえ分かれば――それを調べる方法がないから――とにかく可能性を考慮して、対応策を練っていく必要があります。場合によっては、ここにいる魔物から有用な力を持つ者を使って――』
『――!』
ああ、また、失敗した。ティターニアに魔物の話は出すな、と強く言い含めておくべきだった。
落ち着きかけていたフラワーの精神が、また荒く揺れ始めてしまう。
《魔物の、力を、借りる……?》
ティターニアもその揺れ動きには気付いたようだった。とても小さく吐息をついて、口を開く。
『……ええ。……貴方の気持ちが分からないわけではありませんが、人手が必要な以上、手伝ってもらわなければ――』
《その魔物に皆、殺されたんですよ!? それもあのイカレた吸血鬼は、魔神になる前から――村を壊滅させた! 魔物は他者を殺すことに抵抗がないのは昔から知っていました! ――でもあれは――あれを見たら――》
フラワーにとってアスカは、魔物に襲われた村で、助からない人間達を無情に殺し、経験値取得や食料のため、そして仲間という名の奴隷を増やした狂人だと思っている。
そして、先ほどの光景を見ては、自分のために虐殺をする悪魔のような存在として映ってしまったことだろう。その結果が魔神化で、フラワーが作った町一つを失わせることになったのだ。
それも、フラワーにとって人類を救うために必要な『魔晶石』を採掘、加工する重要拠点をだ。挙げ句親友を失ってしまったのだ。心にかかった負荷は相当なものであった。
それは魔物というものが少しでも関わろうものなら、抑えられない激情に駆られてしまうほどだ。
『フラワー、落ち着きなさい、今は……』
《なんで落ち着かなきゃいけないんですか!? 皆――皆――! もう戻ってない! どうして、止められなかった――あの化け物を――アンデッドで、最初から駄目だっていうなら、鍛えるべきじゃなかった――! あんな化け物、生かしておくべきじゃなかった!》
『やめなさい!』
ティターニアがフラワーの暴言に怒鳴ってしまう。――それは無理らからぬことであった。ティターニアはアスカの決意を見ており、そして彼女の優しさをしっかりと感じていたのだ。あれを心ない化け物と称することは許せなかった。
フラワーが怒鳴られたことで、唖然としてたが――それだけでは膨れ上がった感情の炎を消すことは出来ない。
《あれを庇うんですか!? やっぱりマスターは魔物の味方をするんだ! 人間のことなんか全然考えてなんてくれないんだ!》
『フラワー! まず黙りなさい! ――貴方は――』
ああ、駄目だ、このままでは取り返しのつかないことになってしまう。どちらの感情も熱を帯びて、互いを燃やし、火力を増している。このままでは止まらない。どこかでどちらかが力づくで主張を通そうとしてしまう。
そうなるだけの未来だとしても、起点が二人のどちらかであってはいけない。
……こちらも怒鳴って止めるだけでも良かったかもしれない。だが、最悪それも火に油を注ぐ行為に他ならない。どちらにせよ、失敗したら、常に『最悪』だ。
(フラワー! 許せ!)
オーベロンは瞬時にフラワーの背後に回り、その小さな身体を掴む。
《ぐっ!? ――!》
フラワーがオーベロンに気付き、驚き――すぐさま怒りに歯を軋ませた。
――フラワーの行動は早かった。接続を瞬時に切り、アポトーシスを行ったのだ。アポトーシスは阻止出来たが、接続切りは阻止出来なかった。
それが一番不味かった。せめて、接続だけは切らせたくなかった。
何故なら、今、フラワーの考えが見えてしまったのだ。
『ティターニア、今すぐ妖精の自動生成をやめろ! 奴は――』
警告しようとしたが、遅かった。
『!?』
突如、ティターニアから光が溢れ出す。それは、彼女から生成された『全て』のフラワーだった。
フラワーは、この世界にいる全ての自分にアポートシスを命令し、自死したのち、一度に全ての自分をティターニアに生成させたのだ。
『ぐっ……』
おびただしい数のフラワーが生成され、魔力の塊といえるティターニアも片膝をついてしまう。わずかに輪郭が掠れてしまっている。存在の維持が出来ないほど、魔力を急速に消費してしまっているのだ。
生まれたフラワー達は、ティターニアに張り付き、溶け込んでいく。
ティターニアが命令権を行使出来ないほど、一時的に弱体化している。防ぐ術が何もない。
《……私達が、皆を、守らないと……》
フラワーがうわごとのように呟きながら、自分に言い聞かせていた。そうでもしないと、本格的に狂いそうだったのだろう。今でさえ、自身のマスターに攻撃しているという事実に心をぐちゃぐちゃにしている。吐き気を催してしまうほどの後悔、敵意、憎悪、悔恨――そんな感情を胸に一心不乱にティターニアの魂にまで張り付き、縛ろうとしている。
(――オーベロン……)
ティターニアの手が伸ばされる。
いつもすました顔の彼女が泣きそうになりながら、伝えてくる。
(――お願い、どうか――――)
『…………!』
彼女の『願い』を聞き、オーベロンは後退ってしまった。そしてそのまま座り込むと、片手で額を押さえた。
もう、声は聞こえない。完全に押し込められてしまったようだ。
ほぼ全てに近い妖精を使って、ようやく主を封じ込められるらしい。コストパフォーマンスはとてつもなく悪いな、と半ば放心しかけた頭でそんな冗談を考える。笑えなかった。
オーベロンの先で、また浮かび上がったティターニアは目を瞑り、力が抜けている。どことなく人形のような――いや、実際、『操り人形』になっているのだろう。見たくなかった。
『それで?』
《…………》
ティターニアの周りにフラワー達が漂っている。警戒しているようだが、オーベロンに攻撃の意思はなかった。そもそも何かやったところで通用するかどうか。フラワーの力を見てしまった以上、抗戦する気力が湧かなかった。
下手に触れようものなら、操られることはないにしても止められそうだ。そして、最悪、操ったティターニアの光魔法で消し飛ばされかねない。
少なくとも今のフラワーには、その殺意を実行するだけの決心があった。
『我が輩はお前を手伝えば良いのか? ああ、分かっている分かっている。信用出来ないだろう。お前に攻撃を仕掛けた我が輩を。――我が輩もお前達と一緒にいることに耐えられそうにない』
好いた存在が操り人形となっているというのに、それを無視してどういつも通りに接しろというのだろう。
『ただ、言っておく。……ティターニアを解放する気は無いか?』
《…………ない》
そのフラワーの短い答えに、オーベロンは鼻で笑ってため息をつく。
恐れが見える。主を封印して、もし解放したらどうなってしまうのか、という恐怖が。
その恐怖を解きほぐせるなら、そうするべきだろう。
(…………だが我が輩が何を言っても、もうどうしようもないな)
オーベロンの言葉に信用は一つも無かった。仮に甘言を呈して、フラワーの手伝いをすると言っても、絶対に彼女達は信用しないだろう。
そしてその信用しないという心を読めるオーベロンと、どうやって信頼関係を構築するというのだ。
もう、この状態では、彼女達には何一つオーベロンの声が届くことはなくなった。
もはや立ち去るのみだった。
『我が輩はもう消える。今後、お前に会うことはないだろう。……その封印を解かぬ限りな』
《…………》
何も答えない。別にもうどうでも良かった。だが、最後に一つ、問う。
『最後に訊いておく。……ティターニアが最後に何を思ったか知りたいか?』
《…………!》
フラワーの心が揺れる。しかし、歯を食いしばり、首を横に振った。
それを見て、オーベロンの肩から力が抜けた。
『そうか』
彼はそうして姿を消した。
言った通り、それからずっとオーベロンはフラワーの前に姿を現すことはなかった。
次回更新は9月12日19時になります。




