人ならざる者に与えた優しさとその代償㉗
イェネオが劣勢と言ったところだろう。
アスカの身体能力はそれほど高くはないが、異常なほどの再生能力を有している。そして、致命傷、もしくは即死させたかに見えても瞬く間に回復してしまうため、どうするべきか分からない様子だった。
――そもそも、相性が悪い。恐らくイェネオはどんな存在でも切り裂くことが出来るのだろう。仮にアスカ以外の魔王であったなら倒せる可能性はあったかもしれない。
しかし、その斬るという『線』の攻撃がアスカとの相性を最悪なものとしていた。『面』による叩き潰すような広範囲の攻撃ならば、アスカは死んでしまうかもしれない。
いや、そもそもそうしなければ倒せない。
アスカが手に入れた最上位スキル『心魂ノ回帰』は、自己再生に趣をおいた能力だ。その能力の一つとして頭部などの急所を破壊されたとしても、その時繋がっていた肉体部位が少しでも残っていれば、全ての肉体が魂の繋がりを持ち、ただの肉片だけでも思考能力を有することが可能になるのだ(上位スケルトンがほぼ確実に持つ能力であるが、骨だけのスケルトンと違い複雑な肉体を持つ吸血鬼が手に入れるには、適性面から見てもかなり希有なスキルでもある)。
さらに、アスカは回復魔法とその自己再生能力を合わせたことにより、凶悪なまでの再生能力を有してしまっている。
腕が一本だけになってしまったところで、すぐさま元に戻ることが出来るようになっている。ただし、その場合は魔力によって形作られた肉体再生になってしまうため、イェネオの剣で斬られると、再生してもその部分は簡単に消し飛ばされるようになるだろう。そのため基本的に肉体を繋げるようにしているし、切り離された時に牽制のための攻撃するのも忘れてはならない。
だから、イェネオに倒されないという保証はない。――もっとも、そこまで持って行くにはまずアスカの再生の根幹たる空間拡張された肺の中身をどうにかしないといけない。
そこもしっかりと破壊されても問題ないように、血の膜や内部に層を何重にも張って『大穴』が開いても爆発する前に塞げるように対策している。
――まあ、イェネオが持つ剣で絶妙な斬られかたでもしたら、吹っ飛ぶかもしれないが(それを悟られると危険なため、斬られても問題ない風を装う突撃をして、ブラフをかけたのだが、……たぶん上手くはまったはず)。
(……イェネオが次に狙うのは、他の能力があれば、他のことを……もしかしたら『面』の攻撃で潰されるから注意して……でも一番有力なのは私自身に魔法をかけて行動を阻害したり再生力を弱めたりすること……でも、それは――)
――『ある理由』からきっと成功しない。
そう思いながら、アスカは血の爪と翼を生やして静かに構える。
決着まで時間はかからないだろう。時間をかけるのは、イェネオとしても得策ではないからだ。それは心が分からなくても分かる。
可能性に賭けるのは、脆い生き物の特徴だろう。
壊れる前に常に最短を選びたいと思うし、最善を得ようとする。
それは美徳であり、弱点だ。
だからこそ、化け物に打ち勝てる人間がいるし……負ける人間もいる。
イェネオは……どっちだろうか?
イェネオが距離を取ったまま、剣を真横に振り抜いた。すると、大気が魔力で刃にでもなったのか、薄く鋭い何かが飛んでくる。
すぐに再生出来ると言っても、受けることで動きが止まってしまう以上、避けるのがベストだろうと、屈み、躱す。
すでにイェネオが駆けてきており、その最中にも飛ぶ斬撃を放ってくる。
高さの違う真横の斬撃は、避けやすいが受けにくい。いわゆるこれが正しく綺麗な牽制というものだろう。
逃げたり、相手を倒したりする攻撃ではなく、行動を制限し、次の攻撃に繋げる攻撃――――なるほど、と思う。
中々にやりづらい。
アスカも血の雨による自爆攻撃をしていたが、あれとは違い、イェネオの洗練された戦術に感心してしまう。……やっぱり少しでも油断したら、負けてしまうだろう、とそう思わせてくる。
アスカは両手の血の爪を鋭く細く枝分かれさせて伸ばし、差し向ける。しかしこれだけでは、ほんのコンマ数秒意味なく剣を振らせるだけだ。
イェネオのように綺麗な牽制など出来ない。ならば……力や数で押せば良いだけだ。
「《『病魔満ちる盃』――『霧となれ』》」
――それが化け物として正しい在り方だろう。
赤い毒の霧を吐く。
「――!」
イェネオが目を見開き、即座に霧を切り飛ばす。そして、時差を伴って迫ってくる細く伸びた血の爪を大ぶりに一度で切り飛ばそうとする。
一つを消すことに成功する。だがほんの少し、もう一つの血の爪は、今し方消した血の爪と距離が違っており指先分ほど空けて振り抜いてしまう。
すぐにリカバリーをして、その血の爪も消滅させることが出来たが――アスカはその隙を見逃すつもりはなく、すでに自ら接近して、血の翼を大きく広げて取り囲むようにして追撃する。無論、血の爪も再構築して、すぐに迎撃するつもりだ。
イェネオがギッと歯を強く噛みしめた。
すると退くのではなく、踏み込んできた。
――狙いは、胴体――翼の付け根? 一気に消滅させて、入れ替わるように抜けてくる?
だったら、受けよう。
体内の血圧を思い切り、高めて。血を浴びせよう。皮膚でも浸透する猛毒にして。死なずとも、動けないようにする。
「うんぬぁああああああああああ!」
――イェネオの身体速度が急激に上がる。
そして、想像よりも素早くアスカの背後へと抜けていた。
アスカは胴体が真っ二つになって、半分ずれ落ちながら、背後に目をやる。
血を思い切り噴き出させたが、イェネオが浴びた様子はない。どうやら読まれていたようで、内在魔力を多少多めに消費しようとも、全力で避けることを選んだらしい。
そして、まだ身体能力の強化は切っていないようだ。
イェネオは振り返り、剣を片手に持ち、もう一方の手を空けている。……中々に速い。
アスカは血圧を高めていたため、ほんの少し胴体同士が離れてしまってわずかに再生が遅れていた。
血で全身を覆っても、斬られたら血は消される。――恐らく、この場面ではどんな手段を使っても何かもが遅いのだろう。
いわゆる、詰みという奴だ。
イェネオの指先が、アスカの肌に触れる。
その瞬間、どくん、と身体が重くなり、くっつきかけていた肉体の再生が目に見えて落ちた。
何かしらの『法則魔法』をかけられたのだろう。しかも、一度にいくつも。操れる血の速度もとても遅い。
――アスカの知らないイェネオが持つ最上位スキル『不動ノ限局』によるものだ。魂のないあらゆる物体に即座に特殊な法則を付与など出来る。普通なら難しい複雑な魔法も単語を口にすることで使うことが出来たり、破損してしまうが物体――靴に『速く走れる』、紙に『鉄の硬度』をなどのあり得ない法則も加えることが出来るのだ。
そして特殊効果は魂持つ存在だろうと、抵抗を許さず、何らかの法則を付与出来るというものだ。
しかし、『呪い』のように強力な法則は、もちろん、反転効果が発生してしまうため、扱いには注意が必要だ。
だが、ある程度の縛る程度なら、問題なく効果が発揮され、かけられた本人は決して解くことが出来ないものとなる。
――アスカは、なるほど、と自身に与えられた魔法の効果を感じ、思う。
これは普通ならもう、どうしようもない。一つだけならとにかく、複数の魔法を一度にかけられるのは中々にきついものだ。
いわゆる博打を仕掛けたのだろう。そしてイェネオはその博打に勝った。
――少なくとも、自分以外ならば勝負にも勝っていた。
どしゅ、と音がする。
アスカの首が身体と離れたが、それが落ちた音はではない。
「が、あ――」
イェネオが苦しげに息を吐く。――腹に痛みを感じて、視線を落とすと、そこにはアスカの切断面から伸びた血の針がたくさん突き刺さっていたのだ。
切り払うが、もう遅い。血の針は内臓深くどころか背骨を貫通したようで、脚が言うことを利かず――血の針が消えたと同時に投げ出されたように倒れてしまう。
「……やっば……うわ……立てなっ――」
イェネオが苦しげに呻きながらも、なんとか立ち上がろうとするが、上半身はともかく下半身の言うことが利かないようだった。
しばらくもがいていたが、――すぐに諦めたように一部から力を抜いた。
「あー、いでぇ……あー、腹ってマジで痛いし……いや、マジ、昔聞いてた通り、すぐ死ねなそう……」
「余裕?」
アスカが何事もなかったように歩いてきて、イェネオの剣を蹴り払って問いかける。
イェネオは涙目で歯を食いしばりながらも、なんとか笑って見せた。
「死ぬかどうかって言うなら、まだ余裕、ありそう……けど、痛みがぁ――すごいっ!」
「じゃあ、すぐ殺す」
「待って待ってまっでえ!」
アスカが血で巨大なハンマーを作り、イェネオの頭を潰そうとしたところで、――彼女は慌てて止める。
「なに?」
「痛いけど――ちょっとお話と――頭潰すのはやめて、そうしないと、吸血鬼になっちゃうのは、分かる、けど……――なんか下半身ヤバいことなりそうだから――まあ、このままでも色々垂れ流しそうだから、すぐ――うん、介錯、お願いかも、だけど――」
イェネオが、んぐぁあ、と呻き声を上げる。
「――あぁああ……昔、腐ったもの食った時以上にっ、きっつぅう……あぁあ……」
「なら、すぐに……遺言? を言ったら良いと思う」
当たり前だが痛がりかたが尋常ではないので、さすがのアスカもほんの少し心苦しくなって、促す。
「遺言、つぅか……うぐぅ――ちょっと、アスカちゃんに、嫌がらせ、みたいな?」
イェネオはそう言って、攻撃でも仕掛けてくるのかと多少警戒したが、特に魔力の流れも周りに援護もなさそうだった。――空に、フラワーの気配を感じてはいたが。いつからいたのだろうか。放っておいても良いだろう。……いや、呼んだ方がいいか? 頼まれたそうするべきか。
「どんな?」
「いや、ね……実は、パックくんに、……記憶、弄られて、ないんだ、私……」
「…………」
アスカはイェネオのまさかの発言に驚いたようにわずかに目を見開いてしまう。それがどうやら可笑しかったようで、は、は、と彼女は笑う。
「や、りぃ、最期に、驚かせた――」
「どうして?」
「どうして……まあ、パックくん、と、……ふー、話し合って……私が、勝ったら、ちゃんと、フラワーにも、リディアさんにも、本当のこと、伝えようと、思って……それが、いいかな、って……なんとなく?」
「そうなんだ」
……ちょっと、悲しい? 嬉しい? 後悔? よく分からない感情がポッと灯って消える。
「……んで、一番、良い感じとして、圧勝して、勝って、無力化して、……アスカちゃんも、生きられればって、思ったんだ……そうじゃなくても、悪い子じゃないって、伝えようって……そう、考えたんだけど……くそっ……ごめん……弱くて……」
イェネオが心底悔しそうに歯噛みしていた。また、ぐちゃぐちゃとした変な感情がアスカの胸に灯る。――あぁ、そんな『答え』があったのか。そんな、幸せに思えるように物語が。
でも、それはきっと正しくはない。
『魔王』として選んではいけない。それをイェネオも分かっていたのだろう。というより、それはどちらの死をも意味する。
このまま『勇者』と『魔王』の関係が続いたら、どうなるか。
答えは――この世の魂を持つ存在が死滅しない限り、際限なく与えられる経験値に魂が壊れることになる。
少量ずつ、しかし大量に加えることで魂の許容量を超えさせつつも魔神化させずに安全に魔王――場合によっては勇者を殺すためのシステムが組み込まれているのだ。
必ずしも偽神化を得られるわけでもなく、さらに過去には得た存在がいても、『制定者』と約束を反故にする存在がいないわけではなかった。でも、そんな存在が何故歴史上に存在し続けなかったかは……そのシステムが存在するためだ(今回だけは一方だけは生き残るようにはするつもりであったようだが)。
それも、一応アスカは知っている。イェネオもだろう。
――それでもそんな見かけだけの甘ったるいような残酷な道を選ぼうとしたのは、どちらも生き残るというわずかな可能性をどうにかして手繰ろうとしていたからだろうか。……だとしたら無謀過ぎる。
そもそもそんなシステム以前に、アスカなりのずっと考えていた『答え』を見つける戦いでもあったのだ。もしかしたら、『不死ノ王』が思い、行動したことが分かるんじゃないかと。
だから、どうしたって、なあなあで済ますことは出来なかったはずだ。
……そしてそれをもちろんイェネオは分かっていたのだろう。だから、自分が勝って改めて提案すべきだと、それが筋だと思っていたのだろう。
……アスカのぐるぐると思考が回る。どうにも止まらない。……そしてどうしても思ってしまう。――『これ』で良かったのか、と。
アスカはこの『無駄』な思考を振り払う。
「……そっか。……別に、良いよ。フラワーを、呼ぶ?」
「いら、ない……今、あったら、口、滑らしそう……きっと、混乱させるし、……認められない、かもしれない、から……」
それはそうだろう。今し方、親友を殺した化け物が実は良い奴だったなどと、そんなの信じられるわけがない。最悪、操られている、などと思われるかもしれない。死ぬ間際にそんな複雑な心境にはなりたくないだろう。
「……まあ、そんな、感じ、かな。もう、特にない、かな」
「…………」
そして会話は終わる。
……今はまさに決断すべき、岐路だろう。
イェネオを殺すべきか、否か。
イェネオを助けて、それから『制定者』に、このシステムを停止させてもらえるように頼むことも出来る。――だが、それを『制定者』が呑むとは思えない。あれはイカレているように見えて、しっかりと理由を持って言動しているらしい。
だから合理的な理由――『制定者』にとって利益がなければ、絶対に通らない。
アスカは息を漏らす。
決めた。
「殺すよ」
「うん」
イェネオは、静かにそう答えてくれた。
アスカは、先ほど蹴飛ばしたイェネオの魔道具を血を使って手元に引き寄せた。潰して駄目なら首を落とすべきだが……生憎と血で作った刃物では、切れ味はそれほどでもなかった。だから、イェネオの魔道具を使わせてもらう。
幸い、ただちょっと効果を発動させるだけなら、使えないこともない。
アスカは、魔道具を発動させながら、しっかりとイェネオの首を見据えて――振り下ろした。
ドッ、と抵抗なく土に剣が突き刺さる。
『レベル105になりました――』
――そんな無機質な声を聞きながら、アスカは剣を片手に大きな月が浮かぶ空を仰いだ。
※ちょっとした補足
『心魂ノ回帰』の特殊効果は、どこかの時点で設定した身体状態に戻すという効果。魂に対しても効果が及び、レベル、魔力以外なら如何なる呪いであろうと解くことが可能。ただし自分以外には使えない。




