第九章 キングフロッグとの戦い
「くそああああああああああああああああああああああああああ!」
ボクは全速力で走りながら、森を駆けていた。
けど、それでも後ろにいる奴――体長五メートルはある巨大な蛙の魔物――キングフロッグからは、逃れられない。
ていうか、あいつ自分の巨体と馬鹿力に任せて、木々をなぎ倒しながら進んでくるから、どうしようもない。それに、いくらワーウルフのボクと言えどもこっちは走り慣れない森を逃げ回っているのだ。道を外れると、地面の起伏が結構あって、たまに足を取られてしまうことがしばしばだ。
ていうか、なんだよ、この森! 古代遺跡が乱立しているせいで魔力濃度が濃くて、魔物が多く出現しやすいとは聞いていたけどさ! なんであんなでかいフロッグがいるんだよ!
たぶん、あれはキングフロッグ――『王種』だ。
……いや、『王種』ってその種族の最上位個体のこと指すんだぞ! 普通、滅多に見ることなんてないのに、何で出遭うんだよ!
最上位個体だけあって、大して強くないはずのフロッグ種のくせに、こっちの攻撃を何事もなく防ぎやがった。
まったく冗談じゃない。
一応、言っておくがボクは何も悪くない。
普通に森の中を歩いていたら、ばったり出くわしちゃったんだよ!
お前感知能力高い獣人だろ、とか思わないで欲しい。この森、なんかリッチの支配区域らしくてアンデッド系多くて臭いの嗅ぎ分けが上手く出来なかったんだよ。というか嗅ぎ分けが出来ても、キングフロッグか普通のフロッグかの嗅ぎ分けなんて出来ないし。ワーウルフって言っても本職の狼や同じ狼ベースの獣人と違って人間部分が多いから嗅覚は格段に弱いし。
はあ、もうやだ、お家に帰りたい。
……けど、帰るわけにはいかない。
ボクには大事な使命があるのだ。
ボクらワーウルフ――ひいてはヴァンパイアの奴らの存亡に関わる大事な使命が。
そのために数少ない情報を元に、ある人物を求めてここまで来たというのに……。
「諦めろ、この馬鹿蛙ぅ! ボクなんか食べても美味しくないぞお!」
特に脂肪が――胸の辺りが多くて不味いと思う。
くそっ、しかし、この胸、本当に邪魔だな。友達はボクのこの胸が女性らしいだかなんだか言って羨ましがるけど、隠密や高機動時には不要なことこの上ない。
ちゃんと揺れないように押さえつけているのに、それでも、ばるんばるんばるんばるん、うぜえ。
いっそこの場でこの邪魔乳切り取って、後ろの蛙野郎に投げ付けてやろうかと思ったが、――それは叶わぬこととなった。
突然、ボクと蛙野郎との間の地面から、前触れもなく何かが飛び出してきたのだ。
それは手。
その手は蛙野郎の後ろ脚をガッチリと掴むと、また沈み込んだ。
跳び上がる直前だった蛙野郎は、バランスを崩しつんのめって倒れると、そのまま木々をなぎ倒していく。
ボクはビックリしたけど、とっさに飛び退く。そして思わずその光景を眺めてしまう。
この程度、キングフロッグならダメージは受けていないだろうが、驚いて混乱しているのか起き上がるのに時間がかかっている。
で、手の生えた地面から、もこもとと身体が生えてくる。
……人間――ではない。すぐに分かった。魔物の独特な気配、そして仄かに香る死臭。人の姿をしていながらも、人らしい鼓動は耳に届かない。
まさしくそれは動く死体――ゾンビだった。
そいつは、身構えるボクを見やると、一点を指さし、
「うー!」
と唸った。
一瞬、眉をひそめたが、
「あっちに行けって? ボクを助けてくれるの?」
ボクはそのゾンビにそう問いかけた。
馬鹿なことだって分かっている。ゾンビは基本的に上位個体であっても、知性を得ることは少ない。ましてや、明らかに下位個体であるゾンビが意思を持つなんてあり得ない。
ユニーク個体、もしくはこの地域が噂に聞いたリッチの支配下であるなら、あれは特殊な術を施された配下と言ったところか……。
「うー」
ゾンビは頷く。怪しい。
……いや、だとしても従うしかないか。どっちにしろ、ボクではこのキングフロッグを倒すどころか逃げきることすら出来なかったのだ。たとえ罠であっても、今はこのゾンビを信じるしかないだろう。
「ありがとう! 気をつけろよ、ゾンビ!」
そう言ってボクはゾンビが指さした方に向かって走り出す。
その直後、後ろから激しい戦闘の音が鳴り響いてきた。
おっぱいが大きな獣耳少女が、でっかい蛙に追われていた。
これってエロゲだったら敗北後、エッチなシーンが挿入されそうだな、と馬鹿なことを考える。
さて、そんな冗談はさておき、獣耳少女は逃がしたから、後は時間を稼ぐだけだ。
ここからリディア達の元まで距離がある。だから、獣耳少女が二人と出会って事情を説明した後、二人がここまで来るのにはそれなりに時間がかかるはず。
さて、さてさて、倒しても良いんだろうけど、俺に出来るかな。難しいかもな。
あのでっかい蛙、よく見ると身体の表面に薄らオーラのような物を纏っている。なんでもリディアから聞いた話では、上位個体の魔物になると目に見える形で体表面に魔力が渦巻くんだと。
その話から察するにあのデカ蛙は上位個体の魔物なのだろう。
どうしよう、倒せる気がしない。それどころか戦い抜ける自信もない。
けど、幸か不幸かデカ蛙は俺を敵と認識したようだ。
デカ蛙がバカッと口を開けた。
――違った、餌と思われたようだ。
音速に迫ろうとするほどの速度で襲い来るデカ蛙の舌。けれど俺はあらかじめ『潜土』を発動しかけていたため、その舌を地中に潜ることで回避することに成功する。
『隠密』を発動させつつ、地中を泳いでいく。デカ蛙の側面に回り込むと地中から飛び出し、力の限り、横っ腹を殴りつける。
だが――、ぼにょん、とデカ蛙の腹が柔らかそうに揺れただけで終わった。
物理攻撃に対する耐性――『衝撃吸収』みたいなスキルを持っていそうだな。
デカ蛙はその場での旋回能力は高くないのか、俺に向かって即座に振り向いて巨体で吹っ飛ばすなんてことはしなかった。ただ、木々の枝を蹴散らしながら真上に跳び上がったのだ。
ぞくっ、と何やら寒気がする。ミアエルに光魔法を向けられた時と同じ感じ。これは、たぶん、不味い。
俺はとっさに地中、それも『潜土』限界ギリギリの深度――さらに真下ではたぶん不味いだろうと思い斜めに潜り込もうともがく。
地中に最大限潜った一瞬後、とんでもない衝撃が俺の上から響いてきた。感知系のスキルが確認したのは――頭上で深さ数十センチほどの巨大なクレーターが出来上がったということ。さらに地上にあった周囲の木々がもれなく根こそぎ吹っ飛んで、半径数十メートルが更地になってしまっていた。
……いや、冗談じゃねえよ。さすがにここまでとは思ってなかった。
てか、ちょっと待て、あれの直撃食らったら文字通りのミンチになってたってことかよ。
範囲も広くて恐ろしいな。地上にいるだけでアウトだろう。たぶんあの獣耳少女はあいつに攻撃が通らない以外に、この攻撃に晒されないように戦わずに逃げていたのだろう。確かに逃げるしかないわ、これは。
よし、逃げよう。
俺はこの場から離れるように移動する。
で、奴は――と位置を確認するため感知を発動しながら移動していると奴の位置が不自然にズレる。
なんだ? 奴が動いた訳ではない。……これは、なんだ? 感知をフル稼働させて確かめると、まるで噴き上がる水に流されるように俺が上に昇って行って――ってヤバい! なんか知らんが、土を操作されて地上に流されてるっぽい!
『潜土』を発動させるが、効きが悪い。奴の操作する力の方が強いってことか。膂力が圧倒的に負けている。
俺は為す術もなく、地上に放り出されてしまう。
デカ蛙周辺の土がボコボコと沸騰した水みたいに泡立っている。無論、俺のすぐ足元も同じような状態となっている。……なんだこのスキル。大した害はないようだが、地下の物を噴き上げるこの力は俺にとって天敵と言って良い。
デカ蛙は俺の気配に気付いたのだろう、のたのたと方向を変えると、いきなり跳びかかってきやがった。
ちょ、まっ――!
数メートルあった距離が一瞬にして縮まる。
跳び上がった瞬間に土も元の状態に戻ったから、すぐに『潜土』は使えたため土に潜り込む。そして、奴が俺が今までいた地上についた途端、衝撃波が襲い来る。
上から圧迫され、身体が軋む。先ほどよりも衝撃の威力は弱いが、俺の脆い身体はそれだけで壊れそうになる。それでもなんとか地中からこの危険地帯から逃げようと移動するが、またあのデカ蛙が土を操作する力を使ったのか上手く泳げなくなる。
くそっ、本当に嫌な相手だ。
あと、最悪なことがもう一つ。さっきの木々を吹っ飛ばした衝撃波のせいで周りは倒木の壁で全方位を完全に塞がれている。少なくともリディア達の救援を望むのなら、ここから逃げ出し合流しないといけない。ミアエルを置いてならリディアだけ乗り越えて来られそうだが、その手段はとらないだろうし。
ちくしょう逃げることさえ難しい。
今もまた、地上に流されてしまっている。今度は奴のすぐ近くだ。というか、下手に逃げたら、地上に放り出された後、背後から襲われるだろうから離れられない。なんとか少しは横移動出来るため、真正面に立たないようにするので精一杯だ。
またも俺は地上に吐き出される。
奴が俺を見つけ出す前に、すぐさま奴の片足を両手で掴む。そのまま思い切り振りかぶり地面に叩きつけてやった。
とすん、と予想よりもかなり弱めの衝撃が伝わってくる。
当たり前だが、デカ蛙に大したダメージは見受けられない。
対して俺の腕の筋から、ビキリと嫌な音が聞こえる。クソが、もう同じ手は使えない。
また同じように持ち上げて叩きつけても効かないどころか、もう一回、こいつを持ち上げたら俺の腕が折れる。てか一回目、持ち上げた時、すでにミシミシ音が聞こえてきていたのだ。スキル持ってても、使うため身体がちゃんとしてないと本当に意味ないな。
……どうする。攻撃が通らない。マジで万事休すだ。
「う!?」
そうして迷っていた一瞬の隙をつかれ、俺は掴んでいた奴の足に蹴飛ばされて、地面を転がる。
鳩尾辺りに直撃したせいで腹に大穴が開いて、背中から血と肉片をぶちまけてしまう。――予想よりダメージがでかい。『合成獣』の効果以外にも、たぶんデカ蛙が何かしやがったな。
血肉が溢れて、地面に流れていく。何かが溶けているのかしゅうしゅうと音がする。
『溶解液』を多少とも奴にもかかったと思うが――やっぱり大したダメージは見受けられない。少し肌が焼け付いた程度だ。
今、奴に蹴り飛ばされたせいで脆い俺の身体は、完全にボロボロになっていた。転がった時に手足の大体の骨は折れた。もっとも背骨が完全に弾け飛んだから、腰から下はもう動かないんだが。
奴は俺を見つけ、逃がさないようにか地面を泡立たせるスキルを使いながら、のたのたと近づいてくる。そして、充分に近づいてきた奴は口を大きく開けて――。
ばくん。
――――結局俺は、為す術もなく食われてしまうのだった。
※無駄な補足
『王種』について。
『王種』は最終進化者がそう呼ばれる。ただし、人類に『王種』であるということを明確に判断する術は今のところない。なので過去のデータを元にその種族の最上位体を見つけたら、『王種』と判断しているというのが現状。または強い存在を単純に『王種』としていることもある。
だが進化者である当人には本能的、もしくは『天の声』から特殊な個体名が告げられるため、自身が『王種』であるかどうか判断出来る。
また『王種』は基本的に強力なスキルを持っており、ほとんどが対抗策を持って挑まないとまともに戦うことすら出来ない。