人ならざる者に与えた優しさとその代償⑰
「もすもす」
アスカがヌガーを頬張っている。一心不乱に食べていることから、恐らくは美味しいのだろう。しかし何分、表情の変化に乏しいため、イェネオは判断に困った。
故に訊いてみることにした。
「美味しい?」
「うー」
アスカは微かな空気を口から漏らしながら、頷いた。
食べ方は意外に上品で、食べこぼしをしていない。育ちの良さ――というよりかは、しつけの良さを感じさせる。ハンカチを敷いてその上で食べているし、アンデッドとしては意外過ぎると言えば意外過ぎる。
イェネオは小さなテーブルの前に置かれた椅子に座っており、対面にはアスカがいる。
フラワーはいない。たぶん外にはいるだろうけれど、室内にはいないはずだ。
少なくとも透明化の能力などは持っていなかったはず。『パック』の話題になったとき、《便利そうですよね》と漏らしていたのだ。まさか出来るのにそんなことは言うまい。ブラフだったら――正直悲しい。
「うー……」
アスカの眉が微かに下がった。そして手元に視線を落として冷たくなった紅茶が注がれたカップを手に取り、ごくごくと飲み干す。
「………………喉に詰まった」
「マジかい。それにしてはのんびりしてて、察せなかったなあ」
「ちょっと苦しかったけど、比較的問題はなかったから」
アンデッドだから、だろうか。まあ、吸血鬼は半死半生と言われる存在で、ゾンビやスケルトンほどの不死性は持っていないようだが。
アスカは残ったヌガーを全て食べて、問題なく飲み込み、手を合わせてイェネオに頭を下げた。
「ご馳走様です」
「ご丁寧にどうも。満足した?」
「まだいける」
アスカは、雰囲気的にたぶん、ちょっとだけ期待したような視線を向けてきた。イェネオはなんだか可笑しくって小さく笑いながら、ポケットを探ってみる。
「ふふっ……えー……あー……ごめんねー、もうないんだー。また今度ねー」
「……残念」
ちょっとだけしょんぼりとする。……表情の変化はあまりないが、よく見ると仕草や雰囲気が良く変わるようだ。
「アスカちゃんって思ってたより分かりやすいねー。あっ、悪い意味じゃないからね?」
「分かりやすいなら、良いこと。『彼』には、表情を変えるか、仕草で感情を少しでも表した方が良いって言われていたから」
「彼?」
イェネオが首を傾げて聞き返すと、アスカは頷く。
「私を作った人。やっぱり魂は人間だったらしい、アンデッドの……王様?」
アスカは簡単に『彼』たる『不死ノ王』について話してくれた。心を故障した自分に色々と生き方や人としての振る舞いについて教えてもらったこと。優しい彼がたぶん好きだったこと、そして辛そうにしている彼が何故か嫌いだったこと。
「……アンデッドになっちゃった人かあ。大変だったんだろうね。……それでその『彼』は?あっ、言いたくなかったら大丈夫だからね?」
「大丈夫。……『彼』は……世界を滅ぼそうとして、退治されちゃった」
「……わぁお、訊いちゃいけないんだろうけど、……すごく訊きたい。その、『彼』は人だったんだよね? なら、どうして?」
「私は分からない。……王種になって、一度、魔界に行ってから……たぶん少し暗くなったような気がする。……元から暗かったのがもっと暗くなった? 『制定者』に何か言われたらしいけど……」
よく分からない、とアスカはそう口にする。
「『制定者』ね……」
イェネオは、フラワーとは小さい頃から仲良くさせてもらっており、彼女の友達であるリディアやパック――主人であるティターニアやオーベロンの話はそれなりによく聞いている。しかし、『制定者』については、あまり聞いたことがない。
というより、フラワー自身もあまり『制定者』とは関わりがないようだった。彼? 彼女?から作られたらしいが、任務が与えられた後は接点がほとんどなかったようだ。
ただ、あまり人間が好きじゃないとは聞いてはいた。――『彼』が人間として認識されたのならば、あまり良いことは言われなかったかもしれない。……考えたくはないが、人間を滅ぼすように唆された可能性もある。
「『パック』くんに問い詰めればもしかしたら教えてくれるかも?」
「…………。教えたくないみたい」
「そっかー」
アスカは自らの肩に目をやり、そこに手をやって何かを掴む動作をする。
「ん? もしかして私が見えてないだけでいたりする?」
「いない。もしかしたらいるかもしれないけど、見えないし触れない」
――透明な魔力による透過、透明化能力だろうか。これもフラワーからちょっとだけ聞いたが、純粋な魔力の塊である彼、彼女らは透明な魔力で肉体を構成されているらしい。そのため、フラワーなどは魂の回収も可能で、他者の魂に入り込むことが出来るようだ。まあ、干渉されやすいから困りもの、とも言っていた。だからこそ、簡単に自死ができるようだが。
もしかしたら魂を操ることに長けた相手がいた場合、危険かもしれないようだ。――もっとも魂を操る能力は適合することもそうそう手に入れられることでもないようだけど。
「ままならないもんだ」
「大変」
イェネオが軽く吐息をつくと、アスカも真似するように吐息をつく。
「出来ればこっそりパックくんに聞きたかったことがあるんだけどねー」
「……。何を?」
「フラワーの隠し事。……なんかさー、最近元気がなくってね。魔王出現が近いらしいかもとも思ったんだけど……どうにも私が強くなるごとに、表情が曇っているような気がしてさー」
イェネオはジッとアスカの表情を見つめるが、彼女は不思議そうに首を傾げるだけだ。
「強くなるのは悪いこと?」
「良いことだけど思うんだけどね。……何か聞いたりしてない?」
「私は強くなるようには言われてるけど」
強くなるように、『言われている』――その言葉を頭に留めておく。
……恐らくは、このアスカという少女は、『魔王になるために』リディアと行動を共にしているかもしれない。ただの勘ではあるが。……もしそうだとして、分からないのは、その理由だ。何故、魔王を作ろうとしているのか、何故、リディアが関わっているのか――そしてもしそうなら、フラワーもそれを知っていることになる。……何故、止めないのか、……止められないのか。
――辛そうな顔をするくらいだ、本当は止めたいことだろうに。
さて、どんな質問をすべきか。たぶん、直接的に訊かなければアスカは答えてくれるはずだ。
「強くなるように、って誰に言われてるの?」
「それは…………。……?」
アスカは小首を傾げて、両手を高々と掲げた。
「のーこめんと」
「なにゆえ」
「さあ? ……それも、のーこめんと?」
「…………」
これは完全にアスカの意思で言っていないだろう。ポーカーフェイスであるけれど、嘘はつけない子のようだ。
たぶん、近くにいるらしいパックからそう答えるように言われたのだろう。……まあ、それだけで魔王と何かしらの関わりを臭わせていることは分かった。ただ、これ以上問いかけたところでノーコメント一辺倒だろうから何かを得られることはないだろう。
「……分かった。けど、一つだけ教えて欲しいんだけど……フラワーは『敵』なの?」
「…………。違うらしい?」
「……ならいいや」
信じるには足らないけど、信じてみたいから信じておこう。
イェネオは肩を落として息を吐くと、アスカが両手を掲げたまま、反対側に首を傾げた。
「フラワーのことなのにフラワーには訊かないの?」
「教えてくれるとは思えないしなあ」
「教えてくれるかもしれない」
「……かもね」
イェネオは苦笑してしまう。確かに直接訊ければ、一番良いのだろう。
「……けど、出来ないかなあ」
「どうして?」
――…………怖いのだ。人の内面を暴くような質問を、その当人に訊くにはかなりの勇気がいる。怒らすかもしれない、ずっと思っていた『良い人』ではなかったのかもしれない。昔から抱いていた理想とかけ離れていたらと思うと怖くて仕方ないのだ。
理想の真実は知りたいけど、最悪の真実は見たくない。
「……フラワーとは、昔から一緒だったんだ。……当たり前だけど、リディアさんなんかとは比べられないくらいすごい短い時間だけどね。友達……親友だと思ってる。……だから本当は私が強くなって、勇者になって、魔王と戦って危ない目に遭うのが嫌だって言うなら、それを信じたいけど……」
「それを信じちゃ駄目なの?」
「……信じたいよ。でもさ、もし勇者と魔王の関係がそれだけなら、私を――他の人を強くさせるのに渋り続ける理由にはならないと思う。魔王の出現が避けられない事態なら、強くすることは悪いことじゃないと思うから」
――先ほどフラワーは敵ではない、という『答え』をもらってしまった。……その答えの意味するところは、勇者は魔王を倒すという単純な役割ではないということだ。少なくとも、フラワーは誰かを勇者にするのを避けたいと思っている。避けたいと思う理由があるはずなのだ。
イェネオは思考がグルグルと回り、どうしようもなくなっていた。
アスカはそんなイェネオを見つめながら口を開いた。
「……分からないままと分かってしまうことは、どっちが駄目なことなんだろう?」
「え?」
「『彼』は何かを知ってしまったから、人類を滅ぼそうとしたのかも。だったら知らなかったら幸せになれたのかな? 私は、そのことを知っていれば、『彼』と一緒に戦ったのかな? 止められたのかな? ……少なくとも、私は、あの日、『彼』が望んだ思いも、結末も知らないまま、今を迎えているよ」
「……後悔している?」
「ずっとそれを思い続けている、『これ』が後悔なら、きっと後悔しているんだと思う。もう叶わないことに手を伸ばし続けることは、とっても嫌なことだと思うよ」
「……実感がこもってるね」
「そう思ってずっと生きているから」
ずっと、思考がループしてしまうのだろう。――人間なら生きている間だけ、たった数十年程度、もやもやするだけだ。でもアスカは――アンデッドである彼女は、吸血鬼になって寿命があると言ってもすごく長い間それを悩み続けねばならない。
そして、フラワーは終わらない時の中、その何かを解決しなければ、延々と思い悩み続けることになる。
……一度、フラワーに問い詰めてみるべきなのだろう。はぐらかされるかもしれないけど、少しでも力になれるのであれば、そうするべきなのかもしれない。
イェネオは軽く笑う。
「ありがとう。決心出来たかな?」
「? なら良かった?」
イェネオは首をまた反対に傾げたアスカの頬に手を伸ばし、触ってみる。冷たいが柔らかい。
心が壊れているらしいが、それでも相手の心を知ろうとするこの子は、きっと優しい子なのだろう。
とりあえず、イェネオが訊きたかったことは聞けた。あとは雑談をして、フラワーやリディアが戻ってくるのを待つだけだ。
話題を考え、ふと気になったことが一つあった。
「……これも……訊いていいのか分からないことなんだけど……そのアスカちゃんを作ったっていう『彼』ってなんていう名前なの?」
地雷かも、と思いつつもどうしても気になって口に出してしまった。
アスカは一度たりとも『彼』の名前を言わなかったのだ。頑なほどに。
「……」
アスカはぴたり、と動きを止め、わずかに眉をひそめる。――これはマズったかな、とイェネオはゆっくりと手を戻し、何が起こっても良いように構える。
しかし、アスカは凶変するなんてことはなく、ただ静かに口を開いた。
「……名前は、体を表すんだって。だから名前には意味を込めて、そうなってくれるように願うことがあるらしい」
「……えーっと、あー、あるねー。ちなみに、私のイェネオって名前は勇敢って意味があるらしいよ。そんな感じの?」
「だと思う。私のアスカは朱い鳥って言う意味があって、『彼』は自由に生きて欲しいって意味を込めたんだって」
「……良い名前だね」
「私は気に入ってる、と思う。…………。……うん、そうだ。やっぱり、私は、だから、『彼』の名前が嫌いで呼ばなかったんだ」
「……アスカちゃん?」
アスカは宙空を見つめ、うわごとのように言葉を紡ぐ。
「『彼』の名前はコースケ――幸せを助けるって書くんだって。……彼はその通りに生きていたんだと思う。誰かの幸せを助けるために生きていたんだと思う。……でも、私は彼を、ずっとずっと見続けて、最後の最期になって、思ったんだ。彼が死んだ時に、思ったんだ。――貴方の幸せを助けてくれる人は、どこにいたの、って。思い悩んでいた『彼』を救ってくれる人は、どこにいたの? ……『彼』は本当に幸せだったの? ――どうすれば、幸せになれたの?」
アスカの瞳から、突然涙がぽろぽろと零れて、イェネオはギョッとしてしまう。
「……?」
アスカは無自覚だったようで、瞳から溢れ出る涙を触って指を濡らしながら首を傾げていた。
「……涙だ、不思議」
「……ごめん」
イェネオは席を立ち、アスカに歩み寄ると彼女の顔を胸に抱いた。
「デリカシーなかった。……亡くなった人のことを気安く訊ねちゃいけないよね」
「そういうもの?」
「泣いちゃってるから、そういうものだよ、きっと」
「なるほど」
アスカの声は震えていないけれど、なおも涙が零れてイェネオの胸元を濡らす。アスカは変わらず不思議そうに頭を小さく揺らしている。
「私も私のことがよく分からないけど――このよく分からないことも、『彼』の足跡を辿れば分かるかな?」
「…………それは……」
そのアスカの言葉の意味するところは、人類の滅亡を願うということだろうか。それとも『彼』のように誰かの幸せのために助け続けるという意味だろうか。
前者だったら、今まさに腹を引き裂かれる可能性があった。でも不安に苛まれながらも、イェネオはアスカの頭を撫でる。
――結局、アスカが攻撃を仕掛けてくることなんてなかった。
「どうだろう」
そして、イェネオはアスカの問いに、答えてあげられなかった。
「そっか。……何もかもが、むつかしい」
アスカは、変わらぬ調子で、そう口にするのであった。
――一体、どう応えてあげるのが正解だったのだろうか。
次回は6月20日19時を予定しています。




