人ならざる者に与えた優しさとその代償⑮
「どや顔でようこそ言って、5時間も待たせるとか、はじゅかしい……ごめんなさい……」
イェネオが顔を押さえながら、そんなことを言っていた。
リディア達が町に入って、フラワーが予め取っていた宿屋にて、身を寄せているとイェネオが訊ねてきたのだ。どうやら上手いこと上司に話を通せず、通行審査に時間をかけてしまったことを謝罪に来たらしい。
「いえいえご丁寧に。気にしてないから、大丈夫だよー」
イェネオに向かい合っていたのは、リディアで、笑顔で手をプラプラと振っている。リディアの後ろにはアスカがおり、ひょこっと横から顔を出していた。
「大丈夫」
そうイェネオに言った後、ちらりとリディアを見上げる。
「…………時間かかったの?」
「一般的に言えばかかった方かな?」
「そうなんだ」
「まあ、私からすれば、5時間くらいわけないけど……」
「ぼーっとしてれば、5時間くらいあっという間」
さすがは五千年近くを生きた魔女となんとなく時間が流れるままに生きてきたアンデッドである。
「お二方の時間感覚がイカレてやがるぜっ……!」
これにはイェネオもそう言わざるを得ない。
《まあ、仕方ないですよ。今回のことに関しては、行動制限はきっちり取り決めしないといけませんでしたから》
フラワーはイェネオとリディアとの間の空間にぷかぷかと浮かびながら、真面目張ってそう言った。
実は時間がかかったのは、フラワーが原因であったりする。アスカの能力――というか、体液による『感染』がある以上、なあなあで済ますことが出来なかったのだ。水源を汚染させないためにそちら方面に出向くのを全面的に禁止し、外を出歩くためにもしもの時に備えて『感染』を打ち消せて、かつ治療が可能な人間の手配などをする必要があった。
アスカの魂の性質がやや特殊なせいで、リディアの力による強制レジストによる打ち消しも効果がない以上、治療能力を持つ人間を派遣するしかなかった。
まあ、治療もアスカ自身が出来るのだが……さすがにもしうっかり誰かに『感染』させて、それを彼女自身で治すのは……なんというかマッチポンプ味がありすぎる。
それとアスカ達の『護衛』という名目で、兵士を派遣することになっている。アスカに悪意という感情がないのは見ていれば分かるが、何をしでかすか分からない危うさも同時に感じるため、誰かをつけておきたかったのだ。
ちなみにそれは、イェネオになってしまった。
フラワーは違う人間を選出したのだが、イェネオ自身が乗り気であったことや、他の兵士は物々しいため、彼女らと一緒にいさせるとどうにも目立ってしまう懸念があった。
――いや、まあ、理由は別にもあるのだが。他の兵士達も乗り気ではあったのだが、乗り気過ぎて断念してしまった経緯もある。兵士達(独身の男共)はリディアに――邪ではないにしても下心があったのだ。
正直、フラワーとしては長年の友人をそんな目を向ける輩に任せたくはない。
リディアはリディアで、押しに弱いから、なんやかんやがあることも否定出来ないし。
《それでは、夜間の外出は控えてください。もし何かあれば、私一体をこの部屋に……それと周囲にも配置しておくので、そちらに話を通してもらえれば有り難いです》
「……それはあからさま過ぎるような……」
明らかに、お前を監視しているぞ、という含みがたっぷりと詰まった言葉にイェネオも苦言を呈してしまう。リディアもこれには苦笑いをしてしまっていた。
「……?」
ちなみにそんな『監視対象』であるアスカは、分かっていないようできょとんとしていた。
アスカは、ジッとフラワーを見つめる。
「いっぱい配置……そんなにここに置いていて大丈夫なの?」
《……安全のためですから。それに一億近い数がいるうちの数体なので、問題にすらなりませんよ》
「億…………? ……億とは?」
アスカが首を傾げて、リディアを見上げる。
「えーっと、億は……1万×1万かな。ゼロが八つもつくくらい」
「……。ゼロが八つも? …………想像出来なくてよく分かんない」
「実は私もー。一カ所に集まっているところなんて見たこともないしね」
《集まる意味もないですし》
もし一カ所に集まろうものなら、空間が大渋滞を起こして、光量もとんでもないことになるだろう。そもそも集まる利点が一切ないから、今後全員集合なんてことは起こりえない。
「フラワーってそんなにいたんか……」
イェネオが衝撃の事実に驚いている。まだまだ友人として知らないことが多いな、と思うのであった。
そんなフラワーとかなり長い間いるらしいリディアは、フラワーの総数は知っていた様子。
(……間近で見ると、ほんと綺麗な人だわ)
黒を基調として、メイクもアイシャドーや唇、爪などを黒に塗っている。ともすればケバケバしくなるはずだが、むしろミステリアスで落ち着いた雰囲気に見せている。
野暮ったいローブを身に纏っているが、静かな雰囲気に相乗効果を与えていた。
ザ・大人の女性の完成形とも言える。立ち振る舞いも相応だし、隙がなさそうだ。
色々な面でちょっとジェラシーを感じてしまう。
イェネオは、なんとなく悪戯心が湧き上がってきて、不意に両手を突き出して……リディアの胸を掴んでみた。
「おぉ?」
《はい!?》
「……?」
けれど、リディアは取り乱しはしなかった。ちょっとだけ驚いた様子だったが、その程度だ。少しでも嫌がったり怖がったりしたら、離すつもりだったけど――。
そのまま揉んでみる。
「あらら」
《何してるんですか、イェネオ! 離しなさい! 離しなさい!》
やっぱりリディアは落ち着いており、特に振り払ったりもしない。むしろフラワーの方が慌てており、イェネオの頭に乗っかるとぺしぺしと額を叩いたり、髪を引っ張ったりしてきた。
「痛い痛い、抜けちゃう禿げちゃう」
《だったらやめなさい! 突然なんですかっ!》
「いや、ちょっとした悪戯のつもりで触るだけ……だったんだけど、まともにおっぱい揉めることってないなーっと思って揉んでみた」
自分の胸を見下ろしてみると、見事なまでに視界を邪魔しておらず、床がしっかり見える。防具をつけているとはいえ、脱いでも悲しいくらいに起伏がないのだ。
「自分のはないし、人のは……頼むにしても、悪戯するにしても、パワーなハラスメントになっちゃうから……」
強い、というのは人間関係において多少の上下関係を生んでしまう。特に気安さの面において、下手をすれば冗談でも無理矢理やったように見えてしまう――もしくは感じられてしまうこともあるのだ。その点、リディアなら初対面であるが、フラワーいわくとても強いのでいけるのではと思ったのだ。最悪、振り払ってくれるだろう、と。
イェネオはリディアの胸を揉みながら、目をぎゅうと瞑り、顔を床へと向けて必死な表情をした。
「それにいざ揉んでみたら! おっぱいって意外に柔らかくて気持ち良かったんすよ!」
《何言ってんですか! 気でも違ったんですか!?》
イェネオが心からの叫びを上げると、フラワーがさらに激しくべしばし額を叩く。
そして当の胸を揉まれているリディアはというと、困った笑みを浮かべていた。
「うーん、どうしたものか」
満足してくれたら、離してくれるだろうけど、廊下と部屋の境で延々とやられるのも困りものだった。かと言って、部屋の中に引き込むのもどうかと思う。下手をすれば変な雰囲気になって、この少女――もといイェネオという女性がイケナイ扉を開きかねない。このまま悪戯っぽいままの空気にしておくのが吉だ。いやしかし――、
「リディア」
リディアが悩んでいると、ふとアスカから声をかけられる。
「どうしたの?」
「胸を揉むのは、えっち? なことであるらしい」
「そうだねえ」
「『彼』に教えてもらった」
むふー、と何故か得意げだった。
そんな可愛いアスカを、とりあえず撫でてあげる。――『えっち』の詳しいことも教えておいた方が良いだろう。たぶん、『不死ノ王』はそこら辺のことは言えなかったはずだから。
それより問題は、胸を揉まれている現状だが――――、
(……まあ、いっか)
……なんとかなるだろう。長い間生きてきて、色んな目に遭ってきた彼女は、雑にそんなことを思って胸を揉まれ続けるのであった。
次回は6月6日19時の更新を予定しています。




