人ならざる者に与えた優しさとその代償⑧
リディアが勇者や魔王候補を見つけた場合、すべきことは育成、であるため魔物が数多くいる魔界に行くのが通例となっている(北東寄りのティターニアがいる地域で、フラワーを一人連れて行くことになっている)。
そのことを吸血鬼の少女アスカに伝えると――、
「私は魔界には行けない」
そう言われてしまった。
「どうして?」
リディアが首を傾げてしまう。こちらに同行することには、抵抗を示さなかったし、強くなる方法を伝えてその危険性も教えたのだが問題ないと言ってくれた。だけど、魔界に行くと言ったら、すぐさまノーの答えが返ってきたのだ。
アスカが、何故か首を傾げてくる。
「そっちの子は分かってるんじゃ?」
彼女が指をさしたのはパックだ。
《え? ――あっ、あー……》
パックが何かに気付いたように、小さな手をぽむきゅと打つ。
《忘れてた。アスカって魔力の耐性が全くないんだった》
「それって――」
《絶賛魔力障害中。アンデッドだから許されてるけど、胃袋も肺も異空間化しちゃってるね。空間の肥大化とか魔力の暴発を起こさないように最低限の魔力操作は出来るようにしてるみたいだから、それほどでもないけど……。あと、あの骨の子もそのために一緒にいたみたいだね。魔力操作特化型みたいだし》
アスカはコクリと頷く。
「うん、そうみたい。私は昔から……『彼』が言うには生前から、そうだったみたいだよ」
「そうなのかー。だとすると魔界は危ないかもねえ」
魔界は高濃度の魔力が絶えず攪拌して、様々な現象が偶発的に頻発する土地となっている。魔力操作ができていないと目の前で炎が突然現れたり、超重力に押し潰されたりなんてこともあるのだ。
それでも魔力操作は下手でも、魔力耐性があるならやや意識的に内在魔力を放出する程度で安全が確保出来る。
しかし、アスカのように耐性が全くないと内在魔力の放出は意味が無く、常に広範囲の魔力濃度を操作して薄めなければならない。
そうしなければ、目の前どころか体内で魔法が暴発する恐れがあるのだ。
そんな土地に連れて行ってしまっては、魔王になるどころか生存すら危ぶまれる。
「私は魔王にはなれない?」
アスカは不安そう――には見えず、ただ無表情に首を傾げていた。
リディアはどういう表情を向けるべきか迷ったが、微笑みを向けた。
「大丈夫だよ。フラワーとティターニアがいればなんとかなるし――アスカちゃんのその優しい力は、私達にきっと必要になってくるから」
「優しい力?」
「そう。魔力耐性がない子はね、魔法を相手にかけてもレジストされないの。だから回復系の魔法を使えば癒やしてあげられるんだ」
「そうなんだ」
アスカはやはり無表情にコクリと頷いた。事実をただ事実のまま受け入れただけ、と言ったようだ。
リディアはオーベロンの『危うい』という意味がなんとなく分かってしまった。感情がない訳ではないのだろう。実際、興味があるようなことに対しては積極性を見せていた気がする。
――積極的になっていたのは、……『私』のことだろうか。いや、それだけとも言えない。源泉を探った方が良いだろう。
ちょっとズルをしてしまおう。
リディアは小声でパックに囁きかける。
(……パック?)
すると心の中にパックの声が響いてくる。
《はいはーい。その子は、『結末』にすごい興味を持ってるみたい。『不死ノ王』が何を思っていたのか、何を為そうとしていたのか知りたいんだろうね。でも、何故知りたいかは自分でも分かってないみたい。……好き、だったんだろうけど、その感情が分からないし他の記憶や感情に直結できないから、『分かった、に至れない』んだろうね。その子は発生する感情が常に薄いから、自己理解が難しいんだ。……感情がない訳じゃ無いんだよ。実際、分からないのが苦しいから、分かろうとしてるみたい。まあ、『分からないから苦しい』っていうのもよく分かってないみたいなんだけど》
(なんとも難儀な……)
《本当にね。たぶん、その子は感情らしい感情は得られないんじゃないかな。あくまで『これは、そうだから、そうなんだ』くらいの自分の感情を他人事レベルでしか理解が出来ないかもね。だからこそマスターも『危うい』と思ったし、同時に滅するには忍びなく思っちゃったんだ。いつものことだね、『不死ノ王』の時もそうだったし。マスターって感傷的だから。……あっ、今、マスター、あっちの隣にいる僕を指でピンってしたよ!》
パックが頬を膨らませて、パタパタと手足をばたつかせた。そんな彼を指で優しく撫でてやりながら、リディアは考える。
……魔王候補として育てる上に危うい存在。それに魔力耐性がないため、どうしたって魔界には連れて行けない。
いや、連れて行く方法は無いわけではない。
『魔晶石』。あれは、身につけることで大気中の魔力を濾して、無害な魔力へ変えることが出来るのだ。
フラワー達が研究しているあれを使えば、アスカでも魔界入り出来るだろう。しかし、発展途上であるため、途中で壊れるかもしれないし、そもそも持続時間が短いかもしれない。だから、ティターンに連れて行かなければならないのだ。
でも、あそこには勇者候補がいて、今ではフラワーにとって大切な人達がたくさんいる。そこに魔王候補が――それも精神的に不安定な子を連れて行ってもしものことがあれば、フラワーに申し開きが出来ない。
リディアは、困ってしまってパックに視線を向ける。けれど彼も、ため息をついて首を横に振る。
《……僕にも分からないよ。一応、フラワーはリディアが頼むなら断ることはしないけど。……でもそうするなら、絶対に間違いは起こさないようにしないといけないよ。フラワーもフラワーで悩んでいるんだ。人間達を救いたいのに、強くすることで勇者候補に意図せず育ててしまうことにさ。……あっちもあっちで不安定になりかけてる。特に僕らは群体で感情がハウリングしちゃうからさ。楽しいことも不安なことも増大しちゃうことがあるの》
(……あんまり頼り切らない方が良いんだろうね。せめて話し合ってみないことにはなんとも言えないかな。町には行かないで、魔晶石だけ貰うようにするとか)
それに魔王候補と勇者候補をみだりに対面させるべきではないだろう。勇者が魔王を攻撃出来なくなるのは、最悪問題は無いが、その逆はあってはならない。それに魔王側が起こる『不自然な奇跡』はあくまで、勇者に攻撃されたことで起こるのだ。
もし魔王が自害でもしたら、全てが台無しになる。アスカはその可能性が低そうだが、ないとも言い切れない。それにこちらとしても、仲が良くなったであろう相手を無慈悲に殺す姿は見たいとも思えない。
《じゃあ、僕がフラワーに掛け合ってみるね》
(お願い)
そうして会話を済ませて、リディアはアスカに向き直る。
ちょっとばかり待たせてしまったが、気にする様子はなく、むしろ顔をやや上方に向けて鼻をひくつかせている。
ちなみに今は木々がまばらに生えていて、荒れた土が剥き出しの街道だ。土地の起伏もなだらかにデコボコしており、遠くまでは見通せない。
死の森を飛んで抜けて後は、向かう先を定めるためとアスカと多少交流するために歩いていたのだ。
北上してきて、大体、死の森寄りのティターンとの中間地点だ。
もう少し先に行けば、平原に出て、多少人里が増えるだろう。死の森に近いこともあって、あまり村や町が少ないはずだが――、
「血の臭いがする」
そうアスカが呟いた。――その際のリディアの行動は早かった。
「パック」
《――うん、ここから西に村が『あったよ』。ちょうどフラワーがそこにいる》
「原因と状況は?」
《魔獣の襲撃。ほぼ壊滅状態。助けたところで、重傷者が多すぎる》
「……そっか」
恐らく死の森に近いということは、そこまで押し出された弱い人達か、良い経歴の持ち主ではなかったのかもしれない。
その場合、ほとんど抵抗する力も武器も無く、他方面からの加護も受けられないことから、往々にして滅ぶ定めにあるのだ。
アスカは大気の香りを嗅ぎながら、西の方へと身体を向け、リディアに首を傾げた。
「行かないの?」
「意味が無いからね。フラワーが出張ってるなら、もうたぶん遅いんだと思う」
「そうなんだ。ところで回復魔法はすぐに覚えられる?」
その問いにリディアは思わず目を見開いてしまう。
「えっと……なんで?」
「助けられるなら助けるべきだ、って昔『彼』が言っていたから。だから回復魔法が使えれば、助けられるでしょう? なら、助けるべき」
「……ごめん、失礼なこと聞くけど、人の血を吸いたいとかではなく?」
「血なら獣でも事足りる。わざわざ人の血を吸う意味が無い。『彼』にもあまり吸うなって言われていたし」
「えーっと……」
ちらり、とリディアはパックに視線を向けてしまう。
《『教え』に従ってる感じだよ。善悪に関しては『不死ノ王』がきっちり教え込んでいたみたい。まあ、危うさは変わらないんだけどね》
「そっか……えー、アスカちゃん?」
「なに?」
「教えることも出来るけど……使えるかどうか分からないよ。それでも行ってみる?」
「やらないよりやった方が良いと思う。やれないまま『あれはどうなっていたかな』を、ずっと考えるのは、たぶん嫌だから」
「……そっか」
なんとなくリディアは微笑みを浮かべてしまった。相変わらずアスカは無表情で、首を傾げていたけれど。
次回更新は未定です。11月~1月(場合によっては2、3月)まで少々忙しくなって、まともな執筆時間が取れなくなるので。更新はするとは思いますが、不定期になります。一応、更新する際の時間帯としては日曜日の19時を予定しています。