第八章 己の在り方
俺が馬鹿なことを考えていた時だった。
どすんどすん、と鳴り響く巨大な何かが弾む音とそのすぐ近くに混じる人らしき悲鳴が聞こえてきたのだ。かなり遠くからだ。
なんだろう。気になるな。
俺の強化された聴覚と『振動感知』により、位置を正確に割り出そうとする。――出来るか分からんが、指向性を持たせてみるか……。
うーん、やっぱり誰かが何かに追われてる感じ?
よし、もっと集中して情報を集めよう。
「ゾンビちゃーん? 動かなくなっちゃうと『動体感知』に引っかかりにくくなるから、ちょっとでも動いて欲しいなあ」
何かリディアの声が聞こえたけど、ちょっとタンマな。この『聴覚強化』と『振動感知』、併用して集中するとすぐ頭が煮えそうになって他のこと考えられなくなるんだよ。それに五秒くらいで精度落ちるし。
この貴重な五秒間で、確実に位置を割り出す。そして、精度を落としても大まかな位置を把握できるようにこの音源の質的なものを頑張って覚えた。
「ゾンビさんのお馬鹿!」
位置も完璧に把握して、さて、この後どうしようかな、と思ったと同時に罵声と、どすんと胴体に衝撃が走る。
顔を横に向けるとむっすり顔のミアエルさんが俺の胴体に乗っていらっしゃる。あら、このむっすり顔も可愛らしいこと。
視界いっぱいに映るミアエルの端っこにリディアも入り込んできた。
「もー、ゾンビちゃん、ダメだよん。ミアエルちゃんは、まだ動体感知魔法の練習中だから、動かなくなっちゃうと見つけにくくなっちゃうんだよ」
(あー、悪い。……てか、魔法のスキル化、結構手間取るんだな。難しいのか?)
スキルは現時点で持つ技術、技能、機能の補助だ。故に練習すれば、魔法でもスキルとして呪文や道具を用いずに使うことが出来るようになるらしい。
やっぱり魔法ってかなり難しいんだなあ。吸血鬼になって魔法を覚えられるとして、ミアエルでも手こずっている魔法を俺は修得出来るだろうか。
「まあ、ねえ……」
そう思っていたのだが、なんかリディアに呆れた顔をされた。なんだよ。
いや、それよりも、だ。
(ところでリディア。なんか誰かが追われてるっぽい。ちょっと見てくるから、ミアエルのこと見ててやってくれ。ちょっと戦うかもしれない)
「んー、いいけど、戦いなら私達の方がいいかもしれないよん?」
確かに、と即座に思ってしまった俺は、何故だか悲しい気持ちになってしまった。……相手が魔物だったら、ミアエルで瞬殺だしな。リディアも何気に強いっぽいし。……ん? つまりこの中で最弱って俺じゃね?
ヤバい。なんか男の沽券的な何かが、とっても危うい。
(で、でも移動に関しては俺の方が、障害物とか気にする必要ないし! ――て、転移とか瞬間移動的ななんかは、さすがに使えないよな?)
「使えるけど、長距離はスキル化は出来てないから、発動に時間かかるんだよねえ。座標指定は精度悪いから危ないし。……確かに、ゾンビちゃんの方がいいかなあ」
よ、よっしゃあ! 少しは俺の方にも良い点があったよ! ……けど、リディアって転移も使えるのね。なんかミアエルが驚いて尊敬っぽい感じで見ているのから判断すると、すごいことだってのは分かったよ。
ちなみにだが、リディアを恐れていたミアエルだったが、リディアがあまりにもすごいことが判明したらしい。で、今は尊敬して師事してるっぽい。……くっ、羨ましい。懐かれるのではなく、師匠っぽい感じになる方が嬉しかったかも。俺も、ししょー、とか呼ばれてみたい。
まあ、そもそもゾンビに何教えられることあるねん、と言われればそれまでなのだが。思えば俺のスキルって生きている人間では取得が難しい力技で得たものがほとんどなんだよなあ。
(じゃあ、行ってくる……と、その前に後一つ。ミアエルに今後俺にあまり近づかないように言ってくれ。出来れば、今、俺の身体から降りて離れるように言って)
(なんで?)
あっ、言葉足らずだったせいでリディアの眉間にちょっとシワが寄っちゃった。俺のつっけどんとも取れる言葉が言葉だけに攻撃的な感情がこもった言葉で返してこられてしまう。
短い間一緒にいて分かったんだけど、リディアって温和っぽそうで何でも許しそうに思えたけど、割と厳しいところあるみたい。
(悪い、言葉が足りなかった。……今さっきなんだけど『溶解液』っていう体液が酸になるスキル覚えてさ。ちょっと危ないから、な)
(……んー、そういうことなら、仕方ない、かな。でもミアエルちゃんの意思も尊重するし、恐がらなければ普通に近づけさせるからね。『感染』同様接し方さえ覚えれば大丈夫だと思うよ。……ミアエルちゃんにとって、ゾンビちゃんは文字通り身体を張って助けてくれた命の恩人なんだよ。だから離れるなんて言わないで)
(……接し方については任せる。けど、俺の意思も尊重してくれ。……ミアエルに怪我はさせたくない。助けた本人が怪我させるのだけはあっちゃダメだと思うから)
(……それもそうかもねえ。…………けどなあ)
(頼む)
そう俺が言うと、リディアが諦めたように小さなため息をついた。
俺だって好きで離れたいと思ってるわけじゃない。でも、危険なことだから適切な距離を取ってほしい。その結果、普通に触れ合えなくなったとしても――二度と会えなくなったとしても。
俺は他人を傷つけてまで、人のぬくもりを得ようとは思わない。
今の俺にとって執着は害悪だ。まさにひっつくだけで他人を傷つけてしまうかもしれない今の俺は、俺自身をそう律するべきだ。人が恋しいからという理由だけで、他者を危険には晒せない。
……もっとも、だからと言って、諦めるつもりはないが。今は触れ合えずとも、どこかに触れ合える他の方法があるはずだから、それを探すのも良いだろう。俺には時間があるし。なんたってアンデッドだしな。
さー、この話は終わりにして、今はなんか追われてるっぽい奴を助けに行くかあ。
(ところでゾンビちゃん? 話は変わるんだけどさ……)
ふと、リディアに問われる。
(なんだ?)
(――思ったんだけど『溶解液』ってゾンビちゃんは進化的な意味で、何を目指してるの?)
そう言ったリディアはちょっと苦笑い気味だ。言葉に悪意はないがリディアとしてのちょっとした皮肉だろうな。
……しかしそれ訊かれちゃうかあ。取得したのが手違いでも、それを言われると痛いなあ。
(……。吸血鬼に、なりたいはず、なんだよなあ)
……俺、ほんと最終的に何になっちゃうんだろ。吸血鬼になったとしても、吸血鬼とは思えない歪な能力持ったユニーク個体になる未来がありありと見えるんだよなあ。
俺はそんなことを思い、誤魔化すために頑張って顔筋を動かし、誤魔化す笑みを浮かべるのだった。




