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八話

 水鏡の堂に集まった二人の顔は、共に険しいものだった。おそらく私も同じような表情になっているのでしょうが。

「参ったね」

「参ったものだ」

 ベルンドとデンが溜息混じりに呟いた。

「本当に……。では、呼びますよ」

 二人のうなずきを確認し、私は目の前の水がめになみなみと溜まった水に向かって呼びかけた。

「預言師よ、話せますか。伝えることがあります」

 そう言って、水がめを囲む私達は返答があるまでしばし待った。そして――

「――お待たせいたしました」

 預言師ホリオークの声と共に、水がめの水面にその顔が映る。私はそれを見下ろしながら言った。

「突然呼び出してしまい、ごめんなさいね」

「いえ、私は待っておりましたので。しかしそれはペレアリー様だと思っておりました」

「彼女から事情は聞いています。なので代わりに私達が来ました」

「私達ということは、ルーサ様の他に、ベルンド様とデン様もいらっしゃるのですね」

 預言師とよく話すのは私とベルンドとデンの三人だ。理由は単純に、私達がカーラムリアでのまとめ役のような立場にあるからで、預言師との会話は三人で行うことが多い。だから預言師もすぐに誰なのかがわかったのでしょう。

「ペレアリー様はお忙しいのですか? 頼みを聞いてくださったお礼を一言申したかったのですが」

 これに私は、思わず二人の顔をうかがってしまった。デンは険しい表情のままで、ベルンドは目が合うと、小さくうなずきを返してきた。正直に言えという返事……。

「……実は、彼女は重傷を負ってしまい、ここに来ることができないのです」

「重傷? 一体、何があったのですか。カーラムリアで傷を負うなど、滅多にないことでは……」

「その原因を、私達は伝えに来たのです。……ペレアリーは、あなたの心配を払拭するために幽閉の塔へおもむいたと言っていました。その際に、幽閉されていたクロメアと言葉を交わし、そして危害を加えられてしまったと」

 水面に映る預言師の表情はこわばり、一瞬息を呑むのがわかった。

「クロメア……邪神の名ですね。私の心配が現実になってしまった……。ペレアリー様の状態はどうなのですか? まさかお命に――」

「深手だが案ずるな。命に係わるものではない。今全力で治療を行っている最中だ。動けるまで少々時間はかかるだろうがな」

 デンの言葉に預言師は安堵の息を吐いた。

「それは、一安心です……しかし、ペレアリー様は邪神は力が使えない状態だとおっしゃっていました。それなのになぜ危害を受けてしまったのでしょうか」

「クロメアは力を使える状態だったからさ。僕達は長い間、当然のように力は封じられているものと思い、それに気付きもしなかった。情けないことにね」

「ベルンドの言う通り、私達はクロメアの監視を怠ってしまいました。ペレアリーが重傷を負ったのは、私達の責任でもあるのです」

 傷だらけの身で横たわる彼女の姿を思い出すたびに、私の心は震えるように痛む。もっと早くに異変に気付いていれば――そんな後悔が湧き続けている。

「邪神の力が封じられていたことは確かなのですよね。それがなぜ使える状態になっていたのですか?」

「鎖に亀裂が入っていたのです」

「鎖、というのは?」

「クロメアの身体を縛り、身動きを抑止しているもので、そこには封印の呪文が刻まれ、身体と共に力も封じられるのです」

「その封印に亀裂が入ったことで、邪神は力を使うことができたわけですね……そうなると、トラッドリアに何か影響を及ぼすことも可能なのでしょうか」

「封印が緩んだのなら、小規模な影響を与えることは可能です」

 これに預言師は眉間にしわを寄せた。

「ではやはり、あの気配の正体は邪神である可能性が高いようですね」

「十中八九、クロメアのものでしょう。……預言師よ。あなたに重大なことを伝えます」

 真剣な眼差しに変わった預言師が水面の向こうからこちらを見つめた。

「……何でしょうか」

 私は一息吐いてから、静かに言った。

「そのクロメアですが、ペレアリーを襲った後、幽閉の塔から逃走しました」

「逃走……!」

 驚き、瞠目した預言師を見て、デンがすかさず言った。

「皆で懸命に捜し回っているから、心配はするな」

「しかし、自由の身となれば、トラッドリアに何らかの悪影響も……」

「それだが、今のところそういう可能性は低いだろう。よく考えてみろ。クロメアがトラッドリアに悪意を向ける気なら、すでにそちらはひどい状況に変わっているはずだ。だがそうはなっていない。トラッドリアに乗り込んだとしても、我々はそちらで直接力を行使することはできない。やつはカーラムリアで追い詰められるしかないということだ」

 デンの説明に、預言師はどこか納得できない表情を浮かべた。

「その通りかもしれませんが、私は楽観視することはまだ……」

「わかっているよ。僕達もそちらにあるクロメアの気配は不気味に感じている。一体何の目的なのかとね。たとえ何かをたくらんでいるとしても、その前にこちらで捕まえてしまえば済むことだ。だからまだ心配する必要はない」

 ベルンドの言葉にも、まだ納得できない様子の預言師だったが、自分に言い聞かせるように小さくうなずいた。

「邪神の目的がわからないのは不安ですが……皆様方のお力を信じます」

 水面の預言師を見ながら、私も内心は不安に思っていた。クロメアが逃走してから大分時間が経っている。当初は封印で弱った身のクロメアはすぐに見つかるだろうと言われていたが、今に至っても手掛かりすら見つけられていない。それでもベルンドとデンは時間の問題だと言っているが、そう上手く事が収まってくれるのか。問題は私達の側だけではなく、人間にもあるというのに……。

「預言師よ。クロメアの逃走に関して、そちらで捜してほしい者がいるのですが」

「人物ですか? 邪神とどういった関係が……?」

「簡単に言えば、協力者というところだ」

 預言師は怪訝な表情を見せた。

「何者かが、邪神に協力をしたと、そうおっしゃるのですか?」

「残念ながら、そういうことです」

「もちろん根拠はある。鎖の亀裂がそうだ」

 デンの言葉に、預言師は首をかしげた。

「まさか、その亀裂は協力者が入れたものだと?」

「そうとも言える」

「お待ちください。我々人間には、神のような特別な力はありません。鎖に亀裂が入ったのは単に年月が経って劣化しただけでは――」

「トラッドリアのものと一緒にされては困る。鍛冶を司るグルーストが作り出すものは、長い時間、丁寧に打ち鍛えられ、柔な力がかかった程度では傷も付かないほど強固な仕上がりになっているのだ。その腕に手抜きなどあり得ず、彼が作り出したものはすべて、半永久的に使われている。劣化など、こちらでは考えられもしない」

「それは、知らずに失礼なことを申しました……ですが、半永久的に使われるほど頑丈ならば、人間が亀裂を入れることなど余計に無理なことです」

「確かに人間にそんな力はないが、祈りの力はあるだろう? 基本的なことを忘れてはいけないよ」

 ベルンドの指摘に、預言師ははっと口を開けた。

「……祈りの力……何者かが、邪神に祈りを捧げて……?」

「預言師ならば当然知っているでしょう。人間達の祈りはカーラムリアという世界を形作る一助であると同時に、私達、神と呼ばれる者にも活力を与えてくれます。それぞれが祈りを捧げる神に、それぞれの活力が届く……届けば、私達はより壮健でいられます。それはクロメアも同じことです」

「人間が邪神に祈りを捧げ、力を得た邪神が鎖を壊したと、そういうことなのですか?」

「ええ。私達は、そう考えています」

 水面には困惑した表情があった。

「しかし、封印された状態の邪神が、頑丈な鎖を一人で壊すことなど、本当に可能なのですか?」

「我々のように力を持つ者、祈りを受ける者なら可能だ。グルーストの作ったものとはいえ、力に対する耐久力には限界がある。クロメアが祈りの力を受け、少しずつ鎖の一点に注げば、亀裂くらいは入れられるだろう。封印の呪文が完全に効いていなかったのも、それを凌駕するほどの強い祈りを受けていたからに違いない」

「これも僕達の失態だ。まさかトラッドリアにクロメアを信仰する人間がいるなんて思いもしていなかった。そちらには邪神信仰を禁じてもらっているからね。鎖の状態を見たが、亀裂のあった部分はかなりぼろぼろで、古い傷が多く付けられていた。あれは長い期間切断しようと奮闘していた痕だろう。つまり、それだけ前からクロメアは祈りの力を受けていたというわけさ」

「前から……それは、一体いつからだとお考えですか?」

「僕の予想では、少なくとも五、六十年は前だと思うね。そのくらいの期間がなければ、あの鎖に亀裂は入れられない」

「そんなに、前から……」

 預言師は呆然としながら呟く。

「……クロメアを信仰する者について、何か心当たりはありませんか」

 これに預言師は緩く首を横に振った。

「いえ、私は聞いたことがありません……。ですが、私は常に王宮内におりますので、城下を探ればそういった話が聞けることもあるかもしれません」

「わかりました。では早急に見つけ出し、クロメアへの祈りを止めてください。城下一帯を捜すのであれば、国王のお力に頼るのが早いでしょう。この一件の説明は、あなたに任せます」

「承知しました。早速、国王陛下に事情をお伝えに参ります」

「我々もこの後、クロメアの捜索に向かうつもりだ。互いに対象の者が見つかるよう励もうぞ」

「吉報が届くまで、そちらも頑張ってくれ」

「はい。ご期待に応えられるよう、努めます」

 硬い表情で頭を下げた姿を最後に、水面に映った預言師は溶けるように消えた。そして水がめに溜まった水は頭上の白い雲の浮かぶ空を映し出す。一見、何も変わらないような景色……けれど、どこかでクロメアという不安が確実にうごめいている。不気味さを漂わせながら……。

「やつはどこにいると思う」

「さあね。クロメアの考えることは、僕は昔からわからなかったからね」

「確かに。私達は彼女の考えがわからず、読めないでいる。封印から逃れて、トラッドリアに気配を残して……何をしようとしているのでしょう」

「意志を変えられるほどクロメアは柔軟ではない。きっといいことではないだろうさ」

「とにかく、かくれんぼは早く終わらせなければな。捜しに行くぞ」

 デンとベルンドの後に続き、私も水鏡の堂を出てクロメアの捜索に向かった。何も手掛かりがないままに。預言師には心配はいらないと言ったが、私はずっと胸騒ぎが続いている。なぜかわからないが、ずっと……。単なる不安で終わってくれればいいが。

 だがその後、預言師から呼ばれた私は、王宮の兵士が黒い炎で殺されたと聞かされ、胸騒ぎが的中したことを知らされた。

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