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六話

「はあっ!」

 突き出された切っ先を避け、俺はすぐに反撃した。腕を狙った攻撃――だが、エゼルは身をひるがえし、すぐにかわした。前よりも動きがよくなっているな。

「これで……!」

 闘争心むき出しの深緑の目が俺を見据え、力の入った一撃を繰り出してくる。速い。が、少々力み過ぎだ。動きが読めてしまう。

「……っふん」

 俺は下から振り上げられた剣目がけて、上から思い切り自分の剣をぶつけてやった。

「うっ……」

 エゼルは剣をはたかれ、衝撃をこらえるような声を漏らした。だが耐えられなかったようで、剣は右手から弾かれるように落ちた。

「……ここまでだな」

 構えを解き、俺は言った。

「また、私の負けか……」

 汗の滲む額を拭いながら小さな溜息を吐くと、エゼルは落ちた剣を拾う。

「私も進歩しないわね」

「そんなことはない。攻撃の速さと避け方はよくなっている。着実に進歩はしている」

 これにエゼルは不審な眼差しを向けてきた。

「本当に? 前回の稽古の時もそんなことを言ったじゃない」

「前回は動き方で、今回は攻撃の速さと避け方だ。少し違う」

「もしかして、私のこと無理に褒めていない?」

「おいおい、負けたからってそんなに卑屈になるなよ。俺は感じたままに言っているんだ」

「誕生日祝いだからって、私に気を遣わないでいいわよ」

「気を遣っているなら、俺はお前を褒めちぎってるさ。……大丈夫だよ。剣の腕は上がっている。落ち込む必要はない」

 まだ疑うような表情だったが、エゼルは自分を納得させるように小さくうなずいた。

「……わかったわ。ノーマンの言葉を信じる」

「俺は剣の先生なんだろう? そんな相手を疑うな」

 エゼルの頭を指で軽く小突き、俺は空に目をやった。

「……もう日が暮れる。帰るか」

 紺と赤の濃淡が頭上一面を塗り潰している。今日はエゼルの要望通り、朝から日暮れまで剣の稽古をして、本当、疲れたな……。

「剣を戻してくるわ。貸して」

 言われて俺はエゼルに模造剣を渡した。

「悪いな。帰りは送っていこうか」

「結構よ。この時間はいつも一人で帰っているんだし」

 そう言いながらエゼルは練兵場の屋内へ消えていく。

「まあ、それはそうだが」

 いつもと言われると何も言い返せないな――俺は腕を組み、エゼルが戻るのを大人しく待つしかなかった。

 エゼルとは兵士養成学校からの仲だが、その頃からすでに彼女は、何と言うか禁欲的で、自分に対して厳格な印象だった。社交的でなく、一人で寡黙に目標を目指す姿は、周りの人間を近付けにくくさせていたが、俺はその姿勢には好感を持っていた。女なのに、と言うとエゼルに怒られそうだが、化粧や流行などには目もくれず、剣の腕を上げることだけに集中していて、男よりも男らしい、そんな感じがした。自分を律する姿は俺も見習うべきものだと、密かに彼女に注目し続けた。そのうち話しかけてみたりもして、エゼルのことを少しずつ知るようになり、現在の友人という関係に至った。

 近衛師団所属で、ダイナ王女付きの護衛兵という肩書から、エゼルの兵士としての能力や人格は申し分ないことは証明されている。だが、それはあくまで兵士としてであって、一人の異性として見た場合、その魅力はかなり感じづらいだろう。休日でもおしゃれをすることはなく、女友達と食事に行くこともない。エゼルいわく、そんな時間があったら俺に剣の稽古を頼むという。愛想は出会った当初からなく、彼女の笑顔を見ることはまれだ。普段は何を考えているのかわからない無表情でいることが多い。女らしさをどこかに置いてきてしまった――言うならそんな感じだろうか。

 しかし、エゼルを数年間見てきた俺は、そんな彼女の見えづらい魅力を知っている。一緒に食事をした時、お腹一杯と言って俺の好物をわざと残したり、稽古でどんなに劣勢でも、俺を傷付けないよう注意してくれたり、今日は夕焼けが鮮やかだと言って、俺の視線にも気付かず見入っていた綺麗な横顔だったり……。エゼルは兵士としては優秀でも、それに関すること以外は鈍いのだろう。つまり、俺がどういう気持ちで一緒にいるのか――言わなくてもわかるだろうが、そういうことだ。

 俺は俺なりに仲を深めようと、帰宅時間を合わせたり、夕食に誘ってみたりしているが、エゼルの俺を見る目は友人という枠から少しも動いていない。その意識を変えてやろうと、いらないという誕生日祝いを無理に送ったりもしたが、俺は相変わらず稽古に付き合ってくれる友人のようだ。俺が柄にもなく花を送った時点で、普通なら感じ取ってくれそうなものなんだが、エゼルはそれを友人からの優しさとしかとらえられないらしい。こういうことに鈍いやつは、どこまでも鈍いままなのだろう。こっちとしては悩むばかりだ……。

 ほどなくして屋内から戻ってきたエゼルの姿が見えた時だった。

「あ、ノーマン、本当にここにいたのか」

 振り返ると、練兵場の出入口から同僚のジャッカが小走りでやってきた。

「……どうした、何か用か? 俺を捜していたような口ぶりだが」

「ああ。別のやつが練兵場で見かけたっていうから来たんだよ。お前は今日休みだろう? 危うく家まで捜しに行くところだった」

 一安心したように笑う同僚に、俺は首をかしげて聞いた。

「それで? 休みの俺をわざわざ捜して、一体何なんだ?」

「隊長がお呼びだ。すぐに呼んでこいって言われてさ」

 その言葉に、俺は胸の中で思い当たることを探した。

「……失敗した記憶はないんだが」

「多分そういうことじゃないと思うぞ。怒った感じじゃなかったから」

「じゃあ何だ? 隊長が呼び出すなんて……」

「さあ? 行けばわかることだ。伝えたからな」

 同僚はそれだけ言うと、すぐに戻って行った。……休みの部下を呼び出すなんて、普通の用事じゃなさそうだが。

「どうかしたの?」

 横から俺の顔をのぞき込み、エゼルが聞いてきた。

「隊長が呼んでいるらしい。悪いが行かないと」

「そうなの。じゃあ私は先に帰るわね。今日は本当にありがとう」

 俺のことにはまったく興味を見せず、エゼルはそのまま素っ気なく帰って行ってしまった。友人の枠から抜け出すのは、容易じゃないな……。

 練兵場を出た俺は、西日を受けながらすぐ隣に建つ近衛師団本部に入った。ここへは任務の報告や給料を受け取りに来る以外にはほとんど来ないが、その白い石壁や立派な内装はいつ見ても目を引くものがある。王国の中枢を守る者としての自負がここに表れているのだろう。他の軍関係の建物ではまず見られない秀麗さだ。

 そんな見事な本部内を見ながら、夕方の人影がまばらな廊下を進み、俺は一階にある隊長室の扉を叩いた。

「ノーマン・スタウトです」

「……入れ」

 奥から声が聞こえ、俺は扉を静かに開けた。

「失礼します……」

 さほど広くはない部屋に入った正面、そこには書類などが置かれた大きな机があり、その向こう側では隊長が座って事務作業をしていた。

「休日にすまないな」

 ちらと俺を見た隊長は、ペンを持った手で手招きする。その様子からは確かに、怒りや不満はなさそうだ。俺は机の前まで行き、いつものように敬礼した。

「お呼びでしょうか」

「うむ。突然で悪いが、明日から配置換えだ」

「配置換え、ですか?」

 本当に突然だが、配置換え自体は珍しいことではない。その時の兵士の数や状況などで数ヶ月に一度は持ち場が変えられたりするのだが、その場合は前もって知らせてくれるのがここでの慣習のはずだったのだが……前日に告げられるのは初めてのことだ。

「うむ。スタウトには明日から、預言師のホリオーク様に付いてもらうことになった」

 その意外な名に、俺は疑問しか浮かばなかった。

「待ってください。ホリオーク様にはすでに二人の護衛が付いています。どちらか一人に問題でもあったのですか?」

「いいや、何もないが、ホリオーク様直々のご指名でな。どうしてもと頼まれては無下に断ることもできないだろう」

 俺の中に浮かんだ疑問はますます深まっていく。

「指名? ホリオーク様が、俺の名前を出したんですか? 一体どうして?」

「詳しいことはご本人にお聞きしろ。私は配置換えを頼まれただけで事情は聞いていない。……話は以上だ。何はともあれ、無礼のないように頼むぞ」

 護衛兵は足りているのに、なぜ俺が、しかも指名までして呼ばれるんだ? これは明らかに通常の配置換えとは違うよな……。

「……おい、スタウト、突っ立っていないで、帰っていいぞ」

 最初の手招きとは逆に、上目遣いに見てきた隊長は邪魔とでも言うように片手で追い払う仕草を見せた。

「あ、はい。失礼します……」

 そそくさと部屋を出た俺はゆっくり扉を閉めた。出口へ向かって廊下を歩きながら、言い渡されたばかりの謎の配置換えについて考えるが、何もわからない状況で考えたところで、疑問や不審が増すだけだった。明日になればすべてわかるのだろうが……これじゃあ気になって眠れそうにない。寝不足で任務に支障が出るなら、思い切って聞きに行ってみるか――本部を出た俺は、行き先を王宮に定めて向かった。

 ここから王宮まで距離はそれほど離れていない。長い影が伸びる並木道を真っすぐ進めば、白く輝く王宮はもう目の前だ。マナリトッドフォドーラー宮殿――それが正式名称だが、呼ぶには少々長いので、皆王宮や宮殿と呼んでいる。ここに王宮は一つしかないため、それで通じるのだ。ちなみに本部の建物が白いのは王宮を真似たからで、景観を統一するためらしい。だから、配属されたばかりの新兵がたまに王宮と間違えて本部にやってくることもあるようだ。建物の規模が大分違うのだから、わかりそうなものだが。

 薄暗くなった中、当然だが王宮の門はぴったりと閉じられている。俺はその横にある門番所の人影に声をかけた。

「ちょっといいだろうか」

 椅子に腰かけていた門衛は、俺の呼びかけに無言で立ち上がった。

「俺は近衛師団所属のノーマン・スタウトだ。明日から王宮内の配属になったんだが……」

 これに門衛は机の書類を手に取り、書かれた内容を確認する。

「……確かに。そういう通知が来ている。ホリオーク様付きになるようだな」

「ああ。それで、明日からの任務の前に、少しご挨拶をしたいんだが」

「いい心がけだな……わかった。開けてやろう」

 出てきた門衛は門を固定していた金具をいじると、俺が通れるだけ門を開けてくれた。

「ホリオーク様のお部屋はわかるか? 一階東、預言の間にほど近いお部屋だ。護衛が立っているからわかるだろう」

 親切な門衛に礼を言い、俺は早速王宮に向かった。

 これまでの任務で王宮外の警備はよくやったが、その内側はまだなく、こうして中に足を踏み入れるのは初めてのことだ。本部の内装は秀麗だと思ったが、見上げるほど大きくて広い正面玄関をくぐって見えた内部は、それとはまるで次元の違う壮麗さだ。自分の姿が映るほど磨き込まれた白い床に、壁には様々な色の石を使った緻密で溜息が出そうな彫刻が続き、天井には等間隔に星のきらめきを集めたような美しいシャンデリアが光を放っている。外とは別世界だ。あまりに眩しい世界に面食らいそうだ。これが、国王陛下のお住まいなんだな……。

 ゆっくり歩いて見物したい気持ちを抑え、俺は目的の場所を探して一階の東へ続く廊下を突き進んだ。やはり王宮だけあって、ただの廊下でも長い。しかし通り過ぎる扉の数はあまり多くはない。つまり一部屋がそれだけ広いということだ。それにしてもどこまで行けばいいのか。この廊下で合っているんだろうな――俺の中に不安がよぎりそうになった時、兵士が前に立つ扉をやっと見つけ、俺は安堵した。きっとあそこがホリオーク様のお部屋に違いない。

「……誰だ」

 近付くと、兵士は警戒の目で俺を見やった。

「近衛師団所属の、ノーマン・スタウトだ」

 名乗ると、兵士の表情はぱっと変わった。

「ああ、お前がそうか。だが、任務は明日からのはずではなかったか?」

「そうだが、ホリオーク様にご挨拶と、少しお聞きしたいことがあって。おられるだろうか」

「今は奥で休まれているが……そこで待て」

 兵士は扉を叩き、中へ入って行った。長く待たされるかと思ったが、一分も経たないうちに扉は開いた。

「お会いするそうだ。入れ」

 促され、俺は部屋に入った。そこにはもう一人の兵士がおり、視線で俺に奥へ行くよう指示する。部屋の中は想像よりも広くはなかったが、置かれている家具の一つ一つが王宮にふさわしいものばかりだ。それでも廊下の壮麗さと比べると、ここは大分地味な印象だ。ほとんど装飾品がないせいだろう。ホリオーク様は質素な趣味なのかもしれない。

 応接間から右の部屋へ入ると、そこは書斎のようだった。壁際にはいくつも本棚が並び、どの棚も分厚い本で埋まっている。部屋の中央に大きな机が置かれ、その横にホリオーク様は立っていた。

「律儀に挨拶に来られるとは……」

 ローブ姿でにこやかな表情を浮かべ、片手を差し出した。

「私はギボン・ホリオークです」

「はっ、ノーマン・スタウトと申します」

 俺は敬礼をしてから握手を交わした。

「もっと楽にしてくれていいですよ。私は軍人でも貴族でもないのですから」

 ホリオーク様は穏やかに笑って言った。……遠目からしかお見かけしたことはなかったが、こうして間近で見ると、意外に若いのだと気付いた。笑うと小じわが目立つが、それを考慮しても三十代半ばくらいの年齢だろうか。物腰だけがやけに老人めいていて、ずっと五十代前後だと勝手に思っていた。やはり神と話されるお方は落ち着いた雰囲気をまとっている。

「お休みのところへおうかがいしてしまい、大変恐縮です。明日からの任務は、全身全霊で果たす所存でおりますので、どうぞよろしくお願いいたします」

「そう硬くならずに。スタウト君の任務は自然体が大事なのだから」

「自然体……? 俺の任務は、あなたの護衛ではないのですか?」

「ええ。別のことを頼みたいのです。明日に言うつもりでしたが」

「あ、あの、こうしてご挨拶にうかがったのは、実はお聞きしたいことがあったからで……この配置換えはホリオーク様直々のご指名だと聞いております。それがとても不思議で、なぜなのか思い当たることがなく……俺が選ばれたのは、その任務の内容のためなのですか?」

「その通りです。適任者はスタウト君しかいなかったので。……ちょうどいいですから、今説明しましょう。時間は大丈夫ですか?」

「はい、もちろんです。……ホリオーク様はお座りください。俺はこのままで構いませんので」

 長くなりそうな話に座るよう勧めると、ホリオーク様は微笑んだ。

「お気遣いありがとう。ではお言葉に甘えさせてもらいます」

 そう言ってホリオーク様は椅子に腰を下ろし、机の上で両手を組んでこちらを見据えた。

「……ではまず、スタウト君の疑問に答えましょうか。私がなぜ指名をしたのか」

「はい……」

 俺はじっと注視した。なぜだかどきどきするな……。

「廊下とそこにいる、護衛兵の彼らに頼んで調べてもらった結果、スタウト君が一番、エゼル・ライトと親交が深いとわかったからです」

「……え? エゼルって、同じ近衛師団の、あのエゼルですか?」

 ホリオーク様はうなずいて見せた。……さっぱりわからない。何で急にエゼルの名が出てくる? 確かに彼女と頻繁に話すのは俺くらいしかいないと思うが――

「頼みたい任務の内容は、その彼女なのです。エゼル・ライトを、スタウト君には常時、監視してもらいたい」

 監視――不穏な言葉に、俺は思わず眉をしかめた。

「どういうことですか? 彼女に何か嫌疑でもかかっているのですか?」

「そうではありません。彼女自体には今のところ何も問題はないのですが、彼女にまとわり付いている気配に問題があるのです」

 エゼルじゃなく、気配?

「何ですか? その気配というのは」

「神の力がトラッドリアに及んでいる証と思ってください。奇跡などが起こる時、私のような一部の人間が感じられるものが神の気配です。それを先日、彼女に感じたのです」

「俺はカーラムリアについては疎いもので、間抜けな質問に聞こえると思いますが……それは、おかしなことなのでしょうか」

「いえ、珍しいことではありますが、一概におかしいとは言い切れません。個人に奇跡が及ぶことはありますから。しかし、あの気配は例外です。明らかにこれまでの気配の様子とは違い、ひどく淀み、恐ろしいものでした。普通ではないとすぐにわかるほどに」

 ホリオーク様の真剣な表情から、それが深刻なことなんだと感じた。エゼルは、普通ではない神に取り憑かれているのか?

「気配の正体は何なのですか? 普通ではないものというのは……」

 これにホリオーク様は緩く首を横に振った。

「まだわかりません。なのでカーラムリアに伝えて、現在調べてもらっているのですが……私の考えが外れることを願うばかりです」

「ということは、ホリオーク様はその気配の正体について、何か思い当たる節がおありなのですか」

「思い当たるというほど確かなものではありませんが、様々に考えた時、そうなのではと思っただけのことです」

「お教えください。それは何ですか?」

 しばらく言い淀むも、やがてホリオーク様はおもむろに口を開いた。

「……邪神です。神には心配性だと一蹴されましたが」

 どういう神なのかはよくわからないが、呼び名からして恐ろしい神なのは確かなのだろう。そんなものがエゼルに取り憑いているとは考えたくないが……。

「私の考えはいいとして……とにかくスタウト君には、そんな彼女を監視してもらいたいのです」

 エゼル自体に問題がないことは一安心だが、しかし――

「俺は神の気配というものを感じることはできません。それでどのように監視をすれば……」

「気配を感じるかどうかは重要ではありません。ただ彼女の周囲でおかしな事象が起きていないかを見るだけでいいのです。もし目撃した場合は、ただちに私に知らせてほしい」

 つまり俺は、エゼルを監視すると言うより、エゼルに付いた気配が起こす出来事を監視するということだろうか。

「それともう一つ、念のためなのですが――」

 ホリオーク様は薄く苦笑いを浮かべた。

「あの気配は神の意思だけではなく、彼女の意思で引き寄せている可能性もないとは言えません。気付かれない程度に、彼女の私生活もうかがってもらえますか」

 私生活まで監視を……それはかなり気が引ける任務だが、それよりも聞き流せないことがある。

「彼女の意思、というのは、本人が望んで気配を引き寄せていると……?」

「あくまで可能性としてあるだけです。神に言えば、また考えすぎだと言われることでしょうが」

「仮にそうであった場合、一体どのように引き寄せるのですか?」

「普通の人間が神とつながる方法は祈りのみです。その祈りを受け、神は時に奇跡という力で応えるわけです」

「つまりホリオーク様のお考えにある可能性では、彼女は邪神に祈り、気配を引き寄せているということですか?」

「もう一度言いますが、すべては可能性の範囲です。彼女がそうしている証拠はどこにもありません。おそらく私の取り越し苦労に終わるでしょう」

「恐れながら、俺もそうなるものと……。彼女は任務を忠実に果たし、日々鍛錬にいそしんでおります。邪神などに心を捧げるような人間とは到底思えません」

 これにホリオーク様は再び苦笑いを浮かべた。

「側で見ているスタウト君が言うのなら、きっとそうなのでしょう」

「そう思われるのでしたら、私生活まで監視をするのは少し行き過ぎでは……」

 ただでさえエゼルの監視任務など心苦しいというのに、私的な時間まで見なければいけないというのは、もう罪悪感を覚えそうだ。

「私もわかっているつもりです。ですが――」

 ホリオーク様は真っすぐな眼差しをこちらへ向けてきた。

「エゼル・ライトはダイナ王女の護衛を務め、かなりの信頼を得ていると聞いています。毎日ダイナ王女とお会いする者である以上、より警戒を深めなければなりません」

「そのために監視をするのであれば、いっそ護衛任務から外すべきではありませんか? それなら心配も軽減されますし」

「私は邪神という名を出しましたが、言ったように気配の正体はわかっていません。想像とはまったく違うものもあり得るでしょう。何も判明していない段階で理由も告げずに外せば、彼女やその周囲に余計な不審感を与えてしまいます。正体がわかるまでは、できるだけ穏便に済ませたいのです」

「無用な詮索で不安の広がりを恐れるお気持ちはわかりますが、しかし、気配が人間にとって有害か無害か、どちらとも言えない状況ならば、やはり大事を取る――」

「その大事を取るのが、彼女の監視なのです。友人の監視など、やりたくないのはわかります。ですが怪しまれない存在はスタウト君しかいないのです。期間はそれほど長くならないでしょう。数日中にはカーラムリアからの報告があるはずです。その間だけの特別任務です。やってもらえますか?」

 懇願するような視線でホリオーク様は返事を求める――配置換えでやってきた一兵士の俺に断る権限などないと思うが。それなのに返事を待つホリオーク様は心底優しい方なのか、それとも意地の悪い方なのか。どうせやらなければいけない任務なら、強い口調で一言、命令だとおっしゃってくだされば、こちらも少しは楽なんだが……。

「……わかりました」

「そうですか、よかった」

 安堵の息を吐き、ホリオーク様は微笑んだ。……この返事以外に、言えることなどない。

「それでは明日からお願いします。監視方法などはスタウト君に任せます。おかしなこと、些細な違和感などがあれば、すぐに報告を。……長い説明を聞かせて申し訳なかったね」

 立ち上がったホリオーク様に俺は間髪入れずに首を横に振った。

「とんでもございません。こちらこそ、お休みのお時間を割いていただいて……」

「休んでいたと言っても、眠れずにここで本を読んでいたのですけどね。では、気を付けて帰ってください」

「はっ、失礼いたします」

 俺は敬礼し、ホリオーク様と二人の護衛兵に見送られ、部屋を後にした。

 廊下に出ると、いつの間にか壁のランプに小さな明かりが灯っていた。その光に照らされた彫刻には深い影が生まれ、どこか怪しさ漂う美しさに変わっていたが、俺の意識は壮麗な内装にはもう向いていなかった。窓の外はすでに太陽が沈み、静かな夜の景色に変わっている。つい先ほどまで、この景色の向こうでエゼルの稽古に付き合っていたことが昨日の出来事のように遠い。まさかあいつを監視する任務をするなんてな……。エゼルの身に一体何が起きているのか。神に憑かれるなんて普通じゃない。そもそもあいつは何の神を信仰していただろうか。そう言えばそういう話はした記憶がないな……。だが、この任務を与えられてよかったのかもしれない。俺でなく、他の兵士がエゼルを監視していたら、この不快感に重なって怒りも湧いたことだろう。俺ならあいつを最後まで守ってやれる。気配が何なのかは知らないが、それがエゼルを傷付けようとするなら、真っ先に俺が駆け付けてやれるのだ。……こんなふうに前向きに考えるしかない。後ろめたい任務だが、エゼルのためと思わなければやれそうにない。自然体で――明日からもそれが貫ければいいが。まずはそれが問題だな。

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