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三話

 何か、聞こえる――

『無事に成長したか』

 女性の、声――

『約束の時だ』

 地の底から、響いてくるよう――

『貰いに行くのが、楽しみだ』

 楽しみ? あなたは、誰――

「……!」

 はっと目が覚めて、そこで私は夢を見ていたことに気付いた。でもそうわかっても、今のが夢だったようには思えなかった。あまりに近くてはっきりと聞こえた声……まるで耳元で話されている感じだった。体を起こしてベッドの周りを見るが、当然誰かがいるわけはない。閉め切った窓の隙間から、糸のように細い朝日が差し込んでいるだけだった。おかしな夢――不思議な余韻を残しながらも、私はベッドから下りて朝の支度を始めた。

 顔を洗い、身だしなみを整え、朝食に昨晩食べなかったリンゴをかじって家を出た。眩しい青空の下、屋根や木の上で小鳥達が騒がしく鳴く声を聞きながら、王宮へ向けて歩き慣れた道を行こうとした時だった。

「おはようさん」

 横から声をかけられ、ふと見ると、路地から大きな姿がぬっと出てきた――ノーマンだ。私は思わず驚いて目を見開いた。

「……どうしたの? こんな朝から」

 私達はお互いの住所は知っているが、約束もなしにいきなり訪れたことはない。まして待ち伏せされることなど……。

「おい、そんな警戒する目で見るな。昨日言っただろう。予定を伝えに来るって」

「ああ……そう言えば言っていたけど、てっきり帰りの時かと」

「それでもよかったんだが、上手く会えるかわからないだろう? だからここで待っていたんだ」

「わざわざ来なくても……次に会えた時でもよかったのに」

「エゼルの誕生日祝いのためだ。早めに予定を合わせたほうがいいかと思ってね」

 そう言ってノーマンは微笑んだ。彼は私に、どこまで親切で優しいのか。

「俺の次の休日は、来週にでも取れそうだ。そっちはどうだ」

「私も、来週の始めに休日があるわ」

「そりゃよかった。じゃあ来週に、ご要望の稽古をやるか」

「ええ、お願い。……いつも付き合ってくれてありが――」

 礼を言おうとすると、ノーマンはおもむろに何かを差し出した。

「……何? これ」

 それは、細い茎にリボンを付けた、一本のスミレの花だった。

「誕生日祝いが稽古だけっていうのも、何だか味気ないと思ってな。それらしいものを探していて、この花がお前に合いそうだと思って……プレゼントだ」

 受け取り、紫色の可憐な花を見つめた。ノーマンの私の印象は、こんな感じなのだろうか。

「……悪いけど、こういうプレゼントはいらないから。もう稽古してもらう約束もしてもらったんだし」

 そう言うと、ノーマンは苦笑いを浮かべた。

「やっぱりそんな反応か。薄々わかってはいたが……お前は本当に女らしくないな」

「わかっていたなら、こんなプレゼントしないでよ。私は稽古してもらえるだけで十分なんだから」

「悪かったよ。でもな、普通の女は花を貰えば喜ぶものなんだぞ」

「私がおかしいって言いたいの?」

「そんなことは言っていないが、もう少し一般的な――」

 私はノーマンを素通りし、王宮へ向けて歩き出した。

「おい! ……ったく、待てよ、俺も一緒に行く」

 後ろから小走りに追ってくるノーマンをいちべつし、私は言った。

「あなたの優しさはとても嬉しいけれど、それは私を甘やかしそうで……でも、感謝はしているわ。ありがとう」

 もう一度背後を見ると、ノーマンは笑っていた。

「お前が自分に厳しいことは知っている。そういうやつはたまに息抜きしないと持たなくなるぞ。誕生日くらい、甘い目を見たって、誰も怒りはしないさ」

「そう、かもね……」

 私は手の中のスミレを見下ろした。この花を貰った嬉しさより、ノーマンの優しさが心に染みる。やはり彼は私には過ぎた友人だ。できればこのままずっと、友人として側にいてくれることを願いたい。本人さえよければ……。これも、甘えか。

 宮殿に着き、ノーマンと別れると、私は詰め所に行って護衛の装備に着替える。そして同僚と任務の交代をし、ダイナ王女の元へ足早に向かった。王女は現在、中庭におられると報告があり、行ってみると、回廊に囲まれた広い中庭の中央で、爽やかな陽光を浴びながら侍女達と声を上げて元気に駆け回っている姿があった。今日も王女にお変わりはないようだ――微笑ましく思いながら中庭に入り、すでに任務についているスザンナに形式的に声をかけた。

「エゼル・ライト、今から護衛任務につきます」

「……了解」

 スザンナはこちらを見向きもせず、冷めた返事だけをする。いつものことだ。もう気にもならない。

「……あっ、エゼル!」

 私の存在に気付いた王女がこちらへ飛ぶように駆けてきた。

「ダイナ様、そのお召し物であまり走られると、転んでしまわれますよ」

 小さな身には少々重そうなドレスなど気にもせず、王女は満面の笑みを私に向けてきた。

「いつも走っているから大丈夫。あのベンチまで競争しましょう!」

 王女は中庭の奥に見えるベンチを指差した。

「本当に、大丈夫ですか?」

「そう言っているじゃない。……それじゃあ、よーい、どんっ!」

 私の返事も待たずに、王女は勢いよく走り出した。ドレスを持ち上げ、肩にかかる金の髪をなびかせながらベンチを目指していく。始められたのなら仕方がない――私も走り、王女の背中を追った。間もなく追い付き、そして王女を抜かす。

「あっ、速いわエゼル」

 懸命に走る王女を横目に、私は一足早くベンチに到着した。大人の足が、さすがに六歳に負けることはない。息を弾ませ、遅れて着いた王女は、笑顔を見せながらも少し悔しそうな色を滲ませていた。

「やっぱりエゼルは速いわ……私もそんなふうになりたいな」

「いつか速く走れますよ。私のように大きくなれば。でもその前に、舞踏会での踊りを覚えて、まずは足腰を鍛えることが肝心です」

「踊りより、走るほうが私は好き」

 王女は嫌気が差した表情を浮かべた。

「……そのお気持ちはわかります。やりたいことができないと、ご不満は募るでしょうが、そこで辛抱したことは、必ずダイナ様の糧となるでしょう」

「本当?」

 私は力強くうなずいて見せた。

「はい。フロレア様はダイナ様の将来のために、あのようにおっしゃるのです。お言葉通りに行動するのがよろしいかと」

「お母様の言うことを聞けば、エゼルみたいになれる?」

 無邪気な質問に、私の表情は思わず緩んだ。

「はい。もちろんです」

「エゼルがそう言うなら、次はちゃんと踊りを覚えるわ」

 観念したように言うと、王女はベンチにちょこんと腰かけた。その正面からは、王女を追って侍女達とスザンナがやってきていた。

「ダイナ様、競争には勝てましたか?」

 侍女の一人が聞いた。

「ううん、負けちゃった」

「あら、それは残念なこと」

 すると、スザンナの責めるような視線が私に向いた。

「エゼル、あなた手加減ってものを知らないのかしら。大人げないことを……」

「やめて。エゼルとは競争したんだから、どっちかが負けるのは当たり前でしょう?」

 王女の言葉に、スザンナはとげのある口調を緩めて言った。

「しかし、このご年齢の差で、何の手加減もなしというのはいささか……」

「いいの。いつか私が勝ってみせるから。エゼルを悪く言わないで」

「……申し訳、ございません……」

 消え入りそうな声でスザンナは謝った。これでは王女とスザンナ、どちらが大人なのかわからない。でも確実に言えるのは、王女はフロレア様に似てご聡明だということだろう。この方はやはり、王国の宝なのだ。

「ダイナ様、そろそろお渡ししては……」

 侍女が近寄り、そう小声で言うと、王女は何かを思い出したように私のほうを見上げた。

「そうだ! エゼル、お誕生日おめでとう!」

「え……?」

 突然、思いもしていなかった言葉を言われ、私は瞬きを繰り返した。

「エゼルは何歳になったの?」

「二十三ですが……どうしてダイナ様が私の誕生日をお知りに……?」

「エゼルが私のお誕生日をお祝いしてくれた時、次は私がお祝いしてあげるって言ったでしょう? だからエゼルのお誕生日を教えてもらっていたの」

「ダイナ様……護衛兵の私に、そんなことは……」

 ノーマンや父の手紙で十分祝われているのに、まさか一国の王女にまで祝ってもらえるなど夢にも思わなかった。私にはもったいない、身に余る光栄だ……。

 王女は侍女から何やら受け取ると、それを私に差し出した。

「はい、これあげる」

 受け取ったものは、白い生地に緑や黄の糸で模様を刺繍したハンカチだった。本来はもっと細かな模様なのだろうが、刺繍は大雑把で、かなり稚拙な出来だ。だが誰が縫ったのかは一目瞭然で、その一針一針を不慣れに縫ってくれている姿を想像すると、私の胸は感激で一杯になりそうだった。

「エゼルがいない時に、ちょっとずつ縫っていたの。刺繍は習ったばかりだから、あんまり上手くないけど……どう?」

 どきどきしたつぶらな目が私を見つめる。こんな素晴らしい贈り物を貰って、浮かんだ感想はこれ以外になかった。

「ありがとうございます……とても、とても嬉しいです」

 今なら自然と笑顔になれた。誕生日に何かを貰うのには慣れず、抵抗もあるが、その相手が王女となればまた別だ。こんな幸せを感じられたのは初めてじゃないだろうか。今日に限っては、もしかしたら私が王国一の幸せ者かもしれない。

「よかった、喜んでくれて」

「頑張られた甲斐がございましたね、ダイナ様」

 王女と侍女は喜ぶ私を見ながら、にこやかに笑っていた。

「それじゃあ一年の誓いは何?」

「誓い、ですか?」

 王国では古くから誕生日を迎えた者は、その一年に達成することなどを心の中や家族、友人の面前で誓うという風習がある。でも私は誕生日とはほぼ無縁だったので、何かを誓うということは一度もしたことがなく、正直、どんなことを言えばいいのかわからなかった。

「特には考えていないのですが……」

「じゃあ考えて。何かやりたいこととかないの?」

 促されて私は悩んだ。こうして近衛師団に入団し、護衛兵として働けている現状には満足している。生活にも苦はなく、他にやりたいことも別に浮かばない。王女がこのまま笑顔でお健やかに過ごされてくれるだけでいい。私には誕生日に誓うようなことは何もない。それでもあえて誓うとするなら――

「……では、この一年、今にも増してダイナ様の身の安全をお守りすることを誓いましょう」

「そんなことでいいの?」

 王女は不思議そうに首をかしげた。

「はい。私にとっては、ダイナ様ほど大事なお方はおりませんので」

「ふーん……じゃあ何の神に誓う? エゼルの信仰する神は誰? やっぱり生まれ月の神様?」

 人間の世界トラッドリアは、神々の世界カーラムリアと密接な関係にある。だから人間にとって神々は尊い存在でありながら、同時に身近な存在でもある。いつ決められたのかは知らないが、王国ではそれぞれの月に数人の神が割り当てられ、その神を月の守護神と定めている。たとえば冬の月なら、氷の神や冷気の神などがそうだ。人々は基本その月の守護神を信仰し、祈りを捧げているのだが、もちろんそれ以外の神を信仰してもいい。ちなみに私の生まれ月は秋だけど、その守護神は信仰していない。というか、周囲と同じように、一般的な神そのものを信仰していない。私のように中には常識から外れた者もいるが、そういう者は大抵白い目で見られると決まっている。だから表向きの私は、紅葉の神を信仰していることにしていた。

「私は、紅葉の神ロシュラを信仰しております」

「紅葉の神様か。素敵ね」

 にこりと笑った王女の前で、私は自分の胸に手を当てて言った。

「ダイナ様を護衛し、お守りすることを、私は紅葉の神に誓います」

「エゼル、それは絶対に守るのよ? 私も踊り覚えるから」

「はい」

 そう言って笑顔を交わすと、王女は再び中庭へ駆け出していった。その後を侍女達が小走りに追っていく。その子供らしい様子に自然と口角が上がるのを感じつつ、貰ったハンカチをしまって私も後を追おうとした時だった。

「エゼルって紅葉の神を信仰していたんだ。初耳ね。私はもっと別の神だと思っていたんだけど、記憶違いかしら……?」

 すれ違いざま、スザンナが意地悪な眼差しを向け、わざとらしい口調でそんなことを言ってきた。それに私が見つめ返すと、スザンナは不敵な笑みを見せた。

「ダイナ様に、嘘ついてない?」

 人を苛立たせる、嫌な笑みだ……。

「……そんなことを言うわけ、ないでしょう」

「そうよね。まさかダイナ様に嘘なんて、あり得ないわよね……」

 嫌な笑いを浮かべたまま、スザンナは離れていった。……どうして嘘なんて言ってきたのか。前に自分の信仰する神について、ほんの少しだけ聞かれたことはあるけれど……。これもスザンナのいつもの嫌がらせだと思うが、何だか不気味にも感じる。彼女が何かたくらんでいなければいいが……。

 その後、中庭での短い遊び時間を終えた王女は学習のため、教師の待つ部屋へと向かった。私も護衛兵としてそのお側に付き、日の当たる長い廊下を歩き進んでいた。すると正面から二人の兵を連れた男性がやってくるのが見えた。

「これはダイナ王女、ご機嫌麗しく」

 男性は近付くと、すぐに頭を下げて挨拶をした。

「私はこれからお勉強なの。ホリオークはどこへ行くの?」

「預言の間でございます」

「あなたはいつもそこにいるのね」

「神と話すことが、私の務めですので」

「ふーん、そうなの。じゃあまたね」

「はい、失礼いたします」

 ホリオーク様は再び頭を下げる。その前を王女、侍女達が通り過ぎ、私も続いて行こうとした時、ふとその視線とかち合った。

「……何か」

 足を止め、私は聞いた。視線が合ったのはホリオーク様だった。険しく、刺すような目が、なぜか私に向けられていた。

「あなたは、ダイナ王女の護衛兵ですか……?」

「そうですが、それが?」

 私もじっと見つめると、ホリオーク様は落ち着かない様子を見せて目をそらした。

「いや、何も……何となく、気になっただけですので……」

 そう言うと顔を伏せ、二人の兵と共に廊下の先へ消えていった。……気になったのはこちらも同じだ。あんな険しい目で見られたら、素通りするにもできない。あの方は王国で唯一神々と話すことが許されている預言師だ。私は今日までホリオーク様とお会いしたことはないし、お話ししたこともない。完全な初対面なのだが、一体何が気になったというのか……。胸の中で首をかしげつつも、私は意識を切り替えて王女の護衛に戻った。

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