06.事実
菱沼にとってなによりも長い一週間が過ぎ、ようやく郵便受けに大きな茶封筒が投函された。
学校から帰るや否や、菱沼は大急ぎで封筒を開ける。
中には黒いクリップで閉じられたいくつかの用紙が入っていた。
菱沼の家から、成瀬の家までの道のりで、八時から十一時の間に起きたことが、簡潔にまとめられていた。
成瀬は帰り道に路地裏を通らなかった。
駅前も通らなかった。
事が起きたのは、公園だ。
公園を遠回りするよりも突っ切ることを選んだのであろう彼女は、そこである男に出会った。
男の名前は新田恵介。
暴力沙汰により前科二犯、最近出所してきたガラの悪い男だ。
彼が公園で仲間たちとたむろしていた様子が、監視カメラに残っていた。
花里がくれたものは、監視カメラの映像をキャプチャーして印刷した写真だが、彼が成瀬を見つけ、声をかける様子が写っている。
菱沼の心がざわついた。
その後どうなったのか、想像に難くない。
数時間後、明け方の公園の隅でうずくまる成瀬が確認されている。
監視カメラの荒い画面では詳細までわからないが、菱沼にはもう十分だった。
新田恵介という男が成瀬を傷つけた。
真実はただそれだけである。
動機や経緯などどうでもいい。
彼が悪者なのは間違いないのだから。
それから数日の後、全ての準備を終えた菱沼は、放課後に成瀬の家へ向かった。
彼女が不登校になって一か月が経とうとしている。
このままでは二度と学校に戻って来られなくなってしまう。
きっかけが必要だと菱沼は思っていた。
成瀬の家を訪れると、以前に比べてやつれた母親が出迎えた。
あれからずっと部屋に閉じこもったまま、成瀬は一度も顔を見せていないらしい。
食事はちゃんととっているが、どうしても部屋の外には出られない精神状態に陥っているようであった。
菱沼は話を聞かれないように、母親には外に出て行ってもらうと、成瀬の部屋の扉の前で立ち止まった。
深呼吸をして、扉を叩く。
「お久しぶりね、成瀬さん。菱沼です」
返事はないが、菱沼は続けた。
「成瀬さんに何があったのか、調べました。公園で男に乱暴されたのでしょう?」
「……どうして、それを」
消え入りそうな声が、扉のすぐ裏から聞こえた。
成瀬はそこにいるのに、この扉のせいで、手が届かない。
菱沼は拳を握りしめ、彼女を安心させるように、気丈に言った。
「あなたの尊敬する私です。なんだってわかります。外の世界が怖くなくなるように、私が守ります。だから、また学校に来てください」
少し間を置いて、成瀬が大きな声をあげた。
「……私だって! 学校に行きたいです! かいちょーに会いたい! でも、もう……」
「大丈夫。成瀬さん、私がなんとかする。信じてくれる?」
答えはすぐに返らなかった。
鼻をすする音が聞こえ始め、やがて押し殺すような泣き声に変わった。
「かいちょー、助けて……」
泣き声の合間に、振り絞るような声で、成瀬は言った。
その助けが意味するものは、菱沼が考えているよりも、もっと漠然としたものに違いない。
しかし、それを正確に汲み取れるだけの力は、菱沼にはない。
「……成瀬さん、私ね、携帯電話を買ったの。一通り使い方は習ったから、たぶん、メールくらいはできると思う。アドレスを教えるから、あとで何か送ってみて」
菱沼は自分のアドレスを書いた小さな紙を扉の隙間に差し込んだ。
携帯さえあれば、いつでも成瀬と繋がっていられると思い、わざわざ買ったのだ。
「それじゃあ、私は帰るわ。何かあったら連絡をちょうだい」
成瀬の返事はなく、菱沼は母親に礼を言って帰路に着いた。
彼女は強い娘だ。
障害さえ取り除けば自分の力で立ち上がれるはずなのだ。
だから、そのために、菱沼はやらなければならないことをする。
まだ昼間だと言うのに景色は薄暗く、空には分厚い雲がかかり始めていた。