03.後悔
「成瀬の休んだ理由? 風邪だって聞いたが……」
成瀬の担任の高槻先生は頭を掻きながら答えた。
「そうなんですか。お見舞いに行きたいので住所を教えてもらえませんか?」
「住所か。基本的には教えられないんだが……。まあ、お前ならいいだろ。ちょっと待ってろ」
高槻先生はすぐに成瀬の住所を調べて小さなメモに書き写した。
菱沼に渡しながら、少し訝しい顔をした。
「しかし、人の人間関係に口を出すつもりはないが、お前ら連絡先くらい交換してないのか?」
「携帯を持っていませんので」
「……ああ、そうか。お前は、そうだな」
先生たちは菱沼がどういう家庭環境にあるか知っている。
一年程前に、両親は菱沼を置いて海外へ行ってしまった。
一千万円近い生活費だけをまとめて渡し、以降の保護者としての責務を放棄したのだ。
哀れに思った親戚が、せめて住む場所くらいは、と今のアパートを用意してくれた。
結果的に見れば、両親は菱沼を捨てたのだ。
喧嘩別れでもなく、ただ純粋に、愛が尽きた。
そして、菱沼もそれをすんなりと受け入れた。
菱沼が小学校に上がるころには、家はすっかり冷えきっていたのだ。
情緒の上手く育たなかった理由はそこにあるのかもしれないが、とにかく、菱沼はあまり暖かいところで生きてこなかった。
学校に来ない成瀬の見舞いに行こうと思えたのも、彼女の影響だ。
以前までの菱沼ならそんなこと考えもしなかっただろう。
その日の放課後、菱沼は早速成瀬の家へ向かった。
自宅とは正反対の方向であったが、徒歩で行ける範囲だ。
(やっぱり、夜遅くまでいたから、風邪ひいちゃったのかな……)
なにも、あんな時間に誘うことはなかった。
休みの日だってよかったはずだ。
(会ったら、謝らないと……)
謝る内容を考えながら歩いていると、すぐに目的地へ到着した。
赤い屋根の、ごく普通の民家だ。
表札には成瀬と書いてあることから、彼女の家で間違いないようだ。
他人の家ではないことをしっかり確認して、菱沼はインターホンを押した。
すると、母親と思わしき女性の声が聞こえた。
「成瀬由香里さんの友人の菱沼瑞穂です」
「ああ、もしかして生徒会長さん? 由香里からよく聞いています。今、玄関開けますね」
母親は成瀬をそのまま大人にしたような、そっくりの顔をしている。
成瀬に落ち着きを足したような雰囲気だ。
「風邪だとお聞きしましたが……」
「ええ、熱はないんですけど、体調が悪くて起きられないみたいで……」
そんな話をしながら、成瀬の部屋の前まで案内された。
母親はそっとリビングへ戻って行き、部屋の前でひとり残された菱沼は落ち着くために深呼吸をした。
扉には『ゆかりのへや』と書かれた可愛らしいプレートがかけられている。
「成瀬さん? 菱沼です。お見舞いにきました」
「……かいちょー?」
「入っても、いい?」
「……帰ってください」
ドアノブを回そうとした手を止めて、菱沼は困惑した。
「風邪、酷いの?」
「聞こえなかったんですか? 帰ってください」
少し苛ついたような声で、成瀬が言う。
菱沼がどう声をかけようか迷っていると、扉に何か物が当たる音が響いた。
「帰って!!」
びくっと手を引っ込め、菱沼は言った。
「……わかった。ごめん。今日は帰るね。明日、体よくなったら、学校でね」
返事はない。
菱沼は自分のカバンを持って、そこから離れた。
廊下の曲がり角で、物音を聞きつけた母親が心配そうな顔をして見ている。
「すみません。こんなはずではなかったのですが……」
「いえ、あの子があんなに怒るなんて……」
母親も驚いているようで、ただただ困惑していた。
原因がどこにあったのかわからず、菱沼は聞いた。
「昨日、帰ってきた時の様子って、どうでした?」
「ごめんね、昨日会ってないのよ。あの子、随分遅くに帰ってきたみたいで……」
「何時ごろですか?」
「私は十一時ごろまで起きていたから、それより遅かったんじゃないかしら」
菱沼は眉をひそめた。
何か変だ。
「あの、それくらい遅いことって、よくあるんですか?」
「まさか。たまたまファミレスで友達と騒いでるんだと思って、何も気にしていなかったわ。そういうことってあるじゃない? 遅くなるつもりがなくても、時計を見るの忘れて、思っているよりも時間が遅くなってしまったりとか」
「経験がないのでわかりません。昨日、彼女は私の家にいました。生徒会が終わった後、少しだけ話をして、八時前には家を出たと思います。ここまで三時間もかかりません。どこかに寄っていたという話を聞いたことはありませんか?」
「うーん、聞いたことないわね……」
母親にも、彼女の昨晩の行動は分からないようだ。
菱沼はそこで質問をやめて、成瀬家を後にした。
明日、成瀬が元気に登校してきたら何も問題はない。
しかし、この状況が続くようなら、調べる必要がありそうだ。
(やっぱり、ひとりで帰すべきじゃなかった)
菱沼は歯噛みした。
これが杞憂であることに期待して、自宅へと戻った。