02.虫の知らせ
成瀬が帰って、菱沼は静かに座り込んだ。
「上手くできたかな……?」
自分に憧れている彼女のために、格好悪いところを見せないようにしてきた。
今日は少しだけ、彼女に近づいてみようと思った。
勇気を出して家に誘ってみることにしたのだ。
こんなところにひとりで暮らしていると知ったら、笑われると思っていた。
今、彼女は帰り道で何を考えているだろう。
幻滅しただろうか。
カップを洗いながら、やっぱり送っていくべきだっただろうか、とずっと考えていた。
(こういうネガティブなところが、ダメなんだ)
生徒会に入れば内向的な自分を変えられると思っていた。
しかし、人前に出ることには慣れても、根本的な部分は変わらない。
昔から、とにかく表情を作ることが下手で、顔が怖いとか、なんでいつも怒っているのかとか言われ続けていた。
だから、少し人と距離を置くようにしてみると、これが存外うまくいった。
その調子で高校生活を続けていると、友達がまったくできなかった。
孤高なのか、孤独なのか、自分では判断できない。
しかし、寂しいのは間違いない。
(でも、成瀬さんが入ってきた時はびっくりしたなぁ……)
ふたりきりになった時、何を話したらいいのかまったくわからなかった。
緊張で胃が痛くなり、生徒会に行くことが苦痛で、何度も逃げ出そうとした。
(思い出してみれば、すごく頑張って話しかけてくれてたんだ)
普段の他愛ない話にたいした反応もできなかったことを、今更ながらに悔やんだ。
今となっては、淡々とした返事をすることが、ひとつの会話の形として成立している。
あのころもっと優しく返していたら、どうなっていただろう。
そんなことを考え始めたところで、両頬をぱんっと叩く。
水しぶきが飛んで、辺りに散った。
(反省会はしないって決めたじゃない!)
洗い終わったカップを伏せて、タオルで手を拭いていると、パキと小さな音が鳴った。
「え?」
成瀬の使ったカップにヒビが入っていた。
さっきは入っていなかったことを覚えている。
これは今、割れたのだ。
「なんだか、気持ち悪い……」
大事にしていたとはいえ、古いカップであるため、割れることもあるだろう。
しかし、タイミングがやけに不穏だ。
そう思いながらカップを捨てて、いつも通り晩ご飯と風呂を済ませて、床についた。
(成瀬さん、明日も元気に来るよね?)
不安でなかなか眠れなかったが、夜が更けていくと、菱沼は少しずつまどろんでいった。
そして、その翌日、成瀬は学校に来なかった。