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01.憧れの生徒会長

成瀬なるせ由香里ゆかりは、高校の生徒会で書記をしている。


生徒会なんて面倒なものに入りたがる物好きは、それほどいない。

成瀬が生徒会に入りたのは、内申点のためだとか、先生たちによく見られたいとか、そんなことよりも、ただ、会長の菱沼ひしぬま瑞穂みずほに憧れていたからである。


放課後の生徒会室で、成瀬はひとりせっせと書類を作っていた。

次の会議で使う資料をまとめているところだ。


そこへ、生徒会長の菱沼が現れた。

すらっと長い艶やかな髪、細身の体、そして少し冷たさを感じる顔。


(かいちょー、今日も素敵……)


ぼーっと見惚れていると、菱沼は眉をひそめて言った。


「……成瀬さん、この前の議事録はできてる?」

「はい、かいちょー」


そう言うと、菱沼はため息をついた。


「その、気の抜けた『かいちょー』って言うのやめてちょうだい」

「だって、かいちょーは、かいちょーですから」


成瀬は屈託のない笑顔で言った。

放課後の生徒会室は、菱沼会長とふたりきりで過ごせる唯一の時間だ。


「かいちょー」

「なに?」

「今日の帰り、ご飯食べに行きませんか?」

「お断り。買い食いはよくないもの」

「かいちょー冷たーい」


いつもそんな、のれんに腕押しな菱沼の返事を聞いて、成瀬は喜んでいた。

そう、憧れの菱沼会長は、簡単に人の誘いになど乗らない。


しかし、成瀬のくだらない話を、無視しないまでも、一定の距離感で返してくれる。

その暖かさが心地良い。


「ふへへへへへ」

「その締まりのない顔は何なの?」

「ううん、かいちょーとふたりでいるのが楽しくて」


菱沼は困ったような顔をしている。

成瀬には分かっている。

菱沼は、生徒会の仕事をするためにここに来ているのだ。

決して、楽しくおしゃべりするためではない。


だから、仕事はしっかりとやると決めていた。

菱沼の迷惑にはならないために。


仕事を終え、帰り支度を始めると、菱沼が口を開いた。


「成瀬さん、途中まで一緒に帰る?」

「え、そんな、いいんですか!?」


彼女から誘ってくるのは、初めてのことだ。

突然のことに動揺を隠せず、小さく飛びあがってしまった。


「じゃ、じゃあ、お食事も!」

「それは無し」

「ううう……」


とはいえ、嬉しいものである。

にやけながらも、成瀬は手早く準備を行って、菱沼についていく。

職員室に鍵を返して、夕日の射し込む校舎を出る。

赤く照らされた菱沼会長は凛々しい横顔を見せていた。


成瀬は他愛ない話をしながら、ふと思った。

彼女はいつだって、成瀬の話を聞いて、それに反応を返すだけだ。

滅多に自分の話をすることがないのだ。


「そう言えば、かいちょーってどこに住んでいるんですか?」

「それ、今聞くこと?」

「かいちょー、前に聞いた時教えてくれなかったじゃないですか」

「私じゃなくても、初対面で聞いて答えてくれる人がいるとは思えないわ」

「もっと人を信用しましょうよー」


菱沼は意味深に、ふふっと笑った。


「まあ、あなたになら、教えてもいいかな」

「やった! どこなんですか?」


成瀬は跳ね上がる動悸を抑えて、聞いた。

緊張で顔が火照って赤くなる。

夕日が隠していなければ、熱でもあるのかと疑われていただろう。


「……これから時間ある?」

「え? だ、大丈夫です! あの、うち、門限緩いんで!」

「そうなの。だったら、私の家に招待しましょう」

「い、いいいい、いいんですか!? やった!!」


菱沼は興奮した成瀬を落ち着かせるように、ひと指しゆびを立てて、口に当てた。


「でも、誰にも言っちゃダメよ。内緒なんだからね」

「はい! 誰にも言いません!」

「ありがと」

「ふわああああああ!!」


その言葉で、成瀬は天にも昇る心地になる。

さらには照れくさそうに笑う菱沼の姿が、幸せに拍車をかける。


「変な声出さないの。はぐれないようについてきてね」


菱沼に手を繋がれ、気絶寸前になりながらも、必死についていく。

道が頭に入ってこないほど舞い上がってしまい、彼女の手の温度すら感じられない。


(こんな機会二度とないのに!)


頭でそう悔しがっても、体は正直に麻痺している。

普段とは真逆の方向にしばらく歩き、古い木造建築のアパートへついた。

その寂れ具合は菱沼のイメージとほど遠く、清掃もあまりされていないのか、壁にはカズラのツルが伸びている。


「ここよ」


そう言われてはここに住んでいるのだろうと思わざるをえない。


「……あれ? かいちょー、電車通学じゃなかったんですか?」


前に定期入れを持っているところを見たことがあった。

中身を見る前に取り上げられてしまったため、どこから乗ってきているのかはわからず仕舞いだったが、電車通学なのは間違いないはずだ。


「電車はね、やめたの。今はここにひとりで住んでる」

「ひとりって……。ご両親はどうしたんですか?」

「ふふ、内緒」


菱沼は怪しく笑う。

そんなことも気にならないくらい、成瀬はそわそわとしていた。


場所はどこだっていいのだ。

重要なのは、そこに菱沼が住んでいるということ。

彼女が住んでいるのなら、公園のベンチだっていい。


道から一番遠い一階の部屋の前で、菱沼は止まった。

扉のとなりには年季の入った洗濯機が置かれている。

それに気がついて周囲を見渡すと、他の部屋に洗濯機は置かれていなかった。


「ここって、かいちょーの他に人は住んでいないんですか?」


菱沼は部屋の鍵を開けながら答えた。


「うん。ここはね、親戚の持っているアパートでね。取り壊すのが決まってて、私だけ特別に高校を卒業するまで住まわせてもらうことにしてるの」

「へー、すごいですね!」

「どうぞ、おあがりください」


菱沼が冗談めかして扉を開け、成瀬が先に中へ入るよう促した。

しかし、中は真っ暗で、玄関までは外の光が入っているため見えるが、その奥が全く見えない。


「あれ、かいちょー、電気どこですかー?」

「あ、ごめん。そこの壁のとこにスイッチある」

「あっ、これか」


ぱちん、と硬い感触がして、部屋の中が明るくなる。

玄関と台所が直接繋がっており、その奥はガラス張りの戸で閉じられていた。


「すごく生活感のある部屋ですねー」

「恥ずかしいからあんまり見ないで」


そう言われても、普段の生活を想像してしまう。

右側にはトイレと風呂があり、ガラス戸を開けると四足の低い机と、その奥にひとり用のベッドがある。


ピンク色のシーツが彼女のイメージとは違っていたが、それが逆に良かった。


「コーヒー飲める? それとも紅茶?」

「えっ、いや、そんな、おかまいな――――」

「どっち?」


遮るようにして菱沼が言う。

断ることは許されない雰囲気であった。


「えっと、じゃあ、紅茶で」

「ダージリンとアッサムがあるけど」

「アッサムでお願いします」

「ミルクは?」

「そこまでしてもらうわけには……」

「こういう時は正直に言わないとダメよ」

「……ミルクティーがいいです」

「わかった。ちょっと待っててね」


菱沼は鼻歌を歌いながら、ミルクを温めている。

カップに湯を入れて温めて、ミルクを注ぎ、紅茶の葉を浮かしている。


夢でも見ているのだろうか、と成瀬は思った。

憧れの会長がこうして家に招き入れてくれて、自分のために紅茶を作ってくれるなんて、都合の良すぎる夢だ。


「……何してるの?」

「ふぇ!?」


頬をつねっているところを会長に見られ、慌てて手を離す。

金の装飾がついた白いカップに、ベージュ色のミルクティーが注がれている。

受け皿の意匠も凝っていて、成瀬の家にあるカップとは少しばかり値段が違うように見えた。


「なんだか、貴族みたいなカップですね」

「いいでしょ。私のお気に入りでね、小さいころ、お父さんから誕生日プレゼントでもらったの」


成瀬の頭の中には、まるで北欧の豪邸のような風景が浮かんだが、違う違うと首を振る。


「いいお父さんですね」


そう言うと、菱沼は複雑な表情を見せた。


「いいお父さんだった、かな」


あ、と成瀬は口をつぐんだ。

少し想像すれば、実家を離れて親戚の持つ家で暮らしている理由など分かりそうなものなのに、余計なことを言ってしまった。

両親と何かあったから、家を出たのだろう。


「ごめんなさい」

「いいのよ、気にしないで。私がちゃんと言っていないのが悪いんだから」


菱沼がカップを置いて、何度か躊躇って、何か言おうとしたところを、成瀬は止めた。


「ダメ、ダメです! それって、こんな、その場の雰囲気で言っていいことじゃないんじゃないですか? 私だって聞きたいですけど、かいちょーが笑って話せるようになるまで、待ちますから!」


憧れの菱沼が苦しむところを見たくない。

成瀬はその一心であった。

行き場のなくした言葉を掴むように手を動かしていた菱沼は、やがて諦めたように、肩を落としてため息をついた。


「私、こういうことあまり得意じゃなくて……」

「大丈夫ですよ! 可愛いです!」


成瀬は、ぱあっと明るい笑顔をして言った。

それにつられたように、菱沼も笑う。

完全に日が落ちたころ、成瀬は帰り支度を始めた。

門限がないとはいえ、あまり遅くなりすぎると怒られる。


「今日は、誘ってくれてありがとうございました。紅茶、おいしかったです。そろそろ帰りますね」

「うん、ごめんね。たいしたことできなくて」

「いいえ、かいちょーがご飯を断っていた理由、ひとり暮らしでお金がないからだってこと分かってよかったです! ずっと、嫌われてるのかと思ってましたから」


「そんなことないわ。嫌ってなんか……」

「もう大丈夫です! 今日一日でかいちょーと私の仲がこう、ぎゅっと深まりましたね!」

「ええ、そうかもね」


菱沼がまた、笑顔を見せる。

本当に、今日だけでどれくらい笑顔を見られただろう。

学校ではこれほど感情豊かによく笑わない。

もっと、冷たい目をして生活している。

そんな菱沼の砕けた表情を、たくさん見られた。


「もう暗いし、送りましょうか」

「そしたら、帰りはかいちょーがひとりぼっちになるじゃないですか! そんなのはダメです!」

「でも、あなたが危ないじゃない」


「私はいざとなったら走って逃げますから! これでも中学校の時、陸上部だったんですよ?」

「なんで高校では入らなかったの?」


無垢な顔で菱沼が聞く。

あなたを追っていて部活に入る暇がなかった、とは言えず、成瀬は誤魔化すように「へへへ」と笑った。


「それじゃあ、おやすみなさい。おじゃましました」

「気をつけてね。また明日ね」

「はい、また、明日」


菱沼に見送られ、アパートから離れた。

暗い道で空を見ると、満天の星が出ている。


菱沼との会話を思い出してニヤつきながら、成瀬は上機嫌で帰路についた。


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