第十一話 猫と狐の戦士
「そこのお前ら! 何をしている、出動の命令は出ていないぞ!」
夜営地から全力疾走で離脱していたエリアスたちは、兵士の怒声に足を止めた。思わず舌打ちをしたくなるのを必死に耐えつつ、振り返る。
脱走しようとした冒険者、彼らから見ればエリアスたちをそう捉えるだろう。いつでも拘束できるよう身構える兵士四人にレオンが一歩前に出た。
「俺たちは『勇者』テュール殿の部下です。冒険者に扮していましたが、命令を受けたため離脱します。ここでの足止めはテュール殿への反抗になりますが?」
「適当を言うな。その証拠が一体どこに……」
「──証拠はこの子じゃダメですか?」
口からの出任せ、と言うわけでもないが、ほとんど嘘の言葉。当然のように見抜く兵士だが、セレナが指し示したものに気がついて、喉を詰まらせた。
「テュール殿の、鋼鉄の人形……」
「彼からの伝令代わりです。これ以上にない証明では?」
追い討ちをかけるセレナに兵士たちは顔を見合わせる。古代文明の研究所ならともかく、ここは戦場のど真ん中。未だ解明の進んでいない機械兵を連れ回す人間は、それこそテュールを除いていない。
状況証拠としては十分過ぎただろう。少しばかり言葉を投げ合ってから、兵士たち直立不動になる。
「失礼致しました。差し支えなければ、任務の内容をお聞きしたいのですが……」
「東の森に伏兵がいる可能性があります。そちらの調査へ」
「了解しました。お気をつけて」
許可は下りた。レオンが敬礼し返すのを見て、エリアスは真っ先に走り出した。ソラとブライアンが並び、遅れてセレナとレオンが追い縋ってくる。
短く詠唱。肩のあたりを付いてくる光源が、月明かりでは足りない視界を補ってくれた。それにしても歩幅の短い体が憎い。もっと早く走らなくてはいけないのに。
「エリアス! 体力が持たないぞ!」
「間に合わなくちゃ意味がないだろ! 体力なんて後で考えればいい!」
何せ相手は人間を超越した存在だ。年老いているからこそ、そして気配を消すことを優先しているだろうからこそ追い付く芽はあるが、それでもトップスピードを維持してギリギリといったところだ。
故に駆け抜ける。平原地帯を超え、辺りの風景の木々の密度が急激に増え始める。肺が悲鳴を上げた。心臓は鬱陶しいほどに脈打ち、休息を要求している。
それを意図して無視。みんなは、レオンたちにはまだ余裕がある。エリアスだけなのだ、既に体力の底が見え始めているのは。
「はっ、はっ……! く、そ……ぉ」
「──捉えましたっ!」
「っ、本当か!?」
「はい! 二時の方角です!」
セレナが上げた声に希望が生まれ、ほんの少しだけ体が力を取り戻したような気がした。セレナは『勇者』を創り出す『宝玉』の第一人者。彼女が探知に成功したと言ったのなら、その方角に目的の人間──“予言者”がいることは間違いない。
──『勇者』である“予言者”が戦場から姿を消した。
それが機械兵を使ったテュールからの伝令だった。
手紙を見た瞬間から、エリアスたちは知らせに書かれていた方角に全力で追撃をかけ、今に至る。どこかで彼が動くとはわかっていたはずだ。だというのに、後手に回ってしまったのは初日には動かないだろうという楽観があったこと。そして、エリアスたちの消耗が激しかったからだ。
しかし、所詮は言い訳。いくら言葉を重ねたところで無意味でしかない。口を動かすぐらいなら、左右の足を動かせ。今のエリアスたちに与えられた最善はただそれのみ。
「あ、れかぁっ!」
そして、森の木々の向こう側。ゆっくりと進む人影が見えた。思わず声を上げるエリアスの隣、レオンが背中の槍に手を伸ばし、背後ではセレナが魔力をかき集めるのを感じる。
ソラとブライアンも続いているだろう。エリアスもまた、短杖を引き抜くと意識を集中させて、
「『ライト……」
「──させぬわ」
先端の魔水晶が轟く、よりもほんの少し早く。小柄な影が懐に飛び込んでいた。聞き覚えのある声の主が魔法の光に照らされて、一瞬だけ姿を晒す。
王国では珍しい狐の耳。ひどく年老いていながらも、覇気を忘れない肉体。その冒険者の名は──
「お前は……!?」
「ふんっ!!」
鳩尾に、衝撃が走った。体が意図せずくの字に折れ曲がり、前進していたエネルギーが後方へと逆転する。肺の空気を一気に失い、火花が散った視界ではろくに受け身も取れず、
「エリアス!」
「エリィ!? よくも!」
何かに受け止められた。おそらくはレオンか。腹部の痛みが強く、ろくに思考が回らない。そんな揺れ動く世界の中で剣を抜き、仕立て人に斬りかかるソラの姿が見える。影と少女の斬撃がぶつかり合い、硬質な音が響いた。
防がれた。剣の腕は確かなソラの一撃を暗闇で受けて、それでも受け止めていた。それだけで、相手の技量の高さが伺える。きっと、だからこそ。ソラの判断は早かった。
「こいつはあたしが引き受ける! みんなは“予言者”をお願い!」
「ご、ごほ……! ま、待て、ぉ……お前一人じゃ……」
「……わかった。頼む、無事でいてくれ」
エリアスの言葉は聞き届けられずに、レオンの腕の中に抱えられたまま、ソラの姿が離れていく。消えたエリアスの魔法の代わりにセレナが光源を発生させたが、深夜の森の中だ。
とてもそれだけでは足りず、間もなく猫耳少女の影が見えなくなった。
「どうしてだよ!? あいつの顔が見えなかったのか!? ソラ一人じゃやり合うのは……」
「全員で残るのだけはあり得ない。でも、この暗闇で戦えるのは光を出したまま動けるセレナか、夜目が利くソラだけなんだ。なら、ソラが残るしかない!」
見上げたレオンの顔には耐え難い感情が浮かび上がっていて。それだけでレオンもソラ一人を残すことに激しい抵抗を感じていることは分かってしまった。
ならば、エリアスがこれ以上に喚いても仕方がないのだ。お互いの考えは同じで、そのうえで結論が違うのだから。ここは引き下がる他ない。
「く、そっ……! さっさとあのジジィをとっ捕まえて戻るぞ!」
「もちろん。今は全速力だ」
後ろを振り返ってはいけない。それをしないためにソラが残ったのだから。前だけを見据えなければならない。それがソラに対する誠実な行動なのだから。
「てか、自分の足で走れるっ!」
「降ろすのも面倒だし、もう体力が無いだろ? 少し休んでてくれ!」
何時までもレオンに抱えられていることを思い出し、必死に主張するが拒否される。だが、痛いところを指摘されて言い返す言葉が無かった。ただ以前の過ちを繰り返さぬよう静かにすることだけが、今できることだった。
☆ ☆ ☆ ☆
剣を、刀を構えたままにソラは静かに飛び下がった。闇夜の向こう側にエリアスたちが消えていくのが見える。それが猫人族であるソラにははっきりと伺えた。
しかし、夜目は大きな有利になり得ない。何故ならば、相手も条件は一緒だからだ。
「はあて、やられたのう。わしの仕事は全員の足止めのはずじゃったんだが」
「……クフンさん、ですよね」
「わしにそっくりな人間がいるならば見てみたいがな」
困ったように唸る姿は、これまでにも何度か顔を合わせた存在。狐人族にしてギルド本部勤めの冒険者、クフンだった。向こうからしてみれば、一冒険者にすぎないソラの顔などいちいち覚えていないかもしれない。
だが、有名な冒険者として、一度は彼の元で仕事に参加した身として。何より同じ獣人族として尊敬していた。そんな人物が今、敵意を放っている。それがソラに少なくない衝撃をもたらしていた。
「あなたは、どこまで分かってやってるんですか……?」
「全部じゃよ。わしは自分の雇い主の目的も全て知って、そのうえで報酬のためここに立っている。本部には他にも息のかかった人間は大勢いるぞ?」
「いくら冒険者でも、仕事ぐらい選ぶもんじゃないの……! そこらの人ならともかく、あなたならそれができたはずなのに!」
明日の食事にも困るような低ランクの冒険者が、犯罪だと分かっていて裏の仕事に手を出す。それは決して珍しくないことで、ソラには否定もできない。生きるためにと言われても尚、言葉ばかりの正義を語るのは偽善を通り越して悪でさえあるからだ。
しかし、クフンは違う。その実力を認められ、ギルド本部と直接契約している彼ならいくらでも仕事はある。魔獣や魔物退治をしても良い。指名手配犯を追う賞金稼ぎをしても良い。
或いは、人を拒絶する秘境から薬の素材を集めてきても良い。
いくらでも道はあったはずなのだ。だというのに、一体どうして教会に下るような選択をしたのか。
「そりゃあのう、お前さん。金以外の報酬だってあるんじゃよ」
怒気をにじませるソラの内心を読んでか、クフンが微笑を浮かべた。そのどこか達観した姿に困惑を隠せない。クフンは自ら教会に協力している。悪事に加担している。それは彼の口から直接聞いたことだ。間違いない。
だが、クフンのやるせない表情は何だろうか。ただ話がそれだけで終わるほど単純だとは思えない。複雑な感情が渦巻いているように見えた。
「口が滑った。久しぶりに同族を見たからか……さて、構えてもらおうかのう」
「あたしは、別に無理してあなたと戦う気は……」
ソラがここでクフンを単独で撃破できる。その可能性は考慮しない。いくら老いて最盛期を通り越しているとはいえ、クフンの経験と技術はソラよりも遥か高くに位置する。
できるならば、言葉での牽制で時間を稼ぐのが最善で、
「──なんじゃ、お前さんも外れか」
「外れ……?」
「その心構えと力、本物ならわしも覚悟をせねばならんかったが。正直なところ期待外れじゃな」
「何を──っ!?」
紡ぐ言葉は半端に途切れ、ソラは目を見開く。クフンの影が懐に入り込んでいた。あまりに早すぎる。直前まで反応できなかった。既に弓のように引き絞られた掌底は力を開放する寸前。
回避はできない。接近され過ぎて刀も意味を為さない。思考が白熱する、何か反撃を──
「く、ぁぁっ!」
だが、残された選択肢は被弾以外に存在しなかった。咄嗟に後方へ飛び下がり、衝撃を受け流そうとするが、平然と重厚な打撃は骨身を貫く。前方に吹き飛ぶ景色と背後には森の木を見て、ソラは痛みを噛み殺しながら空中で体勢を立て直し、地面に足を突き立てどうにか衝突を免れるが、
「う、そ……!?」
「遅いわ」
右側面に軽い着地音。視界に収めることも無く刀を振るうが、ガントレットをはめた右手に必殺の斬撃を流され、腕が斜め上に跳ね上がる。
再び無防備になったソラの眼前、クフンの左手が迫った。
「きゃぁっ!」
どうにか顔面は避けるが右肩に拳がめり込んだ。嫌な音を立てながら、肩が悲鳴を上げる。それだけに留まらずに地面を跳ねながらソラは吹き飛ばされ、近くの木に打ち当てられた。
全身が痛む。右腕が動かない。肩からの致命的なダメージで、重傷を負った。たった数十秒でこの有様だ。あまりに、格が違い過ぎる。
「ぁ、ぅ……あ……」
「どうした? わしの足止めをするんじゃなかったんか?」
立つこともままならぬまま、どうにか視線を上げればクフンが目の前に佇んでいた。怒気を孕んだ瞳でソラを見下ろしている。
一体どうしてそんなに怒っているのか。どうしてか、場違いに呑気な疑問が頭を過る。
「終いじゃというなら、さっさと止めを刺して……残りも始末するかのう」
目を見開けば、クフンの靴の底が視界いっぱいに広がっていた。




