第十話 闇夜に隠された刻限
エリアスの眼前に広がる光景は、まさに地獄絵図だった。全体の割合で言えばまだまだ命の残っている人間の方が多い。だが、それは元の数が多いからこそだ。絶対数で言えば、命を取りこぼした人間の絶対数で言えば、それは無視できないほどに地面を転がっている。
そこに死者への尊重は無い。ただ戦いに敗れ、奪うのではなく奪われた英雄たちには。弔いなど無く地面に帰されるか、野獣の餌になる。それしか残されてはいない。
「やっと、引いたか……」
誰かが呟いたそれに、エリアスはもちろん誰しもが答えることはなかった。だが、その気持ちは全員が共有している。
──日没と共に連邦軍は城塞都市へと引いていった。
とはいえ、結果は惨敗だ。初日から王国軍は大打撃を受け、多くの兵士を失った。連邦軍が撤退したのも、夜間の戦闘は避けるという戦略的に当たり前の判断をしただけ。魔族が犠牲覚悟に矛を振り続けていれば、被害はもっと大きかっただろう。
それでも今、この場で夕暮れを見ている戦士たちは確かに生き残っているのだ。
「野営の準備をするぞ! 総員下がれ!」
無事に生き残った王国軍の司令官が声を張り上げる。予想外が起こり続けたとはいえ、まだ戦いは初日だ。拾った命に安堵はできても、無事を喜ぶことは中々できない。血に濡れた戦場に背中を向け、エリアスたちも歩き出す。
あまりの疲労からか。レオンたちも何か言葉をこぼすことは、無かった。
☆ ☆ ☆ ☆
たった一日で中央軍の一割五分の損壊。或いは、意外と犠牲が少なかったという者もいるかもしれないが、それは傲りだろう。軍隊全員が戦闘要員であるわけではない。後方支援の人材を含めた割合なのだから、決して小さくない被害だ。
それこそ、何かしらの対策が必須といえる。
「さすがに、死ぬかと思った……」
「でもみんな無事で良かった良かった」
豪快の流し込んだ水が喉を潤す。体に僅かながらも活力が戻るのを感じて、飲み干した水筒を放り投げた。水筒はテントの中を音を立てながら転がっていく。
「皆さん怪我はありませんね? 今ならゆっくり治せますよ」
「俺は平気だ……ブライアンも、まあ大丈夫だと思う」
「あたしも問題ないよー」
レオンが視線を向ける先で、ブライアンは豪快にイビキをかいていた。さっさと携帯食料を胃袋に捻じ込むと、寝入ってしまったのだ。体力の回復という意味では極めて合理的だが、それをすぐさま実行できる図太さに苦笑が零れ落ちる。
「俺も自分でだいたい治したから大丈夫……だ? なんだよ、その目は」
「セレナ」
「はい。レオンさんはブライアンさんを連れて少し退出を」
「はぁ……わかった。散歩でもしてくるよ」
顔を見合わせただけで何かわかり合ったような女性陣二人に、レオンはため息交じりに頷いた。眠っていたブライアンをたたき起こす、ことは端から諦め引きずるようにテントの外へと出て行く。
残ったのは女性陣のみ。二人の瞳に嫌な予感を隠し切れないエリアスと、今にも飛びかからんとするソラとセレナだ。
「おい、別に怪我はないって……ちょっ!?」
男二人が姿を消した途端に、二人は襲い掛かってきた。身のこなしはパーティーの中で最も上手いソラはもちろん、身長差のあるセレナからもエリアスは逃げ切れない。流れるような動作と連携であっという間に拘束されたエリアスは、容赦なく服をはぎ取られて、
「ふ、ふざ……何してんだよ!」
下着のみの姿になって肌色を晒す羽目になった。思わず羞恥で顔を赤くしながら、ソラを睨みつける。エリアスの中身はこれでもまだ男のつもりだ。だから、人前で肌を見せること自体は特に抵抗がない。それが恥ずかしいことだと知っているが、理解はできずにいる。
だから、この感情の原因はもっと別のところ。自認が男であるにもかかわらず、女性の下着を身に着けていること、それを直に見られるのが恥ずかしくて仕方がない。不本意な女装を発見された気分。そんなところだ。
「やっぱり……動かないでよ」
「大人しくしてくださいね」
セレナが魔力で両手を光らせながら、エリアスの体に触れる。そこにあったのは新しい傷。最低限の止血だけで済まされ、痛々しい痕が残りかけている切り傷だ。
「別に治ってるからいいだろ、それ以上は」
「だめですよ。ちゃんと治しておけば大丈夫ですが、放っておけば全部傷跡になってしまいますから」
「……俺は気にしないけど」
無理やり引き剥がそうとしたがそれはソラが、何よりも心配げなセレナの視線によって止められてしまった。真剣に治療を行うセレナの視線の先、少なくない血の滲んだ傷がエリアスの全身にまばらに存在する。
確かにこのままでは痕は残るだろう。いつもならすぐにセレナがすぐに治してくれるところを、時間の都合もあって自分で治癒魔法を施した結果がこれだ。付け焼刃の腕前ではせいぜい止血しかできやしない。
「そういうところをもっと正したいんだけどね。エリィは今は女の子だって自覚を持つべきなの」
「ろくな人間だって自覚も持てないのに、女がどうとか言ってられないって……。俺が普通に暮らすことなんて、絶対にないだろうしな」
自然と自虐的な笑みがこぼれる。自分の過去を顧みて、罪を認めたとしても、エリアスはどこまでも罪人だ。環境が、境遇が、運命が不幸だったと。そう言い訳したとしても罪が消えることはない。
少しでも償うために努力は惜しまないが、だからこそ普通の生き方なんて許されてはいないのだ。
「……いいじゃん、今は今。この先は分からないんだから」
不貞腐れたように放った小さな声に、エリアスは無言を返答とした。この話は今すぐ決着はつかないだろうし、ソラも答えを欲しているようには思えなかったから。それに戦場で目の前以外のことに頭を悩ます時間も場所も無い。
「ふぅ、これでたぶん全部ですね。少なくとも痕は残らないように努力しまし……」
「──待って! 何か来る!」
僅かに響いた土を踏む音。だが、一般的なヒューマンが立てる音と比べて、重量感が大きすぎる。よっぽど大柄な人間、あるいは魔族特有の器官を持ち体重の重い種族のそれか。
前者だと楽観はできない。故にソラは叫ぶと同時に腰を上げ、セレナも遅れて魔力を張る。エリアスは咄嗟に自身の体を隠すように膝を抱く。直後、テントの入り口が開いて、
「……? 機械兵、ですか」
「え、なんでこんなところに」
顔を、顔のようなものを覗かせたのは鋼鉄の人形、機械兵だった。無機質なフルフェイスマスクの兜のような頭がこちらを捉え、確かにエリアスたちを認識している。だが、銃口を構えてくるような予兆はない。
危険は無さそうだがエリアスたちの困惑はますます深まるばかりだ。
「いや、こいつもしかしてテュールの……」
「────」
静かに機械兵が右腕を差し出した。発声機能などはさすがに持ち合わせていないようで、たったそれだけの動作を終えて再び動きが停止する。びくりとも動かない人形は逆に不気味で。
僅かに緊張感を残したままソラがゆっくりと接近した。
「何か、腕に貼ってあるみたい……手紙?」
「伝令代わりってことですか。やはりテュールさんからの知らせでしょうか?」
恐る恐るソラが小さな紙を手に取る。機械兵は動かない。そこまでしてようやく、ソラは鋼鉄の人形に対する警戒を解いた。そして手元の紙に視線を落とす。
「そうみたい。ちゃんとテュールさんの名前が書いてある。宛先は……何も書いてないけど」
うっかり機械兵への命令を間違えてでもない限り、エリアスたち宛てで間違いないはずだ。案外、うっかりをしかねない一面もあった気がするため、ほんの少しだけ心配だが。
「それで内容は?」
「うん、読んでみるね」
声に出してソラがテュールの言葉を読み上げる。
「────」
手紙が音となって小さく響くごとに、ソラの声が震えていく。並列してエリアスとセレナの表情も、驚きを隠せなくなっていき。読み終えると同時に三人は顔を見合わせて、頷いた。
すぐさま装備を確認すると、レオンとブライアンに合流するべくテントを飛び出していく。今は少しでも時間が惜しい。焦燥感に駆られながら必死に野営地を駆け抜ける。
──見えないところで、“詰み”のカウントダウンは始まっていたのだから。




